#21 説得と納得
ある日のことだった。
バイトの休憩時間にふらりと立ち寄った雑貨店で、俺は強盗に遭遇した。
目出し帽を被った男が店主に銃を突きつけ、レジを開けさせているところだった。
カウンターの横では、客らしき数人の男女がホールドアップ状態で立ち尽くしている。
強盗は俺に気づくと、銃口を向けてきた。
だが、その時俺はチャンスだと思った。
ボンバイエを実戦で試す絶好の機会だと思ってしまったんだよ。
後になって考えればゾッとする話だが、その時は恐怖心よりも好奇心の方が勝っていたんだな。
俺は諸手を上げると見せかけて、俺の図体からは想像もつかないだろう甲高い奇声を上げてやった。
当然の如く唖然とする強盗。
その一瞬の隙に俺は、左手で銃身をつかんで銃口を天井に向け、右手の三指で強盗の目玉を突き、右足で金的を蹴り上げる……という3つの動作をほぼ同時にやってのけたんだ。
強盗は泡を吹きながら悶絶。
銃も発砲されずに済んだ。
店主は俺の手を握り、しつこいくらいに感謝の言葉を繰り返した。
人質だった客たちも俺んとこに駆け寄ってきて、口々に褒め称えた。
その中に日本人女性が二人いてな。
名前は、朱美と梨佐。
共に都内在住のOLで、年も同じハタチ。
観光旅行中にたまたまこの店に立ち寄っての災難だった。
興奮冷めやらぬ二人は、何か礼をさせてほしい、と俺に訴えた。
俺が「気持ちだけで充分だ」と断っても、それでは気が済まない、と引き下がらない。
そこで俺は、
「なら、日本に帰ったら一度、試合を観に来てくれよ。実は俺、プロレスラーなんだ」
そう言って団体名と連絡先を二人に教え、その場を立ち去ったのさ。
俺の毎日は変わった。
あんなにくすんでいた景色が今や鮮明に見える。
道端の雑草にすら愛着を感じるんだ。
飯は相変わらず不味いが、そう悪くない所だと心から思える。
これも全部コジョのお陰だ。彼と出会えたからこそ、なんだ。
『まだ、一週間しか経ってないのかよ……』
と、うなだれていたあの頃がウソのようだ。
今や、
『もう、一週間しか残ってないのかよ……』
で、うなだれるざまだ。
「コジョ。俺たち、また会えるかなぁ」
「会えるよ。リングの上でね」
「よし。じゃあ、お互いビッグになってタイトルマッチで再会だ」
「OK♪ 約束ね」
そんなベタなやり取りを最後に、俺は帰国の途に就いた。
イギリスから無事帰還した俺は、東京中野区の自宅マンションへ向かったが、辿り着く寸前で「しまった」と天を仰いだ。
イギリス遠征に出発する前日に、部屋を引き払っていたことをすっかり忘れていたんだ。
仕方なくその日はビジネスホテルに泊まって、時差ボケ解消に努めた。
そして、翌日午後に会社に顔を出した。
「おぉ、お帰り。何だ、また随分とスリムになったな……」
ぽっちゃりメガネの磯俣修がニコニコしながら出迎えた。
見るからに冴えない中年だが、この男なかなかのやり手だ。
発想豊かで助言も的確、人望も厚い。
だから、入社3年目にしてチーフマネージャーに抜擢された。
実質、この会社を動かしているのは奴、と言っても過言ではないだろう。
「実は相談したいことがありまして……」
やけに神妙な顔つきで俺が言うので、磯俣は気を利かして無人の別室に場所を変えてくれた。
俺は単刀直入に、
「総合の道に進もうかと思ってるんです」
総合とは、総合格闘技の略。目潰し・金的・噛みつきなど、禁じ手以外なら何でもOKの試合形式で最強を競う格闘技だ。
「えぇ~ッ!? 何でよぉ。向こうで何かあったの?」
アフリカの古武術ボンバイエに出会ったこと、その技術を習得したこと、それを使って強盗を撃退したこと、そしてリアルファイトの魅力に目覚めてしまったこと……俺は包み隠さず、すべて語った。
「まぁ、君はまだ若いし、気持ちは分からないではない。けどねぇ、総合ってのはかなりリスキーだよ」
磯俣は険しい顔でタバコに火をつけると、次のような内容の話を俺に聞かせた。
まず、総合の選手生命は極端に短い。
大半が四十路を迎えるまでに衰え、引退を余儀なくされる。
で、その間稼げたのかといえば、トップクラスでもない限り無理。
中堅クラスで勝ったり負けたりな状態だったとしたら、たいしたギャラは貰えない。
引退したら、職安で仕事探しする羽目になるだろう。
それに、総合は怪我が多い。
完治するならまだいいが、後遺症となって死ぬまでつきまとわれるケースも少なくない。
ガチで関節を極め合うのだから当然だ。
レフェリーの制止が数秒遅れただけで、骨や靱帯に大ダメージを負うことになる。
打撃の方もしかり。
網膜剥離による失明や、脳震盪による認知障害、手足の痺れおよび麻痺など……と、さんざん気が滅入るような話をした末に、
「それに比べりゃ、プロレスの方が遥かに……」
まぁ、確かにそうだ。
プロレスは選手生命が長い。
柔軟や受け身など基礎トレを怠らず、体調管理を心がけていれば、還暦までやれる。
それなら、たとえ中堅クラスでギャラが安くても何とか食ってはいける。
それに、総合のような深刻な怪我も――不慮の事故でも起きない限り――ない。
ヤオで関節を極め合うのだから当然だ。
打撃の方もしかり。
適度に力を抜いて殴る蹴るしてる。
まぁ、胸板チョップはかなりマジだけどな。
あのミミズ腫れはフェイクじゃない。
「僕も無理に止めるつもりはないけどね……今すぐに、というのは困る。だって、1年間の武者修行を終えて凱旋帰国した有望株だよ、君は。それがいきなり総合へ移られちゃ、うちの面目丸潰れじゃないか」
悔しいが、もっともな言い分だ。
鼻の下に大粒の汗を溜めて磯俣が言葉を継ぐ。
「とりあえずだな、ここから1年はプロレスに専念して何かしらの結果を出すこと。それからだよ、総合転向うんぬんの話は……」
俺はもうそれ以上、主張も反論もできなかったよ。