#19 MDチョー かく語りき
突然ですが、あなたはプロレスを観ますか?
そう質問して「いいえ」と答える人に、さらにその理由を尋ねてみると、まず一番に返ってくるのが「八百長だから」である。
そもそも八百長とは、商売上の打算から囲碁の勝負でわざと負けて相手の機嫌をとった八百屋の長兵衛、からきているらしいのだが……
どうも日本人は――というか、アジア人全般――フェイクの戦いを嫌う傾向があるようだ。
対して欧米人は、フェイクか、やらせか、などにあまりこだわらない。
とにかく、面白ければよいというスタンスだ。
払った金銭分、楽しませてくれたら、興奮させてくれたら、OKなのである。
世界最大のプロレス団体『WWE』が今なお繁栄し続けているのも、そんな国民性が影響しているからに違いない。
世の中には、プロレス=ガチだと本気で信じている人も実は少なくない。
だから、ガチvsヤオ論争は未だになくならない訳だが……ネットやなんかでそういう類いを目にすると、心底笑止に思えてくる。
だいたいこのバーリトゥード花盛りの現代格闘技界において、プロレスがフェイクか否かなど、ストンピングの仕方一つ見れば分かること。
もっと言えば、プロレスを観て「これ、ガチ?」と訊くのは、スターウォーズを観て「これ、実話?」と訊くようなもんである。
プロレスは、スポーツでもなければ格闘技でもない。
また、最強を競うものでもない。
プロレスの魅力や価値は、ガチかヤオか、強いか弱いか、などを超越したところに存在する。
例えば、団体のトップを張る一流レスラーに求められるのは、決して強さなんかではなく、
どれだけ客を呼べるか
どれだけ客をヒートさせられるか
いかに怪我をしないか、させないか
の3つである。
なので、実際には強くもないのに団体の頂点に立つ者もいれば、セメント最強なのに万年中堅で終わる者もいる訳だ。
では、あのマッドドッグ・チョーはどうだろう?
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俺はチョー。マッドドッグ・チョーだ。
1977年夏、俺は山梨県の大月市に生を受けた。
名は寵児と付けられた。
実家は小さな酒屋を営んでいた。
俺はがたいのいい少年だったから、ビールケースなど重量物の配達をよく手伝わされた。
俺がプロレスを初めて生で観たのは小学五年生の時。
甲府の市民会館に『新ニッポニアプロレス』が巡業に来るというので、父親がチケットを買ってくれたんだ。
俺は“燃える商魂”――現役当時からステーキハウスやスポーツジムの経営、香辛料の輸入販売など、サイドビジネスにご執心だったからそう呼ばれてる――アニントン伊与木のファンだったから、
真っ赤なガウンを着た彼が花道に現れた際には、言い知れぬ昂りを覚えたもんだ。
画面を通さず直に見る伊与木は、精悍で筋骨隆々で手足も長く、まるでターザンみたいにカッコよかった。
その日、伊与木は必殺の卍固めで対戦相手を華麗に仕留めてみせたが、その勇姿を眼前にした俺は「将来、絶対プロレスラーになってやる」と固く心に誓った。
中学時代を少林寺拳法に、高校時代を柔道に捧げた俺は、高校卒業と同時に上京。
食品工場でバイトしながら1年間ジムで鍛えて、新ニッポニアプロレスの入門テストを受けた。
だが、終盤のスクワットでバテてしまい、結果は不合格。
ならばと、もう一つのメジャー団体『全ジャポンプロレス』の門を叩くが、やはり体力テストをクリアできず、これまた不合格……涙を飲んだ。
しかし夢は諦めきれず、翌年、今度はインディー団体『プロレスリングジャップ』の入門テストを受け、辛うじて合格。
1年2ヶ月後、21歳で俺は何とかデビューを果たせた。
ちなみに、リングネームは“CHOJI”。
横文字なんて柄じゃあないが、漢字だとちょっとお堅いし、かなだと見栄えしない、ってことでそうなった。
それからさらに2年ほどを経過して、最初のチャンスが訪れた。
新人王を決めるトーナメントが開催され、俺が優勝させてもらえたんだ。
“させてもらえた”と言ったのは、最初から優勝者が決まっていたからだ。
期間中に怪我でもしない限り、また、余程しょっぱい試合をしない限りは、俺を優勝させる方向で企画会議が進められていたって訳さ。
だが、俺はあまり嬉しくなかった。
優勝特典が賞金ではなく、海外遠征だったからだ。
場所はイギリス、期間は1年。
まぁ、どこの団体でもやってる新人抜擢の海外武者修行って奴だよ。
会社がロンドンの弱小プロモーターと提携していて、その人物の知人がノッティンガムでレスリングジムを経営していた関係から、そこに預けられることになったんだ。
ジムの裏手には寮があって、家賃は不要。
ただし、それ以外の光熱費や食費、その他諸々は自分で賄わなければならない。
とはいえ、プロレス興行は週に2回しかなく、新人は他にも大勢いるんで毎回出場できるとは限らない。
仮に、できたとしてもギャラが安いため、それだけでは食ってけない。
そこで新人は皆、アルバイトをすることになるんだが、俺のように英語が苦手な者にできる仕事なんて限られてる。
チラシ配りか清掃業、あと荷運びくらいだ。
俺はジムオーナーの紹介で、寮の近所にあるレストランで皿洗いのバイトをすることになった。
これで、何とか1年くらいはやっていけそうに思えたんだがな、現実はそう甘くなかった。
食事の不味さや生活習慣の違いに加え、言葉の壁も大きなストレスとなって、俺はわずか3ヶ月で20キロも体重を落としてしまったんだ。
そうなると、試合なんか組んでもらえない。
プロモーターからは声がかからなくなったし、ジムオーナーからも「体重が戻るまで試合には出さない」と宣告された。
昼はジムで黙々と汗を流して、夜はレストランで皿洗い。
そんな日々の繰り返し……。
「ったく、何やってんだ、俺は。これじゃ、はるばるイギリスまで来た意味がねえ」
とはいえ、途中で切り上げ日本へ帰る訳にもいかない。
新人の分際でそんな真似したら下手すりゃクビだ。
辛抱するしかなかった。