#17 真昼の屋上決戦
攻めの明星、守りの神原。
一見すると、攻めが有利に思われるが、実際、焦燥しているのは明星の方だった。
一般に、空手家にはスロースターターが少なくない。
序盤は防御に回って、じっくり相手の攻撃を観察する。
そして、攻撃パターンを見極めたら、狙いすましたカウンターで仕留める。
これぞ一撃必殺の空手道だ。
確かに、明星の繰り出す打撃技はパワー、スピード共に人間離れしていたけれど、そのパターンに関しては単調と言わざるを得なかった。
所詮は、格闘技好きの素人である。
だが、以上のことを明星自身がちゃんと承知しているのは強みであった。
突如、攻撃の手をピタリと止めた明星は、神原の鼻先でパシンと手のひらを叩き合わせたのだ。
いわゆる“猫騙し”という奴で、相撲の奇襲戦法の一つだが、それは功を奏した。
神原天法が呆気に取られているわずか1~2秒の隙を見逃さず、明星は攻撃を仕掛けた。
神原の両足首をつかみ、天高く持ち上げたかと思うと、そこから一気に地面へ叩きつけたのだ。
その様は、まるでハイアングル・パワーボムといったところで、神原は後頭部から背中にかけてをコンクリートの地面にしたたか打ちつけた。
『やった! 決まった』
観ている誰もがヒヤッとさせられるような危険な角度だったので、明星は勝利を確信すると同時に「やりすぎた」と後悔さえした。
だが、やおら起き上がる神原天法。
「ウ……ウソだろッ!?」
驚倒する明星の視線の先には、早くも半身の構えをとっている神原の姿があった。
彼はまるで何事もなかったかのように、また、じわじわと迫り来る。
完全に気圧された明星は、やむなく後ずさった。
迫られ退いて、迫られ退いて、を繰り返すうち、気づけばもう後がなくなっていた。
長方形の屋上スペースの端まで追いやられてしまったのだ。
それでも神原を見据えたまま後ずさり続けたため、明星の腰が転落防止柵のてっぺんに接触した。
その瞬間、
「う、うわぁ~ッ!」
バランスを崩した明星守は、腰を支点に後方回転、そのまま落下してしまったのだ。
「ッ!? みょ、明星くぅーんッ!!」
金切り声で叫ぶ犬山忍。
「な、何ぃ~ッ!?」
これには豪放の神原天法も面食らった。
小走りに落下地点へ駆けつけて、こわごわ下を覗き込む。
だが、そんな彼のケツアゴに、下から突き上げる右のアッパーカットがクリーンヒットした。
それは、屋上の縁に指を引っ掛け待ち受けていた明星守による、文字通り“捨て身”の攻撃だった。
まんまと不意を突かれた神原は、弧を描いて後方へぶっ飛んだ。
すぐさま屋上へ復帰した明星は、仰向けにダウンしている神原の元へ猛ダッシュ。
その太い首に前腕を押し付けた。
ギロチン式のフロントスリーパー(前方裸絞め)である。
頸動脈を圧迫して脳への血流を止めることで意識を奪う、という技だ。
神原の顔が、見る見る色を失っていく。
「みょ、明星くぅーんッ!!」
またも犬山が金切り声を上げる。
だが、今度のそれは歓喜と希望に満ちていた。
「せ、先輩ッ!」
「主将ぉ~ッ!」
空手部員たちも色めき立つ。
「神原さん、もうやめましょうよ……ね?」
後輩らの見守る前で失神させるのは忍びない。
明星は説得を試みた。
だが、その情けが神原の逆鱗に触れてしまったようで、
「たわけぇ~ッ!」
怒鳴った拍子に口から血が飛び散り、それが不運にも明星の目に入ってしまった。
先ほどの右アッパーで、神原は唇を深く切っていたのだ。
「あぁッ……」
思わず目元に手をやり、顔をしかめる明星。首への圧迫も緩まった。
この好機を、百戦錬磨の神原天法が見逃すはずはなく、彼はその岩石のような左の拳を、明星の右脇腹へめり込ませた。
会心のレバーブロー。
肋骨が折れたかもしれない。
明星は悲鳴を上げる余裕すらなく、その場にのたうった。
あまりの苦しみに、昼飯までリバースしてしまうありさまだった。
『死ぬッ、死ぬぅ~ッ!』
本当にそう思った。
何せ、数十秒間まったく息ができなかったのだから。
神原はゆっくりと上体を起こすと、七転八倒の明星を見て、にんまり笑った。
垣間見える乱杭歯が血に染まっていて、何とも気色悪い。
実際のところ、このレバーブロー一発で勝敗は決していた。
だが、神原の気は収まらなかった。
自慢のケツアゴに強烈な一発を叩き込んでくれた明星が……というより彼の右腕が、許せなかったのである。
神原は、登り棒でもするかのように、明星の長い右腕に自らの手足を絡ませ密着した。
そして、明星の肘関節が当たるちょうどヘソの辺りを支点として、一気に体を反り返らせたのだ。
「ギャアァ~ッ!!」
今度はしっかり悲鳴を上げる明星。
「グァッハッハッハァーッ!!」
対する神原は高笑いである。
柔道の心得もある彼による“腕挫十字固め”が見事に決まっての勝利だから無理もない。
「みょ、明星くぅーんッ!!」
この世の終わりとばかり、涙ながらに絶叫する犬山忍。
「心配するな。加減はしとる」
神原はそう言ったが、まぁ、そうなのかもしれない。
彼ほどの剛力が手加減なしに極めようもんなら、即、靱帯断裂あるいは骨折だろうから。
「さすが先輩」
「お見事、主将」
と、拍手喝采の空手部員たち。
「さぁて、残るは……」
神原は、絶望の淵でへたり込んでいる犬山の元へズンズン歩を進めて、
「え~と……確か、犬……犬……」
「犬山です」
部員の一人が補足した。
「そうそう、犬山じゃ。ええか、ズバリ言う。ここが貴様の墓場じゃい」
神原は、半身の構えで犬山に迫った。
「あわわわわわッ……」
犬山の震えはもう、痙攣みたいだった。
神原は、左の手刀を高く振り上げた。
「覚悟せいッ」
だが、そこで動きを止め、
「んむ? 貴様、もしかして……女か?」
その問いに答えることもできず、ただただ恐怖におののくのみの犬山。
「天下の神原天法が、女を殺ったとあっては名折れじゃ」
そう言って手刀を収めると、
「行ってよし」
『……えっ、ホントにッ!?』
犬山の震えがピタリと止まった。
「ただし、四つん這いになってな。わしの股ぐらをくぐって行くんじゃい」
そう言われて、犬山が戸惑っていると、
「だって、貴様、犬なんじゃろ?」
すると、背後の部員たちが笑いさざめいた。
「ワンちゃん、こっちおいでぇ~」
「お手しろよ、お手」
「俺の裏筋舐めとくれ♪」