#16 当たらず砕ける
「いや、あの、ちょっと待ってください。どういうことなのか……事態が飲み込めてないんですけど、俺たち」
にじみ出る汗を指の腹で拭いながら、明星が応答した。
「うちの木村を可愛がってくれたな、言うとんじゃいッ」
「いや、でも、それには理由があってですね……」
「体操着で登校する新入りに、木村は先輩として注意を促した。その木村を痛めつけるとは何事じゃいッ」
そして、犬山の方にジロリと目をやり、
「貴様、この期に及んでまだ体操着かぁ~ッ」
乱杭歯むき出しで怒鳴られ、犬山は悪寒に襲われたかの如くガタガタ震えだした。
そんな犬山を気遣うように、背中をさすってやりながら明星は、
『こりゃ、厄介なことになったぞ……』
幼少期からプロレスや格闘技が好きだった明星守だから、天才空手少年・神原天法の名も聞いたことはあった。
だが、まさかこんな、おんぼろ公立高校に通っているとは夢にも思わなかったのだ。
実は神原には、東京の名門私立4校からスカウトが来ていた。
特待生枠だから、入学金も授業料も全額免除である。
だが、それでも彼はこの藁高を選んだ。
理由は、家から一番近いから。
通学なんかに時間をかけてられるか。稽古時間が減ったらどうすんだ、と、まぁ、そういう考えからだった。
そもそも、運動系も文化系も、部活は全般てんで話にならない藁高である。
それが近頃、空手部に限っては強豪校と位置づけられるようになってきた。
それは無論、神原天法唯一人の功績によるものだ。
昨年、東京武道館にて開催された空手道選手権関東大会では、個人の部で「形」「組手」共に優勝を果たしている。
本年も連覇の期待がかかっており、そうなることはまず間違いない。
「ズバリ言う。貴様らには、ここで死んでもらうッ」
明星と犬山を同時に指差し、神原はきっぱりと言った。
「ちょっと待つのら!」
聞き捨てならぬ、とばかりに近森斗呂偉が口を挟んだ。
「何だぁ? このチビ助」
ゲジゲジの眉をひそめる神原。
「この二人は、おいらの仲間なのらッ。同期の桜なのらッ。ここで死なれては困るのらッ」
「ほぉ、そうか。なら、困らんように貴様も一緒に死なせてやるわい」
だが、斗呂偉は怯むことなく神原を睨み返して、
「ただじゃ死なないのらッ、お前と刺し違えてやるのらッ」
そう言うと、斗呂偉は片膝をついて不敵に笑んでみせた。
「ちょこざいな」
神原は利き手の左を後方に、半身の構えとなって、
「よぉし、ええじゃろう。どっからでもかかって来い」
「ワンちゃん、そして明星くん……」
斗呂偉は片膝をついたまま、ブルース・リーよろしく親指で鼻先をちょんとこすって、
「友のため勇敢に戦い死す……墓石にはそう刻んでほしいのら」
そして立ち上がろうとするが、犬山と明星に制される。
「ま、待ってよ、近森くん」
「そうだよ、早まるなって」
だが、構わず立ち上がると、斗呂偉は両の腕をブンブン回し始めた。
回転速度は見る間に速まり、やがて空気の渦が二つ作り出された。
これを相手にお見舞いしてやろう、というのである。
名付けて“竜巻旋風腕”。
近森斗呂偉が、ここ一番でしか見せない大技である。
「ち、近森くぅん!」
犬山が叫ぶ。
「と、斗呂偉!」
明星も叫んだ。
斗呂偉は深呼吸を一つすると、神原天法めがけ突進した。
「ゴーフォーブローク! 当たって砕けろなのらぁ~ッ」
だが、途中でズボンがずり落ちてしまい、足をもつらせ前のめりに倒れ込む。
おでこを地面にしたたか打ちつけた斗呂偉少年は、哀れパンツ丸出しのまま気を失ってしまったのであった。
昼飯を食い過ぎて腹周りがきつくなった彼はベルトを外したのだが、そのことをすっかり忘れていたのだ。
斗呂偉に限らず、新入生男子の制服ズボンというのは、とかく大きめなものである。
育ち盛りなもんだから、ピッタリサイズで購入すると、またすぐに――下手すりゃ、1年も経たないうちに――買い替える羽目になってしまう。
だからこそ、母ちゃんたちはツーサイズ上、場合によってはスリーサイズも大きい制服ズボンを買い与えるのだ。
裾さえ直せばいいのだから、上手くいきゃ、卒業式までもってくれるという訳だ。
これぞ“中高一年男子あるある”である。
「ち、近森……くん」
犬山が引く。
「と、斗呂……偉」
明星も引いた。
「ふんッ、未熟者めが」
吐き捨てるように言うと、神原は、明星たちの元へじりじり迫って、
「次はどっちじゃい。二人同時でもええぞ」
『殺らなきゃ、殺られる』
もはや戦闘不可避と判断した明星守は、神原の左側面に素早く回り込んだ。
そして、長い両の腕を神原の頭頂めがけ振り下ろした。
その手刀は物凄い速さと勢いを持っていたが、ヒットするすんでのところで、神原の交差させた前腕によってガードされてしまった。
「そういや、志辺中(藁志辺中学校)に、えれぇ手の長い生徒がおると聞いたことがあったが……ありゃ、都市伝説やなかったんじゃのぉ」
しみじみ言うと、神原はまた半身の構えをとった。
自分からは仕掛けようとしない。
すると明星が、今度は左右の手刀を交互に繰り出した。
上段・下段・右・左、と電光石火の早業である。
その長い腕は、まるでムチのようにしなっていた。
また、触手のようでもあった。
だが、驚くべきは神原天法である。
明星守の超人的攻撃を、その堅牢なる四肢でことごとくブロックしているのだから。