#15 藁高のラスボス
「へー、明石焼きも楽しめるって訳か……やるねぇ」
いたく感心した様子で、ツイストドーナツにかぶりつく明星。
そんな彼の膝上のコンビニ袋を瞥見した犬山が、
「みょ、明星くんは、お弁当じゃないんだね」
すると、明星はちょっと寂し気な顔になって、
「俺んち、母ちゃんいないんでね……病気で死んじゃって」
「あっ……ご、ご、ごめんなさいッ。よ、余計なこと言っちゃって……」
「いやいや、いいんだよ。もう6年も前の話だし」
「ろ、6年!? じ、自分と同じだ……」
「同じ? 何が同じなんだい?」
実は、犬山も6年前に母親を交通事故で亡くしていたのだ。
それ以来、家事全般は犬山が孤軍奮闘してきた。
仕事が忙しい上、手先が不器用な父親に任せていられなかったからだ。
「なあんだ、そうだったのか。じゃ、謝ることなんてないのに。一緒じゃん、俺たち」
「う、うん。そだね……」
犬山忍は、ポッと赤くなった。
この人も、自分と同じ寂しさや惨めさ、やるせなさを経験してきたんだ。
嫌というほど味わってきたんだ。
だからこそ、こんな風に人に優しくなれるんだ。
思いやれるんだ。
何だか、明星守との距離が一気に縮まったように感じられた。
彼とは心の奥底で、しっかりつながっている、そんな風に思えたのだ。
「あ、あの……も、もし迷惑じゃなかったら……明星くんのお弁当作ってきてもいいかな?」
「えぇッ!? いや、そ、それは凄く嬉しいけど……さすがに悪いよ」
「ぜ、全然全然、全然全然、全然全然、全然全然……ひ、一つ作るのも二つ作るのも変わんないし……そ、それに、いつもおかず余っちゃって、夜にまた食べるのも飽きちゃうし……」
「そ、そうなの?」
「う、うん……」
「じゃあ、お言葉に甘えてみよっかなぁ」
「甘えて甘えて、甘えて甘えて、甘えて甘えて、甘えて甘えて……」
「わ、分かったからさ、落ち着いて」
「う、うん……ごめん」
犬山は額の汗をハンカチで拭いながら、ちらと斗呂偉の方へ目をやった。
36個ものたこ焼きを平らげ満腹なところに、燦々たる陽光と柔らかな涼風を浴びて、近森斗呂偉は体育座りの体勢のまま、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。
さっきからやけに静かだなと思っていたら、このありさまである。
『ホント長生きするよ、この子は……』
小さくかぶりを振りながら、犬山は鼻でため息をついた。
「あ、そうだ。改めまして、俺……明星守、一年一組、15歳。よろしく」
粉砂糖のついた口角をキュッと上げ、右手を差し出す明星。
それをありがたそうに両の手でしっかと握りしめて、
「い、犬山忍……一年五組、15歳。す、末永くよろしくです」
犬山の心臓が早鐘を打つ。
明星の大きな右手は、言い知れぬ心地よい手触りだった。
「あのさ。俺も、ワンちゃんって呼んでいいかな?」
「えっ、あ、はい……お願いしまっす」
だが、本当は、下の名で呼び捨てにされたい犬山であった。
ところでだ、明星少年の方は犬山忍に対してどんな印象を抱いているのだろうか?
これについては皆さんも気になるところだと思うので、少し述べてみたい。
まず、ファーストコンタクト。一限目の休み時間に自販機前で見かけた際は、単に3人の男子がじゃれているだけだと思った。
で、木村をやっつけたのち、ジュースを買って飲んで、去り際に軽く会釈をしたはずだが、その時もまだ『可愛らしい男子だな』ぐらいにしか思っていなかった。
次が三限目の休み時間。教室の出入り口付近でぶつかりそうになった際だ。
この時ばかりは目前にまで近接していたこともあり『あれ? この子、ひょっとして……女の子?』と印象を大きく改めた。
というのも、間近の犬山忍は、肌の質感が陶器の如くスベスベで、口周りには産毛すらない。
艶めいた髪からは甘いバニラのような香り。
何となく、なで肩で、細身だけれども丸みを帯びている。
おまけに、胸元には微かながら膨らみさえ見受けられるのだ。
そして最後が今、この昼休みとなるが……さすがにこの段になると、ニブチンの明星少年でも、犬山忍を100パーセント女だと認識していた。
だって、手にしているのは、ハートマークだらけの『ケイティちゃんランチボックス』である。
しかも、咀嚼の際にはいちいち手を口元に添えるし、極め付けは、その座り方――正座の状態から両足を外側に開き、尻をペタンと地べたにつけるアレ――いわゆる“女の子座り”という奴だ。
ただ、それとは別に、腑に落ちないこともあった。
例えば『なぜ、彼女はずっと体操着のままなのか?』
あるいは『なぜ、彼女は軍人でもないのに、一人称を“自分”としているのか?』等々。
「ド、ドリアンネクター、初めて飲んだよ」
「結構イケるだろ?」
「う、うん。自分、ビックリしちゃった」
「においはちょっとアレだけどさ。でも、納豆だってチーズだって臭いけど、みんな普通に食ってるもんね」
「うんうん、だよね」
「くさやなんて、臭いから、くさやだぜ。それでも、ちゃあんと生き残ってるし」
「あははー、言えてるぅ……」
それは、まさに至福と言えるひと時だった。
だが、このまま平穏無事に昼休みを終えられるほど、世の中甘くはない。
この牧歌的な憩いの場が、戦慄の修羅場と化すまでに、ものの5分の時間も要さなかった。
十数名のがたいのいい男子生徒がどかどかとやって来て、横一列に並んだ。
その中には、空手部二年生の山田と木村の姿もあった。
そして、2メートルは優に超える、巌のような大男が姿を現すと、場の空気が一変した。
辺りの者たちは皆、弁当箱を小脇に抱え、我先にと退散する。
「わしは、空手部三年生主将、神原天法じゃいッ」
その地鳴りのようなどら声に、鼻ちょうちんの近森斗呂偉も、何事かと跳ね起きた。
「貴様らか、うちの部員を可愛がってくれたんは」
明星守と犬山忍は、共に口あんぐりで、神原天法への視線を上下させた。
尖った頭は一枚刈り。
長い顔は頬骨が出っ張って、アゴが尻のように割れている。
目つきは、彫刻刀で切り込んだかの如く鋭い。
日に焼けた肌はテカテカと脂ぎって、眉毛もモミアゲも腕の毛も、シャツの襟元から覗く胸毛までも、毛という毛すべてが針金のように太く硬そうだった。
このラスボス感ハンパない男を見て、誰が17歳だなんて思えるだろう。
「おい、貴様ら、聞いとんのかぁ~ッ」
さらにデカい声で神原が吠えた。