#14 好事魔多し
「ど、どうすれば……許してくれるの?」
すると、双子のメガネがキラーンと光った。
「そうでしゅね。とりあえず、入信なさい」
さらっと言う輝。
「にゅ、入信?」
犬山は耳を疑ったが、間を置かずして亜美が、
「コケカキッキー教に入信するのでしゅ!」
喪黒福造ばりに「ドーン!!!!」と激しく指差した。
コケカキッキー教……それは、近年急速に信者数を増やしている新興宗教で、自らを魔人・コケカキッキーと名乗るインド人男性によって、今から30年ほど前に創始された。
その宗教理念や活動内容は未だ謎のベールに包まれている。
「こ、こけ……何?」
「コケカキッキー教でしゅら」
「犬山くんが入ってくれれば、あちきらのステージも上がるでしゅ」
「うんうん。そしたら、教祖様のお風呂の残り湯を購入できる権利が手に入るんでしゅよ」
「うんうん。そのお湯さえあれば、あちきらは、この世のすべての苦しみから解放されるんでしゅ。心の平安を得ることができるんでしゅら」
「うんうん。そしたらもう、おパンツのことなんか忘れてあげるでしゅ。いえ、それどころか、今度はおパンツの中を拝ませてやるでしゅら……」
この人形のように可愛らしい双子の少女に、未だ浮いた噂の一つもないのは、この宗教狂いが原因だった。
「ご、ごめん……もう行かなくちゃ」
犬山忍は教室を飛び出した。
「あ、コラッ。話はまだ終わってないでしゅ」
「何だったら、お試し入信というのもあるでしゅから……」
いつまでも、こんなカルトに構ってられるか。
犬山は先を急いだ。
明星守の指定した南棟の屋上へ行くには、中央もしくは東にもある渡り廊下で南棟へ移り、建物東端の階段を使えばいい。塔屋へと至れる。
だが、痴女に見つかっては困るので、犬山は、三組教室より手前に位置する中央階段で3階――4階に渡り廊下はないので――まで上がり、そこから渡り廊下で南棟に移るルートをとることにした。
廊下を疾走し、中央階段を駆け上り、3階渡り廊下をダッシュ……そして、南棟の東側に差し掛かった辺りで歩を緩め、何となしに後ろを振り返ってみる。
双子の姿は見当たらなかった。
だが、代わりに斗呂偉がいた。
「ち、近森くぅんッ……な、何でついて来てるのッ!?」
「先約が誰なのか、気になるのら」
「い、言ったところで分からないよ。君の知らない人だから……」
「おいらとのランチを蹴ってまで会うんだから、きっと重要人物に違いないのら。ベリー・イムポータント・パーソンなのら」
どう言い聞かせたって、ついて来るつもりのようだ。
仕方がない。非常に不本意ではあるが、連れて行くことにしよう。
だが、その前に一つだけ釘を刺しておかねばならない。
犬山は、
「あ、あの、近森くん。これから会う人なんだけど……その人ね、何ていうか……見た目がちょっと変わってるというか、何というか……」
「ほお? 見た目がヘンテコリンなのか?」
「いや……んん~、まぁ……そうだね。だからさ、そのことには絶対触れないように……」
「皆まで言うな」
「えっ?」
「ちゃんと分かっているのら。そういうデリケートな問題には、安易に干渉したりしないのら。おいらは、そんなデリカシーのない男じゃないのら」
「え、ホントに?」
「あたり前田のクラッカーなのら」
時計の針は、ちょうど13時を指していた。
紺青の空には、綿菓子をちぎって浮かべたような雲が散見される。
春風は爽やかで緩やか、代わりに日差しが強かった。
黒ずんだコンクリートの地面には、早くも陽炎がゆらゆと立ち昇っている。
ここ数年は転落事故や飛び降り自殺がなかったため、学校側も屋上への出入りには寛大だった。
塔屋のドアは終日開放されているので、昼休みに限らず気軽に立ち寄れ、この天空と眺望を満喫できる。
ただ、それは南棟に限っての話。
柵やフェンス未設置の北棟は、常時立入禁止だ。
「みょ、みょ、明星くん……待った?」
長方形の屋上スペースの中央で、胡坐をかいて空を仰ぎ見ている明星守に、犬山忍は声をかけた。
「ううん、全然。今来たとこだよ」
切れ長の目をさらに細めて、明星は答えた。
「やぁやぁ、こんちくわ♪ おいら斗呂偉……近森斗呂偉なのら」
と、さっそく近森斗呂偉が割り込んできたが、明星の姿を見るや、
「な、な、なんとッ! 君どうしたのら、その手ッ……大勢に引っ張られたんか? 綱引きみたく」
「ちょ、ちょ、ちょっとぉ! 近森くぅんッ」
いきなり地雷を踏ん付ける斗呂偉に、犬山は心底失望した。
この少年にはデリカシーの欠片もありゃしない。
信じた自分がバカだった。
やはり、椅子に縛り付けてでも、ついて来させるんじゃなかった。
「あははっ! 君、うまいこと言うねぇ。実はそうなんだよ。赤組と白組に“オーエス! オーエス!”なんて引っ張られてさー、こんなに伸びちゃったんだ」
『みょ、明星くぅん……』
心無いジョークにもジョークで返すその器のデカさに、思わず惚れ直してしまう犬山。
「でも、カッチョイイのら。アメコミヒーローみたいなのら。ねぇ、ワンちゃん?」
「え? ……あ、うん。そ、そうだね。まさにヒーローだよ。超強くて超カッコイイ」
確かに、アメコミものにそんなのがいたな。
ゴムのように伸縮自在な肢体を持ち、風船のように膨らむこともできる軟体ヒーローが。
しかし、斗呂偉の奴、案外うまいこと言うじゃないか。
褒め一辺倒よりも一旦落としてから持ち上げた方が効果的なのは、心理学の分野でも証明されていることだし。
「えー、ホントにぃ?」
照れながらも、満更でもないといった感の明星。
「いや、そんなことより、食事なのら。さぁ、みんな、弁当を広げるのら」
そんなことより、って何だよッ。
お前が振ったんだろ。
っていうか、何でお前が仕切ってんだよッ。
ふと辺りに目をやれば、既に5~6組のグループが散らばって輪になって昼食を摂っていた。
男子のみや女子のみ、男女混合もあって、皆それぞれ和やかで愉しそうだ。
「さて、記念すべき新学期一発目のメニューは……」
と、どうでもいい前置きをしてから、斗呂偉が弁当の蓋を開けてみせた。
「ややッ、これは……」
アルミ製の四角い弁当箱の中には、計36個ものたこ焼きがビッシリ詰め込まれていた。
そのうちの半数は仕切り板で仕切られており、青のりの他は何の調味料もかかっていなかった。
別添のスープジャーにカツオ風味のだし汁が入っており、これに浸して頂くのだという。
一見すると、手抜きなのか、手が込んでるのか、よく分からないが、いずれにせよパンチの効いた弁当であることだけは確かだ。