#13 ランチのお誘い
すると、犬山はいささか逡巡の色を見せたけれど、
「ど、どちらでもあるというか……どちらでもないというか……な、何て言えばいいんだろう……」
その禅問答のような答えに、イラッと来てしまった短気者・千寿留は、
「えぇい、面倒だッ。ちょいと失礼……」
素早く犬山の背後に回り込むや、その胸を両手で鷲づかみにした。
「ッ!? きゃあーッ」
絹を裂くような悲鳴を上げる犬山。
「ち、ちょっと! ちずちゃんッ」
さすがにそれはマズいだろう。椿本万世も思わず声を上擦らせた。
周囲の者も皆、注目し、固唾を呑んでいる。
だが、千寿留はお構いなしに犬山の胸を激しく揉みしだき始めた。
「い、いやぁ~~~ッ!!」
乳房の感触は確かにあった。
千寿留といい勝負の微乳ではあったが、確かに存在していたのだ。
そして、このリアクション……女だ、女に違いない。
千寿留は無念そうに唇を噛んで、
「くそッ、女かッ……万世、あたしの負けだ」
そういえば、ゲーセンで出会ったこの人物が男か女かで、二人は賭けをしていたのであった。
千寿留が素直に負けを認めたのだから、万世には、あの日貸した金が倍になって戻ってくる。
だが、万世からは勝利の喜びなど微塵も感じられない。
親友の破廉恥極まりない愚行の餌食になった犬山を案ずる気持ちの方が強かったからだ。
さて、ここで、余興お開きとばかりにチャイムが鳴った。
千寿留は愛撫の手を緩め、ガックリと肩を落とした。
その隙に犬山は這う這うの体で逃れ、そのまま廊下の向こうへと消えていった。
三限目の休み時間が訪れると、犬山忍は二組を目指して廊下を急いだ。
だが、三組の手前まで来ると歩調を緩め、姿勢を低くし、顔を伏せて、廊下の壁に身をすり寄せながら、そろりそろりと歩を進めた。
幸いなことに、あの“痴女”は、教室内で談笑に夢中だった。
無事に三組を通り抜け、小さくガッツポーズを作った犬山は、また目を皿のようにして今度は二組の教室内を眺め回した。
「んん~、いないなぁ……」
これで残るは一組のみ。
でも、そこにもいなかったらどうしよう。
もし、どこかで見落としていたなら大変だ。また最初から捜索し直しとなってしまう。
だが、こう考えてもみる。
もしかしたら、あれは白日夢だったのではないか?
そもそも、あんな手長の超人がこの世に存在するはずがない。
あれは、自己の願望が作り出した幻なのではなかろうか、と……。
そんなことを、とつおいつ考えながら一組に到着した犬山忍だったけれど、教室の出入り口から出てきた男子とぶつかりそうになって、
「おっと、ごめんね。大丈夫?」
そう言って優しく手を差し伸べてくれたのが、あの手長の少年だったので、犬山はもう飛び上がりそうなくらいに驚喜した。
「あっ、あっ、あっ、あのっ……さ、さっきは、危ないところを……た、た、助けてくださり……ま、ま、誠にありがたく……ぞ、ぞ、存じ申し……つか、つか、つかまつり……そうろう」
しどろもどろになりながらも懸命に礼を言おうとするその姿には、滑稽さの中にも愛らしさや健気さといったものが溢れていた。
少なからず心打たれた感のある明星守は、
「いやいや、そんな大げさな……」
と、ここまで言って堪えきれず吹き出してしまったが、
「とにかく、礼には及ばないからさ、気にしないでよ……あ、そうだ。よかったら今日、昼飯一緒に食べない?」
なんと、いきなりランチのお誘いである。
犬山は当然、
「た、食べますッ、食べますともッ!!」
「俺、大空の下で食べるの好きだからさ、屋上でどお?」
「お、大空結構ッ、屋上大いに結構ッ!!」
鼻息荒く、興奮気味な犬山。
「ふふっ。んじゃ、南棟の屋上で落ち合おう」
犬山の肩をポンと軽く叩いて、明星は遠ざかっていった。
◇
「ワンちゃーん、お昼一緒に食べるのらぁ~♪」
近森斗呂偉が机をピッタリ寄せて来た。
だが、犬山忍は、三角形のおにぎり型巾着袋を手に、席を立つ。
「ご、ごめん。ちょっと先約があって……」
「先約って、誰なのら?」
斗呂偉の顔が怪訝になった。
「え、えっと、それは……」
すると、斗呂偉は親指を立て、
「もしかしてコレか?」そして、今度は小指を立てて「それともコレか?」
「いや、あの、その……とにかくごめーん」
犬山は慌てて駆け出した。
だが、教室から一歩出たところで、一人の女生徒とぶつかってしまう。
女生徒は、かけていたメガネを素っ飛ばし、もんどりうって倒れ込んだ。
「ご、ご、ごめんなさ……ああッ!?」
女生徒のあられもない姿を目にした犬山は、一驚すると共に顔から火を出した。
まさに、まんぐり返しの体勢で、女生徒は手足をバタつかせている。
イチゴ柄のパンティーが眩しくも痛々しかった。
「ちょっとぉ、何ボケーっとしてるんでしゅかッ」
景山輝が勢いよく駆けつけて来て、犬山を押しのけ、女生徒を抱き起こした。
「メガネ、メガネ……」
起き上がった女生徒は、往年の横山やっさんを彷彿とさせるムーブでメガネを探し始めたが……その容姿が傍らの景山輝と瓜二つだったので、あなやとばかり、犬山は目を瞬いた。
一卵性双生児をこんなに間近で見るのは初めてだった。
こうして二人並んだ姿を見ていると、何だか妙な気分に襲われる。
人類の不思議、生命の神秘、といったものを感じずにはいられないのだ。
当たり前だろ、とツッコまれるのは百も承知だったが、やはり唇をついて出る言葉は、
「そ、そっくりだね……」
すると、輝の方がため息まじりで、
「あ~あ。その台詞、君でちょうど100万回目でしゅら」
いや、実際は、そっくりなんてもんじゃあなかった。
クローンだ。クローン人間に違いない。そんなレベルであった。
「あちきは、妹の景山亜美。“三つ編みの亜美”と覚えてほしいでしゅら」
「そして、あちきが“ツインテールの輝”でしゅら」
なるほど。
言われてみれば、確かに髪型だけは違っていた。
というのも、これは、二人の両親でさえ見分けられないゆえの苦肉の策であった。
だが、彼女らだっていつも同じ髪型ではつまらない。時には、互いの髪型をチェンジして登校したりもする。
それで一日、親にも友達にもバレなかった方が勝ち、だなんて刺激的なゲームをこれまでも愉しんできたらしい。
「それはさておき、犬……山くんだったよね? 君ぃ、この責任をどうやって取るつもりでしゅら?」
ずり落ちたメガネを指先でチョンと上げて、輝が言った。
「せ、責任……?」
犬山は小首を傾げる。
「君ねぇ、うら若き乙女のおパンツをたっぷり拝んでおきながら、タダで済むと思ってるんでしゅかぁ~?」
「その通りでしゅ。はっきし言って、落とし前をつけるべきでしゅら」
いやはや、今日は朝からやたらと因縁をつけられる日だ。
犬山は内心、辟易した。