#12 オッス?メッス?
「んじゃ、ちょっくら失礼しますよ」
そう言って、明星は自販機の前まで来ると、ジュースを1本買って、その場で飲み干した。
そのジュースというのが、これまたドリアンネクターであったことは何とも皮肉であるが……。
明星少年は空き缶をゴミ箱に捨てると、山田と犬山に目礼、階段をトントーンと軽快に駆け上がって行ってしまった。
残された山田と犬山は、示し合わせたかのように再び顔を見合わせたけれど、ふと我に返った山田が、
「これで済んだと思うなよッ」
と、犬山を突き飛ばしたことで、また元の関係性が復活した。
そして、二限目の開始を告げるチャイムが鳴り、山田は木村を背負って立ち去った。
犬山はポケットから小さなスプレー容器を取り出すと、再三再四、口内へ噴射した。“ドブの口臭もワンプッシュで瞬間消臭♪”がキャッチフレーズのマウススプレーだ。
犬山は両手で口を覆い、息を吐いては匂い、吐いては匂い、を繰り返しながら教室へと急いだ。
途中でまた、景山輝とすれ違って不思議に思う。
『あれれ? 何で教室を出ていくの?』
具合が悪くなって保健室にでも行くのだろうか?
まぁいい。それより授業に遅れちゃ大変だ。
だが、息せき切って教室に戻ってきた犬山忍は、我が目を疑った。
今しがた、すれ違ったばかりの景山輝が、目の前に着席しているのである。
やはり、見間違いか?
いや、それはない。一度ならず二度までも目撃したのだから。
では、生霊か? ドッペルゲンガーか?
いや、そんなのあり得ない。アニメや小説じゃあるまいし。
となると、残る可能性は一つ……。
二限目の授業は、ほとんど上の空だった。
明星守と名乗ったあの手長の少年のことが、頭から離れないのだ。
あんな人並み外れた戦闘能力を持ちながら、威圧感も偉ぶる素振りもない。
どこか飄々としていてつかみどころがないというか、超然としているというか……それでいて、見た目は普通にオットコ前。
あと、カリスマ性なんかも備えているよな。
ベタ褒めである。
だがそれは、単にピンチのところを救ってくれた恩人だから、という理由だけではない。
今や、犬山忍は、明星守という人間に、完全に魅了されているのである。
それは、蠱惑といってもよかった。
クール&ダンディ明星守が、いたいけな犬山忍の心を乱し惑わし、たぶらかしているのである。
「はぁ……」
何とも切ないため息を漏らす犬山。右肩をトントン叩かれ、ふと顔を横に向ける。
すると、両のまぶたを裏返した近森斗呂偉が、
「妖怪・まぶた返しなのらぁ~」
「う、うわぁ~ッ」
不意を突かれ、頓狂な声を発してしまう犬山。
「そこ、静かにしろッ」
チョークが矢のように飛んできて、斗呂偉の額に命中した。
「いでぇッ。や、やられた、無念なのら……」
斗呂偉は机に突っ伏し、ヒクヒク痙攣してみせた。
周囲に乾いた笑いが起こる。
陶酔ムードをぶち壊された犬山は、さすがにムッとした。
『ったく、何なんだ、この子は……牛尾先生に、百叩きの刑に処されたはずじゃないのか?』
だが、実際には少し追いかけ回しただけで、牛尾は職員室に戻っていったという。
これを斗呂偉は「おいらの俊足に恐れをなしたのら」と解釈していたが……いや、単に相手するのがアホらしくなっただけだろう。
二限目が終わるや否や、犬山忍は六組の教室を目指した。
目を皿のようにして、教室内の男子生徒を漏れなくチェックする。
だが、明星守は見当たらなかった。
次は四組……いない。
では三組……ダメ。
ならば、と二組に希望を託して踏み出そうとしたところへ、
「そこのジャージの君ぃ~ッ」
犬山はビクンと肩を揺らして足を止めた。
こわごわ振り返ってみる。
「あっ。き、君たちは……」
犬山を呼び止めたのは、二人組の女生徒だった。
一人は、すらりとした体型のツンとした和風顔で、ふわくしゃのミディアムヘアーが片方の目を妖しく覆っていた。
もう一人は、とても高校生とは思えないグラマラスな姿態の持ち主で、お下げにした髪やあどけない相好とのギャップが、言い知れぬ魅力を醸し出していた。
「そうだ、あたしらだよ。しかし、同じ高校だったとはな……何年生だ?」
「し、新入生だよ」
「なあんだ、タメか。じゃ、クラスは?」
「ご、五組」
「あたしらは三組だ。以後、よろしく頼むよ」
「こ、こちらこそ……あ、じ、自分は犬山……犬山忍といいます」
「ほぉ、犬山とはまた珍しい……じゃ、あれだな。あだ名は、ワンコで決まりだな」
「え……」
「あたしは雑賀千寿留だ。気軽にクールビューティーと呼んでくれ。そして、コイツが……」
「椿本万世どぇ~す♪」
と、両手でハートを形作り、尻を軽く突き出してみせる万世。
「コイツのあだ名は、そうだな……ケツ乳、ホルスタイン娘、爆乳テロリスト……といったとこかな。君の呼びやすいので構わんよ」
「ちずちゃん、ひどぉーい」
シャツのボタンが今にも吹っ飛びそうなくらいパンパンに膨れ上がったその胸に、小生意気な千寿留の顔をこれでもかと押し付ける万世。
「ぐ、ぐるしいッ……い、息が、息が……」
「ねーえ、ワンコちゃん。私のことは、苗字でも名前でも好きに呼んでね」
「は、はい……」
「ちずちゃんもそれでいいよねー?」
遠のく意識の中、辛うじて頷く千寿留。
「宜しい」
万世は、必殺の“乳圧固め”から千寿留を解放してやった。
「ふぅ~、もうちょっとで三途の川を渡ってしまうとこだった……」
青ざめた顔に見る見る赤みがさしてきて、気力を取り戻した千寿留は、
「それにしても、ワンコよ。君は今日もジャージなんだな。もしかして、ジャージマニアか?」
「い、いや、そういう訳じゃ……」
「まぁ、いい。あ、それより、こないだはありがとな」
「え?」
「ぬいぐるみ。ちゃんと礼を言ってなかったから」
「あ、ううん……いいんだよ、全然」
パッチリ垂れ目を細めて、犬山が少し照れた。
「時にワンコよ、一つ訊きたいことがあるのだが……」
「う、うん……何?」
ここで、千寿留は軽いしわぶきを漏らしてから、
「いや、その、気を悪くしないでほしいのだが……」
「え、うん……何?」
と、少し身構える犬山。
千寿留はアゴを上げて目をすがめながら言った。
「君は……男かね? それとも女かね?」