#10 生まれながらの・・・
――ふと気づくと、見たこともない男の顔が眼前にあった。
男は警察の制服を着ていた。斗呂偉は長椅子に横たわっている。
そう、ここは交番であった。
「君ぃ、大丈夫かね? 起き上がれるかね?」
「ウ、ウマヅラーズ……」
「うま……づら?」
「ウマヅラーズはどこなのら……」
「何を言ってるんだ、君は。とにかくね、ご家族に連絡取るから電話番号を教えなさい」
それから、30分ほどして斗呂偉の母親がタクシーで駆けつけて来た。
黒のパンツスーツにパールネックレス、胸元にはピンクのコサージュといった装いだ。
入学式にも、その後のホームルームにも、いっこうに姿を見せない我が子に、怒り心頭に発していたところへ警察から連絡が入り、慌てて飛んできたという次第だ。
斗呂偉は母親の乗ってきたタクシーに同乗し、帰宅の途に就いたのだが……
その道中で、例の小屋の場所を通りかかったけれど、小屋などどこにも見当たらなかった。
それどころか、小屋のあった付近一帯が、空き地だったのである。
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と、まぁ、以上が近森斗呂偉が体験した奇怪な出来事であり、入学式を欠席せざるを得なかった真相である。
「ん~、にわかには信じがたい話でしゅねぇ~」
いつからそこにいたのか、女子の中でも一際短躯のメガネっ娘・景山輝が胡乱な目つきで水を差した。
「ウソじゃないのらッ。これは事実に基づいたノンフィクションなのらッ」
思わずむきになる斗呂偉。
だが、それを余裕の目顔で制すると、
「んなことより、斗呂偉くん。さっきのようなスタンドプレーは、もう二度とごめんでしゅよ」
そして、人差し指で斗呂偉の胸をズンズン突きながら、
「君のせいで我が五組に、アホのレッテルが貼られでもしたら困るんでしゅよ、非ッ常ッにッ」
しかし、どうもピンとこない斗呂偉は、
「何でアホなのら? 何がアホなのら? みんな楽しそうに笑ってたのら。お前が言ってることは、訳ワカメなのら」
すると、今度は景山輝の方がむきになって、
「授業中でしゅよッ、授ッ業ッ中ッ。楽しく笑うのは、休み時間と放課後だけにしてもらいたいでしゅ」
そして、ずり落ちたメガネを指先でチョンと上げると、
「っていうか、君はね……はっきし言って、下品なんでしゅ! 昔っからそうなんでしゅよッ」
実はこの二人、中学校も小学校も幼稚園も……さらに言えば、公園デビューも砂場デビューまですべて一緒だった。
家が近所で、親同士も仲が良かったからなのだが……まさか、高校まで同じ所を受験し、合格し、クラスまで一緒になるなんて、もうこれは腐れ縁以外の何物でもなかった。
「おっと、それは聞き捨てならんのらッ。やい、輝ッ。おいらの一体どこが下品なのらッ」
「全部でしゅ。口を開けば下品、やる事なす事下品、頭のてっぺんから足のつま先まで全部、下品なんでしゅよ」
「そんなのダメなのらッ。もっと具体的に言うのらッ」
「例えば、そうでしゅねぇ……牛乳を鼻から飲んで耳から出したり、おしっこで地面に“うんこ”と書いたり、虫眼鏡でアブラゼミを焼いて食べたり……」
「そ、それくらい、男子なら誰だってやるのらッ」
「さっきも、お爺ちゃん先生の黄ばんだ入れ歯つかんでパカパカしてたし、それに君ぃ。確か、消しゴム食べてたでしゅよねぇ? あちき、見てたんでしゅから」
「そ、それくらい、男子なら誰だってやるのらッ。そんなの、下品なうちに入らないのらッ。なぁ、みんな?」
だが、味方のはずの男子たちも、犬山忍でさえも同調してはくれず、ただただ苦笑い。
「ほら、ご覧なさい。みんな、斗呂偉のことを下品な人間と思っているのでしゅ。君は、生まれながらの下品……ナチュラルボーン・ゲヒーンなのでしゅら!!」
喪黒福造ばりに「ドーン!!!!」と激しく指差され、斗呂偉は思わずたじろいだ。
すると、女子の何人かが「そうよ、そうよ」といった具合に、輝に加勢し始めた。
追い風に乗った景山輝が、ここで一気に畳みかける。
「ノーモア・ゲヒーン!」
こぶしを突き上げて叫んだ。自慢のツインテールがふわりと揺れる。
「ノーモア・ゲヒーン!」
味方の女子からもコールが起こり、
「ノーモア・ゲヒーン!」
コールがコールを呼んで、
「ノーモア・ゲヒーン!」
「ノーモア・ゲヒーン!」
「ノーモア・ゲヒーン!」
シュプレヒコールに大発展。
いよいよ抜き差しならない状況に追い込まれた近森斗呂偉は、神妙な面持ちで教室前方へと歩いてゆき、ジャンプ一番、教卓の上に飛び乗った。
そして、
「これでも食らえなのらぁ~~~ッ!!」
と、ズボンをパンツもろとも一気に下げて、尻を目一杯突き出した。
「きゃあーッ!」
耳をつんざくような鋭い悲鳴と共に、輝をはじめ、女子たちが一様に手で顔を覆う。
「おぉ~ッ、いいぞぉ~、やれやれ!」
男子からは、煽りの声も沸き起こった。
してやったりの斗呂偉は、左右に大きく尻を振りまくった。
「ひゃっひゃっひゃっ。形勢逆転なのら。ざまぁ味噌汁なのら」
だが一転、斗呂偉少年は絶叫しながら床へ転げ落ちてしまった。
教室に戻ってきた牛尾剣骨に、竹刀を一発お見舞いされたからだ。
しかも今度は生尻だったものだから、そりゃもう、痛いの痛くないのって……。
「コラァ~ッ、キノコ頭ッ。ケツ出せぇ、百叩きじゃ!」
牛尾は、竹刀を床にバンバン打ちつけて恫喝した。
「ひ、ひえぇ~~~ッ」
斗呂偉は、仁王立ちしている牛尾のガニ股を素早くくぐり抜けると、尻丸出しのまま一目散に逃げていった。
「待て、コラァ~ッ!」
牛尾も教室を飛び出すと、竹刀を頭上でぶん回しながら後を追った。
昨日は馬に、今日は牛に追いかけられる羽目となった近森斗呂偉。
その前途は、洋々とは程遠いものであった。