二章
12番街 追憶の町
まるでスノードームの中にキャンプファイヤーの残火が散らばって形作られたかのような街である。幻想的であると同時にどこか虚しくもあるこの街の”シャボン玉”と呼ばれる空気を閉じ込める層を突き抜けると、街で最も高い時計台に向かって飛び続けた。
「じいちゃーん!!」
そうシャールが叫ぶと、その銀色の髭が地面スレスレまで伸びている、身長1メートル無いぐらいのだいぶ腰の曲がった老夫が姿を見せた。
「どうしたシャール?おろ、その女子は誰ぞや?、、む、むむ!!その女子、服を着とらんではないか!おお、女子の裸を見たのは何十年ぶりじゃろうか!しかしシャールもそのようなべっぴんさんを裸のまま連れ帰るとは隅に置けんのう。」
初めは亀の歩くようなテンポだった口調が、少女を見るや否や若さを取り戻していく。
「そんなことを言っている場合じゃないんだよじいちゃん!早く診断プログラムと寝床の準備をして!」
「む?お、おお、よしきた。」
一旦少女を抱きかかえて後ろ跳びで時計台の開いた大窓から入ってジェンセンのスイッチを切ると、すぐさま老父の用意した寝床に走った。
「さあここへ!」
少女を古びたベッドに寝かせると、マスクをゆっくりと外した。
「なあオーウェル爺さん、この子助かるかな?」
「うーむ、呼吸は安定しているが、やはり体を見る限り一瞬だが相当な高熱に当たってしまったみたいだなあ。シャール、ありったけの氷水とタオルを持って来なさい。」
このオーウェルという老父は大昔医者をしており、ADL、特に宇宙孤児政策に最後まで反対し共に地球外追放を受けたという過去がある。
シャールは合計300段ほどの螺旋階段を少し下り、貯水タンクから水を桶いっぱいに入れると、今度は地下室への階段を下り、少し水を零しながら運び入れた。
地下室は真っ暗で、少し肌寒く、身震いをしてからランプに手をゆっくりと伸ばして点けた。古びて変な機械音のする割にとても大きな製氷機からレバーを引いてガラガラと氷が落ちてきたら大体水の半分程度に相当する量の氷を掬って桶の中に入れ、洗濯済みのタオルを何枚か放り入れる。部屋に入ると、オーウェルは診断プログラムの解析を行なっていた。
「ピッ、、」
見た目はレジのスキャナーのようで、この機械も安物であるからして分かるのは体温と心拍数ぐらいだが、結果を見てオーウェルは少し頷いた。
「よし、とりあえず命に別状はなさそうだな。」
内心ほっとし、シャールはタオルを氷水に浸しながらチラッと少女の体を見た。ああ、見れば見るほど美しい。大胸筋は心許ないが、シルクのように色白な肌で、今にも後光が差しそうなほどに美しくまさに神聖という言葉が似合う。シャールはまたしても吸い込まれそうになってしまった。
「正直になればええんにー」
オーウェルは不敵な笑みを浮かべ、手を女性のように口元に翳して言った。
「う、うるさい。」
シャールは赤面してそっぽを向きながらタオルを少女の腹部に置く。
「この女子じゃが、恐らくコールドスリープしていたんじゃろうな。シャール、これどこで拾った?」
オーウェルは言った。
「転移に失敗した輸送船の中だよ。ん、、?ってことは、、。」
二人とも真剣な眼差しを互いに向けている。
「間違いないじゃろうな。この女子はJ29への旅客宇宙飛行船に乗っていたんじゃろう。」
シャールは少し残念そうで、また多少の憤怒もうつむいた顔から察することができた。
「ではどうするんじゃ?少なくともDランク以上の女子。我々の執念を取り置いても、ここで匿っていることがバレればただでは済まん。お前も分かっているだろう?」
オーウェルは真剣に問うた。
数秒沈黙が続き、シャールはボソッと呟いた。
「ーーー分かってる。少し考えさせて。」
オーウェルは全てのタオルを置いた後、焦げ茶色のロッキングチェアに腰掛け深いため息をついた。
「あのシャールが自分の仕事を差し置いて人を助けるとはなあ、、。でもシャール、お前は思ったよりも根深い所に触っちまったかもしれないぞ、、?」
目覚め、始まる
まるで長年動いていなかった時計が再び回り出したようだ。痛みとは何かを忘れるほど深く眠っていることだけは鮮明に分かる。逆に言えば、他のことは何も分からない。まるで再び動き出した時計が今の時間を分からないように。頭の中が色づいていくのがなんとなく分かる。目を開いてみようか。
少女をとりあえず介抱して三度夜を越した。明朝、シャールは未だ自らの優柔不断さを断ち切れないまま、当番でタオルを取り替えようとしていた。すると彼女がゆっくりだが目を開け始め、シャールは瞳を見るなり手が止まって、口を少しだけ開けたまま呼吸することさえ忘れてしまっていた。
「綺麗だ、、。」
まるで世界中の”美しさ”を凝縮したようだった。もはや色の域を超えていると言っていい。シャールは今まで感じたことのない感覚に囚われた。シャールは床に手をついてその感覚を味わいながら必死に脳内辞書のページをめくってめくってこの気持ちを表現する言葉を探した。
「え、、ここ、、どこ、、?」
案の定声も美しかった。しかしまずは警戒されないようにとシャールはすぐさま立ち上がり言った。
「良かった、目が覚めたんだね。」
少女はとても困惑している様子だった。
「僕はシャールで、ここは宇宙貧民街12番の時計台だよ。」
「、、、。」
少女はまだ状況が飲み込めないのか沈黙を貫いている。しかし少女はゆっくりと上体を起こした。
「えっと、、君の名前は?」
「、、、エルミト」
かすかな声で少女はそう言った。
「エルミトね、、。エルミト、君を僕は輸送船の中で見つけたんだ。何か、覚えてる?」
「、、、私はS級。人類至宝で、J29行きの宇宙船に乗る予定だった。でもその前にコールドスリープした。」
ゆっくりとエルミトは話した。
「S級!?今のところS級は3人しか出てないはず、、その中の一人!?」
シャールは驚きを隠しつつ、深く考え込んだ。
「、、、私、邪魔?」
背筋が凍った。驚いた様子でエルミトの顔を見上げると、エルミトは真剣な眼差しでシャールを見ていた。
「いや、君に非はないんだよ!ただちょっと予想外だったっていうか、問題が多少あるって言うか、、。」
シャールは焦った様子で言った。
「、、、分かってる。宇宙貧民街で宇宙孤児がS級の私を匿っているなんて知られたら、ってことでしょ。」
シャールはうつむき、少し考えた後微笑みながら口を開いた。
「勘が良すぎるとモテないよ?」
「否定しないんですね。」
エルミトは間髪入れずに言った。
シャールは曖昧な愛想笑いをするしかなかった。
「おお、起きたのか。」
オーウェルがちょこちょこと部屋に入ってきた。
「エルミト、この人はこの時計台の時計守で医者のオーウェルじいちゃん。僕らは一緒にここで暮らしているんだ。血は繋がってない。じいちゃん、この子、名前はエルミトって言うんだって。」
シャールは紹介した。
「おお、よろしくな。それはそうとシャール、まだ服も着せてないのか?」
シャールは赤面しながら焦燥するそぶりを見せた。
エルミトは自分の体に目をやり、
「え。」
と少し驚いた様子を見せた。
「ご、ごごごごごごごめん!い、今着替え持ってくるから!じいちゃん、ほら行くよ!!」
オーウェルの服の裾を掴んでズルズルと引っ張り出しながら、シャールは部屋を出た。
「こら、く、苦しいだろうが!放せシャール、は・な・せ!!」
エルミトはまたベッドに仰向けに横たわった。
移り変わりし日常
数分して、シャールはエルミトの寝ている寝室の木のドアを数回軽くノックした。
「、、、どうぞ」
絶対にドア越しでは聞こえない声量である。
シャールは、多分返事をしてくれてはいるんだろうなーとは思いつつ、万が一のためもう一度ノックした。
「、、、どうぞ」
微かに聞こえたような気がしたが、シャールは少し遊びごごろでもう一度ノックしてみた。するとドアが奥にキィと音を立てて開き、少し目線を下によこした瞬間、ハッとしてすぐに目を逸らした。
「ちょ!え、、!?」
エルミトが普通に素っ裸で立っている。
「待って待って、ちょ、ごめんて!これ、僕の古着だけど一番きれいなやつだから、着て!」
エルミトは少しキョトンとしてドアを閉めた。
シャールはまだ恥ずかしそうにドアに凭れて言った。
「その、、ごめん、、ちょっとしたイタズラだったんだ。朝ごはんあるから、食べられそうなら下に来て。」
「、、、ありがとうございます。」
シャールは短めのため息をついて螺旋階段を下った。
3畳ほどのリビング兼ダイニングだが、シャール自身あまり広いところは落ち着かないたちなので、とても気に入っている。
「エルミトちゃんは来るのか?」
オーウェルはレーションスープの入った釜をなんとか背伸びして掻きまわしながら言った。
「多分ね。って言うかじいちゃん、俺の作った踏み台使いなよ。」
そう言ってシャールは食糧棚を開け、ガラクタでシャールが作った踏み台を持ち上げた。
「ああ、そんなのあったなあ。」
オーウェルは無愛想に言った。
「そんなのあったなあじゃないよ、、」
シャールが呆れ半分に言う。
「ほら。」
シャールが台をオーウェルの足元に置くと、オーウェルは台に上った。
「おお、こりゃあいい。」
シャールは少しため息をつくと、他の仕事はあるかとオーウェルに尋ねた。
「じゃあ食器の用意をしてくれ。」
「ああ、エルミトが使える食器あったっけ?」
「来客用のがあっただろ。」
シャールはまた食糧棚を開け、来客用のスプーン、フォーク、ナイフがナプキンに包まった一式とボウル、皿を取り出し、冷水で軽く洗って綺麗なタオルで拭いた。
それらを丸いテーブルの一角に置き、オーウェルと自分用のものも持って行った。
オーウェルはオタマに少量スープを掬って飲み、目を瞑りながら頷いてオタマを戻した。
それをたまたま見ていたシャールはすぐさま慌てて言った。
「じいちゃん!それこれから女の子も飲むんだからオタマ釜の中に戻しちゃダメでしょ!」
「ん?おお、確かに。」
「確かにじゃないよ、、」
「まあ、細かいことは気にしない。あの子もまだ来てないんだし。」
しかし後ろに気配をシャールは感じ、ゆっくりと振り返った。エルミトが居る。
「あ、、えっと、、聞こえてた?」
エルミトは頷いた。
「い、いい服だな。似合っているぞ。」
シャールが用意したグレーの長袖の服と古びて色褪せたジーンズという組み合わせをオーウェルは皮肉としか受け取れないのに褒めた。
オーウェル自身それが似合っているとは思っていなかったが、なんとか話題を変えようと必死だったのだ。
「、、、どうも。」
それを聞いたシャールは思わず吹き出してしまった。
「ぷっ、、あっはははははははははは!」
エルミトは少し困惑した様子でシャールを見ている。
「いや、ちょ、ごめん、、は、早く食べよう。エルミト、頼むから我慢してくれよ、色々。」
「、、、。」
あまりの二人の温度差に、オーウェルはどちらに合わせれば良いのかわからなくなっていた。
シャールはレーションのパウダーを水で溶いた粥を口に流し入れた。
「んーっ!美味い!!」
エルミトはシャールの食べている様子を観察した後、真似て食べた。しかしあまりの味気なさに少々驚いたようだった。
「おお、エルミトちゃんはレーションなんて食べたことないよなあ。」
オーウェルは言った。
「ああ、そうか。これはレーションっていう保存食なんだ。この街の町長はEクラスで、地球在住権があるから地球に帰った時にたくさん地球から土産にこのレーションを持って帰って来てくれるんだ。僕らの大事な糧さ。」
エルミトはふーんと言っているような素振りを見せた。
「レーションは水に溶くとお腹の中で膨らんで少量でも満腹感が得られるんだよ。」
エルミトは納得してゴクゴク残りを飲んだ。一瞬苦しそうな素振りを見せたが、どうやら全部飲みきったらしい。
「よし、じゃあ仕事の準備に行こうか!」
エルミトは首を傾げた。
「ここでただ飯を食らえると思ったら大間違いだよ!」
エルミトはシャールに手を引っ張られながら、街に繰り出た。