表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

葡萄

作者: 咲桜

 世の中には、他人と関わりを持たずに一人で生きていこうという人がいる。或いは、人と関わりたくないという人もいる。はたしてそれは、本当に可能なのだろうか。

 

 この人間社会において、現代では高いコミュニケーションスキルが求められている。職種によってはコミュニケーションを必要としないものもあるが、そう多くはない。このような状況下で、前述のようなことができるのだろうか。事実、有り得ないのである。精神的にそのような空間を創造することは可能であり、無限であるが、現実的に考えて不可能なのだ。その理由ワケをこれから説明するとしよう。

 

 まず第一に、空間的、意識的に一人になるのは個人の勝手だ。最も想像しやすい状況は、自分の家すなわち部屋であり、そして電子機器を使用しているときー携帯電話、コンピュータを含めるー、カフェにいるときである。幾らでも一人になることができるのだ。しかし、よく考えてみよう。本当に一人だろうか。人間は一人では生きられない。家或いは部屋は、人間が造ったものである。そして、その家は、特にマンションならば他人が管理している。電子機器も、造った人がいて、店があり、更に言えば受け取る相手がいる。カフェにいるときも、空間的には一人だが経営している者がいる。これらの例をふまえて最も言いたいことは、人間は一人になりたくても必ずしもなれないということである。生きるために買い物は必要不可欠だ。お店に行くということ。これからは免れない。人間同士、切っても切れない縁で繋がれている。


 人間は、一つの皮に包まれた実である。そして時に、周りが見えなくなってなしまう。しかし、その皮を破ったとき、同じような人が他に大勢としている。そしてそのふさは一つだけではなく、他に数え切れぬ程あり、全てが全て一つに繋がっているのだ。この一連の連鎖は無限と続いており、地球上にたくさんの実が成っている。

 人は、一粒の葡萄の実なのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ