3-1. 「フォームチェンジしてみた」
あの時に天羽が千春にした提案は簡単な物であった。
千春の使うあの力、"マスクドナイトNIOH"と言う呼び名となったあの姿の譲渡元が彩雲であることを知られなければいい。
それならば替え玉として、天羽が魔法少女の力を千春に譲ったという設定にすればいいと提案したのだ。
世間には魔法少女である天羽とその力を譲渡された千春のコンビで通せば、無関係な彩雲に目が行くことは無い。
この偽装に気付かれる可能性は決してゼロでは無い、しかし余程のことが無ければ問題は起きないだろう。
「…駄目だ、腕の位置が少し悪いな。 後、数センチくらいずらしてみるか」
「うーん、まだちょっとインパクトが弱いかな…。 効果音とかも付けてみる、過去のマスクドシリーズの変身シーンを真似て…」
「いや、確かに効果音は大事だが、最初はそれに頼りたくない。 まずは動きの切れだけで勝負を…」
結局、この魅力的な提案に負けた千春は、彩雲は自分が表に出ないならば構わないと後押ししてくれた事もあり、動画配信者デビューを果たしてしまう。
自分で自覚していたが、この手の馬鹿騒ぎは嫌いどころか大好きである千春はノリノリで動画作成に勤しんだ。
どうやら目立ちたがりのお祭り好きであるという点は、千春と天羽は似た物同士であったらしい。
「千春くーん。 僕はもう帰るけど、帰るときにはちゃんと閉じましてくれよ」
「あ、すみません、店長。 鍵はちゃんと明日、返すんで…」
互いに正体を隠す都合上、人目の付く所で変身シーンの撮影など行えない。
中学生である天羽に丁度良い撮影場所に心当たりがある筈も無く、今回の撮影は千春が提供した場所で行っていた。
提供と言ってもその場所とは千春のバイト先の店であり、人の良い店長に無理を言って使わして貰っている所だ。
机や椅子を除けてスペースを作り、背景替わりに布で店内を隠せば動画からこの店と気付かれることは無いだろう。
切れのいい変身ポーズを撮るまで何回もリテイクを繰り返し、苦労に苦労を重ねて完成した15分程度の動画。
これを作るのにその何十倍の時間を費やしたのだが、その苦労は報われたようで視聴回数は鰻登り。
しかしこの会心の作品によって、千春は予想外の窮地に陥ってしまう。
それは千春が会心の変身動画を投下した翌日の朝、何時かの妹が思い返される電話の着信だった。
しかし携帯を見れば電話の主は彩雲ではなく別の名前であり、朝から電話を受ける理由が無い人物である。
嫌な予感を覚えながらも、こちらが出なければ何十回でも掛けてくることが分かっているので無視する訳にはいかない。
千春は恐る恐る携帯を耳に当てて、相手の要件を伺おうとする。
「"…よ、よお。 どうしたんだよ、こんな朝早く…"」
「"昼にあんたのバイト先に行くから、逃げるんじゃないわよ"」
電話から聞こえてくる聞き覚えのある女の声、10秒足らずの要件を終えてすぐに切られた。
これならばSNSアプリで事足りるであろうが、そこを敢えて電話で伝えたことに千春は何らかの圧力を覚える。
どちらにしろ今日はバイトの日であり、電話の主のお望み通りバイト先に向かわなければならない。
ふと窓の方を見れば明るい日差しが見える、今日はいい天気なのだろう。
しかし天気とは裏腹に、千春の心境はどんよりと暗雲が立ち込めていた。
協力関係を結んだ天羽にも自称した通り、現在の千春の状況を一言で説明するならフリーターとなる。
バイト先は高校時代から働いている、"メモリー"と言う名の古臭い喫茶店だった。
コーヒーチェーン店が幅を利かせるこのご時勢に、今時珍しい純喫茶と呼べる店である。
店内には昭和の匂いが漂う、よく言えばレトロな雰囲気と言う奴だろう。
千春が生まれる前から営業している店であり、テーブル一つ取っても千春より年上の年代物だ。
「こんにちわ、寺下さん。 突然ですけど、少しこいつを借りますね」
「ああ、今なら忙しくないからいいよ。 でも、後でちゃんと何か注文してくれよ」
「分かってますよ。 ほら、行くわよ」
「店長、それは無いですよ!? うわっ、引っ張るなよ…」
その女は昼の2時過ぎ、店の繁盛期を過ぎた頃にふらりとやってきた。
年は千春と同年代だろう、ショートカットにまとめられた髪に動きやすいパンツスタイルが女の活発さを象徴しているようだ。
顔見知りである店長と軽く挨拶を交わした女は、そのまま当然のように千春を連れて店の奥へと入っていく。
笑顔でこちらを見送るナイスミドルの店長に見守られながら、千春は有無を言わせず連れていかれた。
「…で、これはどういう事なのかしら、バカ春?」
「い、いや…、朱美さん。 あなたが何を言っているか全然わからないなー。 ははは…」
「私はあんたの頭の悪い言い訳に付き合うつもりは無いの。 いいから全部吐きなさい、これは何なのよ!!」
「"変身っ! …どうです、これが俺の変身ですよ!!"」
八幡 朱美、それが千春の元へ訪れた女の名前だった。
そこは店員たちの休憩スペースであり、飲食用のテーブルと椅子が置かれている。
テーブルを挟んで椅子に座りながら向かい合う千春と朱美、両者の力関係はその表情を見れば一目瞭然だった。
手に持った携帯を突き付けながら詰め寄る朱美、先日に自分がノリノリで撮影した映像を見せられる千春。
かつてマスクドシリーズのヒーローたちが陥ったピンチ、今千春は正体バレの瀬戸際に立たされていた。
八幡 朱美と矢城 千春の今の関係は、元クラスメイトと言うのが正しいだろう。
小・中・高という計12年間の学生生活の中で、幸か不幸か三分の二以上の月日を彼らはクラスメイトとして過ごす羽目になった。
加えて二人の苗字は五十音順で見れば非常に近く、何かと五十音順で分けられることが多い学校生活において嫌でも顔を合わせる事になる。
腐れ縁と言うべき千春と朱美の関係は、高校を卒業して互いの道が分かたれた今でも続いているようだ。
「…どうして、これが俺だと断言できるんだ? 顔は隠しているし、流石に声や体形だけでそこまで断言できないだろう。
もしかして聞屋の勘って奴か? 確か大学でも新聞部に入ったんだろう、好きだよなー、本当」
「そうね、私もこの動画だけでは、あんたと断定できないわよ。 けどね、私にはこれがあんただと確信出来る理由があるのよ」
この朱美と言う女は、人の秘密を嗅ぎまわる事を何より生きがいとする詮索好きな人間だった。
真実を解き明かすジャーナリストとやらを志し、その予行演習とばかりに学校中の噂を嗅ぎまわっていた。
中学・高校では新聞部として幾度も爆弾級の記事、例えば学校が誇るエースピッチャー様の泥沼の三股を暴露なんて事もやらかした事がある。
付き合いの長い千春には、一応彼女にも良心は残っており最後の一線は超えないであろうことは理解していた。
しかし少なくとも今回の一件に関しては、一番知られてはいけない人物と言える。
一体どのような理由でこの女は、こんな短時間で千春の正体まで辿り着いたのだろうか。
あの店長は秘密を簡単にばらす人間では無いし、動画を何度もチェックしたがあれだけで撮影場所が此処であると分かる筈がないのだ。
「…前にこの店に来た時、あんたが客の居ない時間帯に変な動きをしていたのを思い出したのよ。
そしてそれと同じ動きをこの動画でしていれば、嫌でもこれがあんただって分かるでしょう?」
「…あっ!?」
「あっ、っじゃないわよ! 相変わらずバカ春ねー、本気に正体を隠すつもりがあったの?」
「いや、あの時には動画投稿するとは考えてもいなくて…。 うわぁぁぁっ、やってしまったぁぁぁっ!!」
原因は己自身であることを知り、動揺した千春はそのままなし崩し的に朱美の追及に屈してしまった。
確かに朱美の指摘通り、千春は間抜けなことに店内で堂々と変身ポーズの研究をしていたのだ。
こうして新米変身ヒーローとなった千春は、僅か数日の間にその正体をマスコミ志望の危険な女性に知られてしまう。
自らの失態が招いた事への余りの絶望を前に、千春は目の前のテーブルに倒れこむのだった。