2-2.
その女の子は千春が小学生に上がったくらいの頃に生まれた、年の離れた妹である。
腕白を絵に描いたような子供だった千春とは正反対の、大人しく従順な子供だった彩雲。
これまで散々千春の世話に苦労させられていた母親は、すぐに妹の存在に夢中になった。
「偉いわ、彩雲。 ちゃんとお勉強をやったようね。 それに引き換え、千春はまた外をほっつき歩いて…。
いいこと、あなたはお兄ちゃんのようになったら駄目よ」
「…はい、お母さん」
碌に学校の勉強もせず、親の言いつけを破って遊びまわっていた長男の千春。
母はそんな息子は汚点とばかりに、妹には兄と同じようになってはいけないと口癖のように言うのだ。
すっかり娘に掛かりっきりになり、放任された息子は一抹の寂しさを感じながらもこれ幸いに自由を謳歌していた。
「お兄さん、このお人形はなーに?」
「ああ、それは俺がゲーセンで取ったマスクドナイトのフィギュアだ。 これ取るのに、3千円は取られたんだぞー」
「マスクドナイト?」
「ああ、格好いいだろうー。 ほら、他にもマスクドエースやマスクドウルフ、新世代のマスクドシリーズのフィギュアは全部集めたんだぞー」
母親から半ば見捨てられた兄、母親の期待を一身に受ける妹。
どう考えても反りが合わない組み合わせであるが、どういう訳か彩雲は年の離れた兄の千春に懐いていた。
彩雲は母親の目を盗んでは頻繁に兄の部屋と入り浸り、兄と妹は他愛のない会話を交わす。
もしかしたら彩雲は母の過剰な期待に応えることに疲れて、無意識の内に兄という存在に頼っていたのかもしれない。
一方の千春も母の期待に応えるという役割を放棄しているという後ろめたさもあり、嫌な顔一つ見せずに妹の相手をした。
「うーん、お前は女だからスウィートシリーズ派かな。 たしか前に偶然取れた…、ほら。 最新作のスウィートエンジェルの景品だぞ」
「…私、こっちの方が好き」
「お、お前もマスクドシリーズ派か。 分かっているなー、妹!!」
どんな裏事情があるとは言え、この二人が仲の良い兄妹であった事実は変わらないだろう。
兄妹の関係は千春が高校生卒業と共に一人暮らしを始めても続いており、そして今に至っていた。
それはある日のこと、千春の元に掛けられた一本の電話が始まりだ。
電話に出てみれば年の離れた妹であり、彼女から開口一番に出てきた言葉はぶっとんだ物だった。
「"兄さん、私に魔法少女について教えてください"」
「"…へっ? なっ、なんだよ、藪から棒に…」
両親の期待を一身に受けて、不満一つ漏らさずに勉強に励んで成績トップクラスを維持する優等生の妹。
それとは対照的に勉学の道を早々にあきらめて、二流高校を卒業後に受験に失敗してフリーターをやっている情けない兄。
そもそも年の離れた異性の兄妹の関係は難しい筈なのだが、どういう訳かこの対照的な兄妹の関係は未だに良好であった。
妹である彩雲とそれなりに交流のある千春は、彼女が冗談の類を口に出すことは滅多にないことも理解している。
それ故に電話から飛び込んできた言葉を額面通りに受け取った千春は、妹の身に起きた事をすぐに察したのだ。
「おい、待て!? お前、もしかして…」
「はい、兄さんの想像通りです。 私も目覚めたみたいですよ、魔法少女の力という物に…」
「ああ、よりにもよって…。 親父とお袋には?」
「言ってません。 まだ兄さんにしか…」
魔法少女の力に目覚めるなどと言う台詞を、一昔前に聞かされたならば正気を疑われる事だろう。
しかし実際に魔法少女やらモルドンやらが世間を賑わす今の時代では、話が別である。
中学に入学したばかりの彩雲が魔法少女に目覚める可能性は十分にあり、そして千春は妹がこんなことで嘘をつかないことも理解している。
両親に伝えて騒がれることを嫌がったらしい妹の心情を察して、千春は真剣に彩雲の相談について考え始めた。
「分かった…、魔法少女とは何かか? 改め聞かれると、答えるのは難しいな…。
そういえばお前はお袋の言いつけに従って、そういうのは全く見てないもんな…」
「はい、正直魔法少女って言われても、どんな物なのかイメージできなくて…。 兄さんならそういうのが詳しいと思って」
「悪かったな、オタクで」
教育ママである母の言いつけに従う妹は、その手の娯楽番組は殆ど禁じられていた。
そもそも現実に魔法少女が現れる現代において、子供に悪影響を与えると言って過剰にその手の番組を排除する家族の話も耳にするご時世だ。
母親の制限は少々過剰な物かもしれないが、今の世の中ではそれなりに彩雲と同じような境遇な子供は居るだろう。
親の言いつけを無視して子供の頃からしっかりその手の番組を見ていた千春の現在の姿を見る限り、母親の言いつけは正しい物だったかもしれない。
しかしその親の方針によって、今の彩雲は自分の魔法少女の力の使い方について困ってしまい千春に相談を持ち掛けたのである。
「うーん、俺が言葉で説明してもなー。 よし、今度お前のスマホを貸せ、俺がその手の番組を見られるようにしてやる?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ、前知識なしに変な能力に目覚められても困るしな。 俺に任せろ、とりあえずスィートシリーズを見れば何となくイメージが付くだろうし…」
話に聞くところによると、魔法少女の力は当人が抱いた願望が形になった物らしい。
最初の魔法少女と呼ばれる少女が、スィートストロベリーに憧れてその力を手に入れたのと同じことだ。
例えばある魔法少女の力に目覚めた少女に対して、その両親がAという力を持つように強要したとする。
しかし両親に反して少女はBという力に憧れていたのだが、両親の圧力に負けて渋々とAの力を持とうとする。
結果、少女はAの力を手に入れたかと言えばそうではなく、AとBが混ざった歪な力になってしまったらしい。
結局のところ、魔法少女の力を使うのは当人であり、外野が何を言おうとも本人が納得しなければ意味がない。
そのため千春は妹自身が納得した力を見つけられる手助けとして、スィートシリーズの配信をしているサイトに会員登録をして使わせることにした。
魔法少女について学ぶため、過去の先人たちが生み出した魔法少女物やそれに類する番組を見る。
特にスウィートシリーズは日曜朝にやるには相応しい、愛と希望に満ち溢れた作品ばかりだ。
この作品を見て勉強すれば、極々まっとうな魔法少女となることが出来た事だろう。
彩雲は自室でスマホを取り出して、兄に登録してもらったサイトから魔法少女の勉強を始めようとしていた。
「兄さんが言ってた"スウィート"が頭に付く番組って沢山あるな…、一体どれから見れば…。
あれ、これってもしかして…」
千春の提案は至極まっとうな物であったが、彼の唯一の誤算は妹のために登録したサイトにあった。
某会員向け動画サイト、そのトップページには現在配信中の作品紹介がランダムで出てくる。
サイト内の作品の多さに戸惑っていた彩雲は、何んとなしにトップページに戻ってきた所で偶然映し出されたそれが目に入ってしまう。
かつて兄の部屋で見たゲームセンターの景品フィギュアと同じ姿の、あの"マスクドナイト"の作品紹介が映し出されていたのだ。
自然と彩雲の指は動き出し、懐かしの"マスクドナイト"の配信ページが彼女の前に映し出された。