7-1. 「先輩に挨拶してみた」
魔法少女としての役割、街の平和を守るためのモルドンとの戦い。
力を得た直後は崖から飛び降りるくらいの気持ちで戦いに望んでいたが、良くも悪くも人間は慣れる生き物という事だろう。
それは今の彼女にとっては、ルーチンワークと呼べるくらいの日常の一部でしかなかった。
基本的に魔法少女の力はモルドンのそれを上回っており、相性などの理由で苦戦するくらいは有りえるだろうがまず負けないのだ。
しかしモルドンとの戦闘を単なる作業と認識するようになっていた彼女はこの日、それが間違いであったことを思い知る。
「な、なんなの…。 このモルドン、強すぎる!?」
「ヲヲヲヲ…」
そのモルドンはこれまで彼女が戦ってきたものとは、何もかもが違っていた。
夜の闇に溶け込むような漆黒の体、その姿は大きな口と長い尾を持つ二足歩行の蜥蜴と表現するのが一番近いだろうか。
言うなれば蜥蜴型モルドンというべき個体は、これまで彼女が戦ってきたモルドンとは大きく異なる点があった。
モルドンの核と言うべき黒きクリスタル、それがこのモルドンには二つ備わっていたのだ。
胸の中央に光るクリスタル、そして彼女を丸呑み出来そうな巨大な口の中にもう一つのクリスタルが見えた。
もう一つのクリスタルの恩恵なのか、その大きな口から洩れる声はより人語に近い音として響いている。
「クリスタルが二つだから、実力も二倍って事なの? 冗談はよしてよ…、このぉぉぉ!!」
「ヲヲヲヲっ!!」
彼女の持つ灰色のクリスタルが嵌め込まれた杖から、火炎放射器のように炎が噴射される。
一瞬でモルドンの体は火に包まれてしまい、夜の街に炎の明かりが照らされた。
フード付きローブというウィッチの古めかしい魔法使い姿に合わせるなら、これを火炎魔法と呼ぶべきか。
彼女の持つ最大の威力を誇る魔法が蜥蜴型モルドンに直撃する、普通のモルドンであればこれで決着は付いていただろう。
「ヲヲヲヲ…、ゥヲ!!」
「あぁっ!? …痛い、痛いよ」
しかしこの蜥蜴型モルドンは、ウィッチの炎を意に介さずに突進してきたのだ。
一瞬の内に距離を詰めてきた蜥蜴型モルドンは、その勢いのままウィッチに体当たりをする。
魔法使い風の見た目通り、フィジカル面はひ弱なウィッチはあえなく吹き飛ばされて地面へと転がってしまった。
その衝撃で思わず杖から手を離してしまい、ウィッチはその場で蹲りながら前進を強打された痛みに苦しみ悶える。
「っ!? 駄目、私の杖が…、駄目ぇぇぇっ!!」
モルドンから見ればウィッチに止めを刺す絶好の機会であっただろうが、何故かウィッチへの追撃が来ない。
痛みに耐えながら周囲の状況に目をやったウィッチは、蜥蜴型モルドンの思惑に気付いた。
魔法少女としての力の源、クリスタルが埋め込まれたウィッチの杖を狙っているのだ。
先ほど手放してしまい地面に転がっていた杖に手を取ったモルドンは、どうやら先端に嵌め込まれたクリスタルを噛み砕こうとしているらしい。
まるで飴でも舐めるかのように、モルドンは杖を頭から口に入れようとしていた。
その光景を目の当たりにしたウィッチは自分の杖を守るために、痛みを押して無我夢中でモルドンへと飛び掛かる。
「あぁぁぁぁっ!!」
「ォォォォォッ!!」
モルドンがクリスタルを噛み砕くのと、ウィッチの指が杖の尻尾に届くのはほぼ同時だった。
砕かれながらもまだ魔法少女としての機能が残っていた杖は、主の命に従って火炎魔法を発動させる。
本人が意図したわけでは無いだろうが、結果的に彼女の抵抗はモルドンにダメージを与えることに成功した
モルドンが杖の先端に噛みついたということは、硬い外皮の内にある口内のクリスタルを晒したことになる。
自分のクリスタルが砕かれるかどうかの刹那の瞬間、最後の力を振り絞って放たれた炎がモルドンのクリスタルに届いた。
「ヲヲヲッ…!?」
「っ!? あぁ…」
しかし残念ながら、彼女に出来た抵抗はそこまでだった。
ノックアウト、クリスタルの破壊による衝撃は持ち主の少女に襲い掛かる。
まるでボクサーに顎を殴られたかのような強い衝撃を受けた少女は、否応なしに意識をノックアウトされてしまう。
意識を失った彼女の記憶は此処で途切れており、モルドンがあの後にどうなったかは全く分かっていない。
分かっていることは今もウィッチは生きている事と、クリスタルを破壊された彼女は"ウィッチ"としての力を失った事だけだった。
机の上にノートを広げた少女は、その中身に目を通しながらため息を漏らした。
黒縁メガネに三つ編みと言う文学少女風の彼女は、脇に置かれた携帯を手に取ってノートと見比べる。
「占いの精度が落ちてるな…。 このままだと、下手をすれば日単位でずれちゃうかも…」
携帯の中には彼女の協力者を自称する女性から送られてきた、時間と場所が羅列されたメールが表示されている。
その内容とノートの内容は最初の方はほぼ一致しているのだが、時間が進んでいくほどにずれが発生していた。
ノートを取ったのはあれが破壊される数か月前で有り、これまでの経験から此処まで時間が空いた結果では精度が保証できないことが分かっている。
「そもそもノートにメモしておいた内容も、そろそろストックが切れちゃうしな…。
やっぱり占いをやり直さないとまずいわね」
数か月後までの未来を占ったノートの内容も、既に現在の時刻に近づきつつある。
ノート内容が現在を追い越すのも時間の問題であり、精度的にストック的にも占いの再実施が急務で有ろう。
「本当ならそろそろ治ってもいい頃なんだけど…、っ!?」
少女はこれまで意図的に目をそらしていた物、机の隅に追いやられている杖の方を見る。
その杖に嵌められた灰色のクリスタルは亀裂があり、完全ではない事を示すような弱弱しい光を放っていた。
クリスタルに付けられた罅割れは埋まる事は無く、未だに痛々しい傷跡を主へと示している。
少女は恐る恐るといった感じで、杖の方へと手を伸ばしていく。
しかし指先が割れたクリスタルへ触れようとした瞬間に、弾かれたようにその場から立ち上がってしまう。
「はぁはぁ…。 情けないな…、まだ怖がってるよ。 やっぱり私が原因で治らないのかな、あの子は…。
あの人に会えば少しは変われるかな、私の代わりに戦ってくれているヒーローに…」
再び机の方に手を伸ばした少女であるが、手にしたのは杖では無く先ほどまで見ていた携帯だった。
携帯の待ち受け画面、そこに映し出されたマスクドナイトNIOHの姿を少女は愛おし気に指でなぞる。
ジャーナリスト志望という女性から貰った写真は、中々上手く変身した千春の姿を捉えていた。
「うん、少し気分を変えましょう。 とりあえずマジマジでも見ようかな…。
あ、マスクドナイトNIOHチャンネルの新しい動画が上がっている! 早速チェックしないと…」
そのまま携帯を操作した少女は、慣れた手つきで魔法少女専門動画サイト"マジマジ"を閲覧する。
登録しているお気に入りのチャンネル、マスクドナイトNIOHチャンネルの最新動画を見つけた少女は楽し気に動画を見始める。
早坂 友香、ウィッチと言う名前で活動していた魔法少女の復活にはまだ遠いようだった。




