6-11.
その少女は昔から、生き物が嫌いだった。
生暖かい肌触りや獣臭い匂い、その生き物としての生々しさが馴染めなかったのだ。
可愛らしい犬や猫なども毛嫌いするのはおかしいと、少女を責める者も少なくなかった。
しかしどうしてもその少女は生き物を好きになれず、それらと関りを持たないように生活してきた。
「シロちゃん、シロちゃぁぁん!!」
「だ、大丈夫なの…?」
「あの子はぬいぐるみマニアだから気に入るとは思ったんだけど、此処まで重症になるとは…」
生き物は駄目だが可愛らしい物は好きな少女の密かな趣味は、ぬいぐるみ収集であった。
布製の体に人工的な匂い、生きている感触を全く感じさせない愛らしいぬいぐるみは少女を安心させてくれた。
そんな愛するぬいぐるみが自由に遊び回るその動画は、瞬く間に少女を虜にしたのだ。
動画を紹介した友人たちが軽く引くほど、この少女は使い魔シロと言う存在に夢中になっていた。
喫茶店メモリー、今時珍しい個人経営の純喫茶店。
寺下店長の淹れる自慢のコーヒーが人数分、テーブルの上に並べられている。
しかし大半のコーヒーは全く手を付けられておらず、彼女たちは別のことに掛かりきりになっていた。
「シ、シロちゃん、私は雅美って言うの。 よろしくね…」
「○○!!」
「うん、うん…。 あぁぁぁ、幸せぇぇぇ!?」
志月の友人1である背の高い少女は、念願のシロと会えてご満悦の様子だ。
シロの短い前足と握手を交わしながら、少女は自分の名前を伝えて自己紹介をしていた。
周りの目を気にすることなく嬌声を上げる少女は、実に幸せそうである。
「こ、此処よ!!? 此処に飛鳥くんが座ったのね! ああ、飛鳥くんが座った席に私も…、ああぁぁ」
「…最近の子って凄いわね」
「ああ、そういえば前に…」
そして志月の友人2である少し太めの少女は、少女1とは別の目的があったらしい。
千春と共演した人気イケメン俳優、長谷 飛鳥は過去に一度だけプライベートで喫茶店メモリーに訪れていた。
どうやら飛鳥ファンである少女は、聖地巡礼のノリで飛鳥が来店した店に来て見たかったらしい。
彼がSNSに上げた写真から飛鳥が座った席を探し当てた少女は、憧れの人と同じ席に腰掛けて悦に入っている様子だ。
彩雲は今更ながら過去にあの少女から、千春経由で飛鳥のサインを貰えないか強請られた事があったのを思い出していた。
「ご、ごめんなさい…、雅美ちゃんも公子ちゃんもはしゃいじゃって…」
「だ、大丈夫ですよ、このくらいは…」
二人の友人たちの暴走を前にして逆に冷静になったのか、志月は友人たちに変わって近くの店員に頭を下げる。
志月に取っても友人たちの豹変は予想外だったようで、恥ずかしさの余り白い肌を紅潮させていた。
接客中のバイト店員友香は事前に千春たちから言い含められていることもあり、少女たちの狂態をあえて見逃していた。
少女たちが落ち着きを取り戻すまで、それから暫くの時を要するのだった。
千春は志月の様子が気になったのか、友香と共に接客をしながら志月たちの様子を観察していた。
他の席の接客中に僅かにチラ見していただけなので詳しいことは分からないが、今の所は志月に怪しい様子は無い。
どちらかと言えば先ほどまで騒がしくしていた二人の友人の方が悪目立ちしており、志月の存在は埋没しているくらいだ。
ジャーナリストの必須スキルの一つなのか、朱美は巧みな話術ですっかり中学生たちの輪に溶け込んでいる。
あの調子なら志月と仲良くなり、彼女が持つ謎を探れるかもしれない。
そして喫茶店メモリーでの女子会が小一時間程経過したところで、朱美が千春の方にやって来たのだ。
「…え、散歩?」
「あの子たち、シロちゃんと外で遊びたいって言うのよ。 それで散歩がてら、近くの公園まで行こうって話になって…」
「へー、散歩か。 なら俺も…」
確か以前にマジマジでシロと公園で遊ぶ風景もあげていたので、そこから彼女たちもシロと公園遊びをしたいと考えたのだろう。
今日はいい天気なので絶好の散歩日和である、シロと共に公園までゆっくり歩いて行くのも悪くない。
千春のすっかり乗り気になったようで、仕事中にも拘わらず中学生たちに同行する気になっていた。
「…馬鹿ね、あんたは留守番よ。 そもそも仕事中でしょう?」
「ええっ!? でもシロの飼い主として俺も…」
「私が付いて行くから大丈夫よ。 あんたは真面目に仕事をしてなさい」
しかし千春の公園遊びは、朱美の正論によってあえなく却下された。
喫茶店メモリーのバイト定員である千春は、当然であるがまだ就業時間中である。
理由があれば仕事を抜けて同行できるかもしれないが、保護者として朱美が付いているなら千春が居る必要性は無いだろう。
「…志月ちゃん。 あんたのことを意識してたわ、やっぱりあの子は何かある。 あんたが居ない場所で話が出来た方が、あの子も警戒心を解いてくれそうなのよ」
「ええ、俺はお前たちの席には近づいて無いのに…」
「あんたが接客の合間にこっちのテーブルを凝視してたのはバレバレよ。 他の子たちは、あんたが妹を心配していると思ったようだけどね…。 もう少し上手く盗み見なさいよ」
そして本来の目的である志月から話をきくためにも、千春が居る喫茶店メモリーから離れた方がいいと言う。
朱美の話が本当であれば志月は千春を警戒しており、彼の目が届いている場所では心を開いてくれないかもしれない。
マスクドナイトNIOHを警戒している時点で色々と怪しい感じはするが、その理由を探るためには千春の存在が邪魔なのだ。
「分かった、俺は店に残るよ…。 何かあったらすぐに駆け付けるから、連絡してくれよ」
「ちょっとそこの公園に行くだけよ、暗くなる前に帰るかあら安心しなさい」
自分が居ない方が理由を聞かされた千春は一瞬考えこんだ後、朱美の提案に従う結論を出した。
朱美の話はもっともであり、志月を警戒させているらしい自分が居ない方が彼女たちの話も弾むに違いない。
そこで朱美が上手く志月と仲良くなってくれれば、彼女の奇跡の子としての謎にも迫れるだろう。
話が決まったら善は急げと、彼女たちは早々に会計を済ませて公園まで出発していく。
「それじゃあ、ご馳走様です」
「行こう、シロちゃん」
「ではお兄さん、行ってきます」
「おう、気を付けろよ。 朱美、しっかり面倒みてくれよ」
「あんたじゃ無いんだから、大丈夫よ」
店から出た志月を含む中学生たちは、シロの短い脚に付き合ってゆっくりと公園まで向かって行く
シロがトコトコと歩いている姿が面白いのか、牛歩の如きスピードなのにみんな楽しそうだ。
当のシロも使い魔越しとは言え、外の世界を歩き回れるのが嬉しいのか実にご機嫌な様子である。
千春はそんな彼女たちを店の外まで見送り、彼女たちが曲がり角に消えた所で店に引っ込んだ。
「さーて、溜まっている仕事に進めるかなー。
子供はいいよな、仕事が無くってさ…。 俺も公園でのんびりしたいなー」
店に戻った千春はそのまま奥の作業場に入り、今日は全く手を付けていない通販業務の作業に入る。
志月の様子を見るために友香の仕事を奪って接客していたので、本来の業務は手付かずの状況なのだ。
千春は公園に向かったシロたちのことを考えながら、呑気に鼻歌交じりでオンライン注文の受付作業を始めていた。
この時の千春は全く危機感を持っておらず、恐らく同じ事を百回繰り返しても同じ結論を出すであろうと断言できる。
そもそもあれを事前に予想しろと言うのが無茶な話であり、誰も千春の選択を責められないだろう。
しかしそれでも…、千春はあの時の己の選択を生涯悔いることになる。
不穏な引きですみません…、好みが分かれると思いますが私はこの手の前振りが好きな方なので…。
此処からまた1週間待たせるのも何なので、次話を10/04 18:00に予約投稿しておきました。
続きは明日までお待ちください。
では。




