6-2.
渡りのモルドン、そして渡りに偽装した使い魔との一件が終わり、千春の元にようやく平穏が戻ってきた。
本物の方はまだ生きている筈であり、また暫くしたら復活するかもしれないので完全に終わりとは言い難いかもしれない。
しかし少なくとも本物の方は、千春の住居をダイレクトアタックしてくる事は無いだろう。
「…なのに、何で誰も俺に部屋を貸してくれないんだぁっ!!」
「良くも悪くも有名になったからねー、あんたは…。 あっちも商売だから、リスクを取りたく無いんでしょう」
喫茶店メモリー奥の作業場で、千春は通販用の梱包作業の手を止めて朱美に対して愚痴を零す。
無事に偽渡りを倒した千春は先日、これで部屋を貸して貰えるだろうと考えて意気揚々と不動産屋を訪れていた。
しかし予想に反して彼らは皆、険しい顔を見せながら千春へ部屋を貸す事に難色を示したのだ。
魔法少女に余り詳しくない者にとっては、千春はモルドンや魔法少女に狙われる可能性がある厄介者である。
そんな危険人物に部屋を貸してそこが襲われでもしたら被害は、千春一人だけには収まらない。
フリーターである千春が求める物は集合住宅の中の一部屋であり、必然的に他の住居者が隣接することになるからだ。
これが一戸建ての購入であれば自己責任で済むだろうが、千春の資産でそのような贅沢が出来る筈も無かった。
「いいじゃない、このまま牧場でスローライフを満喫すれば…。 家賃とかも無いんでしょう?」
「通勤がキツイんだよ、此処まで結構掛かるんだぞ…。 天気が悪い時なんて最悪で…」
新しい住まいが見付からない千春は、必然的に真美子の親戚が営む牧場での居候生活が続いていた。
ガロロの一件もあって千春に好意的な牧場の人たちは、今での無償で千春に住居を提供してくれている。
金銭的に余裕が無いフリーターに取ってや夢のような話であるが、問題はその牧場の位置である。
街から遠くなれた郊外に位置する牧場から喫茶店メモリーまでは、通えない距離では無いがそれなりの通勤時間を要する。
毎日牧場からバイクで通うのは結構な労力であり、出来れば前のアパートのような喫茶店メモリーの近くに生活拠点を置きたい。
「あーあ、昨日の休暇が不動産屋巡りで終わっちまった…。 少し前まで糞忙しかったから、久しぶりの休みだったのに…」
「寺下さんが言っていたわよ、開店以来一番の売り上げだったって…。 人気者は辛いわねー、マスクドナイトNIOHさん」
「うるせーな。 忙しい時に限って店に寄り付かなかった薄情者が…、接客を手伝わせようと思ったのに…」
五月の連休前に公開された劇場版マスクドメビウス、その宣伝効果によって喫茶店メモリーは連休中は大盛況だったらしい。
ド派手な強化フォームをお披露目し、映画出演を果たした千春を目当てに沢山のお客様が喫茶メモリーに押し掛けてしまう。
少し前まで千春は客寄せパンダよろしく、バイト店員の友香と共に一日中働く羽目になっていたようだ。
学生も休み中という事もあって、店を訪れる客たちの中には見覚えのある魔法少女の姿もあった。
佐奈などは何だかんだ理由を付けて、二日に一度くらいは店に来ていたような気がする。
そんな状況を事前に察知した朱美は、臨時戦力として駆り出される危険性を感じて暫く店に近付かなかった。
「ほらほら、喋っていないで手を動かしなさい。 通販の方の仕事も滞っているんでしょう?」
「言われなくても分かっているよ。 糞、このままだと今日のノルマが…」
千春の本来の仕事は裏方の通販業務であるが、前述の通り連休中は接客業務の方に手を取られてしまった。
必然的に後回しにされた本来の作業は溜まっていく一方で、連休が空けた後も千春は通販用の梱包作業に追われていた。
朱美の煽りを受けながら千春は、後れを取り戻すために通販用のコーヒー豆を機械に通して密封していく。
「…偽渡り、渡りに偽装していた使い魔の件はどうなった? どうせ休み中に、研究会の連中と追っているんだろう?」
「収穫ゼロ。 流石にクリスタルの残骸だけじゃ、手も足も出ないわよ」
「やっぱりそうだよなー。 犯人は雲隠れして事件は幕引き、締まらないなー」
"クリスタルチェイサー"を呼んで欲しいと、朱美は架空の魔法少女の名を出しながら両手を上げて降参のポーズを取る。
予想通りの回答を耳にした千春は溜息をつきながら、梱包作業を続けていく。
渡りのモルドンを装って、何人もの魔法少女を手に掛け、魔法学部の施設を強襲した謎の使い魔。
その目的や魔法少女の正体は気になる所であるが、残された手がかりは砕かれたクリスタルの残骸だけである。
これだけでは流石に犯人である魔法少女に辿り着く事は不可能であり、千春も駄目元での質問であった。
「まあ、過ぎたことは仕方ないか…。 朱美、俺はもう少ししたら切り上げるから、お前もそろそろ帰れよ」
「あら、まだ店の方は営業しているわよ?」
「早引きだ…、この後に病院に寄るんでね…」
「病院…、そう…」
病院、その言葉を聞いた朱美は途端に顔を曇らせる。
千春の方も病院の事を口にした途端に無表情となり、何かに急かされているかのように一心不乱に手を動かしていた。
そんな千春の姿から視線を外した朱美は、彼の作業場所の近くに置かれた白い塊へと視線を向ける。
白いぬいぐるみと言うべき姿をした使い魔シロ、それが本当のぬいぐるみのように微動だにせず千春の傍で固まっていた。
喫茶店メモリーでの業務を早めに終えた千春は、愛車を走らせて病院へと向かった。
何時ものように隣接する駐車場にバイクを停めた千春は、そのまま迷い無い足取りで病院の入り口へと向かう。
しかし入口付近で思わぬ人物と顔を合わせた千春はその場で足を止め、相手の方もすぐにこちらに気付いて声をかけて来た。
「…君か」
「白奈のお父さん!? すみません、俺はまた今度に…」
それはかつて一度だけ会った事がある、白奈の父親であった。
以前と同様に見るからに高級そうなスーツ姿の中年男性だが、その表情は何処か疲れている様子である。
大事な愛娘があんな状態になっているのだ、その父親の心境を思えば仕方ないことだろう。
千春は何時でも来て欲しいと言う白奈の言葉に甘えて、時間が出来たらアポなしで病室に顔を出していた。
一応は事前に担当看護師の山下には確認を取っているのだが、知ってか知らずか彼女から父親来訪の話は聞かされていない。
親子の対面を邪魔してはまずいと、千春はすぐさま頭を下げて病院から去ろうとする。
「…いや、構わないよ。 娘も君が居た方が喜ぶだろう…」
「は、はい…」
しかし白奈の父親は千春を呼び止めて、二人で白奈の元に行こうと言う。
穏やかな口調で千春を呼び止めた白奈の父親であるが、言葉とは裏腹にその視線は友好的とは言い難い鋭い物であった。
どうやら千春は余り歓迎されてない感じなのだが、何故か白奈の父親は千春を追い返そうとはしない。
一瞬どうするか迷った千春であるが、断るのもどうかと考えて白奈の父と連れ立って病院の中へと入る。
世間話するような雰囲気でも無かったので、そのまま二人は無言で白奈の病室へと向かって行く。
「…あ、千春さん。 どうして父と一緒に?」
「途中で偶然会ったんだよ。 元気そうだなー、白奈」
「はい、最近は調子が戻ってきて…」
「…」
最近では病室へ訪れた時に白奈の意識があることは半々くらいであるが、今日の彼女は起きている日であった。
白奈は父親と共に訪れた千春に少々驚いたようで、笑顔で来客を迎えてくれた。
ベッドの上で横たわる白奈の姿は相変わらずやせ衰えており、その青白い顔を見るとお世辞にも元気だとは思えない。
しかし千春は努めて笑顔を見せながら、白奈が望んでいるであろう普段通りの会話を試みる。
そんな千春と娘のやり取りを、眉間に皺寄せた白奈の父親は無言で見続けていた。




