1-1. 「マスクドナイト初陣」
夜の闇の中、外灯のか細い光が二つの影を作り出していた。
その一つである可憐な衣装を着けた少女は、もう一つの見るからに凶悪な黒い生物と向かい合っている。
ゴスロリ風の衣装を着た自称13歳の少女は、銃床部分に緑のクリスタルが埋め込まれた巨大なライフルを構えていた。
対する額に黒い石が埋め込まれている四つ足の黒い獣は、威嚇するように少女を睨みつけている。
よく見れば四つ足の獣の方には破損が見られ、体のあちこちのパーツが欠けているようだった。
場所は何処かの郊外の広い道路らしく、戦闘に巻き込まれて止められている車の影が背後にあった。
中にはボディがひしゃげている車の姿もあり、不幸にも彼女たちの戦闘に巻き込まれてしまったのだろう。
「"さぁ、そろそろお終いにするわよ! アヤリンパワー、ぜーんかーーい!!"」
「■■■■!?」
媚びを売ったかのような甲高い声で気合を入れた少女、それと同時に彼女の持つライフルからマズルフラッシュが起きる。
可愛らしい声に似つかわしくない、えげつない銃声と共に大口径の銃弾が黒い獣へ飛んでいく。
その光景に脅威を感じたのか、黒い獣は言葉として認識でない不思議な声を出しながら回避しようと試みる。
しかし気づいたときには銃弾は黒い獣の顔から直撃しており、駄目押しとばかりに次々に銃弾が降り注いでいた。
そのまま原型が分からないほどに顔を抉られた黒い獣は、次の瞬間に何の痕跡も残さずに消え去っていた。
「"やったー、アヤリンの大勝利ぃぃぃぃっ! 今日もモルドン退治のお仕事、完了でーす。
"アヤリンの活躍を見てくれたみんなー、チャンネル登録は此処をクリックだよ!!"」
駄目押しの営業スマイルと共に動画は終了して、画面には次の動画への移動を促す画面が映し出されていた。
魔法少女専門動画サイト"マジマジ"、そこに投稿されたとある魔法少女の戦いの記録が終了したのである。
素人が撮っているのか映像はブレブレであり、音質もお世辞でも良いものでは無いだろう。
しかしそれを差し引いても、画面内の少女と異形の怪物のやり取りは人々を引き付ける物があった。
何しろこれは合成もトリックも存在しない、正真正銘のリアルな映像なのだ。
作り物ではない本物の人外の戦いは人々を引き付け、本物を知った彼らはそれを求めるようになった。
魔法少女、そしてモルドンと呼ばれる存在が現れて10年の月日が流れ、世界は魔法少女たちの活躍に夢中になっていた。
最初の魔法少女の誕生以降、この世界には次々に新たな魔法少女たちが誕生した。
魔法少女と言う呼び名の通り、小~中学生の若い少女が不思議な力に目覚める事例は次々に報告されていく。
そしてそれと呼応するかのように、モルドンと呼ばれる異形な生物の出現が日常へと取り込まれた。
まるで世界という絵画に落書きをするかのように、何もない所から突然湧いてくるモルドンという害悪。
それはどういう訳か普通の人間や兵器を受け付けず、唯一対抗する手段は魔法少女たちの力しかない。
魔法少女とは何なのか、モルドンとは何なのか、その疑問に答えられるものは丸10年経っても誰も居ない。
分かっていることはただ一つ、モルドンは魔法少女たちに退治して貰うしか無いという事実だけだ。
「おい、見たかよ、この前のサクラっちの配信!」
「ああ、サクラっちの誤射でコンビニが崩壊してたよな。 やっぱり砲撃系の魔法少女は危ないよなー」
モルドンの被害は恐ろしい物であるが、その出現頻度は決して高い訳ではない。
これが都市を覆うほどの集団が一度に現れたら世界の滅亡もあり得るだろうが、どういう訳かモルドンは散発的に出てくるだけなのだ。
これまでのデータによるとモルドンに襲われる可能性は、交通事故に遭う確率と同程度のことらしい。
殆どの人間はモルドンの姿を直に見たことすらなく、一握りの当事者たち以外に取ってモルドンの被害は対岸の火事でしか無かった。
そして魔法少女たちの活躍は、殆どの人間に取ってはフィクションとほぼ変わらない遠い世界の出来事なのである。
スポーツの話でもするかのように魔法少女たちの活躍を話す、それが今の世間の日常風景であった。
「うーん、やっぱり魔法少女のチャンネルはもう過剰供給ね。 普通にモルドンと戦っても、視聴回数は取れそうにないなー。
魔法を使ってやってみた系もネタ切れっぽいし、何か新しい手を使わないと埋没するだけよね…」
休日のコンビニにはそれなりに人が入っているらしく、飲食スペースの半分は埋まっており周囲から他愛ない雑談が聞こえてくる。
そんな中で飲食スペースの一角で購入したコーヒーを飲みながら、少女が一人スマホを弄っていた。
十代前半かそこらの若い少女は髪をツインテールでまとめており、なかなか可愛らしい容貌をしていた。
これで笑顔を浮かべていればそれなりに人目を引きそうな少女であったが、今は不機嫌な表情をしながら唸っている。
「やっぱり、固定ファンを取り込んだチャンネルは勢いがあるなー。
ミリタリー系の魔法使いはそこそこ居るけど、彼女はしっかり銃のことを勉強しているからファンとコアな話が出来るのが強みよね」
最初に生まれた魔法少女が当時人気だった魔法少女アニメを真似たこともあり、世間では彼女たちのことを魔法少女たちと呼称している。
しかし現在ではどう考えても魔法少女と言う呼び方が似つかわしくない、様々な力を持つ魔法少女たちが存在していた。
現代火器を振り回すミリタリー系魔法少女、魔法ならぬ超能力を使うサイキック系魔法少女、相棒であるモンスターを使役するトレーナー系魔法少女。
魔法少女業界は最早何でもありの状況であり、世知辛いことに魔法少女というだけで人気を得られる時代はとうに過ぎている。
「はぁ、私もこんな風になってみたい…。 ランキングのトップになりたいな…」
少女はスマホで見ているのは魔法少女専門動画サイト"マジマジ"、その視聴者ランキングのページである。
何時の世の若者も少なからず、自らの存在を世間に認めさせたいという承認欲求を抱くものだ。
それはこの少女も同じらしく、そして現代社会で最も手っ取り早くそれを満たす方法はソーシャルメディアであろう。
しかし何も考えずにこの世界に飛び込んでも、ネットの海に埋没して終わるであろう事も少女は認識していた。
かつて圧倒的な人気でソーシャルメディアの世界を独占していた魔法少女ジャンルでさえも、今では多数の魔法少女チャンネルが潰しあう過酷な戦場となっていた。
人気者になりたいという気持ちはあるが、その方法が見つけられない少女はもどかしい思いを覚えながらコーヒーの残りを力強く啜った。
先ほどコンビニで唸っていた少女が、夜の街を駆けていた。
季節は初夏、少女は暑さで汗が滴る不快感に顔を顰めながらも決して足を止めない。
何故なら少女には背後から駆ける八つ足の黒い異形、その鋭い牙の餌食になる気はさらさら無いからだ。
それは蜘蛛にも似た八本足の存在であるが、人間を噛み切れるほどの巨大な蜘蛛などこの世にいる筈はなかった。
額にあたる部分に埋め込まれた黒い宝石のような物体が、街頭に照らされて怪しく煌めく。
少女はパンツスタイルにスニーカーという動きやすい服装で外出していた僅かばかりの幸運に感謝しながら、蜘蛛もどきの追跡から逃れようとする。
「なんで、よりによってこんなところで…」
「■■■■■■!!」
魔法少女の誕生と同じくしてそれは唐突に姿を見せた、"モルドン"、文字通り普通のそれは全くことなる異形の生物たち。
モルドンたちは人々を襲い、魔法少女たちがそれを守るために戦う。
まるでテレビ番組のような光景が、今の世界では日常的に繰り広げ始められていた。
しかしモルドンに襲われる確率は交通事故に遭うくらいの確率と言われており、大半の人間にとっては無関係な出来事である。
この少女も昨日までは関係ない第三者だった、今日初めてモルドンに出会うまでは…。
「はぁ、はぁ、誰か警察…、なんて呼んでも無駄だからなー。 この状況をSNSか何かに投稿して、それを魔法少女が気づいてくれるのを願うしか助かる道は無いのか…。
ははは、笑えるほどついていないわね」
日本の中堅都市くらいには言い張れる少女の地元では、深夜でも無ければド田舎のように完全に人がいなくなることはあり得ない。
実際に街中でモルドンに追われる姿をスマホで撮影している野次馬の姿を少女は横目で見ており、少女の危機は周囲の人間には知られている。
しかし残念ながら少女を助ける人間は居ない、超常的な存在であるモルドンは普通の人間では決して太刀打ちできないからだ。
警察なんて呼んでも犠牲者が増えるだけであり、天下の国家権力がモルドンに無力なのは既に世間で知れ渡っている。
頼みの綱は魔法少女だけだが、流石にこれを目撃している者たちの中に魔法少女と知人が居るなんて都合のいい幸運は考えにくい。
少女がこの苦境から救われる方法はモルドンの気が変わるのを待つか、都合のいい救い主が現れることを願うしかなかった。
それなりに体力には自身があるが、この終わりのないマラソンを延々と続けるほど無尽蔵ではない。
モルドンから逃げながらある決意を固めていた少女は、目的のために街の中心部から外れた場所にある公園へと向かっていた。
自分以外の犠牲者を出さないなどと言う殊勝な考えでは勿論なく、とある別の思惑によるものだ。
最後の力を振り絞って目的の公園まで辿り着いた少女は、息を整えながら迫る蜘蛛型のモルドンへと向き合う。
恐らくモルドン出現の連絡が行き渡っているのか、目的地の公園にはお誂え向きのように人気が見当たらなかった。
「はぁはぁ、もうやるしかないわね。 いくわ…」
「うぉぉぉぉぉぉっ!!」
「えっ、何っ!?」
何かの思惑があって此処までやってきた少女は、本来であればその何かとやらをやって見せたのだろう。
しかし結果的に少女の何かは現実とはならなかった、何故なら公園に予期せぬ第三者が突如飛び込んできたのだ。
公園規則を無視してバイクで突入してきた男が、モルドンと自分との間に飛び込んで来る様を少女は目の当たりにする。
「現実は小説より奇なり、ってやつか…。 全く、本当にお誂え向きな状況だよ」
「あ、あなたは…」
「ただのフリーターだ、ちょっとした事情持ちのね…。 君は下がっていろ、これは俺が何とかする」
突然現れた男はヘルメットを外してバイクを降り、少女をモルドンから庇うように立つ。
それは精々二十歳かそこらの若い男だった、少女と比較すれば頭二つ分は高い大柄な青年は頼りがいのあるようにも見える。
しかし少しばかり鍛えただけの人間がモルドンに太刀打ちできる筈もなく、はっきり言って少女を助けに入ったらしい青年の行動は無謀でしかなかった。
それは助けられた少女自身も感じているらしく、少女の顔には庇われている安心感ではなく困惑の感情しか読み取れない。
「何とかって、モルドンは普通の人間には太刀打ちできないのよ! 警察だって、自衛隊だって…」
「何とか出来るんだよ、このお兄さんはね…。
…信じているぞ、妹よ。 よーく見ておけ、これが俺の初陣って奴だよ!」
ただの人では決して及ばないモルドンを前に抗おうとする愚か者を前に、少女の困惑はする一方であった。
しかし背後に居る少女の不信感に気付くことなく、青年は左腕を腰に当ててながら人差し指と中指を立てた右腕を天にかざした。
すると青年の腰が光を放ち、次の瞬間にはそこには先ほどまでは影も形も無かったベルトが巻かれているではないか。
ベルトのバックル中央には赤い宝石のような物質が、青年の決意に呼応するかのように輝いている。
まるで早着替えでもしたかのように一瞬で衣装を変えるこの現象に心当たりがあった少女は、それを見て顔色を変える。
「っ!? そのベルトはまさか…」
「…変身っ!!」
天にかざした右腕はそのまま円を描きながら360度回転して元の場所に戻り、青年は気合の叫びと共にその腕を正面に振り下ろした。
その瞬間、今度は青年の体全体が光に包まれていくではないか。
光が止んだ瞬間、そこには先ほどまでいた無謀な青年の姿はなかった。
光と共に衣装が変わる不可思議な現象は、現代においては珍しいものでは無くなっていた。
魔法少女、可憐な少女たちが光と共に可愛らしいコスチュームに変わるシーンは今時動画サイトに幾らでも転がっている。
しかしそれはあくまで魔法少女の特権ではり、明らかな成人男性である青年がそれを見せたことに少女は驚きを隠せないでいた。
「そ、その姿は…。 男の人の魔法少女なんて…」
「魔法少女じゃない。 俺を呼ぶならこう呼んでくれよ、"マスクドナイト"ってね…」
「マスクドナイトって、あの特撮番組の!?」
「お、結構古い作品なのに知っているのか、あれは俺の一押しの作品でね。
仮面の騎士、マスクドナイトが麗しい少女のためにこの命を懸けて戦おう…、なんてな」
魔法少女が少女たちが一度は通る道であるならば、変身ヒーローは少年たちが一度は通るべき道であろう。
仮面を付けた騎士、マスクドナイト。
それはかつて、日曜日の朝に放映されていた変身ヒーロー特撮作品である。
テレビの特撮ヒーローのように、仮面と鎧を纏う存在へと変身した青年。
矢城 千春は少女の目の前で、自身を鼓舞するように見得を切るのだった。