5-2.
それはまだ千春が高校生だった頃、気まぐれに入った喫茶店の店内を見渡していた所で彼はまず違和感を覚える。
初めて入った店の一見ただのテーブル席にしか見えない場所に、千春は何処かで見覚えのあるような気がしたのだ。
これが俗に言う既視感と言う奴なのか、しかし確かに千春はそれと同じ光景を目にしている筈だった。
普段は余り使うことの無い脳みそをフル回転させた千春は、やがて最近視聴したある作品のワンシーンを思い出すことになる。
「こ、これは…、もしかしてマスクドファングの奴か!? 凄い、完璧に再現しているぞ!!」
「…マスクドファング? 何を言っているんだ、君は?」
千春が驚きの余りに口走っていた言葉は、注文を取りに来た店長の寺下の耳に入っていた。
しかし寺下は怪訝そうな顔をして、千春の言葉をばっさりと否定してくる。
「確かにそこはちょっとした遊び心で、とある作品のセットを再現したものだ。 しかしそれはマスクドファングなんて聞いた事の無い作品じゃない、マスクドウインドって言うタイトルの名作だよ」
「マスクドウインド? オールドエイジの作品ですよね、確か…。 ああ、そういえばファングは、劇中で昔のマスクド作品をちょくちょくオマージュしているって話だったな…。
すいません、俺は年代的にニューエイジど真ん中なんで、オールドエイジには縁が無くて…」
マスクドシリーズを語る上で、旧世代派と新世代派の対立は根深い物がある。
四十代と思われる寺下が子供の頃にリアルタイムで見ていた、マスクドシリーズのオールドエイジ作品。
悪の軍団と戦うというシンプルなストリー展開、今見れば映像の古さに難を感じるがかつての少年たちはそれに熱狂していた。
十代である千春が子供の頃にリアルタイムで見ていた、マスクドシリーズのニューエイジ作品。
善と悪の構造が度々入れ替わる複雑なストーリー展開、最新の映像技術で作られたそれに今の少年たちは熱狂している。
同じマスクドシリーズでありながら世代や作風が大きく異なることもあり、オールドエイジファンとニューエイジファンが解りあえない事は良くある話だった。
ニューエイジを愛する子供が、わざわざ古き良きオールドエイジを見ようとは思わないだろう
オールドエイジを愛していた大人が、わざわざ今の子供に交じってニューエイジを見ようとは思わないだろう。
結局は一方の世代のファンはもう一方の世代作品を見もしないで、あんな物よりこちらがいいと断言している場合がほとんどなのだ。
「へー、ニューエイジって最近やっているマスクドシリーズだよね? それにマスクドウインドのセットが出ているのか…」
「マスクドウインドか…。 名前は聞いたことあるんですけど、昔の奴は見た事は無いんですよね…。 いい機会だから、見てみようかな…」
喫茶店メモリーにおいて、旧世代と新世代のマスクドシリーズファンの化学反応は良好に行われた。
場合によっては互いに相手を全否定して、罵詈雑言の嵐が巻き起こる不毛な展開もあり得たのだろう。
しかし彼らは互いにこれまで縁の無かった世代作品に興味を持つという、非常に生産的な結果となったようだ。
これが縁となり千春と寺下は年代の枠を超えたマスクドシリーズのファン仲間となり、千春がこの店で働く切っ掛けとなったのである。
"マスクドウインド"、それは今から数十年前に放映されたマスクドシリーズの古株の作品である。
作品の詳細な説明は省くが、その中で主人公であるマスクドウインドと仲間たちはよく同じ場所で集まっていたのだ。
同じセットを使いまわしたいという撮影の都合で、主人公たちの溜まり場となっていた飲食店があった。
この作品を見たら必然的に何回も見るであろうレストランの店内、その一部が喫茶店メモリー内で再現されていた。
「それでは、この店内のスペースは…」
「オールドエイジのマスクドシリーズ、マスクドウインドの作品内のワンシーンを再現しているのですよ。
本当、完成度が高いですよ、この一角は…。 マスクドウインドの作品そのままで、興奮してしまいました…」
あの時の千春のように、甲斐は喫茶店メモリーにある寺下の遊び心に感銘を受けたらしい。
千春と落ち着きを取り戻した甲斐の説明によって、彩雲はようやくクラスメイトの奇行を理解する。
彩雲から見たら何でもない所が、実はマスクドウインドとやらの作中のセットを再現したものだと言うのだ。
その作品のファンであれば、セットを完全再現していることに興奮を覚えるのは仕方ないだろう。
自分どころか千春すら生まれていない時代の古い作品に対して、あれほど反応するクラスメイトを訝しみながらも彩雲は一応の納得を見せる。
「あれ、でもさっきは"マスクドファング"って作品も…」
「それはニューエイジのマスクドシリーズの作品です。 実はニューエイジ作品はよくオールドエイジ作品のオマージュを入れるのですが、その一つにマスクドウインドのセットを再現したことがあるのです」
「そうそう、俺も初めてここを見たときは、これは"マスクドファング"の再現だと思い込んでさー。 後になって、マスクドウインドとの関係を知ったんだよなー」
またしても彩雲が知る由無い、どうでもいいマスクドシリーズの豆知識が増えてしまう。
確かに世代的にもマスクドシリーズと言えばニューエイジの方になる千春としては、"マスクドファング"が元ネタと思っても仕方ないだろう。
しかしその事実は千春に取っては悔しい過去なのか、若干表情を顰めながらマスクドウインドとマスクドファングの関係を説明する。
「妹、お前もニューエイジのマスクドシリーズを何本か見たんだろう? マスクドファングは見てないのかよ?」
「はい、とりあえずマスクドナイト、マスクドエース、マスクドウルフは全部見ました。 今は最新作のマスクドキングに追いつこうとしていて…」
「えぇぇ、矢城さん、まだファングを見てないのですか!? あれはニューエイジでトップクラスの名作ですよ、まずはそれを見ないと…」
「は、はい…」
魔法少女の勉強の一環として入れて貰った会員制動画配信サービスは、未だに彩雲の携帯の中に入っていた。
しかし既にNIOHと言う魔法少女の力を形にした彩雲にとっては、もう動画で魔法少女の勉強をする意味は無い。
今でも勉強の合間の息抜きとしてコッソリとマスクドシリーズなどを見ることもあるが、当初と比べて視聴の回転数が落ちていた。
このペースではマスクドシリーズの全制覇などは遠い先であり、実際に彩雲は話題に出てきたマスクドファングは未視聴なのだ。
しかし彩雲がマスクドファングを未視聴と知った甲斐は大層驚いた様子を見せて、すごい勢いでマスクドファングの視聴を薦めてきた。
「待ちたまえ、そこの少女! まずは千春くんの妹さんには、マスクドウインドを先に見せるべきだよ!!」
「っ!? あなたはもしかして…」
「そうとも、この店の店長、寺下 将とは私のことだ!!」
「ちなみに店長は隠れ旧世代マスクドシリーズオタクね。 マスクドウインドのセットを模して、この店内を作ったのは店長の趣味って訳…」
新世代マスクドシリーズのオタクにして、リアルでマスクドナイトをやっているフリーターの千春。
旧世代マスクドシリーズのオタクにして、趣味で店内に作中のセットを模した酔狂な店長の寺下。
そして恐ろしいことに若輩でありながら、旧・新両方のマスクドシリーズに精通しているらしい中学一年生の甲斐。
三人のマスクドシリーズオタクに囲まれた彩雲は、若干涙目になりながらオタクたちの濃い会話に付き合わされるのだった。
旧世代のマスクドウインドか、新世代のマスクドファングか。
彩雲に先に見せる作品はどちらかと、本人をそっちのけてオタクたちの口論は続けていた。
旧世代推奨派の寺下は、マスクドシリーズの原点である旧世代の作品を一度見せるべきだと主張する
それに対して新世代推奨派の千春は、まずは妹には新世代をコンプリートとさせるべきだと譲らない。
どちらの言い分も理解できる甲斐は両方見せればいいと提案するが、それならどちらが先に見せるべきだと順番の話に戻ってしまう。
この不毛な戦いは、新たなる登場人物の出現によって一時停戦を迎えることとなる
「…ごめーん、お兄さん。 ちょっと遅れちゃったー!!」
「!? 天羽さーーん!!」
「あ、彩雲ちゃん、久しぶり!! どうしたの、何か少し瞳が潤んでいるけど…」
喫茶店メモリーの扉を開けて現れたのは、マスクドナイトNIOHチャンネルを立ち上げたツインテールの少女だった。
マスクオタクたちに囲まれて困っていた彩雲は、若干涙目になりながら天羽の到来を歓迎する。
彩雲の様子に不信感を覚えた天羽は、さりげなく店内の様子を見まわした。
店長の寺下と店員の千春が居るのはいいが、明らかにその二人と話していた見知らぬ少女の存在に天羽が気付く。
同時にその少女、甲斐も店に現れた天羽を見ていたようで両者の視線が一瞬ぶつかってしまう。
「…はじめまして、私は甲斐 泉美、彩雲さんのクラスメイトですわ」
「へ、へえ…、彩雲ちゃんの友達か。 彩雲ちゃんから聞いているかもだけど思うけど、私は天羽 香って言うよ」
「天羽さん…、一目見て分かりました。 マスクドナイトNIOHチャンネルの実況者さん…、あなたにはマスクドシリーズへの愛が足りません!
あなたにマスクドナイトを筆頭とした、マスクドシリーズを語る資格は無い!!」
「…はっ?」
初対面同士の少女たちは、当たり障りのない自己紹介を始めようとする。
しかしそのやり取りを打ち切った甲斐は、明らかに敵意むき出しな様子で天羽に向かって指を突き付けたのだ。
面を向かって否定されてしまった天羽は、突然の展開に着いていけずに唖然とするしか無かった。




