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家出前に書いたもの(2004)

 今回の行動で自分を最終的に動かすことになったのは、親に完全に失明した事実を話した日からでした。失明したことは話さずにいることが良かったのではないかと考え、そしていろいろなことを考え始めました。仕事には毎日行ってはいましたが、元気がないことに気がついていた従業員はいたようです。(新居に移り住み、何も状況を知らない従業員が、最近は元気になったと言うのだから、かなり疲れてもいただろうし、周りにも分かるほど元気がなかったのでしょうね。)自分には何ができるか?今になって考えたら迷惑以外の何でもないですが、とりあえず、友人や知人に現状をメールで書きました。ちゃんとした文章にもならず、自分の思うままを書き続けた、どうしようもない内容のものでした。でも自分はそうすることで何かの解決方法を見つけたかったのです。

 今になっては自分で読むのも恥ずかしい内容ですが、自分が何を考え、どうしてこう言う結痂になったのかを示す記録でもあります。読みにくく、また表現に問題も多いですが、心の変化を感じ取ってもらえればと思い、あえて修正することなく、原文をそのまま掲載します。このような内容のメールを送ったにもかかわらず、それに答えてくださった皆さん、本当にどうもありがとうございました。心から感謝しています。

 なお、ここまでに書いてきたことと重複する部分については、削除したところもあります。


1.失明から1度目の家出実行まで

☆失明の事実を話した日から少しずつ書き足し、1度目の家出までの記録。


 まず最初に書いておくことは、自分は他の人のように強くはないと言うことです。これから書くことは自分が甘いと言うことで終わってしまうことなのかもしれません。何がどうなっているのやら、自分でも分からないまま、暗い中に先のない中にいるような感じがします。

 最近はどうにも辛い毎日です。実は国家試験を受ける少し前、今から1年半ほど前になるでしょうか、完全に光を失いました。医者にもどうにもならないと言われ、でも自分では納得もできないから、もしかしたら朝に起きたら戻るのではないかとありもしないことを考えながら1年半、今までは失明したことをほとんど誰にも言わずにきました。親がおかしいと思ったのでしょう、いろいろ聞いてくるもんで、とうとう言いました。でも言わなかったらもっと自分は幸せだっただろうと感じています。失明して今までのように歩けなくなったこと、仕事以外では1年ほど、外出すらしていないこと、いろいろ言いました。そりゃあ親だって子供が完全に失明したらショックを受けるものだと思っていました。しかし、光が分からなくなったぐらいで歩けなくなるのはおかしい、チャレンジが足りないだの、もっと重い障害の人はいるだの、頭がばかになったのかだの、気が違えたのかだの、話しにもなりません。失明の事実を聞いてすぐに言うならまだ分かります。でも2日もしてから言うのだから、それは冷静になって考えた結果なのでしょう。もっと早くに言わない自分が悪いかもとは思いますが、まだ現実を自分が理解できていないのだから、そんなことはできなかった。医者がどうにもならないと言うもの、人に言ってもどうにもならない。言えば言ったで親には冷たい答えだけで。こんなところにいる自分が辛くてどうしようもありません。でも外出も難しくなりつつある現在、それをどうする手段も持ちません。どちらにしても近くの駅まで行くにも道は危険で、目が悪いものが歩くことは難しい。仕事だけは毎日行きますが、送って行かなければ、迎えに行かなければ、そんな言い方をされながら生活することは苦痛以外の何でもありません。今までは昔からの蓄えのお金でどうにかしてきた部分もありましたが、それもそろそろ限界にきました。自分で稼いだ金だって自由にはなりません。今までずっと耐えてきました。失明する前にも外出するんだって、いちいち行く時間、帰る時間を決めさせられ、何をするのか目的まではっきり言わされ、それで初めて駅まで送ってもらえる。それだって文句を言われながらです。学生のころはまだ良かったけれど、今となっては家と仕事の往復でしかありません。いろいろな意味で理解されてないと思います。

 子供のころから何でも言われるようにしてきました。自分の思うところはあまり言いませんでした。何かを言えば文句を言われたりするし、何でもそうだけど、私には目の悪い人間のことは分からないと言い、何でも人任せにします。いろいろなことができるようになったのは、親のおかげではありません。盲学校や寄宿舎の職員の皆さんのおかげです。それがなかったら何もできなかったと思うし、親はさせようともしないんでしょう。親以外の人間のほうが目が悪い琴を理解してくれるような気がします。以前は友達の家を訪問するようなことがありました。食事をするとき、ご家族がいろいろ説明をされていたのはすごいと思いました。家ではそんなことはしてもらったこともありません。あえてしてくれると言えば、自分の前にものを音を立てて置くことぐらいでしょうか。親戚などと何かを食べるとき、説明してあげないと分からないだろうなどと言われたりすれば、そのときだけは適当にしてくれるぐらいでした。そんなものは1例であって、いろいろなことで他との違いを感じ、子供のころから学校でそんな話しでもしようものなら、冷たい親だと言われたものです。

 これからどうすればいいのだろうか。できることなら親と離れて生活ができれば嬉しい。しかし、現状から考えるに、そんなことができるだろうか。苦労はするかもしれない、でも少なくとも今よりは良い生活ができると思います。でも自分にはその手段を持ちません。もちろん親になんか言えたものではありません。どうにかしたくても、頼るものは何もない。誰かに助けてもらいたい気持ちです。自分が甘いんだろうね。でもどうにもならない現実を前にして、どうしようもない毎日が辛いです。人に頼って生きなければならない盲人は、何も言わずに我慢して生きることだけが選択なんですか。先もないような毎日を、頭がおかしくなっただの、気が違えたのかだの思われている人間と生活し、これからもずっと生きることが自分に与えられた人生なんですか。こんな環境では頼るものもなく、それでも自分はこれが幸せだと思って生きなければいけないんですか。他の人はもっと辛い人生なんだろうと思いながら、毎日毎日を生活することが自分の幸せなんだろうか。

 自分が障害者じゃなかったらなんて親に言えば、それは甘えでしかないと言われ、やれば何でもできるとか言うばかり。誰々はこうしてるだの、有名な盲人の話しをし、自分の子供にそんなことができると思ってるのかと考えると、どうにもおかしくて話しにもなりません。

 職場だけが唯一の救いですが、1人になる時間も多いため、いろいろ考えない日はありません。でも家から開放されることだけが唯一の救いなのかもしれません。それがなければどうなるだろう。眠れない毎日、もうどうなってもいいと考えることもあります。こんなことを書いてもどうにもならないと思います。でも誰かに言って、そしてもしここを出られる望みがあるのだとしたら、それは自分にとっては嬉しいこと。自分でどうにかしなければいけないのでしょう。でもこれだけ管理された生活をする中では、それもどうにもなりません。人を頼ることはいけないと思うけれど、誰かに助け出してもらいたい。そんな気持ちです。

 いろいろな部分で親に頼ってきた自分が悪いのでしょうね。しかし、子供のころからの環境は重要と思います。自分が何かをしようとしたとき、例えばそれが特定の場所に行きたいなど、自分で無理なことがあると思います。誰かの支援が必要な場合だって多いことでしょう。それを誰に依頼するのか、家族だったり支援者だったりするんでしょうね。昔は親にも依頼をしたこともありました。しかし、目が悪い私がやっかいもののような言い方をされ、そんなことがあったらいくら家族だって迷惑をかけてるんだと感じるし、言った本人には実際にそれほどの意味を持たない言葉だったとしても、人に世話にならないといけない盲人にとって、それは辛いことだと思います。逃げているだけかもしれないけれど、育った環境に依存する部分は大きいと思います。自分の家に障害者がいることを知らせないようにしたかったんでしょう、外出は最小限、客の訪問があればドアが閉ざされ、子供のころに外で遊ぶようなことは学校以外ではさせてももらえなかった。他の盲人が羨ましくもありました。でもそれを言えば、また面倒くさそうにいろいろ言われ、どうにもならない現実に耐えてきました。今でもそれはあります、最低限のことしか依頼しませんし、辛くてもそれは自分が悪いんだとずっと思ってやってきました。いろいろなことを諦め、最小限の外出しかせず、どうにもならない現実に耐えてきました。何を言われても我慢してきました。でも今回のことはどうにも納得ができません。子供にそんなことが言える親は恐ろしいとも思っていますし、恨んでもいます。どうしてそんなことが言えるのか納得できません。障害者じゃなかったら…ってどうにもならないことも考えます。自分で選択して家を出られるってことが可能なら、すぐにでも出たいものです。年齢的には自分の考えで出られるわけですが、そう言うことはどうやって実現したらいいのでしょうか。

 歩くのにも感覚が変わりました。私の不注意でしかないのでしょうが、ホームから転落しそうになったり、音が今までよりも大きく聞こえるような気がして怖いのも事実です。歩行訓練をしてもらったのに光がなくなるぐらいで歩けなくなるのはおかしいと言われれば、自分に能力がないからと認めるしかないのでしょうか。歩行訓練と言っても家族は何をするでもなく、ただ人に任せて終わりなんですけどね。それでやってあげた気になって、もう8年も9年もなるのにずっと言われ続ける。1時間や1時間半で10回やっただけのものを。歩く場所も変わるし、同じところでも状況は変わる、そんなことは理解もしてもらえない。ホームから転落したと言えば、「なぜぶちおちるのか」と言われ、そんなもの分かって落ちるばかはいないと思います。そんなことにどうしてかと聞かれても、自分の能力がないからと認めるしかないのです。歩行訓練さえすれば必ず安全に歩けると信じているんですね、盲人を知らないってことはそう言うことになるんでしょうか。分からなければ人に依頼して行くと言えば、人様に迷惑をかけるぐらいなら行かなくてもいい、だそうな。人に依頼しながら電車で行けるところまで行き、以前は歩けていたもの、歩くのは不安だったからタクシーを使ったと言えば、もう行かなくてもいいと怒ったように言われます。

 どうにも耐えられない場所でも、行くところがなければ、ここに帰るしかないのですね。どうしたら何をどう変えられるのでしょう。ここから出られたら、どんな辛い環境でも耐えられるはずです。できるかできないかはやってみないと分からないにしても、自分でやる、自分でやらなければならない環境にはなるのだから、それで生きるも死ぬも自分が動くかどうか。大阪にいた2年間、家から開放された2年間、それはそれは幸せでした。盲学校の寄宿舎は好きではなかったが、今になって考えれば、自分で外出する自由もあったし、時間の制約は大きかったけれど、それでも今よりは充実したプライベートだった。もっと自由が欲しい、自由を手に入れるにはどうしたらいいのでしょうか。行動範囲が狭くてもいい、朝に起きて好きな時間に自分で行ける場所に行く自由が欲しい。人の世話になる障害者として、わがままを言ったりいろいろなものを求めようとすることは間違っているのでしょうか。まだ学生のころには今よりは自由がききましたし、依頼をすれば歩いてくれる人もおりましたから、興味もあって、盲人に貸してくれる家があるものなのか探したことがありました。多少でも目が見えれば考えると言うばかりで、火事を出されては困るだの、良い答えが返ってきたことはなかったでした。他の人の話しも聞きますが、家を探すことはかなり難しいようですね。条件なんてわがままなことは言えないですが、今の仕事を失わなければどうなってもいい覚悟はしています。

 会社のマッサージ室の利用者は、この現状なんて知らないから、家族のこと、家のことを興味を持って聞きます。そんなことが気になる年齢の女性は多いですからね。自分と同じぐらいの子供がいて、なんて人はいくらでもいますから。今は聞かれたくないと思ったって、もちろんそんな態度はできませんので、平和に生活していることになっています。昨日もそうしました。それで利用者が納得して安心すれば今はいいと思います。うそをつくのは悪いことですよね。自分の眼疾について聞かれたとき、光も見えなくなったとはまだ言えない。右は光が分かると言う自分がいます。そう信じたい気持ちはまだあります。仕事中に電気がついているかどうか、自分はちゃんとつけただろうか、1人でいるときにスイッチを確認する、そんな自分が辛いです。ときにはつけたり消したりもしてみます。ばかばかしいことですね。

 食べることについて、家で出されるものを食べるのは週末だけです。休日である土曜日と日曜日に2食ずつです。平日にだって家で食べられる選択はあります。でもあえて自分でそれはしません。家では食べてきたと言うし、現実に食べられています。やっぱり人に迷惑はかけてしまうけど、昼は従業員の食堂で食べ、食べ物を売る店はいくらでもある恵まれた環境、夜に残り物をいただいたり、それなりに知っている人もできてきたから、買いたい物を頼んで持ってきてもらうことだってできます。食について困るのは、休みにどうするかと言うことだけであって、自分の中ではあまり重要だとは思っていません。この瞬間から自分で生活すると言うことになっても、食べられなくて死ぬようなことはまずない環境ではあります。もちろん何かの方法で外出する道筋があればですが。外食したっていいと思うし、コンビニで買ったっていいと思うし、家で出てくる食べ物だってそんなものです。でも生きてます。最悪、職場に食べに行く選択だって、自分で外出する道筋ができれば可能です。

 親がどう考えているのかなんて自分には分かりません。自立することを考えろと口先ではいいますが、今まで歩けるところ、不安になってタクシーを使ったと言えば否定され、自分でできたことを否定し、それでも親が死んだらどうするんだと言います。自分でできるようにしたことを否定するくせに、どうにも矛盾を感じます。でも現実は矛盾を感じながら、それでも生きるしかないのです。そう言うことを言う人間でも頼って生きるしかないのです。下手をしたら、今の仕事にだって行けなくなる可能性だってあるから、最低限のことしか言わずに黙っているのです。これを失えば何もなくなってしまうから。自分の言うことには否定されるか、厄介物扱いされて対応されるだけです。外向きにはいい顔はしますしね。小さい町です。行政はそれこそ親と顔見知りです。母親の友達だっていると言います。公的サービスなんて自分の選択では利用できる環境に今はありません。

 お金について、現在、自分のお金でありながら自分のものではないようなものです。自分で出しに行けないので依頼しますが、監視されているみたいなもので、それだってやってくれればいいけれど、今日は忙しい、明日は忙しい、どうしてそんな金が必要なんだと言われ続け、厄介物みたいな言い方は必ずされます。

 今までどうにもしてこなかった自分が悪いんですよね。親を信じるからこう言うことになったわけですね。就職のとき、信用金庫カードを作りました。金が必要なら出してくると言う約束で。しかし、その約束は最初のしばらくだけのものとなり、お金を何にどうやって使うのか聞かれるようになり、どうにもならなくなってきています。自分が稼いだ金だから、もう少し自由にはなるものだと思ってきました。もう少し監視は緩くなるものだと思った自分が甘かった。1ヶ月半か2ヶ月で3万円、それでも、家と仕事の往復しかしない人間にどうしてそれだけ必要なのか問われる。いちいち言わないけれど、時々は買い物だってしたりするし。

 無理なことを考えます。最低限の荷物を持って、ここを出て、しばらく匿ってくれるような環境でもあればなんて、ありえないことを考えます。両親には恨みも怒りも感じているから、これっきりになってもいいと言う覚悟ぐらいはしています。人はいい親だと言います。何も知らないからです。そして自分でも今までには言えないことがいろいろあったからです。経済的に困ることはなかったし、最低限のものは与えられていたから、それは良かったと言えるのでしょうか。私は自分が16年半もの間、寮生活をしてきたこと(させられてきたこと)を人に言うことができずにいました。小学1年のとき、最初は送り迎えしてもらっていました。弟ができ、2ヶ月か3ヶ月、学校を休むように言われました。すでに1ヶ月半、夏休みを含めて、3ヶ月連続の休みをしていただけに、それは耐えられないと思った。自分も寄宿舎に入れば学校は休まなくていいと小さいなりに考えました。親は休めばいいと言ったが、どうしても学校に行きたいから寄宿舎に入れてくれと泣いて頼みました。それが始まりでした。自分が学校と言うところにいる条件と言うか、当然のように寄宿舎に入ることが良しとされてきました。こんな生活は辛いと言ったことがありました。中学ぐらいだから、そんなことぐらいはあるでしょう。だったら学校に文句を言ってくると怒りました。こいつらは、現状をどうするでもなく、あるものに文句を言うことしかしてくれないんだと思いました。家には自分の部屋が用意されてはいたが、自分の落ち付ける場所でもないし、自分の場所なんて見つけられなかった、今でもそうです。家にいるほとんどはこの部屋にいます。そこしかいる場所もないのです。(後述の理由もあり)QOL(生活の質)と言えるかどうか分かりませんが、悲しいことですが、自宅よりも他の場所で生活してきた時間のほうが充実していたなんて、今までは誰にも言えずにきました。だからここを離れることについての不安とかはそれほどありません。出られればのことですが。むしろ今よりもQOLは確保されるだろうと思います。家族との会話はほとんど何もありません。しゃべれと時々は要求されます。ばかばかしいことだと思います。いろいろな意味で自分が除外されていることが分かるから、それをどうにかしようと思わない自分に問題はあるかもしれないが。家族に理解してもらおうとかあまり思わないから、その結果なんでしょうね。

 自分の知らないうちに犬を飼ったことが分かりました。同じ家にいて、集合住宅だから家の中で飼うことになるわけで、何か言って飼うのが当然だと思います。それすら何も言わないで、いきなりのことでした。自分はそれぐらいの存在でしかないんだと感じ、朝は4時や5時から、夜は遅くまで、うるさい犬のいるところで生活しないといけないことになりました。犬の存在が苦痛なのだから、余計に辛いですね。週末は苦痛です。彼らには外出する自由があって、やれパチンコだ何だと家を空けます。1人になったうるさい家で、いらいらするだけの毎日でしかないのです。もちろん自分はそんな犬に触るようなことはするつもりもありません。そのストレスも限界にきたころ、今回のことになりました。

 人権って何か、秘密って何だろうか、よく考えます。郵便物は全部自分が見る前に空けられていて、電話してるのを見つかれば誰だか聞かれ調べられ、それこそ外出だって目的までもはっきりさせられ、財布の中だって、直接は見なくても全体的な金の流れは分かられ、それは障害者だからですか。自分が何かをしようとすれば、その流れは全部把握されているような気がして、それこそ電話も自由にはなりません。

 高校生の弟が、早く車の免許を取りたいと親に言い、家には障害者がおるから送り迎えをしないといかんから、それで学校に頼むと言う。でも実際問題、それが現実になったとしても、それは事を進める理由であって、自分の送り迎えなんかするわけもなく、「利用されている」だけであることがどうにも辛い。障害者はこうして生きて行くものですか。どうしても世話にならないといけないんだから、利用されても文句を言わずにいることを良しとするものですか。こう言うやつらには思い知らせてやりたいもんだと思いますが、それすらどうにもできない自分。何についてだったかは忘れました。ただ、どうしてそんな悪用みたいなことをするのかと言ったことがありました。彼らに言わせれば、そんなものは人には分からないんだからいいんだそうで、納得はできなかったけれど上手にあしらわれたことがありました。結果的に何をするんでも、やるのはあんたじゃなくて、私なんだからとか言われた気がします。今も何が変わったわけじゃないけれど、障害者への差別とか持っている気がします。人は人、自分は自分と2歳や3歳で教えられ、あんたは目が悪いんだから、死ぬまで人の世話にならないと生きられないんだ、人とは違うんだよと、小学生になる前までには教えられました。盲学校の幼稚部には1年間おりました。その前には一般の幼稚園に1ヶ月だけいたこともありましたが、ここではお世話はできないからと辞めさせられました。そこでは子供にも差別されたし、虐めもありました。自分はどうも人とは違うようだと言う現実、ここで知ってしまった気がします。小学生になって、学校の先生に聞いたことがありました。「盲人は死ぬまで人の手を借りて生きるしかないと教えられたが、どうして自分は盲人なんだ」って。びっくりしていたようでしたが、何も答えは出してくれなかったのでよく覚えています。

 よく夢を見て起きます。

 平和なところにいました。誰かが私に言いました。「ご両親が来てるから、あなたは5時になったら荷物を持ってここを出るんですよ」って。そして引きずり出されそうになって起きました。

 仕事をしていました。でもいつもと何かが違います。誰か、たくさんの人間がいつまでも、ずっと見ている気配がしました。その中で仕事をしていました。用事で隣りの部屋に行きました。いつも現実にいるバイトの人がいて、なぜだか分からないけれど自宅にいる犬もいて、よく分からなくなって起きました。

 寝ていました。父親が呼んで起こします。明るくなったら起きろと怒鳴ります。それでびっくりして起きました。

 いつも汗をかき、すごい息苦しくて起きます。

 長いお付き合いのある人から電話がありました。思いきって聞いてみました。盲人の世話をするのに、いつも面倒くさそうな言い方をして、やりたくなさそうな対応をされたことがあるものか。食事をするのに何がどうなっているものか、ご家族が教えてくれたりするものなのかどうか。いろいろなことで自分との違いを感じて、聞かなければ良かったと思いました。結果的には辛くなっただけでした。

 失明して少ししたころ、ある人に聞きました。「君は光を失ったら、今と同じように行動ができますか」って。彼は何も問題はないと答えました。そんなことにもショックを受けている自分がいました。自分はだめな盲人なんだと思って辛くなりました。

 盲人に関連することが書いてあるだろうと思われる本を読み漁りました。有名な人の生き方、失明者のいろいろな記録が書かれてありました。そんなものがいくつかありました。でも、そんなのを読むことは、逆に辛くなるだけだと言うことに気がつきました。本を書くような人は、自分の現実を受け入れ、そして生きている人ばかりなんです。本は絶望しては終わらないんです。失明しました。それでもこんなことがあって、こんなことがあって、そしてこうなりました。ハッピーエンド、もしくはそれに近いものがあります。自分とは違うんだ、自分にはそんなことはできない、こう言うすごい人もいるもんだ、ただただ納得するだけで、自分が失明を受け入れるきっかけにはならない気がしてきました。もちろん彼らにだっていろいろなことはあっただろうとは思います。本の中には協力してくれるご家族の姿も多く出てきて、自分とは違うところに生きている人だ、そんな考えにしかなりませんでした。統合教育の本も読みました。ご両親が子供のことを考え、いろいろなことをしている姿がありました。こんな家族もあるんだと思い、どうして自分とは違うのだろうと、考えてもどうしようもないことばかりを考えてきました。

 1日に30のことをお願いしなければいけないとしたら、それは29にも28にもしたいし、限りなく0にしたいと思って生きてきました。それは他人であっても家族であっても同じことだと思うし、まして、やってあげている、と言う態度ならこちらとしても辛いから、黙っていることを良しとしてきました。そう言うことは分かってももらえないから、殻に閉じこもっているなどと言います。この現状をどうやって解決したらいいのでしょうか。精神的にも肉体的にも近いうちに限界がきそうです。

 この現状は家族への最大の秘密です。そして、何かの解決策を見つけて、自分がどうするのかを決めて、完全に準備ができるまでは、家族の誰に知られてもいけないし、知られることでまた可能性を潰されないように動かないといけないと思っています。ここを出ると言ったところで、それじゃあと言って協力する人たちではないことは、自分がよく知っています。何かしなければいけないことも分かります。今の自分に足りないこと、満たされないことは?好きに外出する自由、多少の制限はあっても、今よりは自由に、自分の考えを持って外出すること。それが実行できたら、それこそ家探しだってできるでしょう。

 障害者のグループホームがあることを知りました。最大で3年間の滞在ができるそうで、現在は満室、退去予定はないそうです。そんな選択もありかなと考えたりはしました。その一方で、今までに自分が歩けた場所、少しは知っている場所に住むことで、1人になっても多少は困らない、もちろん支援とかは必要にはなるだろうけれど、前とは感覚も変わってしまったんだし、少しでも自分の行動できそうな場所、例えば今から行ったとしても、少しは可能性のありそうな場所に住むのは、自分にとっては必要かもしれないと思います。1軒の喫茶店、1軒の飲食店、そんなところに、思いついたら自分だけで行ける可能性を持ったところ、大切かもしれないと思います。どちらかと言えば後者を選択することがいいのではと考えます。

 何についてもそうですが、いろいろ考えたりすることはできます。例えば家探しをしましょうと思って、調べることぐらいなら、ネットでも情報はいろいろあるし、前よりはずっと便利にできるようになりました。しかし、何も変わっていないことは、自分が行動すること、行動する自由。むしろ行動範囲は狭くなりつつある。平日の朝の9時40分に家を出て駅へ、それから午後7時39分の電車で駅に戻るまでの時間、自分の自由はそこにしかなくなってしまいました。自由と言っても、行き先は決まっているわけで、完全に自由であるわけではないが。電車に乗ると毎日思います。このまま家に帰らず、家や家族から開放されてみたいと。

 全てのことがここで行き詰まり、先へ進むことができないでいます。先へ進めない現状でも、またいろいろ考える、ある意味での無限ループに入っている感じ、これは自分だけで解決するには限界かも?なんて思って、何もかもがどうでもいいような気がする瞬間もあります。何かしたい、でも何もできない自分、生きていることの意味とか考えます。考えても実際は納得もしないし、分からないままに時間が過ぎるだけなんだけれど。

 失明と国家試験、そして就職は、ほとんど同時にやってきました。やらなければならないこと、それがあったから、どうにかなった気がします。新規の仕事だし、視覚障害者の雇用も初めてだし、そんな意味でのプレッシャーもあったし、自分の評価で先が決まると言う意識もあった。そんなストレスも貯めながら、失明した事実をまだ受け入れられない自分がいて、その中でも、やっと余裕が持てるようになって、自分のこれからのこと、このままではいけないんじゃないか、そんなことを考えられるようにもなりました。

 一人暮らしをしていた人に話しも聞きました。今の自分にひっかかることは、やはり、外出することの制限にあるだろうことが分かりました。この外出をどうにかできなければ、何がどうなるわけでもないのかも?正直なところ、何をどうしたらいいのか分からなくもなってるし、無力な自分が見えるだけで…

 今回のことは、自分の中で処理するものか、誰かに助けを求めるものなのか、かなり考えました。こんなことで困ってると、何人かに話しました。それは大変だね、何もしてあげられないけど。いい人が見つかるのを待ちなさい。家族関係を修復しなさい。

 そんな答えを返され、正直なところ、かなり悩みました。やっぱり人に言うべきことではなかったんじゃないかと。どうなるかは分からないけれど、ゆっくり前に進んでいる気がします。少しは希望も見えてきた気がします。反対されても出られる準備ができるまでは、家のものには秘密にして行動はしなければなりませんが、反対されて出たとしても、自分の中に後悔は残らないと思います。

 うるさい犬は私のストレスを増強させます。集合住宅だから室内で飼うから、毎日が疲れます。ここ2ヶ月、健康的な生活をすっかり失いました。ゆっくり寝てみたいものだと思います。ご飯だって、今は週末しか家では食べませんが、落ち付いて食べることもできません。こんなこともここを出たい理由の中にはあります。犬は10年や15年も生きるでしょう。こんな生活がずっと続いたら、それこそ、自分が先に死んでしまうんじゃないかと本気で思います。それにしても、自分に何も言わずに飼うなんて、今までだってそんなことぐらいはいろいろされてるけど、何かがおかしいと思います。

 火曜日(6月29日)に有休を取りました。家探しに行き、保証人の必要のないところ、ちゃんとした職業を持っていることが条件、視覚障害であることも問題のないと言う審査も受け、ここなら自分でも歩いてできるところを見ました。信用金庫のカードを持って行きました。そして郵便局でお金を出すはずでした。しかし、給料が入るごとに、別のところに移されるようになっており、ほとんど入っていない現金。自分はどうしてこのカードを持たされているのか、そして何のために働いているのか、別なところに移す意味は?いろいろ考えて郵便局でショックを受け、カードを持ちながら、自分の働いた金の1円だって自由にはなっていないことを知りました。今までカードを渡して現金を出すのを依頼する、その必要だってなかったんです。自分の給料はもう手の届かないところに自動的に移動しているのだから。つまり、このカードを渡すことがなくても、お金の出し入れはできると言うことであり、このカードは必要のないカード、会社からここに入ると同時に、他のある場所にお金を移動させる中間地点でしかなかったのです。

 家のものには反対されることは分かっていたけれども、話しをしました。

 1.ここからは出してはもらえないこと。

 2.家の周りが歩けなくて、他で歩けるのはおかしい、家の周りで歩けないもの、他で歩けるわけがない。不便なところに住んでいる盲人はいる、わざわざ便利なところに行こうとするのは甘い。

 3.自炊できなければ自立ではない。外食や買って食べるのは幼稚園や小学生でもできるから、そんなものではだめだ。同様にタクシーなど使うことも誰でもできるし、タクシーは自分が苦労しなくても目的地に行けるのだからだめである。自炊もしない子供を外に出すのは親の恥じ?

4.送り迎えを苦痛だと思うことはおかしい。送り迎えぐらい盲人じゃなくても必要である。

 5.こんな状態で出すのは、金を棄てるようなものだ。棄てるのは私の金なのに。

 分かってもらえないこと

1.自分には歩ける場所、歩けない場所がある。今は歩けない場所を歩けるようにすることよりも、歩ける場所を大切にして、それで慣れることで可能性を広げたい。今でも歩ける可能性のあるところに行くことは自分にとって幸せである。前よりも時間がかかったって、歩ける可能性は家にいるよりもあるんだから、外に自由に出られる可能性は広がる。もちろん家族の心配は分かる。行動範囲が狭くたって、自分で仕事に行く責任を持つことは重要だと思う。送り迎えをしてもらえば、それなりに考えるところはあって、だから外に出ずにいたのに、これでは家から出ても何処へも行けないと思われている。自分で行けるために出ようとしているのに。

 2. 1人になって分かることもある。できること、できないこと。それをどうやって解決するかも考えないといけないところだし、それもまた良い経験になると思う。

 3.自分は外食したって買って食べたっていいと思う。そう言う場所は提供されているのだし、必要だからあるんです。それを使えばいいことだし、慣れてきたら自分で作ることを考える、考えないかもしれないけど、それは悪いことでもおかしいことでもないと私は思う。生きるための食べる手段がいろいろあってもいいだろうし。何百万人の単身者が日本にいるかは知らないが、誰もが自炊しているとも思えないし、それが悪いこと、親の恥じだなんて聞いたこともない。できないよりできたほうが良いが、それが自立を阻害する要因としては納得ができない。何かを買ったり外食したり、そりゃあ幼稚園や小学生でも一般的にはできるでしょう。じゃあそれが全盲者だとしたら?食べ物のお店があるらしい、でも何が食べられるのかは自分では分からない。じゃあどうするかと言えば人に聞く必要があるでしょう。コンビニに行っても自分で目的のものを探して買えるか?かなりの部分で人的サポートが必要になると思います。それでも何かが買えました、これは自立じゃないですか?

 今回は、書類などの協力者を探して動きましたが(視覚障害者)、○○さんはまだ見えるから、そんな生まれつきの見えない人のことなんか分かるはずがないから、だからいろいろ知らないから協力してくれてるんだ、本来なら反対するべきだと何回も言いました。協力していただいた人に申し訳なくて、自分はどうしたらいいのでしょうか。あんたは○○さんを信用して、私たちのことは信用もしず、親以外のものを信用して、それはおかしいと言います。人を頼らずに親を頼れと。

 皆さんには大変なご迷惑をおかけして、1日でしたことは全部水の泡となってしまうのでしょうか。言えるだけのことは言いました。

 送り迎えなんてどうでもないことだと言われたって、それを受ける人間にとっては辛いことです。どうにかしたいと思うのは当然だと思います。

 正直なところ、自由になるお金はない。自分の給料はどうなってるかと聞いたところ、ちゃんとやってあるとしか教えてはもらえない。法律上は、私がOKを出さないとできないことのはずなのに。自由になるお金がすぐに用意できないため、せっかくの家はキャンセルしました。お金の問題などをまず解決するのが先だろうし、親は不動産屋に電話して、子供が自分で決めたことだから、私は知らないなどといろいろ言ったそうです。自分が使えそうにと探した最低限の電化製品(冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、洗濯機、CDラジカセ、電話)もキャンセルしました。これで、昨日の有休の意味は半分ぐらいになりました。

分かったこと

1.自分が持たされているキャッシュカードは何も意味を持たないこと。郵便局では恥ずかしい経験をしましたが、それがあって分かった最大の問題。

 2.本気で家を借りたいと思ったら、どうにかなる可能性はあること。こんなに良いことはそれほどないかもしれないけれど、視覚障害については何も言われず、案内していただいて、詳しく説明もしていただいて、自分にも可能性があるだろうことが分かりました。


2.2度目の家出を前にして書いたもの

☆2度目の家出実行の前、自分は確実にこの家には戻らない覚悟をしましたので、それまでには現状を伝えていなかった人にも状況を伝えることにしました。それにあたり、書いたものです。


 去年の4月に就職をしましたが、その前に新しい預金口座を作りました。給与降り込みのために。それで、お金が必要なら下ろしてきてくれる約束をしました。でもよく考えると、自分の給料でありながら、1円の現金が欲しいと思っても、人(親)に依頼しなければならない、自分の財布を直接は見ないにしても、分かられていると言う事実はずっと気にはなっていました。そして、自分でどうにか下ろす方法がないかと考えました。信用金庫の口座だったため、手数料はかかるものの、郵便局で下ろすことができることを調べました。そして実際に行ってみました。予定では下ろせるはずでした。しかし、預金口座には、4千円しか入っていないのです。通帳記入をして確認してみると、会社からの給料はちゃんと入っていますが、入るとすぐに下ろされています。家に帰って聞くものの、ちゃんとやってあると言うばかりで、どうなっているのかを教えてもくれません。人の金ではない、自分が働いたお金です。それを家族であっても、自分の知らないところで操作していること、それはどうしても許すことができません。自分でお金を下ろそうと行動したから、1年3ヶ月でこの事実が分かりましたが、もしこう言うことをしなかったら、今でも知らずにいたことになります。そんなことはどうにも許せません。ずっと知らずにいたと思うと恐ろしい。まだ早く分かって良かったと思います。

 お金をどうしても下ろそうと思った理由も説明しないといけません。自分はもう25です。仕事もあります。それほど多くはないにしても、給料ももらっています。自分に足りないものを考えました。家から外出をしようと思っても、駅までが遠くて、道も危ないから、自分で歩いて行くことができない、人に送り迎えをしてもらわなければ外出もできないのです。つまりは、自分のプライベートは全部人に握られる、自分で決めて自分で行動する外出は難しいのです。外出ができないと言うことは、買い物だって自由にはできない(実際は店に行けても、そこから先は支援を必要とはしますが)、人がいなければ仕事にだって行けないのです。仕事ぐらいは自分の責任で行き帰りができるようになりたい。もっと自分の足を確保する方法を考えました。もっと便利なところに自分で住めばいいと言うことを決断しました。そして、有休を使って家を探しに行き、ここなら自分でもやれる場所を探し、保証人の必要のないところだったので、お金を払えば契約ができる状況になりました。まだ家では話してはいませんでした。後述する理由により、反対されることが確実に分かっているからです。そこで、お金があるものだと信じて、郵便局に行ったのです。何もないなんて、自分は何のために働いてきたのか、かなりショックなことでした。給与降り込みをする口座として作ったものだから、そこにお金が入っているものだと、当然のように信じていましたから。親だから信じていたのに、いくら、ちゃんとやってあるからと言われても、どうにも信用ができません。

 自分は、今でもこの家を出るのが良いことだと思っています。だから、少しずつ準備を進めています。反対されても出ます。それが自分のためだから。自分の障害は、家族には理解されていない部分があると思います。家から駅までが歩けないから、もっと便利なところに行くんだと言えば、歩く努力をすればいいと言います。日本中の目の悪い人が、そんな便利なところにばかり行けるわけじゃないと言います。自分は、行ける可能性があるのなら、行けばいいと思います。家族の誰かに場所を探してくれと言っているわけでもありません。自分で探してやっているんだから。必要なら何でも教えると言います。それも信じられません。ご飯を食べるのに、食卓に何があるかすら、ちゃんと説明してもらったことはありません。他の人に聞いてみると、手を取ってまで教えてくれると言います。そんなことはしてもらったことがありません。彼らにはそう言うことが必要であるのが理解できないようです。まあ、家で食べるものと言えば、買ってきたようなものばかりだから、しばらくすると同じようなものばかり出てくるし、説明を受けなくても食べられますが。休みになれば、誰かがパチンコに行く家、パチンコをしないのは自分だけの家、そんな状況だから、自分が食べるものも決まってきます。これだったら、自分が歩けるところに行って、同じようなものを食べる結果になったとしても、自分の好きなものを食べていたほうがどれだけ良いだろうと考えます。小さいころからそうでしたが、外食は3人で行き、自分だけが家にいるようなことはとても多かった。まあ、いろいろな意味で自分の居場所が見つけられない家でした。16年半も寮生活をし、学校に行くことは寮に入ることだと処理され、家にいる時間よりもずっとずっと長いのです。食事においても外出においても、悲しいことですが、今よりも自由になりました。行動範囲はそれほど広くなかったけれど、外出する自由を持っていました。喫茶店、コンビニ、買い物などにも自分で行きました。好きなものも食べに行きました。そう言う生活を知っているだけに、家からは車でないと何処にも行けない、そんな生活が辛いのです。親は、これだけやってあげているのにと言います。送り迎えも好きなようにしてやると言います。でも、自分が欲しいものは、そんなことではないのです。毎日毎日、駅まで送り迎えをしてもらって会社に行く生活、いくら自分の思うようにやってもらっても、苦痛と言うか、どうにかできないものかと考えます。それは、送り迎えするほうも大変だと思うし、自分にももっと自由があって良いと思うからです。いくら好きなように送り迎えしてくれると言っても、時間を気にしないでの外出はできません。夜も遅くなってはいけないと思うし、やっぱり時間は気になります。自分でどうにかしなかったら、ずっとこのままだと思います。30になっても35になっても、このままかも分かりません。ここにいて、いろいろなことが自分ではできない現実を見ていると、それこそ、自分の将来のことも考えられません。今の会社にはどれだけいられるかは分かりませんが、その先にどうするのか?それこそ、結婚って言うことだってあるかも分かりません。今の自分の中では、そんなものは見えてはきません。何かをするのに自由にならないことが多すぎます。朝に起きて、今日は外に行こうかと思って、自分で出られるような生活をしてみたいとも思います。好きな時間に出て、好きな時間に誰の手を借りないでも帰れたら、どんなに良いことでしょう。それは自宅から実現できれば、ベストなことでしょう。しかし、必ずしもそうなるとは限りません。自分がもっと便利なところに行っても、それはそれで良いと思います。そんなことが理解されません。あんたが死ぬまで面倒を見る、あんたよりも長生きをする、できないことばかりを言います。そうすることは良いことでしょうか?自分の人生、親に全部背負われて生きなければならないでしょうか。それは障害者だから?親は間違いなく先に死ぬでしょう。親が死んでから困るのは誰ですか。死ぬまで面倒を見ると言われた子供です。自分はそんな人生では困ります。そんなことで自分を終わらせたくはありません。親にばかりくっついて生きたくはないです。だから、どうにかして、近いうちにここを出ます。ここを出ることは反対されていることですが、そうでもしないと、自分は幸せにはなれません。自分も親も、お互いに乗り越えなければならない壁だと思います。自分の言うことなどは聞いてもくれず、親の意見を一方的に言うばかりですから、話し合いにもなりません。母の弟などにも入ってもらうものの、あんたたちはこう言う子供はいないから分からないと、聞こうともしません。それで分かりました。自分は他の子供とは違う、ある意味で差別されて育てられたと言うことを。それが分かってしまったのだから、ここにいることは辛い以外の何でもなくなりました。

 家を探したり、生活をするのに、それなりの支援者は探してあります。ここを出ても死ぬことのないような土地、自分で買い物や食事ができる場所、そんなところも探してあります。近いうちに出られるように準備を進めています。家に帰るのはこれで最後になっても良いとまで思うほどです。しかし、一つの問題があります。自分の財産、今までの1年3ヶ月分の給料、そして障害基礎年金を自分の手に取り戻すことです。年金が無理にしても、給料は自分の知らないところで操作されているわけだから、それを取り返すことはできるだろうと思います。横領罪になるでしょうか。本当は、あなたのしていることはおかしいぞ、と言ってくれる人がいれば良いと思います。まあ、聞かないだろうとは思いますが。どうにかならないものかと思います。もしお金が自分の手に戻ったとしても、この家に留まるつもりはありませんけど。お金を取り戻すような、何か良い方法があるでしょうか、これで困っています。

 信用金庫に電話をして確認しました。キャッシュカードか通帳がないとしたら、お金を下ろすことはできるのかどうか。当然無理だとのことでした。給料日になると、必ず下ろされています。いつも自分が仕事中の時間でした。考えられる可能性としては、自分がいない間にキャッシュカードを持ち出して下ろしたのだろうか?そう言うことしかないだろうね。今までは明細をちゃんと見せていたから、(それは同じ家に生活しているから当然だと思っていた)口座に入ったお金の状況は分かりますから、ある意味では何でもできます。家族にお金を下ろすことを依頼していた自分に問題があるかもしれないけど、そんなことは親子だからって許されますか?


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