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雑記(2006)

第6章 雑記


1.自分の中での生活スタイル

 ここに住むようになって2ヶ月もすると、自分の中での生活スタイルができてきました。疲れている費は別として、平日の朝は6時には起きて、お風呂に入り、洗濯をする日は洗濯をします。お風呂から残り湯を洗濯機へ、これがけっこう良い運動になります。洗濯機を回してからお風呂掃除。そして喫茶店に行きます。ゴミがあれば出しにも行きます。家の前が自転車置き場になっているので、人の流れも多く、なるべく早い時間に出してしまうのが楽です。朝に適当な距離を歩いて喫茶店へ、モーニングで朝ご飯も食べられる、とても良いと私は思っています。雨の日は近くのコンビニでパンを買って終わり、なんてこともありますが。家に戻ったら洗濯が終わっていて、それを干し、出勤までにはまだ時間があるので、テレビでニュースをチェックするとか、メールチェックするとかして過ごします。必要があれば、この時間を利用して郵便局や銀行、区役所に行ったりもします(出勤時間が遅いのでかなり助かってます)。

 夜は外食する日もあれば、何かを買って帰るとか、家で冷凍食品などを食べる日もあり、デリバリーのお弁当にする場合もあります。昼は従業員食堂で食べられるので、できるだけ野菜を食べるとかしながら、昼に中心を置いた食事をするようにしています。ここに住む前は買ってきたような冷たい食事がほとんどだったので、ここに来て食事の質が極端に落ちるようなことはなく、逆に今のほうが良いのかも知れません。そう感じる理由としては、恥ずかしい話し、快眠快便な生活ができるようになったんです。そうそう、野菜不足になりがちな食生活ですから、野菜ジュースなどは毎日飲むようにしています。ヨーグルトもよく食べます。

 土曜日の朝はしっかり掃除です。なかなか自分だけでは上手にできないこともありますが、できるだけのことを自分でしておいて、その先の部分はヘルパーさんに見てもらって処理をします。ゴミの分別ははっきり言って大変なので、自分では判断できないようなものは、忘れないようにヘルパーさんにチェックしてもらいます。1週間分の郵便物もここで処理します。実際、いらないような広告の多いこと。必要な郵便物なんてそれほどはなくて、ほとんどはゴミになるようなものばかりです。デリバリーの食べ物には興味はありますが、自分だけになったらその広告は読めなくて、結果的には使い物にならないことも多いです。それから1週間分の買い物に行きます。なかなか料理も自分ではできないので、どうしても冷凍食品であるとか、簡単に食べられるものであるとか、そのようなのが中心になりますが。そんなことをしていると土曜日ももうお昼。それから月曜日の朝までは、好きなようにやっています。日曜日なんて昼まで寝ていたり、公園に散歩に行ったり、大好きな中華料理を食べに行くこともあります。

 生活の中では思いもしないアクシデントはあったりしますが、どうにかなるものだと思います。そして1週間に1回はヘルパーさんが来てくれることは、とても安心なことでもあります。何か困ったことがあったとしても、土曜日までどうにかすればいいわけです。誰も来ないとなると、生活に困ったりもするだろうし、全部を自分だけですることは不可能だと思います。私が甘いだけかな?


2.携帯電話とインターネットは必需品

 家を出てまずすることとして考えていたことは、自分名義の携帯電話を持つことと、できるだけ早くインターネットを使えるようにすることでした。

 親名義の携帯を使い続けることは、まず無理だと判断し、向こうから切られる可能性も十分にあり(10月現在はまだ使えてますが)、どちらにしても親の知らない番号の電話を持つ必要がありました。そうじゃないと安心して電話も使えないし、電話番号を教える必要のあるところにも教えられません。これは7月31日に行いました。まずDoCoMoに電話をして、自分は視覚障害者であること、契約をするとしたら単独で行くことになることを伝え、それでも対応してもらえるかどうかを確認しました。そして我が家に近いお店の場所を聞き、その近くまでは自分で行けると思いましたが、入り口を見つけることは難しいだろうと思い、それも伝えました。近くまで来て電話をしてくれたらお迎えに行きますとのお答え、その対応には感謝でした。1時間ほどで手続きは終了、無事に自分名義の携帯を持つことができました。どうしてもしなければならない手続きの関係(不動産屋、電気、ガス、銀行など)で、以前の携帯番号になっていたものがありましたが、それらは順番に処理を進めました。電話番号が変更になったことを相手先に電話して伝えることで、ほとんどのものは完了できました。銀行だけは自分で行って、銀行員に書類を代筆してもらいました。

 インターネットの接続環境を準備するにあたり、選択子はいろいろあります。携帯をパソコンに接続する方法、一般加入電話を使う方法(ダイヤルアップやADSLなど)、ケーブルテレビや光ファイバーなどもあります。家を出る前には、一般加入電話でのネット接続の可能性が高いと考え、電話加入権の購入をしなければならないかとか、どうすれば安くなるだろうとか、自分なりには調べてはいました。しかし、嬉しいことに我が家はケーブルテレビですので、電話を引くことなく、ケーブルインターネットで問題解決となりました。フリーダイヤルが使えないとか、少しの不便はあるものの、IP電話も利用でき、IP電話が利用できない場合は携帯を使うなど、加入電話を引かなくてもほとんどのことは可能であるように感じています。携帯電話ではかからないフリーダイヤルがあること、問題はこれぐらいだろうと思います。行政書類は携帯電話でも問題なく通ります。最悪、電話を持っていなくても処理はできるみたいです。勤務先って言うのも選択としてはありです。携帯を契約するまでは、いくつかは勤務先の電話番号にしてました。


3.白杖はメガネと同じ?

 当然のことですが、単独での外出は増えました。私の場合はほとんどは単独での外出です。1日に1歩も外に出ないような日はほとんどありません。何かがあってからでは遅いので、すぐに予備の白杖を購入しました。古いものはないわけではありませんでしたが、持って出るほどのものでもなかったので、購入することは家を出る前から考えていたことでした。

 10月の雨の日、アクシデントはありました。用事で近くの郵便局に行く途中、自転車に巻き込まれた白杖は、かなり曲がってしまい、使い物にならないぐらいの状況に!そう言うことはあるだろうとは思っていましたが、これほど早くあるとは…近かったのでどうにか家に帰り、予備に買ってあった白杖を持って外出したのでした。本当に予備があって良かったと思うと同時に、次の予備を注文したのでした。今回は家の近くだったから良いものの、もし遠くだったら、タクシーなどを使って家に帰るようなことになるんだろうなと覚悟はしています。ちょっと痛い出費になるかも?もし予備が家になかったとしたら、どうにか家にかえっても、そこから外出することができなくなることを考えたら、ここに住むようになってすぐに予備を買っておく行動ができたことは我ながら感心します。誰でも当然していることなんでしょうけど。

 ある人にこの話しをしたところ、生活の中でないと困ると言うことから考えたら、メガネと同じだよねって言ってました。なるほど、と納得した私でありました。


4.家出して思うこと

 私は今でも同じ場所で仕事をしていますから、探すことなんて簡単です。親はすぐに探しにくるものだとばかり思っていました。しかし、4ヶ月しても5ヶ月してもそのようなことはなく、こちらとしてもどうでもいいのですが、覚悟していただけに少し気抜けした感じです。こんなものなのかな?でも友達などと話しをしていると、親なら探しにきそうなものだけど、やっぱり何かがおかしいんじゃないの?ってよく言われますが。家出してから1週間ほどは、会社からの行き帰りはかなり気にしていたものです、連れ戻されはしないかと思って(もちろん帰りませんが)。通勤経路が変わったことへの緊張なんかもしばらくはありました。もう家には帰らないと言った次の日なんかは、会社に電話があるんじゃないかとか、帰り道で待ち伏せしているだろうかなど考えていました。しかし、家の近くの駅で待っているからとメールが入っていただけでした。そう言うことも家出した週までで終わりだったようです。8月の最初のことだったと思います。母親からおじさんの家に電話があったそうです、住所が分かったから今日にでも行くからと。その連絡は仕事中だった私の携帯のメールに入り、待ち伏せでもされているかも知れないと思い、緊張しながら帰ったものです。もちろん待ち伏せされていたとしても、家に入れるつもりもないし、第3者を立ち合わせてじゃないと話しをするつもりはなかったし、今でもそれは変わっていません。それから先、親からおじさんの家に連絡が入るようなことはないそうです。おじさんは母方の祖母と一緒に住んでいますから、親のいる家からは歩いて1分もかかりません。昔は行き来もありましたが、今ではほとんどなくなりました。母親など、昔は毎日行っていたものですが。祖父が亡くなってから少しずつ何かがおかしくなり、離婚だ何だと言うようになってから、完全におかしくなってしまったのだと思います。

 今までのお金について、8月ぐらいまでは、自分のところに取り返したい気持ちがとても強かった。今はその気持ちがなくなったと言えばうそになりますが、幸せな生活環境を手に入れたからでしょうか、あえてこちらからお金を取り返すような行動をしようとは思わなくなりました。8月ぐらいまでは、どうしたら良いものだろうかとずっと考えていたものですが。家を出てから親に探されたり会ったりするようなことがあれば、このような気持ちにはならなかったかも知れません。どうにかして取り返したいと言う気持ちが強くなっていたかも。今となってはどうしようもないと思えるようにもなったし、そんなことに労力を使うんだったら、もっともっと楽しいことに使いたいものだと思っています。そうすることが最終的には自分にとっては良いことなんじゃないかな。どうしてもお金のことが前面に出てしまって、気にはしていないと言うつもりでも、何も考えないと言うわけもなく、どうにかしたい気持ちが0になったわけではありません。でも結果として、お金とい言う要因だけではなくて、自分の自立、今後の生き方を考えたとき、自分の選択は間違ってはいないと信じています。

 家出をすると言う結論を出したこと、本当に正しい選択だったのか?新居に移ってからしばらくはそんなことも考えました。間違った選択ではないと思いつつも、いろいろなことへの先々の不安があったのは事実です、生活するのにどれだけのお金がかかるのかなど。行政や銀行に行ったりなどは、全部自分だけでやりました。必要な手続きは全部したつもりでいますが、今でも忘れているものがないかと心配になることもあります。

 今でもとても気になることとしては、親はどう言う気持ちでお金を操作していたのかと言うことです。事実はいつか分かるだろうとか考えなかったのかな?

 ☆2年後、平成18年8月16日の早朝、まだ午前7時にもなっていなかったと思います。熱帯夜でなかなか眠れず、朝はゆっくり寝ていました。そんなとき、インターホンが。さすがに朝の7時前に宅急便はないだろうし、何かのセールスにしては早い。誰だ?常識的に考えたら、人の家を訪問するような時間ではないはず。でもインターホンで呼ばれているから出てみることに。父親の声?で「下に下りてきて」みたいなことだけが聞こえました。とうとうこう言うことになったかと思いました。ただ、出て行くつもりもないし、事実上は初めて訪問する家のインターホンを押しているのに、自分の名前すら言わない、それはどう考えてもおかしいでしょう。私が父親の声だろうと認識しているだけのことであって、本当は違う可能性だってあるわけです。名前も言わないような人に対応する必要はありません。そんな人に生活を乱される必要も当然ありません。だからいつものように起きてそのままお風呂に入りましたが、40分ほどはインターホンの音がしていたでしょうか。朝から迷惑以外の何でもありません。オートロックなので、下にいたはずですが、地域住民はどう見ていたでしょうか。朝だから建物に入る人は少ないでしょうが、出る人がいたかもしれません。彼らはそう言う人たちにどのように写ったのでしょうか。もちろん出ない、対応しない私が悪いとは思いませんが、不審者だとして警察を呼ばれてもおかしくはないのかもしれません。8時前には静かになりましたが、安全のため、その日はタクシーで出勤しました。


5.行政の対応から

 ほとんどの処理は自分だけで行ってもできました。区役所と社会保険事務所ぐらいで用事は終わりましたが、新居に移ってからの手続きや契約はほとんど自分だけでやりました。ほとんどは問題なく処理ができたと思っていますが、どうにもならなかったこと、改善されれば良いと感じたことから記します。

 支援費を利用するにあたり、課税証明が必要となりました。県民税、市民税または町民税などの課税状況によって、個人の負担額が変わってくるためです。これは前に住んでいた場所の役場での手続きです。自分でタクシーでも使って現地まで行く方法、郵送により処理をする方法があります。自分で行くのはリスクが高いので、できれば郵送で処理したいところ。郵送してもらうためには、所定の用紙(インターネットからダウンロードして印刷したものに記入)するか、必要な項目を書いた紙を用意しなければなりません。郵便小為替も用意しないとなりません。どちらにしても自分だけでは不可能です。今回はおじさんの援助が受けられたので処理ができましたが、もう少しどうにかならないものかと思います。役所に提出するのだから、しっかり本人確認ができたら役所で処理をしてもらえるとか…私の場合は市外からの転入なのでできないそうで、市内で移り住んだ場合などはもっと処理は簡単なんだそうですが。次からは簡単に終わるだろうと思います。

 障害者や高齢者へのサービスとして、自宅までゴミを回収に来てくれると言うのがあります。我家はゴミの回収場所はそれほど遠くないけれど、家の前が自転車置き場、路上駐車も多く、人の往来も多い場所です。何処に行く場合でもそうですが、家の前には歩道があるものの、自転車が多くて歩けたものではないので、1方通行で交通車両が少ないこともあって、車道の端を歩きます(これは平成18年夏までに改善され、歩道が確保されるようになりました。)。白杖を持って一定の場所までゴミを出すのは、大変と言えば大変です。マンションで単身生活をしていること、ゴミを出しに行くまでの道は必ずしも安全ではないことなどを環境事業所に電話で話して交渉しました。基本的にこのサービスは、家からゴミが出せなくて困る人へのものであること、家から持ち出せたゴミを回収場所まで持って行くことへの問題に対処するものではないことなどから、結果的にはサービスを受けることはできませんでした。だから、ゴミは朝の早い時間に出します。人も少ないし、早い時間に行くのが安全です。雨なんか降ったら大変だろうなと思いつつ、雨の日にはなかなかゴミを持っては出られません。ゴミの回収日などは確認しながら出していますが、もし変更があった場合に自分だけが知らずに、なんてことがあったりはしないだろうか?自分が出したゴミはちゃんと回収されているだろうか?今でもいろいろな不安があるのは事実です。細かく分別して置いてあるところから、自分が出そうとするゴミは何処に置けば良いのか、これが分からなくて困ることもあります。歩いている人に助けてもらうことも多いです。朝は自転車置き場の整理をするおじさんが来ますが、私を見つけるとごみ出しをしてくださることもあります。でもこれは根本的な解決方法ではないし、何か自分でできる確実な方法を見つけなければならないとは思っています。これは反則かも知れないけれど、全部をコンビニなどのゴミ箱にってことも考え、最初はそうしていましたが、なかなかそれだけでは対応できないことも出てきます。行政として、もう少し柔軟に対応してもらいたいものだと感じました。

 ☆平成17年7月、私への対応に不備があったことが認められ、建物の下まで持ち出せば回収してもらえるようになりました。


6.生活の中で

 いろいろなもの、汚れていることがちゃんとは分からないことがあります。だから、気にはしていて、洗濯なんかはよくしています。トイレの便座のカバーをどうするか、1ヶ月ぐらい生活をして、それが気になるようになってきました。夏は暑いので、便座にカバーなど何もなくても大丈夫でしたが、これだと冬には冷たいかな?なんて思いながら、便座のカバーでも買うのかなと漠然と考えていました。どちらにしても、汚れやすいところだし、清潔にしておかないとならない部分でもあります。ここでの生活が定着すれば来客も増えるかも知れません。できるだけ清潔にしておく方法として、結果的には暖房便座を購入することとなりました。すぐに掃除もできるし、一番簡単で良い選択だったと思います、それほどの出費もなく買えたし。個人的なことで言えば、今までそのようなものを使ったことがなかったので、何となく興味もありました。実家は賃貸住宅で、トイレにはコンセントもなかったし。ただ、今までの便座を外すのが一苦労でした。2箇所だけねじ止めしてあるだけなので、簡単に外せるだろうと思っていました。片方はとっても簡単に外せたから安心していたら、もう片方がどうしても外せない。適当な道具もないし、どうにか外すのにはしばらくの時間がかかりました。トイレ使いたいので、そのままにしておくことも無理だし。

 我が家で一番重い家具は冷蔵庫です。これが35キロぐらいだと思いますが、自分だけで動かして動かせないことはありません。他のものは全部自分だけで動かせるものばかりです。あまりたくさんのものを置かないこと、できることなら自分で簡単に動かせるものを置くこと、それは注意していることです。地震に遭うかも知れないことから考えたら、自分で動かせるものだけにしておけば、何かが倒れてもどうにかなりそうだし。

 家には来客も増えてきました。皆さんに言われるのは、よくものが整理されていると言うことです。自分としては、掃除や洗濯も含めて、これで本当に良いだろうか?と言う疑問を持ちながらでの生活なのですが…ただ、いろいろなものの置き場所はしっかり自分で決め、使ったものなどは元に戻すようにはしています。適当にしておくことはなかなかできません。自分で必要なものが探せなくなったり、思いもしない場所に思いもしないものがあって、それを破損させたり、結果的に掃除が増えることになったりするからです。時々は忘れてしまって、グラスを倒してお茶が…なんてこともありますが(笑)。こう言うことは、自分だけの時間よりも、誰かが遊びに来たような場合に多いかな?

 毎日がコンビニ弁当になってもいいと思って出てきたわけですが、現在そんな食生活ではありません。これが正しいかどうかは別として。朝は散歩も兼ねて喫茶店に行くことが多いです(平成17年6月までは行っていましたが、福祉制度を利用する出費が増えそうな状況になってきたので中止)。帰ってきてからは、ヨーグルトを食べたり、野菜ジュースを飲んだり、健康のことも少し気にしています。昼は会社の食堂で食べますが、今までよりも野菜料理を1品多くしたり、野菜を取れるように注意をします。実際、家で食べることになるのは夜だけです。これをどうやって食べるかは最大の問題になるわけです。どうしても冷凍食品やレトルト食品、弁当を買う日もあったり、そんなのがほとんどになってしまいます。本当のことを言えば、自分で料理ができれば良いと思います。でもそう言うことをする環境には今までなかったし、料理がいろいろできたにしても、単身の生活の中で、ガスを使って調理をすることへの不安、自分だけが住んでいる建物ではないし、何かあったらどうするか?などは気になるところです。電気ポットを使ったり、電子レンジを使ったり、どうしてもそうなってしまいますが、安全に生活する方法として、現時点で自分の中では満足しています。夜は疲れて帰ってくるし、それから料理なんて、実際のところできるのかな?

 1週間に1回のヘルパーさんの訪問、郵便物の処理をお願いしたり、掃除をしたり、いろいろあるわけですが、買い物は重要になってくるポイントです。1週間分の家で食べるものを中心に買いに行くことになりますが、自分だけでスーパーに行ってもなかなかできない買い物ができます。自分だけで行った場合、まずスーパーじゃなくてコンビニが中心になります。スーパーでは援助を依頼するべき人を探すことがまず大変、コンビニならレジに行けば誰かがいます。店舗はそれほど広くないし、レジには簡単に行けることが多いです。何が欲しいのか、店員さんには確実に伝えなければなりません。と言うことは、自分の知識の中にあるものを中心にしか買えないと言うことにもなってきます。弁当は何がありますか?って聞けば教えてもくれますが、店内にはどれぐらいのお客さんがいるのだろうかとか考えると、自分の中では落ちつかなくて、できるだけ早く終わらせたい気持ちになります。自分を支援して買い物に行ってくれる人がいれば、そう言う意味での問題は解決されます。何が欲しいのかを最初に決める必要はあるにしても、例えばこんな冷凍食品があって、こんなものも食べられますよとか、自分の中で知らなかった知識を手に入れることができ、ゆっくりと選択する時間や楽しみも提供されるのです。正直なところ、冷凍食品の充実には驚いてもいるし、けっこういろいろなものが食べられるものだと思います。自分だけではこんな買い物はまず無理だろうと言うことが実現できるのは、自分のために買い物を支援してくれる人がいる結果だと思っています。生活に必要なものは、店で誰かに依頼すれば最低限は買えるだろうけど、ここが安いとかこれの方が便利だとか、そんなアドバイスまではしてくれるかな?いろいろな状況があるとは思いますが、できるなら買い物は自分だけでは行きたくないものです。そうは言っても、急に何かが必要になったりとか、思いもしなかった買い物に行かないとならないことは多いのですけど。ヘルパーさんと買い物に行って帰ってきてから、買い忘れたものを思い出したりなんてことも実は多かったりするのです。

 弁当やピザなどを食べるのに、

http://www.demae-can.com/

ここをよく利用します。ピザのチラシはポストにたくさん入りますが、食べたいと思うときに自分で読んで選べないので、ほとんどはゴミになります。ここを利用すれば、とりあえずメニューは自分で見られるし、人の手を借りなくても注文までできるので、ある意味ではバリアフリーでしょうか。弁当は週末の雨の日とかは頼んだりします。ピザはいくら以上と言う制限があるので、自分だけではなかなか頼めません。

 いろいろな状況があるから、必ずできるとは言えませんが、手続きや契約の場所には自分だけで行きます。何かをしてもらうのに、最大の方法だと思います。銀行の口座も携帯電話の契約も、転入から先のいろいろな処理も、全部自分だけで行ってやりました。実際、自分で行くしかなかったけれど。行政も含め、本当に誰も協力してくれる人はいないのかとか言われたこともありましたが、どうにかなるものです。粘り強く交渉しないとならないことも多いですが。代筆でもしてくれる人を確保して行くのも手ですが、もしいろいろな処理を現場の人に全部任せられたら、不備があれば完全に向こうの責任になるわけだし、全盲者でも単身生活をしていて、こんなことに困るんだといろいろなところに理解してもらうことは先にはプラスになることだと思っています。支援費を使えるようにするにあたり、自分で手続きをする人は少なく、若い視覚障害者が利用しているケースはかなり少ないと、区役所でも契約した業者にも言われました。

 いろいろなところに問い合わせをするのに、電話もよく使いますが、メールを利用することも多いです。電話だと言いたいことを言い忘れたりもします。メールだと自分で言いたいことを文章にするので、読みながら修正したり追加したり、私にとっては便利なものだと感じています。相手からの返信もしっかり残るので良いですね。視覚障害者がメールなど使えると思っていないような人はまだまだ多く、それなりに驚かれたりすることもあります。ネットバンキングの登録をしたとき、誰かに画面を読んでもらうんですか?って聞かれたりもしました。

 郵便物は最終的にはヘルパーさんに読んでもらって確認をしますが、会社にスキャナがあり、それを使うことで、完全ではないけれども、自分で確認ができます(平成17年2月、安かったので自分で購入。自宅で使えるようになりました。)。何処からのものか、簡単な内容などは自分でチェックができます。9月分の家賃の引き落としができないので、振込みするようにとの書類が8月の終わりに届きました。これを持って銀行に行き、処理することができましたが、もし自分で確認する方法がなかったら、人の訪問を待っていたら指定期限までに処理はできませんでした。印刷されたものなら何となく理解できるぐらい読めますが、手書きなどはまず読めないので、それが少し残念ではあります。でも実際は手書きの郵便物なんてほとんど届いたことはありませんが。宅配便や郵便局などの不在通知、これが読めたら早いうちに対処ができるのにと感じますが、これはどうにも読めないようです。郵便局は点字で不在だったことを書いたプレートを入れてくれるように処理をしましたが、そう言う状況になったことがないので、ちゃんと入れてくれるのかどうか分かりません。最初は配達証明郵便なんかも多かったですが、それは最初だけのことで、今ではほとんどありませんから。不在通知らしいと言うことが分かったにしても、何処に連絡すればいいのかなどの情報が分からなければ、どうにも自分では対応ができません。自分で何かの注文をする場合は、必ず家にいるような時間、午後8時とか9時とかの指定にするし、自分で頼んだことが分かっているからいいですが、知らないものが届く場合の対処には少し困るところです。ものによっては荷物の状況をインターネットから検索できるサービスがあることを知り、不在処理は少しは楽になりましたが、そう言うことが可能なのは、届くことが分かっている荷物(通販など)でしかないわけで、届くことを自分が知らない荷物への対応はできません。


8.電化製品あれこれ

 我が家にある電化製品は、ほとんどが普通の家にあるものと同じです。ほとんどのものは家出してから買いました。電化製品を選んだポイントを含めて紹介しようと思います。ここで紹介するもののほとんどは、視覚障害者が使うように特別に作られたものではなく、取り寄せにはなる可能性はあるけれど、誰でも買えるものを中心に紹介することにします。


1.テレビ

最初は、しばらくはテレビなしで我慢しようかとも思いました。でもケーブルテレビのお金は家賃の中に入っているし、テレビのない生活は少し寂しいものです。そこで安いテレビを買いました。特別なこだわりはなく、リモコンが自分で使えるかどうかだけをチェックしました。ほとんどのリモコンは大丈夫だけれど、できるだけ使いやすいもの、ボタンが大きいとか、ボタンの形に変化があるとか、そのようなことで選択しました。最近のリモコンは使いやすいものが多いように感じています。そして数字ボタンの「5」に凸点がついていることも多くなり、とても助かります。我が家はケーブルテレビのため、チャンネル設定することもなく、接続するだけでテレビが使えたのは助かりました(接続するためのケーブルを別に買わないとなりませんでしたが)。

 少し(いや、かなり)余談になりますが、テレビの見えない人(視覚障害者)は、テレビなどは必要なく、ラジオな生活をしているのかと思っている人が多かれ少なかれいるようです。それほど多くないことを願っていますが、あなたは家などではラジオばかりなんですか、って聞かれたりするような経験をしてきました。基本的なことで言えば、ラジオとテレビで共通している情報って少なくて、テレビじゃないと入らない情報、ラジオじゃないと入らない情報って言うのがあると思います。ただ、画面が見えないから、テレビであっても音声のみの情報しか自分には入ってこないと言うことはありますが。「渡る世間は鬼ばかり」は大好きだし、人探しの番組は、自分が探されているのではないかと言うことも少しあってチェックしてます。報道番組はテレビが充実していると思うし、私の中ではテレビもラジオも音声情報メディアとして、同じように利用しています。テレビに問題があるとすれば、天気予報などが音楽が流されて画面に表示されているだけだとか、外国語で話す人の日本語訳を音声にしてくれればいいのに、表示だけになっていることが多いとか。私に語学力があれば解決できる?


2.洗濯機

いろいろな洗濯機を見ましたが、売られているほとんどのものは、ボタンに点字が表示されているとか、よく使うボタンが分かりやすくなっているようです。日本向けに作っているのでしょうが、韓国メーカーの洗濯機にも日本の点字表記が入っていました。韓国で売られている洗濯機には点字表示はあるのかな?とりあえず「電源」と「スタート」が分かれば選択はできるので、日本メーカーのもので安いのを買いました。買ってから知ったことですが、インターネット上に取扱説明書があって、それを自分で読むことができたのは良かったことだと感じています。


3.冷蔵庫

これは特別なことは何も考えず、ただ、大きなペットボトルは入れられるのが便利だとか、冷凍するものも多くなる可能性もあるだろうとか、生活スタイルとの相談だけでした。見えないことで冷蔵庫を使うのに不便を感じることはそれほどないだろうと思います。最初は少し大きいような気もしましたが、いつも何かといっぱいになっている我が家の冷蔵庫です。


4.エアコン

これは最初から設置されていたので、入ってすぐに使うことはできました。ただ、問題があって、現在の設定(冷房なのか暖房なのか、今の温度など)を知る方法がなかったのです。確実に分かることと言えば、電源を入れたときの音が「ピピ」、切ったときが「ピー」、これだけです。適当にボタンを押して、出てくる風邪を確認して、適当な設定?なら自分でもできないことはないですが。見てもらえるときに設定をしてもらっていましたが、何かの方法はないかと探していました。そんなときに見つけたのがエアコンの汎用リモコン。11社のメーカーのエアコンに対応しており、最初のメーカー設定は自分ではできないものの、それをしてしまえば、音声のガイドがあるので、設定温度の変更と冷房・暖房の切り替え、現在どうなっているかの確認なら問題なくできます。これで安心してエアコンが使えるようになりました。我が家のエアコンに対応してくれていて本当に助かりました。


5.電子レンジ、オーブントースター

電子レンジは知人からいただきましたが、オーブントースターはお正月に餅が焼きたくて買いました。どちらもとてもシンプルなものです。ダイヤルを回すだけで使えます。ここで一つ、設定時間が正しく分からないと言う問題が出てきます。適当でもそれほど問題ではないんだけれど、電子レンジはまあ大丈夫としても、オーブントースターの場合は焦げて食べられないとかって言う可能性もあります。これはとっても簡単な方法で解決しました。1分毎とか5分毎とか、自分で決めた時間のところに、見える人に小さいシールでも貼ってもらえばいいのです。それだけで終わりです。残りの時間も触って確認ができます。どれぐらい回したら何分とか、感覚で覚えてしまえばいいんだけれど、自分にはそれは限界があります。そうやってできる人も多いんだろうとは思います。


6.電磁調理器

日常生活用具の給付制度を利用して、電磁調理器を買いました。これは現在の状況を音声で説明してくれます。全部の操作を音声でガイドしてくれます。自分ができる調理なんてそれほどないんだけれど、自分だけしかいない環境でガスを使うのは、何となく不安があって、ほとんど使うことはありませんでした。どちらかと言えば使わないようにしてました。電磁調理器を買ったことで、安心して鍋が使えるようになりました。電子レンジが中心だった食生活から、少し幅が広がりました。


7.炊飯ジャー

迷って迷って、でも買ってしまったもの。朝は散歩しながら喫茶店に行き(当時)、昼は会社の食堂で食べ、家で食べるのは基本的に夜だけ。電子レンジでできるご飯もあるし、家に帰ってきてからご飯炊いたら、帰るのが午後8時だとしても、夜を食べるのが9時とかになっちゃう…なんて考えてはいたんだけれど、無駄なものではないと思ったので買いました。高い高い炊飯ジャーには、音声ガイドしてくれるものがあることは調べました。でも、自分だけが食べるご飯を炊くだけには何となくもったいない、そんな気がして電気屋さんで安いのを買いました。よく使うボタンが大きくなっていて、「炊飯」と「補温」は他のボタンとは触って違いが分かるものが多いようです。それだけが使えればどうにかなります。本当はタイマーが使えると、帰ってきてから炊かなくてもいいのだけれど、タイマー設定がちゃんとできているか、見てもらって必要な時間に炊けるようにはしてもらったんだけれど、セットするときに確実に分かる方法がないので、何となく不安です。帰ってきてご飯が炊けていなかったらちょっと悲しいかも?

☆炊飯ジャーの利用頻度はどんどん増え、今ではおにぎりを持って出勤することがあるほど、よく使用するようになりました。


8.オーディオ、ラジオ

自分の好きなものなので、お金をかけている部分の一つです。ラジオは単体の製品としてはかなり高いものがあります。短波放送で海外からの日本語放送を聞いたり、海外の音楽番組を聞いたりするのが好きなので、ちょっとお高いラジオ、そして1回はやってみたかったこと、ベランダに短波の専用アンテナを設置してしまいました~。CDやMDも聞けるようにはしておきたいので、ここに住むようになってからすぐに使えるようにしました。それまではCDラジカセのようなものを使っていたので、自分だけの家になったことだし、コンポにしました。リモコンのよく使いそうなボタンが大きかったり、「5」に突点があることなどは、テレビの場合と同じような選択をしました。テレビと同じメーカーになりました。カセットテープは必要ないかとも思ったのですが、何かのときのことを考え、使えるものにしました。そうすると選べる数が少なくはなるんだけれど、カセットテープを使えるようにしておいて良かったと思います。電磁調理器にはカセットテープの説明が入っていました。携帯電話もテープによる説明が入っていたし、音声体重計(後述)にもカセットテープでの説明がありました。快適なお風呂での時間を過ごすために、防滴ラジオも買いました。これ、かなりいいです。


9.時計

我が家のテーブルの上に一つ、持ち歩けるカードサイズの時計が一つ、それぞれ音声で時間が分かる電波時計を使用中です。電波時計を使うようになると、他の時計は使えませんよ(笑)。時間を合わせなくていいのは便利便利。他の時計も持ってはいますが、ほとんどこれだけしか使わなくなっちゃいました。


10.その他

アイロンはほとんど使わないんだけれど、ここに住むようになってすぐにいただきました。使っていないと言う電気ポットもここに来てからすぐにいただき、トイレ掃除を簡単にするために暖房便座、6年間使っていたシェーバーが壊れたので購入、いただいたテーブルのこたつが古いものだったため、ヒーター部分だけ購入して自分でドライバー使って交換、日常生活用具の給付制度を利用して、音声体重計と音声体温計も買いました。体重なんかは人に見てもらって教えてもらうより、自分だけで分かったほうが都合がいい、どちらかと言えば体は健康だから、体温計がなくても困ることってほとんどないんだけど、何かのときに必要になるかも?と言う気持ちから申請をしました。

 お風呂などでお湯を使う場合にのみガスを使用し、その他は完全に電気に依存する生活がこれでほぼ完成しました。


8.食生活のいろいろ

 こんなことは言い訳だと言われそうなことになってしまいそうですが、自分の食生活について、料理について、食べると言うことについて、思うところを書いてみようと思います。

 「火を使う」と言うことには今でも少しの抵抗があって、できればしたくないことの一つです。家出をしてから電磁調理器を買う(2005年1月)までは、ガスコンロはほとんど使わない生活をしていました。火と言うか、熱いものへの恐怖と言うのが、小さいころから多かれ少なかれありました。熱いものを触って火傷をした経験が鮮明な記憶として今でも残っています。風呂釜で指を火傷したとか、誰かの吸っているタバコに触れてしまったとか、痛い思いは小学生になる前からたくさんしていました。ある意味でトラウマ?小学生の授業で、アルコールランプに火をつける練習なんかをやったけれど、上手にはできなかった。調理実習などで沸騰した鍋の中に何かを入れるのにも恐怖を感じるようなことはありました。夏休みに家で何かの料理をしなさい、などの宿題が出たりしましたが、家でそんなことはやったことがありません。火は危ないから使わなくていい、そうやって言われるばかり。学校ではやれと言われ、家ではやるなと言われ、結果的にはできなかった。残念なことに、調理をすると言う経験はそれほど多くはありません。かなり少ないと思います。そう言う経験をする場所は、学校にしかありませんでした。しかし、その学校についても、今になって考えれば問題があると思います。「調理実習」として鮮明に思い出されるのは、お菓子を作ったことぐらいなのです。だからと言ってお菓子の作り方なんて覚えてはいないんだけれど、そう言う記憶があるだけと言う感じ。その実習で自分は何をしていたのか、見える生徒が中心になって動いて、何かをした記憶があまりない。自分だけで最初から最後まで何かを作れるようになるための実習、本来はそうでなければならない、今になって考えればそうなんだけれど、自分が受けた教育はそうではなかった。危ないことはしなくてもいいと言う風潮はあったし、自分の中でもそうなんだと納得していた部分もかなりありました。「大人になったら自分でやらなければならない」と言われた記憶はあるものの、そうするための手引きや指導はほとんどなされなかったように思います。

 就職するまではずっと寮生活で、学校にいれば食事は食べられたし、週末になれば帰る家でも、それなりに何かは食べられていました。だから、食生活について考えることはほとんどなかった。就職をして、家での生活になって、初めて食べることの心配とか、疑問を感じるようになりました。就職してから家出するまでの1年3ヶ月、1日2食の生活になりがちでした。1度目の家出に失敗、「自炊もできないような子供を外に出すのは親の恥」と言われてから、最終的に家を出るまでの20日間、家のものが私のために用意したであろう食べ物(と言っても買ってきた弁当みたいなものだったりなんだけれど)は、ほとんど口にはしませんでした。昼は会社の食堂で食べ、夜はコンビニなどを利用して何かを買い、それでもどうにかなるさと思っていました。

 もちろん覚悟はしていましたが、本当の意味での食生活の心配は、家を出てから始まりました。毎日何を食べて生きてくのか、外植なのか、それとも何かを買うのか、自分のお金の中で食べることができるのか、食べること以外のいろいろな心配事もありながら、毎日の食事は問題でした。責任のある仕事を持っているし、健康に生きること、体調が悪くても自分でどうにかしなければならないと言う不安も多少ありました。

 しばらくは、朝は喫茶店、お昼は会社の食堂、夜は外食化コンビニの生活が続きました。外植と言っても自分で行ける店なんて限られてきます。メニューが自分で分からないから店員に聞いたりすることになるんだけれど、似たようなものになりがちなので、コンビにで何かを買って家で食べることが多くなりました。それでも自分の家で自分のために用意したものを食べられる幸せを感じていました。何とか節約がしたくて、ペットボトルなどのお茶を買わずに、やっぱりガスコンロは使いたくなかったので、水出しのお茶を使うようになりました。夏だったこともあって、それで十分でした。電気ポットは最初からあったので、カップラーメン食べたり、コーヒー飲むぐらいのことは、家でもできました。少なくとも食事をしないとかと言うことだけはないようにしていました。「野菜不足」と言うことが気になり、野菜ジュースやヨーグルトなどは、いつも冷蔵庫の中に常備していて、朝に散歩しながら喫茶店に行くことと、ヨーグルトと野菜ジュースはかなり早い時期に日課となりました。

 知人より電子レンジをいただき、少しだけ食生活に変化が出てきました。冷凍食品などを中心として、家で食べられるものが増えました。外食回数が減り、コンビニに通わなくても何かが食べられる生活。どうってことではないかもしれないけど、自分の中では大きな進歩だったと思っています。

 9月からはヘルパーさんと一緒に1週間に1回は確実に買い物に行けるようになり、いろいろな食品を買えるようになり、ほとんど外食しなくなり、コンビにもあまり行かないようになりました。外食と言う方法で食べるのではなく、外食すると言うことを選べるようになったわけです。何かの果物がいつもテーブルの上に置かれるようになったのもこのころでしょうか。季節の果物を食べるようにしています。

 ほとんどの買い物は1週間に1回で終わらせるようにしますが、いつも少し大目のものを買います。2・3日は余分に食べられるようにしています。確実に買い物に行けるようになったころ、台風などがかなり多くて、お昼に帰ってきてご飯食べないとならなかったり、予定外の家での食事をすることが多かれ少なかれあることに気がついたためです。

 そんなことで12月までは過ごしました。もうすぐお正月。餅でも食べたいなあと思いながら、オーブントースターでも買ってみようかと思い始めていました。日常生活用具の給付を利用して、電磁調理器を買う準備も年末に始めました。オーブントースターは年内に、電磁調理器は年明けすぐに購入となりました。オーブントースターを買って、ピザを焼き、餅を焼き、また食生活の幅が少し広がりました。フライやたこ焼きなんかは、電子レンジで温め、最後に少しだけオーブントースターで焼くとまた美味しいものです。電磁調理器を買って便利になったことは、スパゲティーが食べられるとか、カレーなどのレトルト食品が食べられるようになったこと。レトルト食品を温める機会をいただいたため、現在ではお湯を沸かさなくてもレトルト食品食べられるようになりました。電磁調理器を使って最初にしたことは、スパゲティーでした。初めてで大丈夫かと不安もあったんだけれど、どうにか食べられるものができたとき、本当に嬉しかったです。難しい料理なんかは無理だけど、安全に鍋が使えるようになって、これならどうにかなるかも?なんて実感していました。まだまだ問題は多いんだろうけど、とりあえず思いつく問題はあと一つ。ご飯のことです。電子レンジでも食べられるご飯はあります。でも量が少ないのが気になっていて、カレーなんか食べようと思うと、一つではまず足りません。炊飯ジャーでも買うかな、なんて思い始めたのは、電磁調理器を買ってからすぐのことでした。冷凍のチャーハンとか和食系のご飯は、それなりに便利だし、家でご飯を炊くようになっても食べるだろう、だとしたら、炊飯ジャーを買うのはもったいないかも?電子レンジで食べられるご飯を使っているほうがお得なのかも?などと考え、買うまでには少しの時間がかかりました。最終的には、あっても無駄なものではないと、思い切って買ってしまった感じです。最初に炊いたご飯の味、これも忘れることはないだろうと思います。炊飯ジャーの使い方は一緒に買いに行ったヘルパーさんと確認したんだけれど、実際に炊いたのは自分だけのとき。本当にちゃんとできるのか?水加減は大丈夫なんだろうか?ご飯が炊けるまでの時間の長かったこと。そうして炊けたご飯はとっても美味しいものでした。夜に多くご飯を炊いて、次の日におにぎりを持って仕事に行き、食堂での出費を少なくしたりもするようになりました。

 まだまだ問題は多いんだと思います。ただ、自分が食べ物を口にする手段は、確実に手にしたと思っています。ずっとコンビニや外食では続かない気は最初にしていて、少しずつでも何かができればいいなとは家を出る前から、何となく考えていたことではありました。でも、こんなに早く、ここまでのことが実現するとは自分でも思ってはいませんでした。食材を買って料理をするようなことも、少しはしたほうがいいのかも?なんて思ったりはするんだけれど、自分だけだと無駄になるものも多いだろうなと思ったり模して、その気になったらまた少しずつ始めても遅くはないかと言うのが今の正直な気持ちです。1度にいろいろなことを始めるなんて無理です。生活は楽しくしないとね。

☆最近では、冷凍食品の利用すらも減少してきています。魚の干物なんかを焼いたりもしながら、あまりお肉は食べなくなったので、ウインナーなんかはボイルしたりして、煮物やサラダなんかは無駄になりそうだから家ではしないけど、そう言うものは買ってきて食べながら、まずまずの食生活になってきていると思っています。


9.自立についてのいろいろ

 まず最初に、「自立」ってどう言うことなのか、自分にもはっきりとは分からない。何がゴールなのか、それもはっきりしていない。人によって自立の考え方、何が自立なのか?と言うことも違うだろう。ただ、今の自分の生活は、それなりに自立した生活なんだろうと思っている。私が考える自立について、少しだけ書いてみようと思う。これはあくまでも私の個人的な考えであることを理解して読んでいただきたい。

 先日、障害児を持つ人と話しをする機会があった。彼女は、子供には自立してもらいたいし、だから少しずついろいろなことを経験させている、一般的に考えたら、親は子供よりも長生きすることはないんだから、と言われていた。それが私の中では印象深く、とても心に残った。そして、今までの自分の境遇と比べてしまうのである。あんたよりも長生きをして、あんたが死ぬまで面倒を見る、この家にいることが一番幸せなのだと言われた自分と。

 何でもできることが自立である、と小さいころから耳にしてきた気がする。それを信じて疑わなかった自分がいた。あれもできないんだ、これもできないんだと、できないことを数えるようなことも多かった。あなたにはあれもできないし、これもできないでしょ、って言われてもきた。どうしたら自分でできるようになるだろうか、そう言う可能性はないのだろうか、そんなことを考えるような環境や余裕もなく、とにかく、与えられるまま、言われるがままに生きてきた気がする。これではだめだと思う気持ちは0ではなかったし、あなたにはできないと言われているようなこと、同じような障害を持つ人々がやっていると言う現実は、話しを聞いて知ってはいた。でもそれは、知識として知っていただけのこと、自分もできるようになりたい、羨ましい気持ちもありながら、それをどうしたら実現できるかと言う方法も知らず、やってみたいと主張しても受け入れられず、そんな人もいるんだ、自分にはまず無理だろうと感じて通り過ぎてしまうことも多かった。学生のころは寮生活を続けていたため、自立と言うことについて、それほど深く考えるようなことは少なく、どうにかなっていた部分は多かった。ただ一つ言えることは、親元を離れて寮生活をしていたことが、今の自分の生活の根本になっていると言うことである。自分の生き方について本気で考えるようになったのは、就職してからのことである。具体的な方法は模索できなかったが、ずっとこの家で親といることだけが自分の人生ではないし、何かの方法でここを出る日がくるだろうとは薄々感じてはいた。いろいろな不便もあったし、そうしたいものだと願っていた。

 大きなことは言えないが、自立にはその人が置かれている環境に依存する部分が多いと思う。自分が何かをできるようになったとき、そこに家族の姿はほとんどなかった。学校だったり寮生活の中だったり、そんなところが中心だった。歩くと言う一つを取っても、「専門の人」に教えていただいたわけで、家族が一緒に歩いて教えてくれたりと言うことは数えるほどしかない。家族に教えてもらったと言う話しを聞くと、そんな理解のある人もいるんだなあ、と人事のように感じていた。彼らには教えることは無理だと今でも思う。歩くことに限ったことではないが、彼らの思うように行動できないと、これは無理なのだと判断された。教えると言うよりは、できること、できないことをテストされていたようなものである。点字ブロックから外れたら真っ直ぐにも歩けないのかと言われ、杖が何かに当たれば慣れていないからだと言われ、人様のものに傷でもつけたらどうするのだと言われ…彼らの思うようには死んでも歩けないと本気で思った(今でも思っている)。親の車に杖が当たって傷がついたと、2年も3年も言われ続けたこと、自分の中ではとても辛いことであった。これが家出直前のことである。メディアに惑わされ、テレビなどで紹介されていたような人と比べられる。個人的には、メディアによる障害者の生き方などの報道について、ある意味で否定的に感じていることもある。その人を見て、これが障害者なのだと理解してしまう、そんな現実があると思う。私には才能もないのでメディアで紹介されたりはしないし、そう言う人と比べられるのはある意味で不愉快である。家族に障害者を持たない人ならまだしも、障害者を持つ家族でさえもそうなのである。メディアで紹介されている障害者と自分の子供を比べる人は少数だろうけれど存在する。どのように報道されていたのかは知らないが、視覚障害者は歩数を数えて歩けば目的地に行けるのだと言っていたそうである。私は家出するまでは、駅までは遠くて自分では歩いて行けなかったが、そんなに送り迎えされるのが嫌なら、歩数でも数えて自分で歩けるようにでもなればいいだろうと本気で言っていた。テレビに出ていた誰々はできるのに、あんたにできないのはおかしい、そんなこともできないのか、何も努力もしていないくせにと。

 余談だが、歩数を数えて目的地まで歩くなんて、いつも同じ環境(屋内など)で実現できるかも?と言うレベルのことだと思う。少なくとも自分には無理である。現在、平日はほぼ毎日、歩数計を持って、朝に同じルートを往復して喫茶店に行く。(歩数を数えて目的地に行けるものかどうかを実験するために持っているのではないが、多少の興味もあり)同じ道を歩いてくるだけなのに、日によっては300歩、少なくても100歩は違ってくる。今日は順調に歩けたと思う日もあれば、何となく上手く歩けなかったと感じるような日もあったりする。それ以前の問題として、歩数ばかりに気を取られていたら、耳から入る情報にまで気が回らなくなり、逆に危険だったりはしないかと感じる。外の環境は、必ずしもいつも同じではないのだから。いつもは何もない場所に何かがおかれていたり、追い風や向い風、雨の日だってあるわけだし。

 周りに理解されてこそ自立は存在すると思う。いくら本人が努力しようとしても、周囲の環境がそれを阻害することもある。甘えだと取ってしまえば終わりだけれど、人間は一人では何もできないと思うから、自立には理解と協力が必要である。事実、今回の家出について言えば、私は自分だけでは何もできなかった。周りの理解と協力、アドバイスなどがあって、初めて今の生活が実現されたのである。もう少し早くこう言うことが実現できたらと少し思う。ただ、そこには大きな大きな問題があった。自立とは自分で何でもすることだと言う、小さいころから植え込まれた考え方、これが横たわっていたからだ。人に頼ってはいけない、自分で無理なことは諦めろ、とまではいかないにしても、そんな気持ちは大きかった。だから、人に何かを依頼したりするのは下手だと思う。その人に迷惑をかけるんじゃないかと思う気持ちがまずあるから、どうしても引いてしまう部分がある。そう言う意味での我慢はずっとしてきた。今でもそれは拭い切れてはいない部分だと思うが、自分だけでは何もできないことがよく分かり、少しずつ自分の考えも変化してきた。自分で無理なことは人に頼むなりすればいいじゃないか、何でも人に頼んでやってもらうわけでなし、自分のできることは自分でして、無理なら助けてもらえばそれでいいじゃないかと、家を出て初めて心からそう思えるようになった。ただ、自分で可能なことは自分ですると言うことを忘れてはならないとは思うが。私の周囲の人間にもう少しの理解があったら、私の自立のスタイルはもう少し良いものになってはいたと思うし、家出をすることもなかっただろう。ただ今は、本気で自立を考えるとき、こう言う手段を使わなければならない場合もあるんだろうと感じている。もし家を出るのが半年遅かったら…なんて考えてみたりするが、経済的なことも含めて、とても恐ろしい。

 本当の意味での自立は家を出てからスタートした。覚悟はして出てきたのだけれど、最初の数ヶ月は生活も落ち着かず、ちゃんと健康で生きられるだろうかと、自分のことでありながら不安や心配もあった。でも、どうにかなるものである。仕事をして稼ぎ、家賃を払い、生活に必要なものを少しずつ買い足し、利用できる福祉サービスを活用し、1週間に3時間の援助で、私は元気に生活している。もちろん多くの人に相談に乗ってもらい、アドバイスしてもらって、協力もしてもらって生きているけれど、どうするのか、何がしたいのかを自分で判断して、自分の意思・考えで今の生活を組み立ててきた。食生活も万全とまでは言えないレベルなのだろうけれど、満足に食べているし、少しずつできることも増えてきている。今はとても良い状態だと思っている。

 世の中は健常者を中心に動いているわけで、いくらバリアフリーだとか、何かを整えてくれたとしても、最終的なところで何かの不便が残り、人の手を借りないとできないことが出てきてしまう、これはある意味でどうしようもないことだと思う。生活する中で必ず必要になり、まず自分だけでは困ることに買い物がある。お店までは自分で行ける場合はあるが、店の中に入って、自分の欲しいものを自分で探して会計まですることは、まずほとんどの場合は無理だと思う。適当に触って探して、それらしいものを買うようなことは1度や2度なら我慢もできるだろうけれど、ずっとそんな状況では、満足のできる買い物なんてできない。必要なものを確実に買いたいし、それらしいものを自分で探す買い物では、自分ではそれが何かと言うことだけでなく、値段を知ることができない。援助する人は店員だったりヘルパーだったり、いろいろな可能性があるんだろうけれど、満足な買い物を自分だけで完結させるのはまず難しい。人に援助を依頼しているとは言え、何かの方法を使って自分の必要な買い物をすることは自立していると言えると思う。

 人それぞれに何ができるのか、何ができないのかと言うことがあって、自立の尺度はそれぞれに違っているものだと最近になって感じるようになった。少なくとも、自分で何でもできると言う事、できなければならないと言うことではなさそうである。見えないことへの不便は自分ではどうにもならない場合もあるのだから、それについての援助や協力は必要である。


10.視覚に頼らない生活のいろいろ

 よく聞かれることである。見えなくて生活するのは大変だろう、と。確かにそうかも?でも一般の人が感じているほど大変ではないと思う。我が家に見える人が確実にやってくるのは、1週間に3時間。その援助は必要だと感じているけれど、どうにか食事をし、健康に生きている。日常の中で感じる「見えることと見えないことでの違い」と言うか、私の感じるところを少し書いてみたいと思う。

 私は家の中に電灯がなくても何も問題ではない。少しだけ明るさを感じていたころも、明るいから、暗いからと言って、それほど何かに困るようなことはなかった。暗いから怖いとも思わないし、むしろ静かな空間のほうが怖いと思う。そんなことが直接関係あるかどうかは自分でも分からないが、寝ているとき以外は、ラジオだったりテレビだったり音楽だったり、何かのBGMが流れている。無意識のうちにそうしている。ただ、夜になったら明るくするのは、忘れなければするようにはしている。と言うことは、忘れてしまうこともあり、逆に朝まで、次の夜まで電気がついていたり、なんてこともあるわけだ。明るくすると言っても、部屋の電気ぐらいしかつけない。トイレやお風呂は、少なくとも自分だけしかいない場合は電気は使わない。使うアクションをしてもいいのだが、すぐに忘れてしまう。来客があったりするとつけるようにはしているつもりである。一人でいる場合にどうして見えないのにわざわざ電機をつけるのか?なぜだろうと考えることはあるんだけれど、普通の人(差別する意味ではない)がしていることは自分もしたいと言う気持ちあり、一般的に常識のことは自分もしたほうが良いだろうと言う気持ちあり、少し複雑なところである。社会の中で生きる人間として、それが自分に必要かどうかはあるにしても、普通のことは普通にするのが良いだろうと私は考える。「明るさ」と言うことで言えば、小学生のころは、学校の授業で使う小さい電球などが見えたなあと思い出すと、少しだけ残念に思うことがある。そう言う意識も少しはあるのだろうか。今となっては、電気がついているかどうかを知るには、スイッチの状態だったりとか音だったり熱だったり。紐を引くタイプのものは苦手である。

 残念なことに、私は「色」については知識でしか知らない。そして、自分に直接必要がなく、認識もできないため、知識として教えられても、時間とともに忘れてしまいがちである。今までに色を見たことがないので、色についての質問をされることは困ることの一つである。色はどうやって感じるのですか?など。家の中にあるものの中でも、買うときには色を説明してもらったりするが、時間とともにどんな色だったのかを忘れてしまうことも多い。同じもので何種類かの色があった場合、それを選べと言われるのは困ることの一つである。衣服などは、手触りだとか便利さも考慮するが、今までに自分が持っているものなどから、色の合いそうなものを探してもらうようにしている。衣服の購入は、自分だけでは難しい。家庭用品や食品も難しいんだけれど、色に関しての問題で言えば、なかなか自分では解決できないので、誰かと一緒じゃないと買えないかなと思っている。ずっと家の中にいるだけなら、それこそ何を着ていたっていいだろうけれど、外を歩き、人に会い、仕事をし、生活しているんだったら、それなりの服装はしないとならないと思う。見えないからあんな服装をして…少なくともそんな風には言われたくないものである。生活の中で色について困ること、すぐに思い当たるところでは、靴下である。全部同じものにしてしまえば解決するんだけれど、最初はそうなっていても、買い足したり穴が空いたり、なかなか思うようにはならないものである。1足ずつ買えば、確実に同じもので統一できる。でも3足セットで安く売っていたりすると、つい買ってしまうのだが、1足ずつ色が違うなどの落とし穴もある。そう言うことでの失敗は今までに何度かあった。針仕事は得意ではないのでお願いすることも多いが、左右の靴下の同じ場所に糸を縫い付けて区別できるようにしたり、そんなことが必要な場合もある。間違えていたとしても、布地や形が全く同じだったら、いつまでも分からずにいなければならないので、注意しているところである。

 つい最近、「記憶力が良くないと暮らせないね」と言われた。あまり意識していなかったが、なるほど、そうかも。買い物をすれば当然ものが増える。場所を決めて保存するが、必ず自分でやる。そうじゃないと記憶できない。人に置いてもらったものは、覚えているようですぐに忘れてしまう。何かを置いてもらったことは覚えていても、品物が思い出せない、人に置いてもらった品物があるはずだが、その場所を思い出せない、何か置いてあるが何だったかを忘れる、などなど。自分で決めて置いたものについては、ほとんどの場合は覚えている。間違えることはほとんどない。置いたことを忘れていたとしても、手に触れればほとんどは思い出す。ただ一つ、注意することは、触って区別のできないもの、パッケージが同じようなものが何種類もある場合などは、自分で覚えられるように工夫をしておく。例えば同じ箱で2種類のスープを買ったとする。1度に買わなければ良いのだが、1種類だと飽きてしまうから、何種類かを買ったりするのだが、片方は箱から出してしまって保存する。または別の袋に入れたりする。それだけで、ほとんどの場合は間違えないで目的のものが使える。ペットボトルなどは同じようなものが多く、冷蔵庫の中で置き場所を変えたりするんだけれど、戻すのに間違えてしまえば終わりなので、分かりにくいようなものには輪ゴムを使うなどの細かいこともする。人それぞれだろうが、私の場合は、点字で何かを書いて貼ったりはほとんどしない。手短にある輪ゴムだったり袋だったりが大活躍する。もし何かの理由で場所が変わってしまっても、それが何であるかを識別できる工夫が必要だ。

 「文字」についても少しだけ書かないといけないだろう。主要文字は点字と言うことになるのだが、パソコンを使うようになって、手書きは無理にしても、見える人と同じ文字を書く手段を手に入れた。ただ、表音文字である点字をずっと使ってきて、パソコンで漢字の文章が書けるようになったと言っても、それをすぐには活用できなかった。漢字を覚えると言う作業が必要になるのだ。変換する漢字は音声で詳細に説明してくれるけれど、その説明の意味が分からなければ、いざ文章を書こうと思っても無理なのだ。人が書いた文章を見ながら、文章を書きながら国語辞書を活用して、パソコンを使って漢字の勉強をした。よく勘違いされるので書いておくが、私の漢字の記憶とは、「何々の漢字はどう言うときに使うものか」と言うことであって、その文字の形ではない。本当は形まで覚えてしまえれば良いのだろうが、そこまでは難しいし、なかなか覚えられないと思う。小さいころには、数字やカタカナなんかの形を覚えたりしたが、それを活用する場が少ないため、今となっては、全部は覚えていない。数字などは浮き出していて触って分かるようなものもないことはないが、かなり小さくて触って区別できないものも多い。日常の中で触れるようなものは、せいぜい数字ぐらいのものではないかと思う。

 生活の中で不便だとか、どうやって解決したら良いだろうかと思うことも多いが、何かの方法を見つけられることも多いものであると感じている。


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