価値
白い色をしたシンプルなベットの上でまどろみの中に信二はいた。
「信二、起きて」
どこからか信二を呼ぶ声がする。
「澪。もう少し寝かせて」
信二は、声にもならない声で澪に答える。
「もう。私、会社に行くから。朝食は机の上に準備しているから食べてよ」
澪はスーツを社会人らしく、そして、大人らしく着込み、まさにOLと呼ぶに相応しい姿であった。
「あっ、いってらっしゃい」
寝ぼけ眼のまま、はっきりと言葉にならない状態で澪に声を掛ける。
澪はそそくさと玄関に向い、荒々しく少しソールの高い靴を履く。そして、大きい金属音をさせながら家を出た。
「社会人は大変だねぇ。まあ、プーのおいらには無関係でさあね」
暢気な台詞を呟きながら、視力が悪い信二は、枕元に置いていたはずの眼鏡を探した。
その構図は往年に活躍した芸人の様な状態になりながらも手探りで眼鏡を掴んだ。しかし、眼鏡の感触に妙に違和感があった。
「あれ、俺の眼鏡これだっけ? でも、ここに置いた眼鏡は一つだしなぁ」
違和感が解消できずにいたが、そのまま手に持つ眼鏡をかけた。やはり、いつも使用している眼鏡と違う為か、どうも違和が残る。レンズは若干薄緑色に染めているが、視界は非常にクリアだ。
信二は体を起こし、ダイニングへと向かう。テーブルの上には、茶碗に盛られたご飯と目玉焼きにキャベツが皿の上に置かれていた。
「いつもどうも」
両手を合わせ箸を握った。茶碗を持とうと左手を伸ばした時に、近くにあった新聞紙が目に入った。
すると、急にピッと音がした数秒後に新聞の写真に矢印が示され、『価値=千億円』と表示された。
「なんだ?」
信二がその新聞を手にし少し左右に動かす。矢印はその動きに釣られ、左右に動く。そして、新聞を顔の前まで持ってくるとある写真を指していた。
それは、日本国総理大臣だった。
「もしかして」
信二はテレビの電源をオンにした。
丁度、ニュース番組が画面に映り、そこには女性のキャスターがMCであった。
またもピッと音をさせながら、レンズに電子文字が映り、『価値=五千万円』と示されていた。
「やっぱりそうだ。この眼鏡。人の価値が金額で示されるんだ」
信二は妙な興奮が思考を襲った。自分が持つこの眼鏡は妙なアイテムで、世界で唯一それを所有していることに対する気持ちの高ぶりであろう。
信二はこのことを誰かに自慢したい欲求が高まり、携帯電話を手にした。
携帯電話を起動するとそこには、澪と信二が写っている画像だった。
その画像に反応し、ピッという音が鳴る。
「えっ?」
信二は意外そうな反応した。
テレビや新聞で反応するのであれば電子画像に対しても反応するのは当然の可能性であった筈なのに。
レンズには、澪の画像を矢印で指しながら『価値=四百万円』という数字が踊った。それを見た時に安い女という考えが過ぎるが、それは次の表示により、真っ白に消された。
『価値=マイナス一億円』
この表示が赤色でなされており、信二自身を矢印で示していた。
「うわあああっ!」
信二は大声で、叫び眼鏡を投げ捨てた。
午後七時。
「ただいま」
暗い部屋に澪の声が響く。しかし、信二の返事はない。
「信二?」
澪が暗い部屋の中に進むと、信二が寝巻き姿のまま放心状態で体育座りをしていた。
「どうしたの?」
澪の問いに信二は問いで返した。
「俺って、価値ないのかな?」
澪にはその質問の意味が分からなかった。分からなかったが、何かを示さなければ、応えなければならない気がした。
澪は、ゆっくりと信二の近くに寄り添い、そして、やさしく、大きく信二を抱きしめた。
「ばか。これがこたえ」
そういって澪は信二と唇を重ねる。
部屋の隅に皹が走る眼鏡が転がっている。
おわり