島田義人(2)
「あの事件について、今さら何を聞きたいというんです?」
三井博光は、いかにも迷惑そうな表情を浮かべていた。
「まあまあ、そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ。出来るだけ、早く終わらせますから」
そう言って、今川勇三はにっこり微笑む。だが、相手の表情は変わらない。
この三井は、児童養護施設『人間学園』で職員をしている男だ。実年齢は四十三歳のはずだが、だいぶ若く見える。細身の体つきや肩まで伸びた髪、さらにシャープな顔立ちは、施設の職員というよりバンドマンといった方がしっくりくる。
「あの事件の犯人である島田義人ですが……あなたの目から見て、どんな男でした?」
まずは、軽いジャブ的な質問をぶつけてみる。
「はっきり言って、人間のクズですね。将来は、絶対にろくな者にならないと思ってました。予想通りです。あの事件を聞いても、特に驚かなかったですね」
三井は即答した。仮にも、かつての生徒だった者をクズ呼ばわりとは……島田は、よほど彼に嫌われていたらしい。
そんな人物ではないはずなのだが。
「ほう、クズですか」
「ええ。ご存知とは思いますが、あいつは中学生になった時、私の同僚の職員を刺し殺したんですよ。あの時のことは、今も忘れていません。とんでもない極悪人です」
言いながら、もっともらしい表情でうんうん頷く。実に下手くそな演技だ、と今川は思った。
どうも、この男の言っていることはおかしい。正直な気持ちを語っているとは思えないのだ。さらに言うなら、平気で嘘をつけるタイプにも見える。今川は、もう一歩踏み込んでみることにした。
「そのようですね。しかし、また別の話も聞いているんですよ」
「別の話、ですか。どういう内容です?」
三井は、怪訝な表情を作る。だが、その足は僅かに震えていた。馬脚を現すとは、まさにこのことだろう。この男、平気で嘘をつけるタイプではあるが、つき通す根性はないらしい。今川は、とぼけた表情で口を開いた。
「殺された職員の石川さんは、立場を利用し施設の女の子たちにとてもけしからぬことをしていたそうですね。その中には、小学生もいたとか。本当だとすれば、ひどい話です」
その言葉を聞いた途端、三井は顔をしかめた。嫌悪感からくるものではなく、痛いところを突かれた……という感じだ。
「だ、誰から聞いたんです?」
動揺が、まともに顔に出てしまっている。思った通りだ。ならば、もっと揺さぶりをかけてみよう。
「かつて施設にいた住友という人です。あなたも、その人を知ってますよね。彼は、僕に教えてくれましたよ……施設の人間は皆、石川さんがロリコンのクズ野郎であったことを知っていた、とね」
「それは嘘です。デタラメに決まっているでしょう。そんなことをする人間が、職員にいるはずないでしょうが」
今では、体全体が震えている。嘘をついているのがどちらであるかは見え見えだ。もう少しで、こいつは落ちる。
ならば、奴を投入してみよう。
「いや、嘘ではないですね。他の人間からも、同じ内容の話を聞いているんですよ」
「それは誰ですか?」
声を詰まらせながら聞いてきた。
「住友さんと同じく、かつて施設にいた高村獅道さんです」
もちろん嘘である。高村獅道と会うことは不可能だし、話せるはずもない。だが、その名前ははっきりとした効果があった。
「た、高村獅道!? あいつは、嘘つきのどうしようもない極悪人です! あんな奴の言うことを信用しないでください!」
三井の態度が一変した。額から汗が吹きだし、顔色も悪くなっている。今川は、思わずため息を吐いた。本当に面倒くさい男だ。
まあ、いいだろう。しらばっくれる気であるなら……本当の嘘つきはどちらなのか、今すぐはっきりさせてやる。
「極悪人、ですか。実にひどい言い草ですね……まあ、いいでしょう。あのねえ、いい加減にしてくださいよ。僕は、何もかも知ってるんですから」
「は、はい?」
「あなたもまた、石川のやったことを知っていたんです。知っていながら、見て見ぬふりをしたんですよね? 僕は、ちゃんと調べたんですよ」
そう言った途端、三井は笑い出した。だが、恐ろしくひきつった顔での笑いだ。笑ってごまかそう、とでもいうのだろうか。しかし、これでは子供ですら騙せない。
「何を言ってるんですか。私は知りませんよ。ウチの施設で、そんなことが起こるはずがない」
ひきつった笑顔で、三井は言った。だが、今川は首を横に振る。
「いやいや、とぼけないでくださいよ。だったら、ここに住友さんと高村さんを連れて来ましょうか? あの二人に、きっちりと言ってもらいますよ。なんなら、当時の被害者も一緒に連れて来ましょうか?」
そう言うと、三井の表情が硬直した。
「そ、それだけはやめてくれ……俺は悪くない、悪くないんだ。全部、あいつが悪いんだ」
三井の言葉遣いが変わった。先ほどまでの取ってつけたような敬語が消えうせ、ラフな口調になっている。余裕がなくなったのだ。明らかに怯えている。
この三井は、かつて手のつけられない不良だった。人間学園に世話になっていたが、その後はやくざになる。もっとも、度重なるヘマの挙げ句に組を逃げ出し、日本各地を転々とするはめになったが。
やがて行き場を失い途方にくれていた時、運よく母校の人間学園にて職員として拾われ、現在に至っている。
客観的に見て、褒められた経歴ではない。人としても、清廉潔白とはいえない人種だ。チンピラの住友と紙一重である。もっとも、石川に比べればマシだが。
「あいつというのは、石川さんのことですね?」
「そうだよ……あいつは、どうしようもないバカだった。いい加減にしとけと言ったのに、石川はやめなかった。挙げ句、殺されちまったんだ。あいつは、死んで当然だ」
ようやく、本音を吐いてくれた。ならば、ついでにいろいろ聞いてみよう。
「そうでしたか。ところで、石川さんを殺したのは……実は高村獅道だという話を聞きました。あなたは、どう思います?」
「ええっ?」
驚愕の表情を浮かべる三井。なぜ、そんなことを言うのだ……とでもいいたげである。しかし、その裏には恐れもあった。
今川は、思わず苦笑した。高村という人物は、よほど恐れられていたらしい。
いや、今も恐れられているようだ。
「その表情からして、あなたは彼の仕業だと思っていないようですね」
その問いに、三井は表情を歪めた。答えるべきか、迷っているらしい。今川は、黙ったまま彼の言葉を待った。
ややあって、三井は首を縦に振る。
「それは、俺にはわからないよ。ただ、石川を殺したのが、実は高村だったとしても不思議じゃないのは確かだ」
三井は、はっきりとした口調で答えた。
「なぜ、そう思うのです? その根拠を聞かせてください」
「俺は今まで、あの施設で大勢の子供たちを見て来た。とんでもない悪ガキも、何人も見て来た。後でヤクザになった奴もいたし、新聞に載るような事件をやらかしたバカもいたよ。ところが、高村はレベルが違うんだ。あいつは、俺たちとは違う人種なんだよ。いや、人間じゃないんだ、あいつは」
静かな口調で、三井は語っていた。嘘をついているようには見えない。だが、言っていることがあまりにも抽象的だ。自分のイメージを語っているだけで、具体性に欠ける。頭の悪い人間から話を聞くと、こういうことになりやすい。
だが、今は仕方ない。今川は、相槌を打った。
「ほう、そこまで凄いんですか。僕も彼と話しましたが、そんな印象は受けなかったですね」
「一回や二回くらい話しただけで、わかるはずがないよ。高村獅道は、本当に恐ろしい奴だ。中学生の時、あいつと揉めた不良連中は、ことごとく姿を消してるんだよ」
その時、今川の眉間に皺が寄った。
「どういうことです?」
「だから、文字通り消えてるんだよ。高村と揉めた後に行方不明になって、それきりだ」
「それは、ただの偶然じゃないんですか?」
今川の言葉に、三井は表情を歪めた。思ったこと、言いたいことが上手く伝わっていない事実に、苛立ちを覚えているようだった。
だが、その表情が変わる。何か具体例を思い出したらしい。少しの間を置き、重々しい口調で語り出した。
「あんたは、何もわかってない。高村はな、島田なんか比較にならないくらい恐ろしいガキなんだよ。あいつは小学生の時、施設に入り込んだ野犬を、何のためらいもなく殺したんだ」
「野犬、ですか」
今川のこめかみが、ピクリと動いた。だが、三井は話を続ける。
「ああ。昔の話だがな、子供たちが中庭で遊んでた時に、一匹の野犬が飛び込んできたらしい。当時は、捨てられた犬が多かったからな。俺はその日、休みだったんで見てないが……子供たちはみんなビビって、泣きながら逃げ出したらしい。そうしたら、野犬はますます興奮する。しまいには、子供たちに襲いかかっていったっていうんだよ。犬の野性が刺激されたんだろう」
淡々とした口調で、三井は語る。大げさな仕草も、表情の演技もない。本当のことを言っているように見える。今川は黙ったまま、彼の話に耳を傾けることにした。
「ところがだ、野犬の前に二人のガキが立ち塞がった。片方は、島田義人だ。あいつが、小さい子たちを誘導し大急ぎで建物の中に入れた。そして高村は野犬に襲いかかり、彫刻刀で滅多刺しにしたんだ。あいつも散々に噛み付かれ、全身を血で真っ赤に染めながら、狂ったように何度も何度も刺し続けてたらしい。野犬が死んだ後も、ずっと刺し続けてたって話だ」
まるで、実際に見てきたかのように語っている。恐らく、この事件は施設の伝説として残っているのだろう。
それにしても、小さい子を避難させた島田と、野犬を滅多刺しにした高村。行動は全く対照的だが、いいコンビだったのは間違いないだろう。
「そんなことがあったんですか」
「ああ。当直の職員たちは、ビビっちまって手も足も出なかったって話だ。高村もあちこち噛まれて、病院に運ばれたらしい。俺だってそんなの見たら、何も出来ないよ。まあ、あいつが犬を殺さなかったら、大惨事が起きていたのは確かだよ」
「ええ、そうでしょうね」
「そんなことがあって、高村はますます恐れられるようになった。みんな、腫れ物を触るような態度だったよ。ただ島田だけは、あいつに普通に接していたけどな。ところが、石川の件で島田は少年院に送られ、高村はひとりぼっちになっちまった。そしたら、奴はさらに手が付けられなくなったよ」
「そうですか」
「俺には、石川の事件の真相はわからない。だけど、本当は高村が石川を殺したんだって言われたら、そっちを信じるよ。警察が何を言おうが関係ない。島田も、どちらかって言えばヤンチャなガキ大将タイプだったよ。でもな、マジでイカれてたのは高村の方だ。それは間違いない」
この言葉にも、嘘は感じられない。三井は、本気で高村を恐れているらしい。
では、この疑問にどのような解答を出すのだろう。
「ですが、島田は自分がやったと警察に名乗り出たんですよね。仮に、高村が真犯人だとしたら……島田はなぜ、そんなことをしたんでしょうね?」
「あの二人は、凄く仲が良かったんだ。当時、高村はみんなから恐れられていたよ。あいつは、顔にひどい傷痕があったからな。小さい子たちなんか、ビビって近寄らなかった。それに高村は、入所してからしばらくは、一言も喋らなかったからな。職員も、奴には困ってたんだよ」
語る三井。今川は口を挟まず、じっと耳を傾けていた。会った直後は、いい加減な態度で嘘ばかりだった。しかし今は、真実を語っている。少なくとも、今川にはそう見えた。
「けどな、そんな高村も、島田の言うことだけは聞いたんだよ。島田は、あいつに笑いながら話しかけてた。高村にとって、島田は親友だった。島田だけだったよ……高村に、面と向かって文句言えたのは」
今川は首を捻った。二人が親友だったのなら、おかしな点がある。
「それは、ちょっとおかしいですね。高村と島田は、とても仲が良かった。なのに、高村は島田に罪をなすりつけたんですか?」
その言葉に、三井は神妙な顔つきになった。
「あいつは……あ、島田のことだけどな、本当に可哀相な奴なんだよ。七歳の時、車の事故で両親と兄を亡くした。ぐしゃぐしゃに壊れた車の中で、島田だけが奇跡的に生き延びたんだよ。それからしばらくして、あいつはウチに来た。明るくて優しくて、小さな子たちへの面倒見もよかった。でもな、ひとつだけおかしな所があった」
「おかしな所? 何でしょうか?」
「島田は、小さな子たちが何かをして叱られると、必死でかばってた。何もしてないのに、他の子の代わりに罰を受けることもあったんだ」
罰とは、体罰のことを言っているのだろう。この施設では、体罰が当たり前のように行われていたのだな……と今川は思ったが、指摘はしなかった。今は、話の腰を折るべきではない。三井に、好きなように語らせよう。
「たぶん島田は、目の前で両親と兄が死んで、自分ひとりが生き延びてしまったことに、負い目を感じていたんだと思う。その負い目が、あいつを自己犠牲に駆り立ててた……そんな気がするんだ。他の子をかばったり、代わりに罰を受けることで、自分を落ち着かせていたんじゃないかと思う」
有名な学者の言葉を、そのまま借りたような心理分析である。だが、間違ってはいないだろう。
チンピラの中には、やたら雑学に詳しい者もいる。仲間内や女たちの前でいい顔をするためだけに、様々な知識を詰め込む。もっとも、聞いている側はうっとうしいと思っているだけだが。
この三井も、そのタイプのようだ。
「そのトラウマが原因で、高村の犯した罪を被ったのですか?」
「俺は、そう思う。実際、言われてみれば、確かにおかしいんだよ。あの日のことは今も覚えてるが、島田の顔はえらく腫れ上がってたんだ。石川に、ボコボコに殴られたから刺した……なんて言ってたけど、石川は喉を切られてたんだぜ。刺した傷じゃなかったんだよ。しかも、返り血も浴びてなかった。部屋の床には、どす黒い血だまりが出来てたのにな。あれは、やっぱりおかしいよ」
「しかし、警察は島田の犯行と断定した。つまり、警察は捜査に手を抜いていた、と」
「ああ。はっきり言って、警察の捜査はおざなりだった気はする。何せ、うちには問題児が多かったからな。でも、それだけじゃないんだ」
「というと?」
「当時、このすぐ近くでとんでもないことがあったんだよ。一家三人が惨殺されたっていう、恐ろしい事件がな……所轄の刑事は、そっちの捜査に駆り出されてた。だから、ウチで起きたことに人員を割けなかったんだ」
「ああ、なるほど。そんな事件がありましたね」
「そうだよ。だから、警察の捜査も島田を逮捕して終わった。けど、高村なら、人ひとりくらい簡単に殺すだろうな」
語る三井の顔には、恐れがあった。今も消えない恐れが。高村という男は、彼らにとって今でも異様なまでの影響力を持っているらしい。
「なるほど、よくわかりました。ところで、ひとつ提案があります。別の場所で、話の続きをしませんか?」
「ど、どういうことだ?」
怯えた表情である。警察の前で証言させられる、とでも思っているのだろうか。
「ここから先は、別料金をお支払いします。ですから、ちょっと来ていただきたいんですよ。もう少し、落ち着いて話しましょう」
「別料金だと……いくらだ?」
三井の目には、はっきりとした欲がある。どんな人間も同じだ。欲望を刺激する餌をちらつかせれば、やがて我慢できず食いつく。結果、隙が出来る。
「百万です」
言いながら、今川はカバンの中から札束を出した。三井の目の前で、札を一枚ずつ軽く弾いて見せる。
その途端、三井の目の色が変わる。思った通りだ。この男も、光穂や住友と同類である。金という餌をちらつかせられば、すぐに食いつく。
後は、糸を手繰り寄せるだけだ。
「あんた、何が聞きたい?」
「高村獅道について、あなたの知っていることを全て話してください」
「いいだろう。何でも聞いてくれ」
三井の目は、欲望でギラついていた。