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事件の真相(1)

「まさか、こんなにもすんなりと来ていただけるとは思いませんでしたよ。お会いできて、嬉しいです」


 そう言って、今川は微笑んだ。しかし、彼の目の前にいる女は、鋭い視線を向ける。


「話を聞くだけでいい、というから来たんです。あなた、本当にしつこそうだし……とにかく、さっさと終わらせてください。栞は今、ひとりで留守番をしているんですから」


 松村夏帆は、冷たい口調で言葉を返した。




 二人は今、駅前のカラオケボックスにいた。テーブルを挟み、向き合って座っている。

 前回、彼女と会った時……今川は、ヘラヘラした軽薄な態度で接していた。だが今は、きわめて真剣な表情を浮かべている。それどころか、緊張感すら漂わせていた。試合に臨む格闘家のごとき顔つきで、今川は口を開いた。

 

「まず、最初に言っておきます。仮にここで、あなたが何を言ったとしても、警察の判断は覆りません。また、僕が警察に何を言おうが、彼らは再捜査したりしないでしょう。松村広志を殺したのは、島田義人という結論は変わりません。そのことを考慮した上で、あなたに聞きます」


 そこで、今川は言葉を止めた。夏帆の表情を窺う。

 彼女は一見すると、落ち着いているようである。だが、その手は微かに震えていた。無言のまま、今川から視線を外す。既に、観念しているようにも思えた。

 少しの間を置き、今川は語り出す。


「松村広志を殺したのは、あなたですね?」


 一瞬、夏帆の表情は硬直した。目を閉じ、ふうとため息を吐く。


「なぜ、そんなことを言うの?」


 とても静かな口調であった。夏帆の顔には、動揺はない。落ち着いた様子で、こちらを見ている。もはや、ごまかす気はないのだろう。

 そんな彼女に向かい、今川は語り出した。


「この事件は、最初から最後まで、何もかもがおかしいんですよ。まず、義人の脱獄した奈越刑務所ですがね、あなたの家から車で一時間以上かかるんですよ。徒歩ならば、確実に数時間はかかるでしょうね。しかも、途中には山もあります。地図を持っていない彼が、野を越え山を越え、あなたの家を真っすぐ目指したとしたなら……まあ、翌日になってしまうでしょうね」


 語りながら、今川は思わず苦笑していた。自分は、いったい何をやっているのだろうか。小学生の頃に探偵もののアニメを観た時、あまりのアホらしさに笑ってしまったことを思い出す。ひとつの部屋に複数の容疑者を集合させ、得意げに推理を語る探偵……その姿が、とてもバカそうに見えたからだ。そんなことをしている暇があったら、殴り倒してでも犯人を捕まえて、さっさと警察に突き出せばいいのに。

 もし自分が真犯人ならば、集合を求められた時点で怪しいと気づき逃げ出すだろう……子供心に、そんなことを思った記憶がある。

 今の自分は、そのバカ探偵と同じことをしようとしている。こんな間抜けなことは、出来ればしたくなかった。だが、始めてしまった以上は、最後までやり遂げなくてはならない。

 自分の気持ちに、決着をつけるために。


「実はね、小山義雄とかいうバカなチンピラが教えてくれたんです。広志さんが殺された日の夜、あなたが猛スピードで車を走らせていた、とね。あなたの車に追い越された小山はカッとなり、散々煽った挙げ句に車を止めさせた。さらに窓を開けさせ、出るように行った……ここまでで、何か間違っている点はありますか?」


 だが、夏帆は何も言わなかった。無言のまま、じっとテーブルを見つめている。

 彼女は、そこに何を見ているのだろう……などと思いつつ、今川は話を続ける。


「あなたは、彼らに言われるがまま車の外に出た。普段のあなたなら、絶対にしないであろう選択です。しかも、その後は栞ちゃんまで連れて、三人のチンピラの命ずるまま山の中へと入って行きました。これは、どう考えてもおかしいですよね。普段のあなたなら、車から出ることなく、スマホで警察を呼んでいたはずです」


 今川は言葉を切り、彼女の反応を見る。だが、夏帆の態度は変わらない。その表情も、全く変わっていなかった。来る前から、既に覚悟を決めていたのかもしれない。たいした女だ、と思った。少なくとも、住友顕也や三井博光のようなチンピラよりは、ずっと肝が据わっている。

 これが、母親の強さか。

 それとも、あの事件が彼女を強くしたのか。


「小山らは、あなたを山を連れ込み因縁をつけた。恐らくは、けしからぬ行為に及ぼうとしたんでしょうな。ところが、その場に乱入してきた者がいた。そいつは、小山ら三人に不意打ちを食らわせて叩きのめし、着ていた上着と金を奪った。さらに、あなた方を連れてその場を離れた。あなたの車に乗って、ね」


 ここまでは、小山たちから聞いた話を基にしている。

 しかし、ここから先の話は、全て今川の想像に基づく推理だ。証拠はないし、裏付ける証言があったわけでもない。 

 もっとも、その推理には絶大なる自信を持っていた。


「あなたと栞ちゃんを助けた男は、島田義人ですね?」


 彼の問いに、夏帆の表情が歪んだ。

 少しの間を置き、彼女は無言で頷く。その顔からは、諦念が感じられた。もはや、くだらない言い訳は効かない……そう判断しているのだろう。


「やはり、そうでしたか。あなたと栞ちゃんは、脱獄した直後の島田と偶然に出会い、彼に助けられてしまった。あの男は、困っている人を見過ごせない性格でしたからね。まあ、彼なりの計算があったのかも知れないですが……それよりも純粋に、あなたたち親子を助けたいという気持ちに突き動かされたんでしょうな」


 そうなのだ。

 あの男は、困っている人間を放っておくことが出来ない性格だった。その性格ゆえに、損ばかりしていた。

 それは、死ぬまで変わらなかったらしい。


「その後、義人はあなたの車に乗り込んだ。ところが義人は、あなたと栞ちゃんのただならぬ様子を見て違和感を覚えた。彼は、何があったのかあなたに聞いた。精神的に追い詰められていたあなたは、先ほど家で起きたことを全て話してしまった」


 さて、ここからが話の核心である。果たして、夏帆はどう反応するだろうか。今川は彼女の表情を窺いつつ、話を続けた。 


「僕の思っていることを言いましょう。あの日あなたは、松村広志に暴力を振るわれた……いつもの通りに。彼には、DV癖があったことは知っています」


 広志のDV癖……それは、彼だけに責任があるのではない。全ては、彼が生まれた時から始まっていたのかもしれない。

 そんなことを思いながら、今川は話を続けた。


「だが、その日は普段と違っていた。あなたは身を守るため、彼を鈍器で殴打した。結果、広志は死んでしまった。殺したというより、事故に近いものだったのかもしれないですがね」


 その時、夏帆は久しぶりに口を開いた。


「違う」


「ほう、僕の推理は間違っているのですか?」


「間違いじゃない。ほぼ正解だよ。ただ、ひとつだけ違うところがある……あいつはね、栞を蹴飛ばしたんだよ」


 その瞬間、今川は思わず表情を歪めていた。広志という男は、どこまで腐っていたのだろうか。先ほど、広志に対し抱いた微かな同情の念は、一瞬にして消えていた。


「栞ちゃんを、ですか!?」


「そう。あの日、あいつは帰ってくるなり、あたしを殴った。会社で、何かあったんだろうね。あたしの腕や腹を、何度も何度も……」


 語る夏帆の声は震えていた。彼女にとって、それはつらい記憶なのだろう。恐らくは、彼女の人生において最悪の記憶。

 しかし、いかにつらくとも、自らの口で語らなくてはならない。


「あたしは、じっと我慢してた。いつものことだったからね。そうしたら、あいつはいきなり怒鳴った。あたしにじゃなく、別の誰かにね……あたしは、何が起きたのかと思って顔を上げた。そしたら、栞がこっちを見てた。いつのまにか、部屋から出て来てたんだよ。部屋から出ちゃダメだって、いつも言ってあったのに」


 夏帆は、激しさのこもった視線を今川に向ける。その視線は、ヤクザの大島ですら怯ませるようなものだった。今川は、思わず目を逸らしていた。


「そしたら、あいつは栞を蹴飛ばした。栞は、お腹を押さえて倒れた。このままだと、栞は殺される……あたしは止めようとして、必死で足を押さえた」


 一瞬、夏帆は言葉に詰まる。ここからが、もっともつらい部分だ。出来ることなら、言いたくはないだろう。

 だが彼女は、言葉を搾り出した。


「あいつは、すっ転んで壁の角に頭を打って倒れた。次の瞬間、頭から血ぃ吹いてたよ……ほんの数秒で、床は血まみれ。栞は、真っ青な顔で震えてた。あたしは、思わずあの子を抱きしめて部屋に入った」


 乱暴な口調だった。しかし、夏帆の顔は青ざめている。その口元には、笑みが浮かんでいた。無論、おかしくて笑っているのではない。笑うことで心を麻痺させながらでないと、語ることが出来ないのだ。心の均衡を保てないのだろう。

 今川は、松村輝のことを思い出した。彼もまた、よく笑う男だった。広志という男は、他人の心を破壊するのが得意らしい。

 もっとも、今は誰の心も破壊できないが。


「しばらくして、あいつが死んでいることを知った。あとは、ほとんど覚えてない。気がついたら、栞を連れて車に乗ってた。一刻も早く、あの家から離れたかった……」


 夏帆は、下を向いた。同時に、嗚咽の声が聞こえてくる。今川は何も言えず、彼女から視線を逸らす。彼女はやっと、己の人生における最悪の出来事を語り終えたのだ。それは、広志に殴られることより遥かに苦しかっただろう。

 それでも、夏帆は告白しなくてはならなかった。己の罪と、もう一度向き合うために。




「これから、どうする気? あたしを警察に突き出すの?」


 ややあって、落ち着きを取り戻した夏帆が聞いてきた。今川は、首を横に振る。


「さっきも言いましたが、それは出来ません。そんなことをする気もありません。ただね、あなたにひとつ聞きたいことがあるんですよ」


「何よ?」


「あの……義人が射殺される直前に、あいつとあなたの間に、どのようなやり取りがあったのかを聞かせてくれませんか?」


「そ、それは──」


「お願いですから、聞かせてください。僕は、ずっと義人のことを調べていました。彼のことを、他人とは思えないんですよ。今では、ずっと昔からの知り合いのようにさえ思えてきましてね。その義人が、死ぬ間際にあなたと何を話したのか……僕は知りたいんです」




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