チンピラ
「あ、あんた何なんだよ……」
呆然とした表情で、小山義雄は呟いた。
彼の目の前には、ひとりの若者が立っている。年齢は、二十代の半ばだろうか。髪は長めで、中肉中背の体を安物のスーツで包み込んでいる。その表情には締まりがなく、全体的に軽薄そうな雰囲気を漂わせていた。
だが、そんなことはどうでもいい。
ここはどこだ?
自分はなぜ、ここにいる?
・・・
小山は、いかにも不快そうな顔つきで町を歩いていた。
その不快感には、れっきとした理由がある。先ほど、パチスロで有り金のほとんどをスッてしまったのだ。おかげで、生活費がなくなった。
さて、どうしよう?
こんな時には、ありそうな奴から借りればいい。小山は、かつあげをすることにした。彼は人相が悪く強面であり、脅し方も心得ている。かつあげには、これまで何度も成功していた。
そう、この男は……金がなくなったら、かつあげや万引きや自販機を壊すなどして日銭を得ていた。完全なる犯罪者だが、当の本人には罪を犯しているという自覚がない。そもそも、この男は幼い頃より、犯罪スレスレのことをやらかしていた。罪の意識など、とうの昔にどこかに置き去りにしたまま成長していた。結果、ろくでもないチンピラという現在の姿がある。
そして今も、酔っ払いを相手に小銭を稼ごうとしていた。
だが、彼の望みは叶わなかった。人気のない裏通りを歩きながら、カモを物色していた時……背後より、何者かの腕が首に巻き付く。
直後、ぐいっと絞め上げられた。気道と頸動脈を絞められ、小山は抵抗すら出来ない。
彼の意識は、闇へと沈んだ──
「ほら、早く起きなよ。僕だって、暇じゃないんだ」
声が聞こえた。と同時に、頭を鈍い痛みが襲う。
小山は、目を開けた。意識はまだはっきりしないが、体を動かないことに気づいた。ガムテープのようなもので両手首と両足首をぐるぐる巻きにされた挙げ句、パイプ椅子に座らされている。周囲はコンクリートの壁が剥き出しになっており、床には埃やゴミくずなどが散乱していた。
そして、目の前には軽薄そうな若者が立っている。
・・・
「僕の名は、今川勇三……フリーのルポライターさ。そして、ここはかつて病院だった場所だよ。もっとも、今は廃墟だけどね。だから、泣こうが喚こうが誰にも聞かれない」
そう言って、今川は周りを指し示す。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。あんた、誰と間違ってないか? 俺、あんたなんか知らないよ」
愛想笑いを浮かべながら、小山は必死で語りかけた。目の前にいる青年は、人畜無害に見える。だが今の状況をもたらしたことを考えれば、明らかに普通ではない。何を考えているのかは不明だが、下手なことを言うと何をされるかわからない。
しかし、今川は彼の質問を無視してスマホを取り出す。
「君は今年の九月一日、この女性に会ったよね?」
言いながら、今川はスマホの画像を見せる。だが、小山は首を横に振った。
「えっ? いや、知らないけど」
その途端、今川の目がすっと細くなった。
「嘘つかないでくれ。僕は知ってるんだよ……君たちは、この女性に会った。車の中には、小さな女の子も一緒に乗っていたんじゃないのかい? とぼけると、面倒なことになるよ」
言いながら、今川はポケットから何かを取り出した。凶器でも出てくるのかと思い、小山はビクリとなる。
だが、それはボールペンだった。ホッとした瞬間、小山は素直に頷いていた。
「わ、わかったよ。会った。確かに会ったよ」
「会っただけじゃないよね。君は、この母と娘を脅したんじゃないのかい?」
「えっ……い、いや、知らないよ」
思わず否定していた。これは、彼の人生に染み付いた処世術である。ヤバいと感じたら嘘をつく。今までは、それで上手くいっていた。
だが今川には、それは通用しなかった。
「君は、どうしようもない嘘つきだねえ。本当のことを言ったことがないのかい? もしかして、嘘をついていないと体に発疹が出るとか、そんな奇病にでもかかっているのかい?」
真顔で、そんなことを聞いてきた今川。普段だったらクスリと笑っていただろうが、今の小山には笑う余裕がなかった。
「いや、そういうわけじゃ……」
直後、太ももに激痛が走る。小山は悲鳴を上げ、反射的に飛び上がろうとした。
今川が、彼の足にボールペンを突き刺したのだ──
「本当のことを言って欲しいな。この女性と君たちとは、どんな形で接触したんだい?」
言いながら、今川は血の付いたボールペンを振り上げる。小山は、怯えた顔で首を縦に振った。
「わ、わかりました! あの、みんなで車に乗って国道を走ってたら……いきなり、ブワーってとんでもないスピードで追い越されたんですよ」
その言葉を聞き、今川の眉間に皺が寄る。
「ちょっと待って。君の話は、非常にわかりづらいな。誰の車が追い越したの?」
「は、はい、その女の乗った車です」
「つまり、夏帆さんの乗った車が、君らの乗った車を追い越して行ったんだね」
「はい」
「で、君らはどうしたの?」
「ええと、あのう、それは……」
口ごもる小山。その反応を見て、今川はため息を吐いた。
「また、嘘をついてごまかそうとしてるの? やめてくれないかな。本当のことを言ってくれないと、もっと痛い目に遭うよ」
今川は、冷酷な目でボールペンを振り上げる。その途端、小山は怯えた表情で叫んだ。
「すす、すみません! 言います! け、警察には言わないですよね!?」
「言わないよ。だから、正直になってくれないかな」
「わかりました……ムカついたんで、煽りました」
「煽ったのか、なるほどね。具体的には、何をしたの?」
「ええと、あのう、後ろからしばらく付いて行きました」
「それだけじゃないよね?」
静かな口調で問い詰められ、小山は顔を歪める。
「あのう、クラクションも鳴らしました」
「何回くらい?」
「わからないです」
「一回や二回じゃないのは確かだよね?」
今川は、またボールペンを振り上げた。すると、小山はウンウンと頷く。
「は、はい!」
「その後は何をしたの?」
「ピッタリ横に付けて走らせました。そして、仲間が窓開けて怒鳴りまくって……そしたら向こうが車を止めたんで、こっちも出て行って話をつけようとしたんです」
その言葉に、今川は訝しげな表情になった。
「君、いい加減にしなよ。君みたいな人相の悪い若者に煽られたら、普通は逃げるか警察呼ぶかするよね。車を止めるなんて、自殺行為だろう。その展開はおかしいだろ」
「で、でも本当なんですよ。向こうは路肩に車を止めたんで、こっちも車も止めて、みんなで出て行きました」
「すると、車の中には夏帆さんと栞ちゃんがいた、と。君らは、夏帆さんだけでなく栞ちゃんまで連れ出したんだね」
「はい」
小山は頷いた。その時、太ももから流れる血で、ズボンが赤く染まっているのが見えた。
真っ赤な血の色が、さらなる恐怖を生む。目の前の男は、何をするかわからない。
「で、君らは話し合いをしたんだね?」
「そ、そうです」
チッと舌打ちする今川。小山は、ビクリとなった。
「どうせ、まともな話し合いじゃないんだろ。君らは、暴力を背景にして二人を脅した」
「いえ、そういうわけじゃないんですが──」
「脅したんだよ、ね? 彼女の免許証もチェックしたはずだ。違うかい?」
今川に念を押され、小山は仕方なく頷いた。
「はい……」
「その話し合いの最中に、何が起きたの?」
「そこからは、俺にもよくわからないんです。いきなり、変な男が森の中から出て来て……殴りかかって来たんです。本当にいきなりだったんで、みんなやられちまって……」
「その変な男ってのは、この人かい?」
言いながら、今川はスマホの画面を見せる。だが、小山はかぶりを振った。
「いや、辺りは暗かったんで、よく見えなかったです。それに、いきなりだったし……」
「なるほどね。で、その後は?」
「その男は、女と子供を連れてどこかに消えました。俺らは、しばらくしてから車に戻ろうとしたんです。そしたら、車の周りに二人の警官がいるのが見えて……やべえと思って、すぐに逃げ出しました」
「なんで逃げたんだい? 君ら、この時点では被害者に近いような気がするんだけど」
「いや、それは、その……」
「乗ってた車が、盗難車だったからだろ?」
「そ、そうです」
今川は、深いため息を吐いた。やれやれ、とでも言いたげな表情で天井を見つめる。
「君は、本当に嘘ばかりつくんだね。しかも、今聞いただけでもクズな生き方をしている。出来れば、今すぐ警察に突き出してやりたいところだ」
その途端、小山の表情が崩れる。泣きそうな様子で叫び出した。
「そ、そんなあ! 警察には言わないって約束したじゃないですか! 俺、もう一度パクられたら少刑(少年刑務所を指すスラング)に送られるんですよ!」
「安心しな。僕は、君らとは違う。約束は守る……だから、今すぐ僕の目の前から消えてくれ。でないと、気が変わるかもしれないよ」
小山を解放した後、今川はひとりで考えていた。
松村広志が殺された日、夏帆は栞を連れて車を走らせていた。しかも夜の十時過ぎに、である。
彼女が、車でどこに行くつもりだったのかは不明だ。夜の十時に、子供と一緒に行く用事とは何だろうか。
その目的はなんであれ、途中で小山らの乗る車を追い越してしまい、挙げ句に煽られてしまう。
恐らく、夏帆は怖かったのだろう。それは理解できる。ただし、彼女の取った行動は余りにも無茶だ。車を停め、小山らと話し合うために外に出るとは。
チンピラの見本のごとき風貌の小山ら三人に煽られ、挙げ句に車を停めさせられたら……普通は、身の危険を感じ警察に通報するのではないだろうか。しかも、車には栞が同乗しているのだ。娘の安全を考えれば、車から出るという選択肢はありえないはず。
その、ありえない選択をしてしまったのは何故か。
夏帆は当時、気が動転していたからだ。彼女のキャパシティを遥かに超える事態に遭遇し、正常な思考が出来なくなっていた。
彼女のキャパシティを超える事態、それは何だろうか。
その時、階段を昇る足音が聞こえて来た。
今川が振り向くと、ツナギのような作業服を着た男が姿を現した。年齢は三十代から四十代、中肉中背でこれといった特徴はない。顔つきも温厚そうで、人ごみに入ればあっという間に溶け込んでしまうだろう。
だが、この男は平凡ではない。名前は天田士郎、今川の協力者である。裏の世界にも顔が利く。
「お前、いいのか? あの小山とかいう奴、泣きそうな顔で出て行ったぞ」
天田の言葉に、今川は苦笑した。
「ああ、いいですよ。どうせ、あいつは雑魚以下のクズです。放っておきますよ」
「そうか。で、次はどうするんだ?」
「いえ、大丈夫ですよ。もう、謎はほとんど解けました。ほぼ想像通りでしたよ。あとは、本人に事実確認をするだけです」
そう言うと、今川は立ち上がった。
「それにしても、今回は疲れました。やっぱり、慣れないことはするもんじゃないですね」