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松村伸介

「私が誰だか、わかっているのか? こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」


 その問いに、今川はクスリと笑った。


「もちろん、わかっていますよ。あなたは、松村伸介マツムラ シンスケさんです。かつては、東京検察庁で検事をされていました。そして今は、凄腕の弁護士……素晴らしい経歴ですね。ついでに言いますと、先日亡くなられた松村広志さんの父親でもあります」


 彼の言葉に、伸介は表情を歪めた。

 ここがどこなのか、全くわからない。

 目の前にいる男が、何者なのかもわからない。目的が何なのかもわからない。

 何もかもが、理解不能だ──


 ・・・


 その日、伸介は酔っていた。

 近頃、運の悪いことが続いている。その最たるものは、息子の広志の死であるが……そこから、彼の身の回りに不運な偶然が連発する。伸介は、あちこち飲み歩くようになっていた。

 今夜も、伸介は飲んでいた。お気に入りのキャバ嬢がいる店でしたたかに酒を飲み、タクシーで帰る……いつものこと、なはずだった。

 しかし、今日はいつもとは違っていた。タクシーを降りて、ほろ酔い気分で歩いていた時のことだ。

 突然、背後から首に何かが巻き付く。はっと思った時には既に遅く、伸介の首は強靱な腕で絞め上げられていた。

 伸介は抵抗すら出来ず、ほんの数秒で絞め落とされていた。


 どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 伸介は、意識を取り戻した。と同時に、体が動かないことに気づく。頑丈なダクトテープで両手首と両足首をぐるぐる巻きにされた挙げ句、パイプ椅子に座らされていたのだ。周囲はコンクリートの壁が剥き出しになっており、床には埃やゴミくずなどが散乱している。

 そして目の前には、パイプ椅子に腰掛けた若い男がいた。今川勇三である。


「やっとお目覚めですか」


 そう言うと、今川は立ち上がった。大袈裟な動きで、お辞儀をする。その仕草は、とてもコミカルなものだった。

 しかし、伸介はにこりともしない。まあ、この状況で笑えるはずもないが。


 ・・・


「君は誰だ!? 一体、何が目的だ!?」


 怒鳴りつけた伸介に、今川はすました表情で口を開く。


「あなたも、ずいぶんバカな真似をしましたね。あんな三流以下の連中を差し向けるとは、ね。あれで、全て丸く収まるとでも思ったのですか?」


「いったい何のことだ?」


 その時、今川の片眉がピクリと動いた。目には、凶暴な光が宿る。


「あなた、とぼける気ですか? 桑原興行の下っ端を僕のところによこしたのは、あなたですよね。奴ら、ちょっと脅したら洗いざらい白状してくれましたよ」


 彼の言葉に、伸介ははっとなった。桑原興行……その名前には、聞き覚えがある。最近、亡くなった息子のことを調べている男がいると聞いた。フリーのルポライターで、名前は確か……。


「では、君が今川勇三か」


 伸介は、ようやく今の状況を理解した。自分を拉致監禁しているのは、売れないフリーのルポライターであるらしい。つい先日、亡くなったばかりの広志のことを、いろいろ探っていた男のはず。

 一方、今川はニヤニヤしながら頷いた。


「はい、その通りです。僕が今川勇三ですよ。ついでに言っておきますと、この周囲には誰も住んでいませんよ。したがって、どんなに大声を出そうが、誰にも聞かれません」


 伸介は、顔を歪めて周りを見る。だが、彼の目に映るのは灰色のコンクリートだけだ。


「何が目的だ?」


 声を震わせながら聞いた伸介に、今川はクスリと笑った。


「あなたは、二人の息子さんを殴ってしつけていたようですね」


「だ、だからどうした。悪いことをすれば、叱られるのは当然だろう」


「あなたは、昭和の価値観から未だに抜け出せないようですな。まあ、いいでしょう。あなたは、腕力にものをいわせ息子たちを教育していた。ところが、あなた方親子の力関係が逆転する日が来てしまったんですよね。ある日、あなたは成長した広志さんに叩きのめされた」


 そこで言葉を止め、今川はじっと伸介を見つめる。何か違ってる点があるか? あるなら言ってみろ……とでも言わんばかりに。

 だが、伸介は何も言えなかった。彼の言葉に、間違いはない。伸介はただ、うつむくことしか出来ない。

 そんな伸介を、今川は冷ややかな目で見つめる。

 少しの間を置き、今川はふたたび語り出した。


「まあ、それは仕方ないとしましょう。しかし、その後の対処はまずかった。あなたは広志さんを放任し、何をしようが口を出さなかった。結果、広志さんは増長していった」


 淡々と語っていく今川。一方の伸介は、何も言えず唇を震わせていた。今川の語る言葉は、今までひた隠しにしていた松村家の秘密だったから。


「広志さんは、中学高校大学でスーパーエリートを演じ続けていた。だが、彼は真のスーパーエリートではない。必ず歪みが出る。その歪みを正すため、彼は弱者へと暴力を振るった。あなたのようにね」


 伸介は、思わず顔をしかめる。恐れていた事態が、現実のものとなってしまった。やはり、この男は全てを知ってしまったのだ。家族に暴力を振るっていた息子と、それを放任していた父……この事実が公になれば、弁護士・松村伸介は終わりである。

 一方、今川はすました顔で言葉を続けた。


「あなたは知っていたんですよね。広志さんが、妻である夏帆さんに、繰り返し暴力を振るっていたのを」


「何を言ってるんだ。そんなこと、私が知るわけないだろう」


 その時、今川はため息を吐いた。


「やめましょうよ、そういうの。この話、誰から聞いたかわかりますか? あなたのもうひとりの息子である松村輝さんですよ」


 伸介の表情が、またしても変化した。


「ひ、輝に会ったのか!?」


「ええ、会いました。彼はね、こう言っていましたよ……あなた方を、クズだと」


 伸介は、何も言えず下を向いた。それは、家を出て行く時に輝が言い放った言葉だった。


「輝さんは、広志さんからの暴力に耐え続けました。なぜ、彼が黙って耐えていたのか……はっきりしたことは僕にはわかりません。ただ、ひとつだけ確かなことがあります。彼が家を出る決意をしたのは、あなた方が栞ちゃんを差別していたからですよ。それを聞いて、彼は初めて家を出る気になったんです。あなた方は、あんな子供なら生まれない方がよかった……と言っていたそうですね」


 その時、伸介は顔を上げた。


「そんなことはしていない!」


「とぼける気ですか? あなたも、往生際の悪い人ですね。悪いけど、僕は輝さんの言ったことを信じますよ。あなたも、あなたの奥さんも、広志さんも、栞ちゃんのことを可愛いとは思っていなかった。耳が聞こえず、喋ることが出来ないという理由で、可愛い孫を差別し外出すらさせなかった。さらには、夏帆さんのせいであんな子供が生まれた……とも言っていたそうですね」


「ち、違う。誤解だ」


 そう、誤解だ。伸介は、息子と話を合わせただけなのだ。

 伸介は恐れていた。広志の言うことに反論したら、彼は暴力を振るう。万一、この歪んだ親子関係が他人に知られてしまったら……伸介は、今まで築き上げてきたものを全て失う。

 だが、今川は冷酷な表情で言葉を返す。


「何が誤解なんですかねえ。まあ、それはいいでしょう。夏帆さんも栞ちゃんも、いずれ松村の姓を捨てることになりますから。二人は、あなた方とは永遠に無関係な他人となります。ただね、使えないチンピラトリオに僕を脅させた……あれは、いただけないですな。はっきり言って、僕は怒っています」


 不意に、伸介の体が震え出した。目の前にいる若者は、普通ではない。駆け出しのルポライターが、短期間でここまでの情報を得られるはずがない。

 この男、何者だ?


「あなたは、それなりに裏の世界にも顔が利くんですよね。だったら、金をケチらずに、もう少しまともな連中を雇うんでしたね。僕は、はっきり言って不愉快です。あなたには、それなりの代償を払ってもらいます」


「ふ、ふざけるな! 私を誰だと思っている! 警察の上層部にも知り合いがいるんだぞ!」


 その言葉は、怒りから発せられたものではない。恐怖ゆえに出たものだった。伸介は、目の前の男が何者なのか、ようやくわかりかけてきたのだ。

 今川は怯みもせず、鼻で笑った。


「ほう、それは凄いですね。では、その知り合いを今すぐここに呼べますか? この窮地から、あなたを救ってくれるんでしょうかね?」


 伸介は、恐怖を隠しきれなくなった。全身の震えを止めることが出来ない。口の中で、カチカチと歯が当たる。

 実際の話、伸介には警察の上層部に知り合いがいる。ヤクザとの繋がりもある。これまで、かなりの数のヤクザを見てきたのだ。その中には、人を殺した経験のある者もいたし、ヒットマンと呼ばれる者もいた。

 しかし今、伸介の目の前にいる者は……根本的に何かが違う。ヤクザは、金のために人を殺す。金にならなければ殺さない。だが今川は、金にならなくても何のためらいもなく殺すだろう。

 今川勇三……この男、何者だ?

 そして、目的はなんだ? 自分はどうなる?


「あんな連中を差し向ければ、僕が手を引くとでも思ったのですか? あなたはかつて検事だったし、今は弁護士だ。その人脈をフルに活かして僕のことを調べてみれば、桑原興行のザコを差し向けるような真似はしなかったでしょうね」









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