3話
「念のため、周囲の警戒に入りますね」
「フィーラちゃんも、瘴気を纏った輩がいないか、見てるわ!」
「ああ、大気や大地に聞いた感じ、潜んでいる奴等はいないみたいだが、念のために頼んだ」
そうして、リンネとフィーラの二人が、周辺に散らばっていると
「お見事……流石の太刀筋ですね、アイゼンさん」
そんなことを言いながら、背後からロウが馬車と共に近寄ってきた。
「凶暴化していて動きも真っすぐで単調だったからな。――それよりも、この子が心配だな」
俺は地面で、へたり込んでいる炎狐に目を向ける。
リザードマンがいなくなったことで威嚇はしておらず、体毛の炎化も弱まっている。
だからこそ分かる。
体のところどころが引き裂かれており、赤い血で染まっていることに。
「フウ……フウ……」
息も荒い。
その様子を見て、ロウも眉を顰める。
「……大怪我をしていますね」
「ああ、治療しないと危険だ」
言いながら炎狐に一歩、近寄った。ただ、
「……フウウウウウ!!」
へたり込んでいた炎狐は、再び威嚇を始めた。
更には、毛皮の炎化も強まった。
その炎の勢いに、ロウはわずかにたじろぐ。
「むう、先程のリザードマンに襲われている時もちらりと見えましたが。毛皮がこれだけ強い炎に変化してしまうと、触れるのも危ないですね」
「炎狐特有の、感情が高ぶったときの現象だな」
炎狐は、必ずしも意識的に、炎を操れるわけではない。ひどく興奮していたり、感情が強すぎたりすると、自動的に体に炎を纏ってしまう。
……それに、怪我をしている最中に見知らぬ人間がやってきたんだしな。
興奮して当然だ。
「成体の炎狐は家一つを軽く燃やすくらいの火力を持ちますからね。この子はまだ幼いですが、それでも結構な火傷する位の火にはなるでしょうし。うかつには近づけませんね」
「ま、そうだけどな……だけど、このままだと衰弱死するだろうし放ってはおけないさ。――ってなわけで、ロウ。回復ポーションは持ってるか?」
言うと、ロウは首をひねった。
「ポーション、ですか。馬車に積んではありますが……人間用に調合されたものと、ユニコーン用のものだけですね。だから、この炎狐という種に、完全に効くかどうかはちょっとわからないです。魔獣に効く成分と効かない成分、それに効きすぎる成分が入っている場合がありますから……」
「ああ、ユニコーンも回復させるときは、人間用のとは別の薬を使っているのはそれが理由だよな」
ポーションは、種族によって、作り方を変えることがほとんどだ。
効かなすぎと効き過ぎを防止するためだ。
……薬効も、効きすぎれば毒になるからな。
汎用的なポーションもないわけではないが、大抵、効果も薄い。
強力な回復を行う場合は、各種族に合わせた材料で、合わせた作り方をする必要がある。
当然のことであり、ロウが難しい顔をする理由も分かる。
むしろ、それが分かっているからこそ、二種類のポーションを積んでいる訳だし。
ロウが首をひねる理由もわかる。だけども、
「ああ、その二つでいい。貰えるか?」
そういった。すると、ロウはすぐに頷いて、
「勿論。アイゼンさん達の旅の為に用意したものですから。どうぞ使ってください」
道具箱から二本の薬瓶を取り出し、手渡してきた。
青い液体の入ったものと、赤い液体の入ったものだ。
それぞれ、『人』と『馬』というラベルが張られている。
「見ただけでも両方とも、質の良いポーションだってわかるな」
「交易都市特製のものですから。――それで、どう使うのです?」
「どうするも何も、いつも通り、ちょっと話をするだけだよ。この薬たちとな」
「薬と、会話です、か?」
ロウは首をかしげている。
確かに何を言っているか、言葉だけでは分かりづらい。とはいえ、説明をしている時間もないし、動いて見せれば分かるだろうと、
「【回復薬よ。この子を治すために俺に協力してくれ】」
俺は、持っている二本の薬瓶に、声を掛けた。
すると、薬瓶の周囲にわずかな光がまとわりついた。
「協力してくれるんだな。ならまずは、君がどうできたか材料を教えてくれ」
言うと、薬瓶の中の液体がゴボゴボと沸き立った。
それを見て、
「薬と……会話しているの、ですか」
ロウは驚きの声を上げた。
どうやら、先程言った意味を分かってくれたようだ。
俺はロウに頷きを返しつつ、薬から来る返答に集中する。
「ありがとう。使うとするなら、こっちの青い、人用のだな。ロウ、こっちは返すよ」
俺は、ユニコーン用のポーションをロウに手渡した。
「あ、はい。分かりました」
そして俺は手に残った人用ポーションに目線をやりながら、再び声を掛けた。
「そうだな。【……君の中にあるブルーベラドンナと、レイクオニオンだけ抜けてくれるか?】」
すると、先程の会話時よりも激しく、液体がごぼごぼと沸き立った。
それこそ、瓶の口から、噴き出すほどに。
そのまま水分として、こぼれていくこと数秒。
沸き立ちは収まった。そして、
「ポーションの色が、変わった……?」
青色だったポーションが、白色へと変化したのだ。
ロウは眼鏡ごしに目をぱちくりさせながら、白いポーションを見ている。
「魔力の構成も変わっていますし。言葉で変化させたのですか?」
「そうそう。このポーションが親身になってくれてな」
他者を治すもの、として作り出された覚悟や意識が、しっかりと伝わってきた。それくらい良いポーションだった。
「――ああ、自分の身を削ってくれて、ありがとう。これでこの子には大丈夫なものになったよ」
そんな声を掛けると、ポーションはチャプンと一度波打って、そして、それきり静かになった。
「これでよし、と。あとは、薬を塗り込むだけだ」
〇
薬を手にしたアイゼンは、再び炎狐に向けて歩み寄った。
今度は、手で触れられる距離まで、だ。
「フウ……ウ……!!」
相変わらず炎狐は警戒して、威嚇している。けれども、そのまま放置すればするほど、出血は酷くなるばかりだ。
……野生の魔獣故、仕方ない部分もありますが……。
でも、どうするのだろう、とロウが思っていると、
「よいしょっ――と」
アイゼンはそのまま、更に踏み込んで、炎狐を両手で抱きかかえた。
「フウッ……!?」
――ボウッ!
と、アイゼンの胸元で炎が沸き立つ。
炎狐の尻尾と体毛が炎化したのだ。
「――っ! アイゼンさん!」
ロウは思わず息を呑んだ。しかし、
「大丈夫だ、ロウ」
アイゼンはいたって冷静だった。
今も炎の塊を両手で抱き抱えているのに、だ。
そして、その落ち着いた雰囲気のまま、
「君も、大丈夫だ。安心していい」
炎狐にも声を掛けて、撫でている。
慈しむように、と表現するのがふさわしいだろうか。
その声にも表情にも、焦りや恐怖は見えなかった。
抱く両手にも、まったく力が籠った様子もない。
そんな様子を炎狐も感じ取ったのか、
「きゅ……う……?」
じわりじわりと、炎化が収まっていく。
「よし、良い子だ」
そのまま撫でる事数秒。
その毛皮は黄色の物に戻った。
「落ち着いた……。でも、アイゼンさん、火傷は……」
「俺は問題ない。ロウも安心してくれ」
そう言って、アイゼンは、炎狐を撫でていた手――傷一つない皮膚で出来た掌をヒラヒラとこちらに見せてから、
「さ、ゆっくりとかけるぞ」
薬瓶から、少しずつ、炎狐に白い液体を零していく。
警戒されないようにするためか、撫でながら、ゆっくりと傷口にふれさせていく。すると、
――フワッ
と、白い光が、炎狐の傷口を覆った。
そして数秒もすれば、ぱっくりと開いて血を流していた裂傷が消えていた。
「す、凄い。もう治っている……?」
目に見えて分かるほどの効果だ。高級なポーションであれば、人間が怪我をしたときに、似たような効力をもたらすことはあるけれど。
「人間用のポーションがこんな効き目をもたらすなんて、初めて見ました……」
「まあ、実際にはもう人間用じゃなくて、火狐に回復効果をもたらすポーションになったんだけどな」
こちらの言葉に、アイゼンは炎狐に薬を塗布しながら声を返してきた。
「薬を変化さえたのは分かっていましたが、これはもはや作り替えのレベルですよ……。アイゼンさんはそこまで出来るのですか」
普通、人以外にあのポーションを掛けても、ここまで圧倒的な回復をする事は無い。それはカンパニーにいる《調薬師》が何度も実験をして、データとして出ているものだから間違いはない。
しかし目の前の炎狐は、確実にそのデータを超えた回復を見せている。
魔眼で魔力の構成が変わっている事そのものは、確認できていたけれども。
……これはもはや変化という言葉で済ませて良い物か怪しいですよ。
ここまでしっかり効く薬に新造されているといった方が良い気がする。
そんな驚きを伝えると、アイゼンは微笑と共に、手にある薬瓶を振った。
「正確には、このポーションたちが自発的に作り直ってくれたって方が正しいけどな。このポーションには、負傷した存在を治したいっていう気持ちが詰まっているからさ。その意志が込められた薬が、協力してくれたんだよ。俺がやったのは、火狐に有効な成分はこれで、駄目な成分はこれだ、って説明しただけだ。だから、凄いのはこの薬そのものと、作った人だよ」
そんな風に、何てこと無いような感じで言いながら、アイゼンは微笑むのだった。
〇
「な、なるほど……いや、ですが、火狐に有効な成分を知っていなければ出来ませんよね? まさかそれも習得されていると……」
汗を浮かべながらロウがそんなことを言ってくる。
「薬剤や薬草の知識そのものは、普通に持っていたし、昔は魔獣使いの弟子と一緒に治療したりもしたからな」
多少、調薬の心得があるから、薬からの協力があればある程度までは出来る。
「す、凄まじいですね。薬師のような事を出来るなんて」
「まあ、言葉を聞くっていう、預言者の力の応用の一つだからさ。本職の薬師とは、やっぱり出来ることが違うんだけどな」
本当は薬のことならば、薬師に任せた方が効率が良いのだから。
などと思っている間に、
「――っと、もう動けるみたいだな」
胸元の炎狐が、手足をもぞもぞと動かし始めた。
「きゅーん」
炎狐は、自分の負傷していた部分を見て、不思議そうな顔をしている。
瞬く間に治ったのだから、驚いているのだろう。
「裂傷もほぼ治っているな」
傷跡もない。
気になるのは背中にある、赤っぽい一部分だが、
「この背中にある三日月っぽい赤い毛は……血じゃなくて毛色による模様か。それなら、大丈夫だな」
血液で染まったという訳でもないし、生まれつきのワンポイントなのだろう。だとしたら、背中も腹も含めて、胴体はもう完璧に治っていると言っていい。
「……あとは、念のため薬を沁み込ませた包帯もまいておきたいところだが。あるか、ロウ」「包帯ですか? もちろんありますとも」
深い負傷部分にもしっかり薬を塗りこんだが、出血による消耗もあるだろうし。ポーションは持続的に使用すれば、魔力回復や体力回復の効果ももたらしてくれるから、丁度いいだろう。
そう思って、俺はロウから包帯を受け取って、ポーションを浸してから、炎狐に巻きつける。
動きを邪魔しないように、あくまで胴体や足の一部分に巻くのに留めるが、
「これでよしと」
これでひと通りの治療は終わった。
「動き回るくらいは出来るはずだぞ」
俺は炎狐を、地面にゆっくりと下ろす。
「ぅ……」
炎狐は恐る恐る地面に足を付いて、ペタペタと歩き出す。
そこの動きで自分の身体に全く痛みがない事に気付いたのか、
「きゅ……!」
ぴょんぴょんと、小さく飛び跳ねるような動きをし始めた。
怪我は、上手く治ったようだ。
「嬉しそうですね」
「ああ、喜んでくれたみたいだな」
まだ動きはぎこちないけれども、炎狐の表情に苦痛のソレはない。
半日もしない内に、魔力も体力も完全に回復しているだろう。
「無事に終わって何よりだな」
「はい。……しかし、アイゼンさん、火傷は本当に大丈夫なんですか」
ロウは俺の腕や、胸元を見ながら言ってくる。
ちょっとした黒ずみがついているからだろう。ただ、
「まったく問題ないよ。ちょっと服は焦げたけど。体には全く被害はない。この服は、肉体を防護してくれる魔法が掛かっているんでな」
炎狐の炎程度であれば、何もしなくてもダメージを受けない程度には守ってくれる。そういう服だ。
「そうなんですね……。でも、服そのものは焦げてしまっていますが、着替えなどを見繕いましょうか? 荷物にあると思いますが」
「それも大丈夫だ。この服はある程度の傷なら自動修繕してくれるからさ」
言うと、ロウは眼鏡をはずして、俺の服を注視する。
そして数秒ほど見てから、なるほど、と頷いた。
「……今更気付きましたが、魔法が掛かっているのですね。しかも、修繕時のみに魔力が感じられる条件発動型の魔法、ですか」
「おお、そこまで分かるか。そうなんだよ。弟子の一人が職人の組合をやっててな。そこの仲間たちで、作ってくれたものなんだ。『師匠はあまり服装に頓着しないようなので、作りました。是非着てください』って」
布を織るところから作り上げて貰ったもので、受け取って以来大切に着用させてもらっている。
……自動修復の魔法は、汚れなどにも反応してくれるから、いつでも清潔に着れて気分がいいしな。
性能的にも良い物だったので、とてもありがたいものだと思う。
「なるほど……もはや、マジックアイテムと言うべき服ですね。このような魔法を付与するのは難度もコストも高いというのに、……さすがは預言者アイゼンの装備品です」
「作ってくれた人達の腕がいいってだけで、俺はなにもしてないけどな――っと?」
喋っていると、足元を走っていた炎狐が、俺の足をよじ登って来ていた。
「どうした?」
「きゅう……」
そして炎狐は、俺の服の焦げたところぺろぺろと舐めている。
表情からも、申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
この子なりの謝罪なのだろう。
「うん、ありがとうな。直るから、平気だよ」
伝えながら、一撫ですると、炎狐はこくりと頷いた。
それだけで、どうやら落ち着いたようだ。
……もう良さそうだな。
そう思った俺は、炎狐を地面に降ろして、
「さ、そろそろ行くか」
立ち上がった。
それに合わせて、リンネとフィーラも戻ってくる。
「出立ですね、先生」
「見回りもして安全確保もしたし、フィーラちゃんたちも準備出来てるわよ、マスター!」
炎狐を治療している間、きっちり周りを見張っていてくれたらしい。自発的に動いてくれるのはとても助かる。
「ありがとうな二人とも。じゃあ、馬車に戻るか」
リンネとフィーラに声を掛けて、そして俺は炎狐の方も見る。
「それじゃあな。俺たちはあっちに行くから。君は住処に帰ると良い」
怪我も治ったし、あとはやりたいようにするだろう。
そう思って、去ろうとした。
――のだが、
「きゅ……」
「ん?」
炎狐が、その両手で俺のズボンのすそを引っ張っていた。
というか、足にしがみついていた。
「どうした?」
問うと、顔を上げて、こちらをじっと見ている。
それを見て、あー、と声を上げたのはリンネとフィーラで、
「先生、その子……」
「これは、もうアレね。なんだか、私たちと同じ匂いを感じるわね!」
そんなことを言ってきた。
俺としても、彼女たち言いたい事は何となく想像がついている。
「うん。なんとなく俺もそう思うけど、一応確かめないといけないからさ」
俺は改めてしゃがんで、炎狐と目を合わせた。
「どうしたんだ? 何かやりたいことがあるのか?」
そう尋ねると、
「きゅん……!」
炎狐はそのまま、胸元に飛び込んできた。
「ああ、やっぱり、一緒に行きたいってことか」
「きゅーん!」
声を上げながら、頬をこすりつけてくる。
肯定を示しているようだ、
「やっぱり、そうでしたか」
「私たちも拾われた時を思い出すわねー」
そう、弟子を拾った時は、大体こんな具合だった。
俺は過去をわずかに思い出す。
「はは……そんな感じはしていたけどな。まあ、とりあえず一緒に行くのは良いとして――俺たちはこれから向こうの町に行くつもりだけど。君の行きたい場所は向こうにあるのか」
「きゅ。きゅきゅ」
こちらの問いかけに対し、炎狐は頷きつつ喋ってきた。
前足で魔法都市の方を指している。
「ふむ、なるほど」
「先生。この子、なんて言ってるんですか?」
「『あっちに、結構近くに家がある』だそうだ。それで君は、家に帰りたいんだよな?」
「きゅう……」
もう一度炎狐は頷いた。
この炎狐がやりたいことは分かった。そして、
……怖いからしばらく一緒にいてほしい、か。
炎狐の感情や望みは分かった。
これから魔法都市に入るけども。家がそちらの方向だというのであれば、滞在する間にこの炎狐の家まで送っても良いだろうし。
この子への対応、やり方は幾らでもある。
あと、考えるべき事と言えば、
「ロウ。聞いておきたいんだが、魔法都市って魔獣を連れて行っても大丈夫か?」
魔法都市内での対応だろう。
魔獣を連れて行きづらい街で合ったら、また対応をしなければいけないし。
念のための問いではあったが、ロウは笑顔で首を縦に振った。
「ええ。もちろん、凶暴な種はダメであったり、魔獣を連れて長期滞在する場合は市庁舎で許可を得なければいけなかったりしますが。しっかり手綱を握って、居場所を管理できるのであれば、連れ込みはオーケーです。……でなければ、私の相棒も入れませんしね」
馬車を引く馬がブルゥと鳴いた。
「ふむ……となると、この子が街にいるときは、手の届く範囲においておけばいいという事か」
思いながら俺は炎狐に目を落とす。すると、
「きゅん……」
炎狐は心配そうな目で見ていた。
不安が強いようだ。
だから、俺は安心させるように声を掛ける。
「うん。それじゃあ、一緒に行くか」
それがこの子のやりたい事なのだというのなら、手伝おう。
そういうと、
「きゅん!!」
炎狐の子供は嬉しそうに鳴くのだった。
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是非一度、お手に取って頂ければ幸いです




