35話 止まらない意思
研究者が消えていった扉を、ロウと兵士たちは静かに開けた。
罠を警戒しつつ、注意を払って少しずつ中をのぞいていこうとした。けれど、
「そこで怖がる必要はない。入って来るがいい、商人ども」
中から声が響いた。
研究者の声だ。
それこそ罠かも知れないが
……魔眼による反応はない……ですね。
ロウは兵士たちを顔を見合わせ、頷いていると、扉を開け放った。
そして、兵士たちと共に、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。
閉じ込めを防ぐために、扉は開けたまま、そして、何時でも後退できるように退路を確保しながら、開いた扉の奥の部屋を確認する。
目に入って来るのは先程の大広間と同じくらい大きな部屋だ。
しかし、先ほどと違って調度品はほどんどない。
精々、中央に置かれたテーブルくらいだろうか。
そのテーブルの向こう、部屋の奥に、魔法陣が描かれている。その陣の上に研究者は立っていた。
彼はこちらを舐めるように眺めると、
「ふむ、人数を削ることもなく、あの狼を倒してきたか。全く、あの狼は戦闘能力は高いのだが知能は低いしな。まあ集団戦は無理か」
と、言った上でため息を吐いた。
「まあ、魔法で作り出した幻影の狼だ。幾らでも召喚出来るのだし、いいがな」
しかし直ぐに興味を失くしたような目になり、こちらに視線をやってくる。
「して、貴様らは何の用かね。聞き忘れていたがな」
「貴方は何をしようとしているのか、聞きに来たのですよ。仮に街に損害をもたらす行為をなしているならば、副市長から、貴方を拘束するように言われています。そして、既に、許可なく魔獣を邸宅に置いていた時点で、捕えるに値します」
許可なしに魔獣を飼育するのは、交易都市では罪になる。
故に、兵士たちも臨戦態勢で、捕える気マンマンだ。
それらを見て、研究者はしかし焦ることなく、息を吐く。
「ふん、なるほど。詰まらん決まりの為に、実力行使に来ていたということか。――ならば、いいさ。もう、ここでの行動は終わりだ」
「終わりとは……一体……」
「――既に、ワシの育成は、完了しているのだから。もう何もいらないのだよ。さあ、こっちに来るんだ」
そう言いながら研究者は一歩、床を踏んだ。
すると、彼の背後にある壁が解けるように消えてなくなった。
「幻覚魔法で作った壁ですか……」
本来は壁のない所にあるように見せかけるものだ。
つまり、この部屋には奥の部分にもっとスペースがあるということになる。
「逃げるつもりか……!」
兵士たちはそのことが分かっているのか、声を荒げた。しかし、
「逃げる? 何を馬鹿な。終わりだと言っただろう?」
研究者はほくそ笑んだ。
その笑みにロウは怖気を感じ、瞬時に魔眼を発動させた。すると、
「……っ!?」
恐ろしいほど真っ黒な塊が、研究者の背後に見えた。
そう、壁の幻覚が無くなった先にいたのは、
「三つ頭の、狼の魔獣、だと……?」
三つの頭を天井に擦らせんばかりの体格を持つ、巨大な狼だった。
先ほどとまでとは比べ物にならない大きさと威圧感を放っている。
更には、黒い靄――瘴気を身に纏っている。
三つの頭に着いた眼は虚ろでどこを見ているか分からないものの、その姿を見ただけで、ロウは勿論、周囲にいる兵士も、思わず後ずさりをしてしまうほどだった。
「……なんですかその狼は……!」
「ふん。これだから頭の悪い人間は。ただの狼では無い。ワシが丹精込めて育成し、邪神の肉を食べ進化したアビスフェンリルという種だ」
「そんな危険な物を育てていたですって……。それは、都市を危険に陥れかねない行為ですよ……!」
「だからどうした。これは邪神の力を得るために必要な事であり、そして――これはワシになる(・・・・・)のだから育てて当然だろう」
「なにを――」
瞬間、魔法陣が光り出す。
「さあ、ワシと合わさろうアビスフェンリル。可愛い、可愛い、我が身よ」
研究者は、こちらの話に耳を傾ける事も無くそう言った。
刹那-―
――バグッ!
と、アビスフェンリルの頭の一つ、研究者の身体を食らった。
「ッ!?」
大口を開けて、一飲みだ。
それだけで、魔法陣に包まれていた光ごと、研究者の身体はアビスフェンリルの中に消えていった。
「じ、自殺したのか……?」
兵士の一人が呆然としながら言葉を零す。
確かに、悪事がばれてもはやこれまでと、自死を選んだようにも見えた。しかし、ロウの魔眼には、真っ黒な魔力の塊が、奇妙なほどに蠢いているのが見えていた。
そして、その蠢きは現実にも見て取れるレベルになり、
「お、おい……あのアビスフェンリルとかいう狼の様子がおかしいぞ」
アビスフェンリルの身体が、ぶるぶると震え始め、やがて虚ろだった目に光が宿ったのだ。そして、
「は、はは……成功だ……。ワシの一体化は完成した……」
アビスフェンリルの口から、声が響いた。
「……これが、邪神の力を得た魔獣の身体……」
それは先程まで聞こえていた男の声。
「飲み込まれたはずの研究者の、声……だと?」
そう。先ほど食われたはずの研究者の声がアビスフェンリルから発せられていたのだ。
「どうやって……いや、どうなっているんだ、これは……」
「魔獣と、一体化したってのか……?!」
「いや、しかし。そんな技術、邪神との戦争の際に消滅したはずでは……!」
こちらが戦いていると、アビスフェンリルの目線がこちらを向いた。
三つ頭とも一斉にだ。
「くく、この身体で、この角度から見下ろせるのは最高だな。愚かしいヒトどもよ」
鋭い牙を見せる口で、ほくそ笑むように言ってくる。
「素晴らしき教団の技術だぞ? 消滅など、させる訳がなかろう」
「なるほど……どういう術式か分かりませんが、魔獣と一体化したのは間違いないようですね……」
ロウが眉を顰めながら言うと、アビスフェンリルはさも楽しそうに笑った。
「一体化、はは、そんなものではない。これは……進化だ。とはいえ、愚かなニンゲンらしい答えしか出ないのは仕方のない事か」
そこまで言った後、アビスフェンリルはいきなり虚空を見上げた。
「――ああ、ええ。分かっていますとも。わが盟主よ。ええ、当然ですとも」
そして何かに受け答えしているような声を発し始めた。
「……何を、している……!」
その動きに、兵士の一人が睨みつけながら声を飛ばした。
すると、アビスフェンリルは半目でこちらを見据えてきた。
「ふふ、貴様らには聞こえなかったのか。そうか。ならば、私にだけ、声を聞かせてくださったのか」
「声だと……?」
「ああ、そうだ。貴様らが作った街を破砕し、ヒトそのものを滅ぼせと、食い殺せという、我らが盟主の声がな……!! だから、そうさせて貰おう」
言った瞬間、アビスフェンリルの体表にあった黒い靄が、一気に増幅した。そして、
「――【サモン・シャドウ・ウルフ】」
その靄は、分割され、床に落ち、それぞれが、狼の形を取った。
先ほど、倒したばかりの、影の狼だ。
いや、先ほどよりも禍々しく、体も大きくなっている。それが十体、一気に出た。
……一匹倒すだけでも、大変だった狼が、十体も……!
これを、倒そうとするのは無謀だ。だから、
「――撤退を……!」
しなければ、と言い終えるその前に、
「滅ぼすと言ったのが聞こえなかったのか」
アビスフェンリルの声と、頭の一つが、こちらを向いた。
その口の中に、魔力の光を溜めた状態で。
「まずい! 攻撃が――!?」
「【フェンリルブレイズ・ブレス】……!!」
そして真っ赤な炎がアビスフェンリルの頭の一つから生み出された。それだけで――
「――ッ!」
ロウたちがいた邸宅は、内部から爆発した。




