落ちこぼれ魔術師に平穏は訪れない
ざわざわと遠くでにぎやかな声がざわめいている。今は放課後、校舎裏の裏庭のさらに奥、人の滅多にこないそこで、一人の少女が魔法陣らしきものと向き合っていた。魔法陣らしきというかまぎれもなく魔法陣なのだが、一般的なそれとちがうのは、ものすごくシンプルで魔文字がきざまれていないこと。
少女、___シャルロッテはごくりと唾を飲み込んだ。やわらかそうな栗色の髪が風に揺れ、同色の大きな瞳は緊張しているのかまばたきを繰り返す。
今から行うのは流行りのおまじないみたいなものだ。友人から聞いた言葉を思い返す。いわく、___魔文字を書かない魔法陣からはもっとも相性の良い召喚獣が現れる。ロマンティック!とはしゃいでいた彼女は、長い垂れた耳を持つ猫のような使い魔を手に入れた。デレデレと話すのを聞くに元はただの猫だった妖精族だそうだ。
人と魔の大陸が分かたれてから千年はたったと言われている。初めは人と魔物と動物だった種族は細分化し、魔素から生まれた妖精族、魔族の中で、魔物を喰らいさらに力をつけた魔族が生まれた。
___できれば妖精族に来て欲しい。彼らは温厚な性格をしていると聞いている。ハズレは魔物だ。だが魔族に狩られる魔物は庇護を必要としており、契約ができると授業で習った。
ぎゅっと制服を握りしめていた手をほどき、魔法陣の中央にそっと当てる。
「汝呼びかけに答えよ。我、魔術師なり」
___汝呼びかけに答えよ。
実は彼女がこの儀式を行うのは今日が初めてではない。彼女はこの学園でいわゆる落ちこぼれだった。魔力量は少なくはなく、むしろ多いくらいだ。だが彼女は召喚獣を呼び出すことが出来ないまま1年生を終えてしまった。
普通は、1年生の初めに兎型の妖精を呼び出して契約を学ぶ。魔文字のついた魔法陣でだ。しかし彼女のそれは表記ミスなどなかったはずなのになぜか爆発した。それから同じようなことが続き、唯一爆発しないが呼び出せもしない魔法陣と向かい合っているのである。
魔術師とは、召喚獣とその主である魔術師の魔力の合計値で使える魔法の大きさが変わる。そして何より召喚獣と自身に魔力を循環させることでその技は安定性を増すのだ。
いままで召喚獣を呼び出せなかった卒業生はいないという。不本意なことにこのままでは王立魔法学園の恥として伝説になってしまうかもしれない。それよりも退学か。
今日もダメかな。と諦めかけ気を抜いた時だった。
魔法陣が明滅する。一面アイスブルーの光が溢れクラクラする。
辺りに冷気が溢れ出し、身体がずっしりとした倦怠感に包まれる。魔力がどんどん抜かれていく。
___手を離してはいけない!
シャルロッテは必死だった。そうして光が収まるとそこには漆黒の髪にアイスブルーの瞳、黒衣をまとった青年が、無表情でこちらを見下ろしていた。
まずいことになった。シャルロッテは混乱していた。これはどう見ても妖精ではない。なぜならこんなに美しい人型をとるのはどう考えても魔のものだからだ。
何て声をかけたらいいの?必死にぐるぐる考えていると。
ひとしきりこちらを観察し終えたのか。無遠慮にこちらを見ていた青年が口を開く。
「どうした?契約をしないのか?」
ハッと我に帰る。もう何がなんだかわからなかった。ただこれに用意していた契約書を渡してはいけないと本能的に悟っていた。
「お待ちください。いますぐ書きます。」
契約書は格下の相手を保護するもの、同等の相手を高め合うもの、格上の相手を尊重するものがあったが、彼女はそのどれでもないものを書き始めた。
「これでいかがでしょうか。」
彼女が書いたのは3つだ。
一つ___あなた様の意思を尊重します。
一つ___人を殺してはなりません。
一つ___私と契約してくださいませんか?
もう契約書なんだかなんだかわからなかったが、青年はにっと口の端をつりあげて面白そうに笑んだ。
「一つ聞きたい。お前は俺を使役するために呼んだのではないのか?」
感情の見えない氷の瞳がシャルロッテを射抜く
「これでは興がのらなければ俺はお前を見殺しにするかもしれないぞ?」
「わかっております。ですがあなた様は、今この場で私を殺すことも出来ますでしょう?」
空気はピンと張りつめていた。問答を間違えれば命はない。シャルロッテはふるえる身体を叱咤して声を出した。
「なればなぜ契約の破棄を望まない。」
「私の声にあなた様が答えてくださったからです。お恥ずかしながら今まで私の呼びかけはただの一度も、誰にも届かなかったのですっ……」
振り絞るような声だった。本当はわかっていた。おそらくこれは相当厄介なものだと。下手を打てば退学どころではすまないかもしれない。
「わかった。契約を受けてやろう。」
あっさり頷いた彼は宙に浮かぶ契約書の中に手をつっこんだ。
「お前、名は?」
シャルロッテはぎょっとしてしまう。契約書を書き換えられるなんて相当高位の魔族に違いない。人を殺さないという一文を消されてしまったら大惨事になる。名を取られてしまうのも痛い。
「シャ、シャルロッテです。」
ただ見ているしかできなかった彼女の前で契約書に一文が足される。
一つ___主シャルロッテをできる限り守ること。
なぜこんな一文を?思わず顔に出ていた疑問に、彼は幼い子供に言い聞かすかのように言う。
「よく見ろ。この契約ではお前は何も得なことがないじゃないか。このくらいはしてやる。」
お前の魔力は美味いからな___言い終わるのと同時に、彼は私と両の手を合わせるように重ねる。足と足も絡め取られこれではまるで押し倒されているかのようだ。
彼の美しい顔がすぐそばに見える。ついで両手両足がカッと熱くなった。シャルロッテは見た。お互いの手の平から腕に対になるように荊のような文様が絡みついて刻まれていく。おそらく足も同じようになっているはずだ。禍々しいほどの美しさに目が離せない。
これで___俺のものだ。
耳元でククっという笑い声を聞きながら、
とんでもないものに捕まってしまったと、シャルロッテは目眩がした。
魔術師は両の手と両の足の数しか召喚獣を持てない。だからシャルロッテの使い魔は彼一人___。
「シャルロッテ、お前がなぜ召喚獣を呼び出せなかったのか教えてやろう。」
彼は睦言でもささやくように言った。
「お前の力は___強すぎたのさ。」
北の魔王を呼び出せるくらいに。
続いた言葉はシャルロッテを驚愕させるには十分で。
ああ、負けたなと思った。何がとか何でとかではなく、この美しいものに囚われてしまったのだと。
「これからよろしくお願いします。」
平穏な日常は遠そうだ。クラクラする頭で考えながら、しかし彼は決してシャルロッテを裏切らないだろうという予感がしていた。
彼女は学園を卒業後、誰よりも束縛を嫌う使い魔のせいで冒険者となる。そしていずれ最強と呼ばれ、名を馳せる。
___互いに絡みついた荊のような縁は、今はまだ執着である。
それが恋になり愛になるのはそう遠くない未来のお話。
使い魔ものが好きです。