産声
わたしは言葉に溺れ顔を上げて息をする。そこに ことば が生き生きと生きていて、それを介してわたしには容易い共感がある。しかしそこに言葉はない。わたしの、或いは誰かの本当の言葉に共感はない。それは言語を等しくする者だけの外国語のように、わたしとあなたを繋げない。切り離された断絶の崖の上で誰もが立ち竦むがそれは何故か懐かしい感覚。それは生まれたての何一つとして欠片ほども言葉を知らぬ赤子の恐れ。わたしたちはその恐れから全てを覚えた。しかしそれは誰のものだろう。今、口を開き出てきた言葉は誰のものなのか。わたしたちは突然に途中に生まれそして途切れることに逆らえないのだから、 全ては勿論模倣としてある。ゲノムはコピーを繰り返すことで生体を維持するように、わたしたちは外部を模倣しわたしたちとなったが、それは周囲の期待するありふれた誰かになった途端に随分と退屈なものになってしまう。これは繰り返しではない。それ故にもう二度と繰り返すことのないわたしたちの言葉は絶えず退屈する。同じ時間は二度となく、同じわたしたちも二度とない。言葉は常に繰り返そうとして差異を積み重ね日常の違和感は微かな齟齬として昨日と今日の境目を軋ませる。そこに佇む影はわたしたちの知らない姿であり故にわたしたちだけの言葉となるために気付けば潮位は満ちている。原初の海の波打ち際にわたしは足を浸す。深みへとそして深みへとそして深海の暗闇に至り重々しき饒舌な神話の影を見る。海の底よりポツリポツリと立ち上る小さな泡として始まる最初の言葉は日常の空虚によりわたしの中で膨張していく。見上げる海面には浮かび上がる月の光があった。そして初めてのように大気に触れたとき湧き上がる声を聞いた。これがわたしの新たな産声だった懐かしき始まりの言葉だった。