第八章
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第八章ノ一 現在
「アークイリシアとオクターブを取り押さえろ!」
左腕を失った金髪の少女は衛兵姿の悪魔に怒鳴った。
その言葉に反応して十人程の悪魔達がアシュタロトの前に出た。
だが、彼らは躊躇っていた。
おそらくアシュタロトの左腕がなくなったのが衝撃的だったのだろう。これまで絶対的な支配を行っていたアシュタロトが遅れを取り、しかも左腕を失ってしまうなど、想像すら出来なかったのだ。今のイリシアの強さはそれができる強さだと考えると迂闊に攻撃を仕掛けることはできなかった。
「ちっ、無能どもが!」
アシュタロトは舌打ちをした。
彼女の白いドレスは自身の青い血でところどころ青く染まり、特に左肩のところは左腕を失った際の大量の出血で真っ青になっていた。出血を抑えるために自身で焼いた左肩は焼けただれ、ドレスの左肩の端も黒く焦げ、細い白い首には青い血飛沫が張り付いていた。
アシュタロトは白く光る剣を右手に出し、そのドレスの裾に切れ目を入れ、凄まじい速度でアークイリシアに切り掛かってきた。
「私の左腕を切り落としたからといって、いい気になるなよ! 今すぐ死ね!」
さくらはピンクに光る剣でそれを正面から受け止めた。とても片手とは思えない力の強さだ。
「あっ」
アシュタロトの剣を見失った。
どこから攻撃がくるか予想できない。不安と恐怖の感情が一気にさくらを襲った。
「さくら、左からだ!」
オクターブの声に反応し、とっさにさくらは右に飛び、その瞬間、すぐ左脇をアシュタロトの剣が通り抜けた。
「誰かオクターブとアリスの相手をしてやれ! それぐらいはできるだろ? さもなくばお前ら全員死んでもらうぞ!」
アシュタロトの脅迫が怒号と共に飛んだ。衛兵達はその命令に今度は反応した。骨の髄まで染みたアシュタロトへの恐怖が彼らをそうさせたのだ。
「くっ」
アリスは十人程の悪魔の攻撃をオクターブに左肩を貸しながらかわし、彼女の武器である巨大な針で応戦した。不利な体勢にも関わらず、彼女は次々に敵を倒してゆく。
だが、さくらはアシュタロトの攻撃に押されていた。
「分をわきまえぬ人間め、死ね!」
アシュタロトがそう言い終わった瞬間、白く光る矢が凄まじい数となってさくらに向かって飛んだ。さくらは即座にピンク色に光るシールド展開すると、無数の矢が次々にそのシールドに突き刺さってゆく。
「!」
さくらは背後に気配を感じ、とっさに屈み、横に転がった。アシュタロトの矢は背後からも放たれていたのだ。矢は表と同じようにシールドに突き刺さった。
「三つの力を得たからといって、それほど強くなった訳ではないようだな?」
アシュタロトのからかうような声が聞こえた。イリシアは立ち上がり、アシュタロトに向かって走った。そして剣を大きく振りかぶった。
金属同士が当たった音が鳴った。
さっきも思ったけど、なんて力なの・・・。
片腕にも関わらずアシュタロトの剣は微動だにする様子もない。さくらは自分の剣を押し込もうとしたが、敵の剣は岩のように固く動かなかった。次第に手が震えてきた。
「がっ」
さくらは左腕に強烈な衝撃を感じ、バランスを崩した。アシュタロトの蹴りが入ったのだ。そして白いドレスの裾が舞っているのが見えた瞬間、左側頭部に何かが衝突した。剣の柄だと直感したが、既に平衡感覚を失い、さくらはあっという間にその場に倒れた。
「お前の裏切りには参ったわ。なにしろ私は左腕を失ってしまったのだからな。アークイリシア、私はお前を存在させることで本来あるべき未来を崩した。だから半年前に見た未来とは今は違うものになっている。私はこの時間で起きることは分からないし、私がどうなるかは半年後の未来を見て想像するしかない」
アシュタロトはさくらのピンクの髪を鷲掴みし、気を失いかけているさくらに言い聞かせるように言った。
「だけど半年後の世界に私は依然いないのだよ。まだ私が死ぬという未来は用意されたままになっているようだ。お前が生きているからなのか?」
そして床に何度もさくらの頭を勢いよくぶつけた。彼女は抵抗することなく、成すがままにされ、額からは大量の赤い血が流れてゆく。
「五条さくら!」
東原の声が飛んだ。
横からアリスの荒い息が聞こえる。アリスの息は上がり、肩で息をしていた。東原に肩を貸し、その状態で東原を守り通すことは彼女の体力を相当削っているようだった。悪魔は休みなく、アリスと東原を襲い、アリスは針で襲ってくる彼らを容赦なく切り裂いていた。
「アークイリシア、しっかりしろ! 妹の仇を討つんだろ!」
さくらはその言葉に反応し、床に手をつき、床に頭をぶつけようとするアシュタロトに抵抗した。
目が虚ろだ。その動作は無意識にしているように見えた。そしてアシュタロトの凄まじい力に最後は耐え切れず、さくらは床にねじ伏せられた。
「私に勝つ可能性があるのは三つの力を持ったアークイリシアだと思っていたのだろうが、この有様とは残念だな、オクターブ子爵」
そう言ってアシュタロトは白く光る剣を出し、構え、彼女の右肩に突き刺した。ピンクの服に赤い血が染まってゆく。
「があああ」
「わめくな、アークイリシア! もっと辛い目に会ってもらうのだからな!」
アシュタロトは右肩から剣を抜いた。
赤い鮮血が飛び散った。
「あああ」
そして彼女は剣を振りかぶり、今度はさくらの心臓を狙って降ろそうとした。
「アシュタロトおお」
東原は叫んだ。
「夢食い、来い!」
東原の声と同時に青く光る魔方陣が大広間の天井に広がり、ドーンという音と共に大広間の床に巨大な夢食いが落ちてきた。激しい揺れが伝播し、立つこともままならない。
「ほう、オクターブ、お前、まだ魔力が残っていたのか?」
「作戦が随分狂ったが、これがお前を倒す切り札だ!」
悪魔の衛兵に囲まれ、アリスに支えられながら彼は答えた。金髪の少女は軽蔑するように夢食いを見て言った。
「切り札だ? ふん、何を血迷っている。この私を夢食いごときで倒せるとでも思っているのか?」
その夢食いは赤く消火器をモチーフとした高さ三メートルほどの夢食いだった。カメラレンズのような頭と必要以上に大きな口、線のような手足に消防士の手袋と靴が付けられていた。
夢食いは東原とアリスを囲う悪魔を見ると大きな口を開け、紫色に光る光の球を出現させ、瞬時にそれを放った。
「全ての悪魔を貫け!」
その瞬間、紫色の光の球は分裂し、光の線となり、悪魔を一人残らず貫いた。青い血しぶきが幾つも上がった。
「ありがとうございます、オクターブ子爵、正直助かりました」
アリスは安堵した様子を見せた。
続けて赤い夢食いはアシュタロトの姿を認めると、その大きな口から紫色の光の球を彼女に打ち込んできた。彼女はそれを素早く避けたものの、夢食いはそれを追うように光の球を連続して撃った。
だが彼女には当たらなかった。アシュタロトは走り、それを夢食いの紫に光る玉が追ってゆく。アシュタロトは突然夢食いに方向を変えた。そして尚も攻撃してくる夢食いに凄まじい速度で接近し、小さな拳で空間が歪むと思える程の強力な一撃を夢食いに加えた。
赤い巨体の夢食いは一気に飛ばされ、壁に凄まじい勢いで衝突した。消火器の胴の部分は塗装が剥げ、大きく凹んでしまっている。夢食いはその衝撃で動きを一旦止めてしまっていたものの、再び動き出し、ぎこちない動きをしながらもどうにか立ち上がった。
夢食いが立ち上がった瞬間、背後の壁が一気に崩れ、外の風景が目に入った。いつの間にかあれほど強く降っていた雨は止んでいた。風は吹いていたが、強いものではないようだ。空は雲で覆われていたものの、薄っすらと明るくなり、それらの雲は風に押され、ゆっくりと流れていた。
「ふん」
アシュタロトは馬鹿にしたように夢食いの様子を鼻で笑った。
「全く役に立っていないポンコツだな。アークイリシアを助けたかったのだろうが、夢食いのような最下層の使い魔を私の相手として選択したことがお前の間違いだった。一人で立つことすらできず、先も読めない自分を呪うんだな」
アシュタロトはアリスに支えられている東原を馬鹿にするような口調で言った。
「私が半年前に見た未来ではアークシリウスとイカロスの二つの力を持ったイカロスが私を殺していた」
憎々しげな声だった。
「だから私はイリシアという存在を作り、それにシリウスとイカロスの力を集めさせた。にも関わらず、私が死ぬという未来は変わっていない。そして困ったことに未来を変えてしまったがため、今の私には誰が私を殺すのかが分からなくなってしまっている。だから私は私を殺す可能性のある者全てを殺さなければならない」
少し離れたところでイリシアは倒れたまま、何一つ動く様子を見せない。アシュタロトに痛めつけられ、衰弱し、自力で動くこともできなくなっているのだろう。
「ふん、次は子爵、お前かアリスの番だな」
「そうはいかないさ」
「私はどんな状況になっても、自分が死ぬ未来を受け入れることは絶対にしない。諦めて死んでしまったら、私が成すべきことは何一つ実現することはできなくなる。私が守ろうとしている魔界の一族を誰一人守ることができなくなってしまう」
独りよがりで勝手な論理だ。
東原は不快に思った。そして言った。
「私には公爵が作った牧場で自由もなく奴隷のように働く悪魔達が幸せだなんて到底思えませんが」
東原の否定的な言葉に彼女は心外だという顔をした。
「何を言っている? ネットやゲームの発展によって人間の欲は誤魔化され、夢や希望をすぐに諦める人間が今や大半だ。お陰で魂を売ってでも得たい欲望を持っている者は稀有になってしまっている。悪魔は生きて行けなくなってしまっているのだぞ? 今じゃ牧場がなければ魔界の一族は生き延びることすらできない。それなのにお前は私を殺し、私の作ったこのシステムに崩壊させるというのか!」
アシュタロトの怒号が響いた。
「公爵、あなたの生きるという定義はいったい何なのですか? もし自分を殺し、奴隷のように生きるということなのであれば、それは生きていることにはなりません」
「だったらどうするつもりだ?」
「悪魔は自由を求めています。人間をそそのかし、魂を削り取る悪魔本来の行為を彼らは望んでいます。あなたを倒したあかつきには、僕は彼らを開放します」
彼女の顔つきが険しくなった。
「お前は魔族を滅ぼす気か!」
凄まじい殺気がアシュタロトの周りから伝わってきた。空気がビリビリと震え、全身が針に刺されたような激しい痛みを感じた。東原はそれに構わず言った。
「何故彼らの悪魔としての誇りを尊重しないのですか? あなたのやっていることは独りよがりで個々の悪魔のことは何も見ていないし、考えてもいない! あなたのやっていることは間違っている!」
「話にならない!」
彼女の怒りと苛立ちは頂点に達していた。
「そもそも私が死んで誰も幸せになってはいないのだぞ! 魂を十分に得られなくなった悪魔はあっという間に数を減らし、お前の民である凛の民は日本との戦争を始め、多くの命を失うのだ。お前こそ、間違っている!」
「だが、皆自分の望んだ道を進めます。あなたに自由を奪われ、生きる道を強制され、奴隷のように扱われるよりは遥かに幸せなはずだ。間違っているのは公爵、あなただ!」
「私は間違ってはいない!」
白いリボンが伸び、東原とアリスに襲い掛かった。
「子爵! 私の後ろへ!」
アリスは紺色の半透明のシールドを即座に展開したものの、次々にアシュタロトの白いリボンがそれに突き刺さり、あっという間に蜘蛛の巣状のひびを入れ、シールドを粉々に破壊した。 大広間に無数の細かい破片が飛び散り広がり、光を発しながら消えてゆく。
「夢食い、撃て!」
東原の声に反応して夢食いが大きく口を開けた。その口の中に紫に光る球が現れ、回りながら大きくなってゆく。突然、凄まじい音が鳴り、アシュタロトに向かって光の球が発射された。
「ふん、夢食いごときで私をどうにかできると思っているのか!」
アシュタロトは白い矢を無数に飛ばし、夢食いの紫に光る光の球を相殺させた。
「たわいもない。ゆけ!」
矢はアリスと東原の方向と夢食いの方向に分かれて飛び立った。
夢食いは、紫の球を口から打ち出し、それを全て打ち落とした。一方、アリスは東原に肩を貸しながら再びシールドを展開したものの、すぐにアシュタロトの白い矢に破壊されてしまった。
「申し訳ございません、子爵」
そう言いながらもアリスはすぐにシールドを張った。
「大丈夫だ、アリス。あともう少しの辛抱だ。すまないが頑張ってくれ」
そして東原は大声で挑発するような声で叫んだ。
「公爵、あなたを倒すことができるのはアークセンテンティアの三つの力を集めた者だけだと思っていました。でも保険を掛けておいたんですよ」
「あ?」
「前に塀の中で大火がありましたよね。凛の民の独立派の連中が起こした。あのとき、死んだ凛の民、避難した凛の民の助かりたいという想いをこいつに食わしたんです。膨大なエネルギーがこいつの中には入っていますよ」
再び夢食いが大きく口を開けた。紫色の光が現れた。光は球状となり、それはどんどん大きくなってゆく。そして人の背丈程になったときにオクターブは号令を下した。
「これで最後だ、撃て!」
凄まじい音が鳴った。
光は放たれ、床を崩しながらアシュタロトに向かってゆく。
それはアシュタロトを直撃した。
辺りは眩い光で覆われ、雷のような爆発音が鳴り、激しい爆風が起きた。アリスは小さい体でなんとか東原を支え続けた。
大広間の天井が崩れ落ちた。
眩い光がその光の量を失ってゆく。爆発音も爆風も消え去っていった。
「やったのか!」
「いえ」
アリスの声は緊張していた。
アシュタロトが左手を差し出し、防御シールドを張っている姿が見えた。アシュタロトの周りに槍の形状した白い光が無数に出現した。
「いけ!」
光の槍は東原とアリスに向かって一斉に飛んでゆく。
「くそっ、夢食い! 撃て!」
夢食いは再び口を大きく開け、今度は紫の光が十分育たない小さい状態のまま撃った。光は進みながら小さく分散し、次々にアシュタロトが放った槍を爆発させ、落としていった。
アシュタロトの周りに再び光の槍が幾つも現れた。
「左腕を取られても尚、これだけの力が出せるのか・・・」
東原は叫んだ。
「夢食い! 撃て! 撃て!」
その声が合図となったように夢食いとアシュタロトの間で激しい撃ち合いが始まった。
「撃て! 撃って撃って撃ちまくれ!」
爆音と閃光と爆風が絶え間なく続く。天井は完全に崩れ落ち、壁や床もところどころなくなってしまっていた。
「撃て! 撃て!」
子爵は消火器の形をした赤い夢食いに声のあらん限り怒鳴った。
「ちっ、撃て撃て、馬鹿の一つ覚えが!」
アシュタロトは光の槍を連射しながら、呪文の詠唱し始めた。決着を着けるつもりだった。彼女の周りに白く光る魔法陣が三重に現れ、展開し、広がった。
「炎よ全てを燃やせ! この場の全てを・・・」
次の言葉が出なかった。
「!」
背中から胸に掛けて凄まじい痛みを感じた。目をやるとピンク色に光る短剣が胸を貫いているのが目に入った。
「お前・・・」
すぐ背後にさくらが立っていた。急速に全ての力を失ってゆく感覚を覚えた。体が加速度的に冷たくなってゆくのが分かった。
さすがに私でも心臓を刺されるとこうなるのか。
アシュタロトは青い血を大量に吐いた。
「妹の仇よ・・・」
震えた声だった。
油断した・・・瀕死だと思っていたアークイリシアがまさか・・・。
さくらの顔は青ざめていた。
「私を殺して満足か? お前も殺人者の仲間入りだな」
その言葉にさくらの顔は更に青ざめ、震え出した。そして死にゆくアシュタロトの迫力に負け、彼女に刺さっている剣から手を離した。
「さくら! 計画通りそいつの首をはねて止めを刺すんだ!」
それを聞いてさくらは首を横に振った。
「できない・・・できない!」
「何を急に怖気づいてしまっている! この機会は絶対に逃がせない! 早く止めを刺すんだ!」
アシュタロトはにゃっと笑った。そして黒く長い翼をバッと広げた。そして彼女は羽ばたき、半壊した自分の屋敷の外に飛んだ。
さすがにダメージが大きいようだった。明らかに不安定な飛び方だった。
「ちっ、仕方ない、夢食い! ありったけの魔力でアシュタロトを撃て!」
東原の怒鳴り声に夢食いは口を開け、光の球を成長させ、それを放った。
それは雨の上がった空の下でアシュタロトを捉えた。
彼女の影は一瞬にしてその光の中に消え、その独特の殺気を感じることはもう二度となかった。
あのアシュタロトといえども、最後はあっけないものだった。
第八章ノ二 半年後
東原が黒塗りの車の横で車椅子に座り、護衛に囲まれながら空に展開された赤い巨大な魔法陣を眺めている姿が見えた。
さくらとアリスは東原のいる地上に降り立った。
「良かった。二人とも無事だったか」
「はっ、どうにかですが」
アリスは荒い呼吸の中、そう答えた。
「ラクキスは護衛に付いていないのですか?」
「調べて貰っていることがあってね。もうすぐ報告があるはずだ」
アシュタロトの城の塔が崩れたときの土埃がまだ立っている。その中に赤く光る巨大な魔法陣が展開され、八方に赤い線が延び、先の上空にはやはり赤く光る巨大な魔法陣が展開されていた。
「状況を説明してくれないか? あの魔法陣はいったい何なんだ?」
質問されたアリスの表情は硬かった。
アリスは頷き、東原に向かって言った。
「あの魔法陣はルーフルが自ら命を絶ち、発動させたものです」
東原は少し驚いた表情を見せた。
「悪魔が自ら命を絶った・・・? 意外だな。いや、ありうるのか? そもそもあれほど大きな魔法陣がルーフル一人の命では動くとは思えないのだが」
「ご指摘の通りです。あれはアシュタロトの城で処刑された凛の民の魂を動源として動いています」
東原の顔が僅かに引きつった。
「それに・・・」
アリスは言いよどみ、言葉を止めた。
「・・・?」
さくらはその様子が変だと思った。
東原は険しい表情で八方に足を延ばした巨大な魔法陣を睨み付けながら言った。
「八方に延ばした先の魔法陣を含めてが、あの魔法陣の完成形なのだろう?」
「・・・その通りです」
アリスは東原の言葉に頷いた。
「八つの魔法陣を起動させるには、いけにえが必要です。おそらく自衛隊と凛の民との戦闘で死んだ人間の魂を各魔法陣のいけにえとして使っているのだろうと思います」
「・・・」
「先日あったこの文化会館での戦いの犠牲者も魔法陣の供物として使われた可能性があります。アシュタロトの城が落ちた立原高校と文化会館との距離が近いことを考えると、アシュタロトの城をこの世界に誘導させるための魔法陣の供物だったかもしれません。」
「・・・」
それを聞いて車椅子の東原は車椅子の手すりをドンと叩いた。
「だとしたら、あの大規模魔法陣を完成させるために我々凛の民はアシュタロトの城で処刑され、日本側と戦い、命を落としていたというのだな」
幾つもの空に浮かぶ赤い巨大な魔法陣を眺めた。おそらく空から見れば、アシュタロトの城を中心として、周囲の八つの魔法陣はきれいに円形に、且つ均等に配置されているのだろう。
巨大な魔法陣がこの立原に作られているのだ。
「あの魔法陣の目的はいったいなんなの?」
さくらは質問した。
さくらには凛の民を根絶やしにするためのものか、もしくは洗脳で日本側に従順とさせるものか、とにかくその類のものだろうと思っていた。
アリスは首を横に振った。
「分からないわ。だけど魔法陣が起動したときに魔法陣にアシュタロトの名があった。凛の君、あの魔法陣はルーフルがオーナーではありません。あれはアシュタロトの魔法陣です」
「えっ?」
その意外な名にさくらは反応した。
「何を言っているの? アシュタロトは死んでいるのよ。なんで今更アシュタロトの名前が・・・」
「アシュタロトは確かに死んだわ。だけど彼女は何らかの目的であの魔法陣を生前に仕込んでおいたのだと思う。それをルーフルが引き継いだのよ」
「ルーフルが計画を引き継いだ・・・? いったいどうして? 彼は日本側で敵よ」
さくらはアリスの言っていることが理解できなかった。
「だから分からないと言っているのよ」
アリスはそう呟き、黙った。
赤く光る九個の巨大な魔法陣と八本の線が立原の空を覆っていた。
嫌な風景だった。
街が壁で囲まれ、アシュタロトに占領されたときのことが思い出される。
東原は口を開いた。
「おそらくルーフルはアシュタロトと従属の関係があったんだ」
「えっ・・・」
「ルーフルとアシュタロトは似ていると言っていたな」
「確かにルーフルにはしぐさとか口調にアシュタロトと似たところがありました」
「そう言えば!」
さくらの言葉に東原は頷いた。
「多分、ルーフルの由来はアシュタロトなんだ。アシュタロトがルーフルを創造し、魂の一部を分け与えたのだろう。この繋がりにより、ルーフルにとってアシュタロトの事項は最優先になる。だからこそルーフルは日本側に寝返り、周囲の八か所で戦闘を起こし、命を落としてまでアシュタロトの魔法陣の起動させたんだ。魔界にイリシアを誘導したのは、本当はアークイリシアの命で起動させるつもりだったのだろう。だけど優先事項は魔法陣の起動だったから、自分の命を使ってでも起動させたんだ」
「・・・」
空に浮かぶ赤い魔法陣が三層に増え、ゆっくりと回転を始めている。
自分を呼ぶ声が聞こえた。
東原は目を閉じ周りを伺った。
「ラクキスか」
「直接お心に話し掛け、申し訳ございません。あの魔法陣の解読が完了しました」
その声は動揺しているように思えた。
「東原君?」
「ラクキスからの魔法陣の解析結果を聞いている」
その言葉を聞いて、さくらは息を呑み、黙って東原の様子を伺った。表情が硬くなってゆくのが分かる。ラクキスからの報告は悪い内容なのだと思った。
その時間は長く感じられた。
「そうか・・・ご苦労だった。ありがとうラクキス」
東原は少し俯いた。そして唇を強く噛んだ。
「東原君?」
「あれは・・・」
言葉が止まった。
「凛の君・・・」
「あれはアシュタロトの再生の魔法陣だ。最悪だな。アリス、僕をあの城の真上にある魔法陣まで連れて行ってくれないか?」
彼は苦笑しながら言った。
「凛の君、大丈夫ですか?」
アリスは東原を抱えながら飛んでいた。もう巨大な赤く光る三層の魔法陣の真横まできている。
「大丈夫だ、このまま魔法陣の一番上まで行ってくれないか?」
「分かりました」
「ねえ、東原君」
車椅子を畳んで持っていたさくらの声だ。
「東原君は未来が見れるんだよね? 今のこの事態はどうして分からなかったの?」
東原は寂しげに笑った。
「・・・君には言ってなかったが、僕には予知能力はもうないんだ」
「凛の君、いけません!」
アリスは首を横に振った。
「いいんだ、アリス。隠しても仕方がない。ちょうど半年前のアシュタロトとの戦いで僕は奴に殺されかけたときに予知の力はアシュタロトに能力を奪われてしまったんだ。だから予知はちょっと前までの分しかなかったし、これから起きることは全く分からないんだ」
「・・・」
さくらは驚きで何も言えなかった。
そんなさくらの様子に構わず、東原は言葉を続けた。
「未来は今ある状況から波及したもので構成される。ちゃんと一つ一つそのときの事実を丁寧にそして客観的に見てゆけば、今こうなることをある程度予測できたかもしれないんだ。現に日本側との戦闘があったところを繋げばきれいな円になっていた。その時点で違和感を感じていれば、もしかしたらこんな状況にはなっていなかったかもしれない。未来を見られなかったから何もできていないというのは、ただの言い訳だ」
魔法陣の一番上層に着いた。アリスとさくらはゆっくりとその上に着地した。さくらが車椅子を広げると、アリスは東原をその上に座らせた。
「ありがとう」
彼はそう言って頭を下げた。
「立原が現状こうなってしまったのは僕のミスだ。今度は僕自身がアシュタロトを倒さなければ誰も納得しないだろう」
「そんな、凛の君・・・」
東原は車椅子から立ち上がろうとした。
「凛の君!」
「やはり大丈夫だ、アリス」
「えっ?」
「魔力が発生しているこの場なら介添えは不要だと思っていんだ」
東原は車椅子のパイプを頼りにゆっくりと立ち上がり、車椅子のパイプから手を離した。東原はその場に倒れることはなかった。
「半年ぶりに自分の足で立ったな。不思議な感覚だ・・・」
東原は足の感覚を取り戻すように足を上げ下げし、頷き、ゆっくりと魔法陣の中心へと走り出した。正面から無数の白いリボンが飛んでくるのが見えた。
「やっぱりアシュタロトか!」
東原はそれを素早く避けながら、広大な魔法陣を走り、中心に向かった。
「がっ」
足がもつれた。
東原は赤く光る魔法陣を転がっていった。そこを白いリボンが容赦なく東原を刺しに迫ってきた。
「東原君!」
「凛の君!」
そう叫んだアリスとさくらにも白いリボンが迫っていた。圧倒的な数だ。避けるのに精一杯な状況にあっという間に彼女達は追い込まれた。
「くっ、まだ慣れていないか・・・」
東原は白いリボンを避けるためすぐに立ち上がったものの、走り出す動作に移る過程で再び足がもつれ、肩から転がり、数回転して止まった。
再び白いリボンが迫ってくる。
「凛の君!」
アリスは東原に迫るその白いリボンを打ち落とそうとするも、自身に迫る白いリボンで全く余裕はなかった。
「くっ」
「バン、バンバン」
「え?」
銃声の音だ。東原の方からだ。白いリボンに対して銃を撃ち続ける東原の姿があった。
「バンバンバン」
絶え間なく銃声が鳴り続けた。
白いリボンの方向が大きく変わり、東原への直撃はなくなったが、後続の白いリボンが尚も東原に迫ろうとしていた。彼は撃ち続けた。白いリボンは破け、やがてその勢いをなくし、魔法陣上に落ち、その動きは止まった。
「!」
白く光るリボンが飛んでくる。
アリスが叫んだ。
「裁定のウェッジ!」
その言葉と共に無数の鉄の杭が魔法陣の上に現れた。そして一斉に落下し、白いリボンを抑え込み、魔法陣に打ち込まれた。
魔法陣に打ち込まれた白いリボンが消えてゆく。
「・・・」
広大な魔法陣に無数の杭が打たれている風景はまるで墓標のようだった。
アシュタロトの復活なんてさせない。
さくらはそう思った。
「ありがとう、アリス。これで一息つけるよ」
息を切らせ、肩で呼吸しながら、東原は言った。そして素早い手つきで拳銃の銃倉交換をした。
「僕は魔法が使えないからね。銃に頼るしかないんだよ」
言い訳するように彼はそう言った。
「ほう、やはり魔法が使えないというのは不便なものなのだな」
アシュタロトの声だ。聞き覚えのある威圧的な声だった。
「凛の君・・・」
アリスは呆然としてそう呟いた。
広大な魔法陣の中心に人影が見えた。
アシュタロトだ。
死んだときの姿より更に歳が若い、もしくは幼く見えた。幼稚園生くらいの年くらいだ。
まだ復活の途中なのか・・・?
アシュタロトは東原を認めると手を上げた。
「やあ、また私を殺しに来たか、オクターブ子爵」
「そういうことだ。アシュタロト公爵」
「あのときは油断したが今度はそうはいかないぞ。また殺されたらたまらんからな。次はお前が死んでもらうぞ」
金髪の少女は笑いながら言った。
東原は相手の表情に釣られる様子もなく、冷静な表情で言葉を返した。
「僕はあなたに殺される訳にはいかない。死ぬのはあなただ」
そう言って東原は銃弾をアシュタロトに向かって撃ち放った。
「ふん、そんなおもちゃ、何の役に立つ」
白い半透明な壁が瞬間的に彼女の前に表れ、東原からの銃弾を全て止めた。
アシュタロトはさくらとアリスの動きを目で追った。
「前みたいに実はお前達が本命だったというのはなしだからな!」
アシュタロトは白いリボンをさくらとアリスに飛ばした。
「イリシア、ロイヤルフラワーエフェクト!」
白いリボンは自分に向かって飛んでくるピンクの光の花を大きくカーブし、綺麗に避けてゆく。
「裁定のウェッジ!」
無数の杭が音もなく落とされたが、白く光るリボンの半数はすり抜けて、アリスとさくらに向かってくる。
「まずい!」
さくらとアリスは別々に即座にシールドを張った。その瞬間、白いリボンが凄まじい勢いで次々とシールドに突き刺さった。
東原はアリスの杭が密集して刺さっている場所に隠れ、アシュタロトに銃撃を加えた。
「バン、バンバン」
銃弾がアシュタロトのシールドに食い込む。
が、それを通過した銃弾はなかった。
「!」
白いリボンが直線的に短い線分となって飛んでくる。東原は身を杭の陰に隠した。
あっと言う間に黒い杭が白い線分の塊となった。
まるでハリネズミのようだ・・・。
冷や汗まじりでそう思った。
まだアシュタロトとの距離はある・・・。
唇を強く噛んだ。
「東原君! 上から来ている!」
さくらの声で彼は視線を上に向けた。弧を描いて複数の白いリボンが東原に向かって飛んでくるのが見えた。
「イリシア、レーザーアロー!」
さくらは無数のピンク色の矢をアシュタロトのリボンに飛ばしたものの、不規則な動きに追従できず、矢に当たったリボンはその三割に満たない。
避けきれない!
そう思った瞬間、東原は鉄の杭の壁から飛び出し、アシュタロトの立つ、魔法陣の中心に向かって走りだした。
「うそっ」
アリスは東原の予想外の行動に驚いた。
このままじゃ、凛の君は命を落としてしまう!
アリスは怒鳴った。
「裁定のウェッジ!」
東原の目の前に黒い鉄の杭が防壁のように落下し魔法陣に突き刺さった。東原はそれを盾にしてアシュタロトに銃弾を放った。
「バンバン、バンバン」
アシュタロトまでの距離は五メートルもない。にも拘わらず、銃弾は彼女のシールドに打ち込まれてゆくだけだった。
「どうした? そんなおもちゃじゃ、何の役にも立たないぞ」
「・・・」
東原は急いで銃倉を変えた。
手はしびれがきたのか、細かい震えが止まらない。
「くそっ!」
杭の陰から出た。
そして東原は一気にアシュタロトまでの距離を縮め、銃口を直接彼女のシールドに当てた。
この距離でこの弾だったら!
「なっ」
銃口の付近のシールドが変形し、東原の手首を包み込み固定したのだ。東原は手を引こうとしたが、シールドから手を離すことはできなかった。
それ以外のシールドが解除された。
「がっ」
腹部に鋭い痛みを感じ、東原は吐血した。
ゆっくり視線を下すと細い剣のようなものが自分の腹部に深々と刺さっているのが目に入った。
「なんだ・・・これは・・・」
幼い少女の姿のアシュタロトが右の人差し指の爪を鋭く伸ばし、東原の体を刺し、貫いたのだ。少女は気味悪く笑っていた。
「凛の君!」
「東原君!」
さくらとアリスの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。
「頼む・・・」
掠れた声が聞こえた。
「イリシア、ハンドレッドブレード!」
さくらは叫び、複数のピンク色の剣がさくらの背後に現れ、アシュタロトに飛んでいった。
「ふん、馬鹿か」
アシュタロトはそう呟き、東原の陰に隠れた瞬間、彼女が元いた場所にピンクの剣が立て続けに突き刺さった。
「そろそろお終いだ」
東原を貫通させていた爪をさっと横方向に動かし、脇腹までを一気に切った。
「があああ」
赤い鮮血が飛び散った。
「ほう、いい眺めだな、オクターブ」
アシュタロトは東原に近づき覗き込んだ。
「やっとお前を殺せる。それだけでも生き返った甲斐があったというものだ」
金髪の少女は愉快そうに笑った。
数発の銃声が聞こえた。
自分のすぐ傍からだ。
「な・・・」
アシュタロトの愕然とした表情が目に入った。彼女の心臓付近から悪魔の青い血が溢れ出ている。
「何故・・・シールドが・・・」
「タングステン弾に変えたんだよ・・・貫通力は一気に増す。ダミーで撃った通常弾がシールドを貫通できないのを見て安心しきっていたな・・・人間もなかなかやるもんだろ? 手を固定されていたからなかなか撃つチャンスがなくてね。お前が動いてくれて助かったよ・・・」
手首を固定していたシールドが弾け飛び、東原はドッと倒れた。赤く光る魔法陣に東原の赤い血が広がってゆく。
「うそっ」
イリシアの声だ。
「凛の君!」
彼はアリスの声に反応することはなく、もはや動く様子すらない。
「うおおおお、よくも凛の君を!」
アリスはアシュタロトに急接近した。迫るアシュタロトの白いリボンの動きは明らかに鈍くなっている。全くアリスの動きについてゆけていない。
アリスは巨大な針の武器を手にし、幼い体をしたアシュタロトに切り掛かった。
アリスの攻撃は避けられた。
「まだ動けるのか!」
アシュタロトの表情は苦しそうだ。
「死ね!」
アリスは大針を振った瞬間、アシュタロトの白いリボンがアリスの左腕を切り落とした。
「ぐっ」
アリスはアシュタロトに向かってあらん限りの力を振り絞って大針を投げつけた。朦朧とする意識の中、小さな金髪の少女の体に大針が深々と突き刺さり、魔法陣に倒れる姿が目に入った。
その瞬間、次々にアリスの体を白いリボンが刺さってゆく。
そしてアリスの青い血でその白いリボンが青く染まっていった。
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