第七章
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第七章ノ一 現在
「イリシア、ロックバースト!」
雨が吹き込む大広間に単調なさくらの声が響いた。その瞬間、無数のピンク色の線がイリシアの背後に現れ、オクターブに向かってゆく。
「早速シリウスの技を使っているな・・・」
オクターブの面を被った東原はそれを避けたものの、すぐ傍の柱でそれは爆発し、ピンク色の煙で視界が奪われた。
「くそっ、何も見えない!」
東原が煙から出た瞬間、待ち構えていたようにピンク色の線が飛んできた。辛うじて避けてはいるものの、いつ命を落としてもおかしくない状況だった。
「だったら」
東原は黄色い光の槍を幾本が出現させ、それを大広間に窓にぶち当てた。ドンという音が鳴り、窓ガラスの破片が飛び散り、大粒の雨が強い風と共に大広間へ吹き込んできた。
東原は外に出た。
そして嵐の中を飛んだ。
すぐ後ろにイリシアが追ってくる。
「・・・」
東原は唇を噛んだ。
アシュタロトへの切り札と思っていたアークイリシアが、まさか敵の切り札だったとは! 何のためにイリシアにアークセンテンティアの力を集めていたと言うんだ!
過去に見ていた半年後の世界にアークイリシアに追われるなんて未来を見た記憶なんてない!
「くそっ!」
髪はびっしょり濡れ、あっという間に着ている服は雨で重くなった。雨は容赦なく目に入ってくる。東原は雨に打たれながら右手に黄色に光る剣を出し、追ってくるさくらに向き直った。無表情で抜け殻のように見えたが、さくらはそれに素早く反応し、ピンクに光る剣を出し、東原に迫ってきた。
「!」
さくらの剣を東原が受けた。東原は力押しをして、さくらを地上に落とそうとしたが、硬い壁に当たったかのようにそれを押すことはできなかった。それは到底難しいことに思えた。
「五条さくら、思い出せ! お前は妹の仇を討つためにアークイリシアになったのだろ! アシュタロトに乗っ取られて何をやっているんだ!」
「・・・」
刃と刃が力比べにより震え始めた。
「五条さくら!」
雨と風の中で東原は怒鳴ったが、正体がないさくらにとても自分の声が届いているようには思えなかった。
「くそっ」
東原はイリシアの腹部を蹴った。
「がっ」
不意を突かれ、一旦はさくらは地上に落下していったものの、すぐに体勢を整え、東原に迫った。
「イリシア、フラワーバースト!」
またバースト系か!
ピンクの炎が渦を巻き、それが東原に放たれた。
「フラワーバースト! フラワーバースト!」
「くそっ」
ピンクの炎が連射された。
暗く厚い雨雲が空を覆っていた。昼間だとは思えない薄暗い陰気な嵐の世界を醸し出している。
東原は追ってくるピンクの炎に向けて黄色い線を飛ばし、次々に爆発させた。そしてイリシアに切り掛かった。
「な!」
強烈な衝撃を左即頭部に受けた。イリシアの蹴りが入ったのだ。電源が落ちたかのように東原の身体は動かなくなってしまっていた。
落下の速度が増してゆく。イリシアはその様子を無表情に見つめていた。
「子爵! 子爵!」
ラクキスの大声で叫ぶ声が聞こえた。その声で東原は我に返った。
中庭の石畳が直前まで迫っていた。
上昇・・・上昇!
「おおお!」
加速度的に上がった落下速度を落とし、自分の進んでいる方向をどうにか空に向けた。平衡感覚がおかしくなりそうだと思った。
だが助かった。
そして地上を見下ろした。
戦闘服を着たラクキスと十数の悪魔が大粒の雨と強い風の中、濡れながら武器を持ち、物陰に隠れているのが見えた。アシュタロトを倒した後、屋敷を制圧するために待機しておいたオクターブの配下の部隊だった。
「すまない、ラクキス。命拾いしたよ」
「イリシアはどうなってしまっているんですか?」
イリシアの行動に違和感を覚えていたのだろう。
「敵になった。いや、元々敵だったようだ。アリスはイリシアに倒されてしまったよ。正直強い・・・だがまだ終わってはいない!」
「子爵、アシュタロトの攻撃が来ます!」
無数の白色に光るリボンが屋敷から飛んできた。東原は黄色い線を出現させ、アシュタロトのそれにぶつけた。次々に爆発が起き、白い煙が立ち、嵐の中を流されてゆく。
「イリシア、ロイヤルフラワーエフェクト!」
ドンという音と共に背後から、ピンクの光の花がトルネードを起こしながらオクターブに飛んできた。
「ラクキス、援護してくれ!」
そう叫び、東原はピンクの花を黄色い線で打ち落とした。
ラクキスは横殴りの雨の中でアシュタロトの屋敷から飛んでくる複数の白色に光るリボンを見た。配下の悪魔達と共にライフルを構え、東原に向かってくるそれらのリボンを一斉に撃ち始めた。弾が当たってもアシュタロトのリボンが爆発することはなかったが、その軌道を逸らすことはできた。ラクキス達は大粒の雨の中、撃ち続けた。
「!」
イリシアがピンクの剣を振りかぶり、東原に切り掛かってきた。それを東原は剣で受け止め、イリシアを蹴り飛ばした。
「イリシア、正気に戻れ!」
飛ばされたさくらはすぐに体勢を立て直し、再び無表情のまま東原に切り掛かってきた。
東原はさくらの剣を受けた。
凄まじい力だ。このままではいずれ押し切られ、命を落としてしまう。何のために彩子を刺したんだ。何のために僕は愛する人を殺したんだ・・・。
ライフルの銃声が聞こえた。
ラクキスは戦っている。
そうだ・・・諦めるな! 考えろ! 考えることを止めたら何も達成できないまま終わってしまう!
さくらの剣から伝わってくる力は凄まじいものがあった。
悔しいがこのままではアシュタロトはおろか、イリシアにも勝てない。
だが・・・。
イリシアとアシュタロトの攻撃に時差があるのが気になった。上手く連携できていないと言った方がいいかもしれない。
遠隔操作をしているのか?
イリシアから入ってくる情報をアシュタロトが判断し、指令を出し、イリシアが行動する。この時差によってイリシアとアシュタロトの攻撃の連携が上手く言っていないと考えるべきか?
もしそうだとすれば、その繋がりを絶ち切ることができれば、イリシアをアシュタロトの影響下から外すことができる。
だが、どうやって?
繋がり・・・。
東原がさくらと契約し、彼女に渡した自分の魔力のキーである黄色く光る球を思い出した。
あれを割ればオクターブとしての力は、僕の中に留めることができなくなり、外へ拡散し、僕はオクターブの力を行使できなくなる。もしイリシアが自主的に動いているのであれば、とっくにあれを割っているはずだ。やはりアシュタロトは彼女を遠隔操作していると考えるべきだ。
彼女とあの球で僕は繋がっている。
東原は彼女に退却する素振りを見せると一気にイリシアから離れた。ほんの一瞬遅れて、さくらはそれを追った。
東原は自分の力のそのものと言ってもいい黄色い球の場所を辿った。それはすぐに見つかった。
イリシアが持っている。
そしてその球を核にしてイリシアとアシュタロトを結ぶ線を探した。
嵐の中を東原は空を猛スピードで飛び、その後をアークイリシアのさくらがトレースしてくる。
見つからない・・・
いや、イリシアから出ているはずだ。アシュタロトと繋がっている線が!
アリス!
直接呼び掛けた。
応答はない。
「アリス!」
イリシアに倒されていた大広間での光景を思い出した。そして東原は唇を噛んだ。
彼は後ろを振り向いた。無表情のさくらが迫っている。
すぐ後ろだ。
「くそっ!」
東原は街に降下した。
三メートル程の高さまで高度を落とし、道路を凄まじい速度で飛んだ。彼女も同じ高さまで降下し、彼を追った。そして東原が道路を曲がるたび、彼女も同じように曲がろうとするも、曲がりきれず家やビルの壁にぶつかり、彼女はそれらを破壊していった。
間違いない、遠隔操作による時差が存在している。
だが遠隔操作の線が分からない。
彼はアシュタロトの屋敷に方向を定め、そのまま飛び続けた。その後をイリシアが追った。雨が次から次へと顔に当たり、スピードを上げるほど、その痛さは増してゆく。
「くそっ」
同じ言葉を口にした。
上空に無数の白く光るリボンが現れた。そしてそれらは一斉に東原に向かって落ちてきたが、東原はスピードを必死で急加速させ、すれすれのところで白いリボンから逃げきった。
ラクキス達による援護射撃のライフルは続いていた。
東原は飛び続けた。
視界が一気に開けた。
アシュタロトの屋敷の敷地に入った。
東原はスピードを緩めることなく大広間に向かって真っ直ぐに飛んでいった。
「!」
大広間への着地の寸前で飛んできたアシュタロトの白いリボンの攻撃をかわした。
東原はバランスを崩し、大広間の床を転がり、壁に当たってようやく止まった。
「あら、家出ぼうやが帰ってきたわ」
アシュタロトの声がした。
「イリシアを取り戻す手を思いついたのでね」
東原は立ち上がりながらそう言った。髪から雨粒がぽたぽたと落ち、床の絨毯にそれは吸い込まれてゆく。
「ほう」
僅かだが彼女の顔が凍り付くのを東原は見逃さなかった。やはり半年後の未来が依然変わっていないことに不安を覚えているのだろうと思った。
東原の後を追ってきたイリシアが静かに舞い降りた。正体のない目をした無表情の彼女からは薄気味悪さしか感じられない。
「!」
凄まじい速度でさくらが東原に切り掛かってきた。東原は自分の剣でそれをはじき、すぐ後退したものの、さくらの剣がそれを追ってきた。
「くそっ、早い!」
剣を持っていかれるのを避けるので精一杯だった。必然的に後退を繰り返し、結果、あっという間に壁に追い詰められた。
「オクターブ、イリシアを取り戻す前にお前があの世に行ってしまいそうだな」
アシュタロトのからかう口調の声が聞こえた。
「えっ?」
アシュタロトの驚いた声が続いた。
紺色のドレスを着た黒髪の少女がイリシアの後ろに現れ、瞬間的に彼女の髪を結わえていた髪飾りを奪い取ったのだ。
イリシアの束ねられたピンク色の髪が解き放たれ、自由に広がり、そして重力によって一つの髪としてまとまった。その様子はまるでスローモーションのように目に映った。
黄色を基調とした髪飾りにはビー玉大の黄色く光る球がはめ込まれていた。黒髪の少女はイリシアとアシュタロトから少し距離を取ったところで着地した。
躊躇っている様子だった。
「早くやるんだ、アリス!」
「ですが・・・」
「いいからやるんだ!」
アリスは決心したように頷き、ビー玉大の黄色い光を放つ球を髪飾りから取り出した。尚も躊躇っている様子を見せていたが、唇を強く噛み、目を閉じ、それを強く握った。
「!」
何かが割れる音がした。
オクターブがさくらに託した黄色く光る球が割れたのだ。その瞬間、衝撃波が数回、アリスを中心に広がり、大広間は眩いばかりの黄色く光る世界と化した。
「そこか!」
東原の叫び声が聞こえた。
黄色く光るその世界でイリシアから伸びる赤い影のような線があった。
「僕以外の魔力には反応して赤くなるようなっているんだよ!」
だが時間がない!
東原はさくらに向かって走り、その赤い線を手で引きちぎろうとしたが、突然倒れた。そしてオクターブの特徴である白い仮面が割れ、東原の素顔が現れた。
黄色く光る球を割ったことで彼はオクターブの力を失ったのだ。
「くそっ!」
「子爵、お任せを!」
アリスの声が聞こえた。その瞬間、彼女のである武器の針は大きく振られ、その赤い線は絶ち切られた。
「やった!」
東原は叫んだ。
さくらは我に返り、呆然と周りを見渡した。そして自分がびっしょりと濡れていることに気が付いた。
「アークイリシア、アシュタロトを倒してくれ!」
必死の叫び声が聞こえた。
その声が東原の声だと気付くのに少しの時間が掛かった。
「東原君!」
「オクターブ!」
公爵は床に倒れている子爵の方に手を伸ばし、宙で何かを掴む動作をした。東原は彼女のその動作に反応し、自分の喉元を掻きむしり、声にならない声を出し、もがき苦しみ出した。
「哀れな姿だな、オクターブ!」
アシュタロトは憎しみの表情で覆われていた。
「お前のような優秀な配下がいなくなるのは惜しいが、お前がいると私の未来が真っ暗なのでな」
遠隔で子爵の首を締める手を更に強くした。
「残念だが仕方ない!」
全てを吸い取られ、力を奪われてゆくように思えた。自分は死ぬのだと思った。
爆発音と揺れが連続して起きた。
「!」
アシュタロトは怒鳴った。
「何が起きている!」
その瞬間、すぐ傍の壁が凄まじい爆音と共に爆発した。爆風によって窓ガラスは割れ、粉塵が舞い上がり、一辺の壁の全てがなくなっていた。強い雨と風が入り込んできた。
「・・・」
アシュタロトの遠隔で東原の首を締めていた手が緩まり、彼は咳き込みながらもどうにか呼吸を取り戻すことができた。爆発はラクキスの攻撃によるものだと直感した。
東原は力のあらん限り叫んだ。
「イリシア!」
明かりが消え、薄暗くなった大広間でピンク色の光が直線的にアシュタロトの方向に飛んでいった。
「!」
その瞬間、金髪の髪の少女は左肩に鋭く強烈な痛みを感じた。
「ああ!」
凄まじいい悲鳴が聞こえた。
アシュタロトの声だった。
イリシアのピンク色の光に左腕の全てをもっていかれたのだ。
青い血飛沫が立った。
耐えがたい痛みに襲われ、髪が乱れ、痛みは更に増していった。
「くそおおお!」
気が狂いそうな痛みの中、アシュタロトは早口で呪文を詠唱し、右手を刃物で切られたような平らな左肩の切り口に当てた。
「あああ!」
赤く光り、肉が焼ける匂いがした。
「焼いて傷口を塞いでいる・・・」
アリスに支えられた東原はそう呟いた。唖然とその光景を見ていた。
「左腕なんかくれてやる! だが、その代わりにお前らはここで死んで貰うぞ!」
凄まじい気迫だった。
イリシアは恐怖を感じ、無意識に一歩体を引いた。
第七章ノ二 半年後
イリシアは立原高校を押し潰し着地したアシュタロトの城を地上から眺めていた。
城が落ちてきた場所は立原中心の丘の上にあり、黄土色一色でポリゴン化した複数の塔が並ぶアラブ風のそれは、おおよそ立原の中心の地には不釣合いなものだ。高校の校舎とグランド、体育館の全てが城の下敷きとなり、跡形もなく消えてしまっていた。
穏やかな晴れた冬の日の風がイリシアのピンク色の髪を優しく揺らす。
イリシアは飛んだ。
そして大きく呼吸をし、叫んだ。
「イリシア、ロイヤルフラワーエフェクト!」
その瞬間に大きなピンクの光の花が現れ、アシュタロトの城に向かっていった。それは轟音を立て塔の一つに当たったものの、塔は崩れることなく、爆発することもなく、その攻撃がまるでなかったもののようにその場に静かに建っていた。
「!」
イリシアはもう一度叫んだ。
「ロイヤルフラワーエフェクト!」
ピンクに光る花が、もう一度アシュタロトの城に飛んでいったものの、結果は同じだった。何も変化は起きず、何も爆破されることはなかった。
結界・・・いやシールドと呼ぶべきか。相当強力なシールドが張られているわ。
ルーフルはこの城を立原に落として日本側の自衛隊の士気を高め、凛の民の士気を下げる作戦だと言っていた。確かにこんなものが落ちてくれば、しかもそれが敵の仕業だとしたら、凛の民の士気は下がってしまうだろう。
ただ、壊せないのだとしたら・・・。
「ルーフルを確保するしかない」
それもできるだけ早く。
ルーフルはこの城のどこかにいる。この状況を挽回するにはこの城を落とした張本人を確保して、シールドを解除させ、この城を叩き潰すしかない。
さくらは飛び、アシュタロトの城に向かい、城門から城内に入った。黄土色の城の中庭を超え、回廊を飛び、謁見の間に辿り着き、彼女は床に着地した。装飾に飾られた椅子が目の前の数段高い場所にあった。この館の主であったアシュタロトが座る椅子なのだろう。その椅子ですら、黄土色と化してしまっていた。
「ルーフル!」
さくらの叫び声は誰もいない城内に何度も反射し、最後には吸収された。誰も何の気配を感じることはない。ルーフルはこの城にはいないのではないのかという疑念を覚え始めていた。
いや、ルーフルは手負いだわ。どこか違う場所にいるなんて考えられない。
「!」
さくらは飛んだ。そして回廊を通過し、廊下を抜け、城の真ん中にある塔へと向かっていった。
魔力が発動した気配を感じたのだ。
その塔は城の中で一番大きく、高さもある城のシンボル的存在だ。彼女は大広間を超え、直径二十メートルはある巨大な塔の中に進入し、上に向かって螺旋状の階段を飛んでいった。
上に行くにつれ、魔力は強力になってゆく・・・。
この塔はルーフルとの色鬼で飛んでいない場所だった。彼女は壁の内側の階段を彼女は猛スピードで飛んでいった。果てしなく続いていると思える程、階段は長く続き、同じ光景がひたすら続いてゆく。
階段が終わった!
半径二十メートルの丸い部屋が目の前に現れた。城の外観同様黄土色一色の部屋で、床に大きな魔方陣が彫られている。その魔方陣の中心五メートル半径には黒い墨を大量にこぼしたような跡があった。
いや・・・。
墨なんかじゃない・・・。
それに気付いたさくらは手が細かく震え始めた。
人間の血だ。
そして直感的に思った。
ここはアシュタロトが凛の民の処刑を実行していた場所だ。
街に出現した巨大な画面で中継されていた、あの見せしめとして凛の民の処刑を行っていた場所がここだったのだ。ここで壁の規律を破ったもしくは、アシュタロトに反乱を起こそうとした凛の民がこの場所で殺されていたのだ!
血の広がりを見て、犠牲者の数は百を下らないと思った。
二、三百の犠牲はあったと言われてもおかしくない・・・。
「ここで妹のいぶきはアシュタロトに!」
震えは止まることはない。言い表す言葉が見つからない程の怒りで彼女の感情は溢れそうになっていた。
さくらは魔方陣の中心に向かって引き寄せられるように歩き始めた。
殺された人間の遺体は何処にもない。
いぶきは何処に・・・。
いぶき・・・。
周りは何も見えなくなっていた。
足が酷く重く感じられた。足を引きずるように歩き、彼女は魔方陣の中心に向かった。
「あっ」
さくらは突然左脇に痛みを感じ、それと同時に自分の左に倒れこむ姿を認めた。金髪の少年だった。
「ルーフル!」
少年は腹部を押さえ、さくらを刺した剣を手にしたまま倒れていた。顔は青ざめ、生気はなかった。さくらは自分の左脇を確認した。大して切られていない。出ている血の量も多くはなかった。
ルーフルは衰弱している。もはや狙いを定めることもできなかったのだろう。
「ははは、情けないな」
荒い呼吸の中で彼は言った。
「ここで何をしようとしている?」
さくらは魔方陣に倒れたルーフルに言った。冷たい突き放した声だった。
「何をって、凛の民を皆殺しにしようと思ってね。魔方陣を起動させたいんだけど、供物が足りなくてさ。君の命があれば助かるなって思って」
倒れたままルーフルは咳き込み、青い血を吐き、苦しそうな表情をした。
「残念ね。あなたのそんな様子じゃあ、私の命を手に入れることは絶対にできないわ」
突き放したような口調にルーフルは少し笑った。
「そうだね。でも僕の目的にはべつに君の命は必須じゃない。もちろん、君の命自体が貰えれば一番よかったんだけどさ」
「・・・どういうことなの?」
「君の血と・・・イカロスとイリシアのアークセンテンティアの血があればなんとかなる。だけど僕の命でも代行可能なのさ・・・まあ君にもう会えないのは寂しいのだけど。一目でもいいからもう一度会いたかったよ。精一杯、僕は君に尽くしたと思うよ・・・それは褒めてくれるよね」
さくらへの言葉ではなかった。まるで遺言のようだと思った。
ルーフルは赤い血が付いた短剣を見て、満足そうに笑った。そして仰向けの姿勢になり、自分の胸にそれを突き立てた。
ほんの少しの躊躇いがあった後、彼は勢いよくそれを自分の胸に刺した。
「がっ」
青い血飛沫が立った。
「嘘っ」
青い血が魔方陣に飛び、その魔方陣模様は赤く光り出し、浮き上がった。そしてその外周に沿って赤い文字列が現れた。
それを見てルーフルは頷き、穏やかに笑った。
さくらは動揺していた。
どうして・・・何が・・・ルーフルが自分を刺して魔方陣が発動した!
「さくら!」
アリスの声が聞こえた。
塔の窓ガラスを割り、彼女は勢いよく侵入してきた。そして魔方陣が発動しているのを見て、即座に彼女はさくらを魔方陣の外に連れ出した。
「アリス! いったい何が起きているの!」
混乱していたさくらは、自分を魔方陣の外に連れ出した黒の大きなリボンを付けた少女に大声で問いただした。
アリスは振り返り魔方陣を見た。そして魔方陣の上に円形に並び、浮き上がった赤い文字を読んで絶句した。
「ルーフル、お前!」
もう彼の返事はなかった。笑っている表情は何一つさっきから変わっていない。
何もだ。
ルーフルは死んだのだと思った。そして彼の体は魔方陣に沈み始めていた。
さくらはそれを見て、妹のいぶきを含めてアシュタロトにこの場で処刑された凛の民の亡骸は魔方陣に取り込まれ、魔方陣の一部となってしまったのだと直感した。直情的な怒りが彼女の心の中に瞬発的に現れた。
「イリシア、フラワーバースト!」
その声が終わると同時にピンクに光るトルネードが魔方陣に向かった。さくらは怒りに任せ、それを何度も連続して撃った。だが、さくらのフラワーバーストは魔方陣と衝突する前にその全てを吸収されたように跡形もなく消えてなくなってしまっていた。
「壊せない!」
強烈な焦りを感じた。
「アリス!」
さくらの声がアリスに飛んだ。
「魔方陣がルーフルの命で発動してしまっている! そしたら凛の民が!」
「違う! おそらくもっと最悪なことが起きようとしている!」
アリスは怒鳴るように言葉を返した。
魔方陣から浮き出た円形に並んだ赤い文字の外側に、更にもう一列、赤い文字列が現れた。まるでパソコンの演算結果が出力されているようだ。赤く光る文字列は円形に更にもう一列、更に一列と追加される。
悪魔の文字だ。さくらには読むことはできなかったが、アリスには何が起きているのか、これから何が起ころうとしているのか分かっている様子だった。
緊迫した雰囲気が彼女から出ていた。
もう魔方陣にはルーフルの姿は見ることはできない。おそらく魔方陣に組み込まれてしまったのだ。
「裁定のウェッジ!」
アリスの声が聞こえたと同時に無数の黒い鉄のクサビが天井に現れ、魔方陣に向かって落ちたが、クサビは魔方陣から浮き出た赤く光る魔法陣模様と文字列の手前で次々に消えていった。
「くそっ」
イリシアのときと同じ現象だ。この魔方陣への攻撃は全て無効化されてしまう。何をやっても無駄だ。
魔方陣上の円形に並んだ赤い文が、その増加を一旦止めた。そして少しの待ち時間を経て、再び文字が並び始め、止まった。
「まずい!」
アリスは突然さくらの手首を掴んだかと思うと、自分が進入したときに使った窓から外へ飛び出し、塔から脱出した。
「え、何?」
アリスは手を放さない。
逃げるように猛スピードで塔から離れ、そして十分離れた距離を確認するとアリスは止まり、振り向き、ようやくさくらの手を放した。
「どうして魔方陣から離れたの! 早くあの魔方陣を止めるために戻らないと!」
さくらはアリスに怒鳴った。
「それはもうできない・・・」
彼女はそう告げた。
その瞬間、魔方陣から均等に八方向へ赤く光る線が飛び、塔の壁を突き破り、壁の全てを崩した。塔のたまねぎの形をした先端はその衝撃で陥没し、それにつられ塔は崩壊を始めた。黄土色の石は地上へ雪崩が起きたように落ちてゆき、直径二十メートルある巨大な塔はあっという間に崩れ去ってしまった。黄土色の土煙がゆっくりと広がってゆく。
「・・・」
さくら絶句した。
赤く光った魔法陣の模様がその土煙から透けて見えた。
魔方陣と幾重にも円形に並んだ文字は宙に浮いているのだろう。そして八方向に飛んだ赤く光る線は立原の山々、海へと向かって伸び、そしてその先でも魔法陣を展開しているようだった。
「いったい何が起きているの・・・」
さくらは唖然として呟いた。
「アリス!」
地上からアリスを呼ぶ声が聞こえた。
黒塗りの車の横で車椅子に座った東原がアリスとさくらを見上げていた。
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