第九章
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第九章 現在
立原を囲む赤いレンガの壁が音を立てて崩れてゆく。アシュタロトが死に彼女の術式で維持されていた壁がその支えを失い、崩壊し始めたのだ。
何十キロにもわたる土煙が空に向かって立った。
その様子はアシュタロトの屋敷からもよく見えた。
背後から瓦礫を踏む音が聞こえた。
「五条さくら、君のお陰でアシュタロトを倒すことができた。本当にありがとう。これで悪魔と凛の民は自由を得ることができたよ」
かつてオクターブ子爵だった男子は、アリスに支えられながらそう言った。
アシュタロトの屋敷の大広間はさっきまでの激しい戦闘で天井も床も壁もところどころ抜け落ち、華やかな装飾で飾られたかつての姿を想像することはもはや難しかった。
初夏の涼し気な風が、崩れ落ちた壁から流れ込み、さくらの茶色掛かった髪を優しく揺らした。
強い脱力感を感じる。
アシュタロトの返り血で青くなったピンクのドレスを眺めながらさくらは呟いた。
「これからどうなってゆくの?」
「悪魔は質の良い魂を求めて世界のいろんなところに散らばって行くだろうね。そして昔から行われているように欲の深い人間を見つけ出し契約し、欲を叶える代わりに魂を削り取ってゆくのだろう。壁ができる前の状態に戻るだけだ。世界に大きな変化はないさ。アシュタロトの言うように悪魔と契約する強欲な人間は多くはないのかもしれないけど、それでもその自由を求めたのは悪魔達自身なんだ。苦難な生き方であっても本望のはずだ」
「・・・」
「凛の民はこれから日本との独立を掛けて戦闘を繰り広げることになる。アシュタロトの支配から独立したとして、次は日本の支配では何の意味もないからね。これから大変な時期を迎えることになる。多くの人間が犠牲になるだろう。だけど誰も支配も受けないことは千百年もの前からの凛の民の念願なんだ」
「それが東原君が見た未来なの?」
大雨を降らせた雨雲がゆっくりと動いてゆく。嵐の過ぎ去った空から太陽の光が射し始め、壁が崩れてゆく立原に光のカーテンが広がっていった。
雄大な光景だと思った。
立原に生きる凛の民も悪魔も、これからの未来が明るいものしかないような錯覚を覚えさせられているだろう。
「僕は自分が形作りたい未来に向かって全力で力を尽くしたいと思っている」
「・・・」
「僕が見ていた未来というのは半年後の確率的に高い確率でやってくる未来なんだ。何もしなければ、おそらくそのままその未来がやってくる。もし自分が望まない未来像であっても、自分が行動を起こせば、自分が望む未来に近づくことができるはずだ。だが、何もしなければ確率はゼロだ。諦めたらそれで終わりなんだよ」
光のカーテンは立原の山々にも光を射している。この世の風景というのは比類なき美しいものだと思った。
東原が自分に言い聞かせている言葉のように見えた。
「諦めたら終わりだ。人間は自分の行動次第で未来を変えることができる。例え未来が見えたって、何も変わらないって諦める必要はどこにもないんだ」
「もしその過程で邪魔が入り、自分が死んでしまったら?」
それまで黙っていたさくらが口を開いた。
東原は一瞬驚いた表情を見せたものの、大して気に止めた様子もなく答えた。
「もしそういう状況となったとしても、僕は最後の最後まで生きることを諦めない。そして自分の求める未来も諦めないつもりだ」
「凛の君になる東原君・・・あなたは立派だわ」
溜息と吐いた。
「だけど賛成はできない。アシュタロトは確かに倒せたわ。お陰で私は業を背負った。それは構わない。私は妹の敵を討つことができたのだから」
さくらの苛立った声が続く・
「でもどうしてアークシリウスを殺したの? 人をさんざん利用した挙げ句、殺すなんて私には許せない。あなたのやり方は間違っているわ!」
東原は少しむっとした表情になった。
「だったら他に方法があったのか? 力に劣る我々が、上級悪魔であるルプスやアシュタロトを倒すということが、如何に難しいことだったのか、君は理解していないんじゃないのか?」
「理解しているわ! だけどあんな方法はなかったんじゃないのと言っているの! それにこれから日本と戦争になるってどういうことなの? 戦争で犠牲になるのは人の命なのよ! 分かっているの? あなたは間違った方向に進もうとしている!」
「日本からの独立は凛の民の悲願だ。アシュタロト支配前の状態を君は覚えていないのか? 我々に日本側から区別され、差別され続けていたあの頃に戻れというのか? 日本へは帰属をしないことを伝える。平和的にやってゆきたいと思っている。でも最後はどうやっても戦争は避けられないだろう。それは世界の歴史で起きた民族の独立運動で証明済だ」
「そんなことはない! 平和的に解決する方法はいくらでもあるはずよ! 他に手段を探さないで戦争だなんて、怠惰としか言いようがない! 考えが浅はかで短絡的だわ!」
「無礼だぞ、イリシア!」
アリスの声だ。抑えつけるような言い方だったものの、さくらは怯む素振りを見せることなく、強硬に言葉を続けた。
「私達は考えが違う!」
「そうみたいだな」
「一緒にはやっていけない! 私はもう変身はしない。戦争には力を貸せない。大儀をもっともらしく掲げたって、戦争は人殺しには違いないのだから!」
「無礼だと言っている!」
アリスは苛立った表情で攻撃呪文を詠唱し始めた。すぐに東原は言った。
「アリス、いいんだ」
「しかし! このままでは!」
アリスはそう抗議したものの、結局は東原の言葉に従い、詠唱を止めた。
東原は溜息を吐き、言った。
「そうか・・・僕が考えを理解されなくて残念だよ。五条さくら」
アークイリシア姿のさくらは宙に浮いた。
「私も残念だわ。あなたが自分の考えの過ちに気付かなくて、行動を正せないなんて」
「だけどもし僕が死んでしまったら、次の凛の君はさくら、君がなってほしいんだ」
「えっ?」
「君は僕の妹だからね」
「・・・いきなり何を言っているの?」
腹立だしい思いがした。だから軽蔑するように彼女は言ったのだ。
この状況で見え透いた嘘を言った東原を許せないと思った。
そうしたさくらの態度から彼女の心の内を感じ取ったのかもしれない。
「冗談さ」
アリスに支えられた東原は真顔でそう呟いた。
「私はもう行くわ」
彼女は突き放すような声だった。
「ああ」
彼はそう答えた。
「さようなら」
アークイリシアは飛んだ。
光のカーテンが広がり、明るい世界が広がってゆく。立原の街を囲んでいた赤レンガの壁は崩れ、かつてのアシュタロトの支配の象徴は見る影もなく消え去っていた。
「おおお」
凛の民の声だ。感嘆の声が街中の空気を大きく揺らした。
皆、アシュタロトの支配からの脱却に喜び、これから来る未来に明るいものを期待しているのだ・・・。
さくらはそう思った。
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