8月8日
『アルコール飲まない。それ以上に、タルコールはもう飲まない』
今日は異世界に来て、初めての雨が降った。
自分の世界に居た時は、特に珍しい物でも無かったのだが、異世界の雨となれば珍しく、年甲斐も無く外に出てはしゃいでしまった。
そんな事があり、夜にはヘロヘロになっていた僕は、夕食を食べ終わった後、部屋に戻って本を読みながら静かにしていた。
一冊目の本が読み終わると、急に体が疲れてきて眠くなってしまう。時間はまだ早かったが、たまには早く寝るのも良いだろうと思い、ベッドに飛び込んで静かに目を閉じる。
フカフカの布団。気持ちが良くなり、次第に意識が遠のいていく。
「お邪魔するぜー!」
そんな時、入り口の扉が勢い良く開き、酒瓶を持ったルナが現れた。
「お、寝る所だったのか? 寝るにはまだ早いだろ!」
僕の事はお構いに無しに、人がゾロゾロと入って来る。
ジェシカ、リアス、アンリ。この民宿に住んでいる大人が勢ぞろいだった。
「あの……これは?」
「あん? 宴会だよ。この部屋がこの民宿で一番涼しいって、アンリが教えてくれたからな。今日はここでやる事にした」
机の上に酒瓶を置いて、ドカリと椅子に座るルナ。それに続いてそれぞれが持ってきた椅子に座り、部屋は一瞬にして賑やかな宴会場となってしまった。
大人達が騒ぐ中、疲れていた僕は、それを無視して寝ようとする。
「おいおい。夜は始まったばかりだぜ? お姉さんと一緒に飲もうぜぇ」
既に悪酔いしているルナに首を掴まれて、宴会の場へと引きずり込まれる。
各々が好きな酒を飲んでいるのに対して、僕はアンリの用意してくれた果汁ジュースをちびちびと飲む。
楽しそうな大人達。飲み会というのは、いつも大人が楽しいだけで、子供が混じっても何も楽しくない。
僕は小さくなり、宴会が終わるのをひたすら黙って待っていた。
「おう彼方! 黙ってねえで何か喋れ!」
ガハハと笑いながら背中を思い切り叩くルナ。
酒のせいで力が制御できておらず、持っていたジュースを少し零してしまう。
「あん? 話す事ねえか! よおし! じゃあお姉さんが質問してやるよ!」
持っていた泡立つ酒を机に置き、肩に手を回すルナ。
そして、耳元に口を近付けて言った。
「お前、この島で会った、どの女が一番好きだ?」
その質問を聞いて、血の気が引いていく。
「いや、そういう質問は……」
「あんだよ! 良いじゃねえか! 今日は無礼講だっつうの!」
無礼講。それは、上の人間が下の人間に秘密を吐かせる強制イベント。
この世に本当の無礼講が無い事を、僕は既に知っていた。
「おら、話せ。遠慮せずに」
「まあまあ、彼方君も困っているじゃないか」
僕の事を庇ってくれたのは、この中で一番酔っていないような表情をしているリアスだった。
リアスは茶色い酒が入ったグラスを机に置くと、足元のバッグから一本の瓶を取り出し、カップに注いで差し出してくる。
「ほら、落ち着く事の出来るジュースだ。これを飲んで少し落ち着きなよ」
そのジュースはルナに飲ませるべきだろうと思ったが、リアスが躊躇なく僕に差し出してきたので、仕方なくそれを飲んでみる。
すると、急に頭の中がふわりとして、気分が良くなった。
「あの、これって……」
「アルコールは入ってないよ。タルコールは入っているけどね」
それを聞いて、罠だという事にやっと気が付く。
そう言えば、リアスは最初に出会った時も、カマをかけてきて素性を吐かせられた。
それを考えれば、この液体が危険な代物だという事にも気が付けたではないか。
「よおし! じゃあ、彼方君のラブラブトークいっちゃいますかあ!」
ルナは僕の首から手を放すと、泡立つ酒を飲み干して質問を始めた。
「それじゃあよお。まずあたいの事どう思ってんだ?」
そう言いながら、僕の腕にしがみ付いてくるルナ。大きな胸が腕に当たり、元々減ってきている冷静な感情が薄れていく。
「ええと……ルナさんは、ぶっきらぼうで……ちょっと暴力的で……」
「あんだよ。悪いとこばっかじゃねえか」
「……でも、凄く優しくて……みんなの事を笑顔にさせる……素敵な人です」
思った事をそのまま口にすると、ルナの顔が真っ赤になり、素早く離れる。僕は胸の感触が無くなってがっかりした。
皆が急に静かになったので、少し不思議に感じたが、僕は気分が良かったので、もうどうにでもなれと思い、タルコールジュースを飲み続ける。
「それじゃあ、次は俺の事をどう思ってるのか聞こうかな」
茶色い酒の入ったカップをカランと鳴らし、笑顔でこちらを見るリアス。
「……リアスさんは、いつも僕を騙します……悪い人です」
「はは、分かっているじゃないか」
「だけど……何て言うか、その一つ一つが、僕に何か大切な事を教えようとしているみたいな……そんな気がして……尊敬できます」
ふっと笑って酒を飲むリアス。少し嬉しそうだ。
「じゃあ、私は? 私の事はどう思ってるの?」
「ジェシカさんは……自由奔放でマイペースで……いつも上手を取られます」
「あら、そうかしら?」
「でも、どこか寂し気で……僕は笑顔が好きだから……笑っていてもらいたいです」
フフッと笑い、美味しそうにオレンジ色の酒を飲むジェシカ。
相変らず静かな宴会場。僕は気にせずに、タルコールを飲み続ける。
「……あの」
小さな声が聞こえて、ふらりとそちらを向く。
「それでは……私の事は、どう思っていらっしゃいますか?」
視線を落として尋ねて来たのは、アンリエッタ=ホワイトアース。
「アンリさんは……」
少し考えた後、やっぱり考えられなかったので、そのまま話す。
「お母さんみたいだなって……思います」
「おか……」
ガクリと肩を落とすアンリ。それを見て皆が笑う。
「……でも」
アンリを真っ直ぐに見て、うっとりと笑う。
「この民宿を選んだ理由は……アンリさんを見たからでした……凄く綺麗な人だったから、仲良くなりたいなって……そう思って」
顔を上げて目を丸めるアンリ。やっぱり綺麗だ。
「それで、実際に来てみたら……やっぱり素敵な人で……仕事なのかもしれないけど、僕に優しくしてくれて……それで、もっと好きになって……」
言いたい事は山ほどあるのに、何を言えば良いのか分からない。
だけど、言葉だけは浮かんできて、それが口から勝手に零れていく。
「この世界の人達は、本当に優しくて……温かくて……居心地が良いです」
急に眠気が襲ってきて、机の上に頭をのせる。
気分が良い。このまま寝てしまいたい。
「……なあ。これ、こいつに聞きたい事を聞き出す、チャンスなんじゃねえか?」
ルナの声が聞こえる。聞こえるだけだ。
「おい彼方。好きな食べ物は何だ?」
「ロールの手作りサンドイッチ……」
「好きな場所は?」
「夜の砂浜……」
「落ち着く場所は?」
「ここ……」
意識が別の場所にある。質問に抗えない。
「彼方君。君が今やりたい事は何だい?」
「島の探索……花火作り……宝探し……」
「君はどこから来たんだい?」
「にほ……秘密です」
「本名は何だい?」
「……秘密です」
「ちっ! 惜しかったな!」
ルナが舌打ちをする。ルナとアンリには、僕が異世界の人間だと教えてない。まだ秘密だ。
その後も色々質問されたが、僕の頭の中はもう真っ白で、それ以上応える事は出来なかった。
少しすると、皆は質問する事を諦めたようで、別の話題を話し始めた。
「そう言えば、彼方君はキラービーを捕まえたらしいね」
「そうなんだよ。しかも、また懐きやがった。シープエッグとキラービーを同時に使い魔にするなんて、前代未聞だぜ?」
「それは、そんなに凄い事なのですか?」
「ああ、多分世界初だろうな。報告したら大変な事になるかもしれねえ」
「やめてよ。せっかくバカンスに来てるんだから」
「分かってるよ。そんなのこいつも望んでねえし、言わねえよ」
少しずつ意識が戻って来る。どうやら、タルコールが薄れてきているようだ。
「それにしても、不思議な奴だよなぁ」
「そうだね。この民宿にこれだけの人間が集まったのは、いつぶりだろう」
何か引っかかる言葉を言っているが、まだ思考が追い付かない。
もう少しこのままで精神力を回復させよう。
「アンリさんは、こうなる事を分かっていたの?」
「いえ、私はお客様を迎えるだけなので……」
「でも、この民宿は『そういう人達』が集まるんでしょう?」
「そうですが、人を集めるのは、私の仕事ではございませんので」
「そうよねえ。そうなると、やっぱり私達が引き寄せられたのは……」
途中まで言ってジェシカが黙る。少しだけ視線を上げてみようと思ったが、危険な香りがしたので、そのまま俯せになって居る事にした。
「何にせよ、今年の夏は、面白い事になりそうだね」
「そうだな。こいつがどこまでやってくれるか、今から楽しみだ」
何かを期待しているようだが、ここにはバカンスに来ただけだ。
他の異世界物語のように世界を救う気も無いし、最強になる気も無い。
他人がどう思おうと、僕はこの夏にしたい事をするだけだ。
「さてと……」
椅子がガタリと動き、誰かが立ち上がる。
「俺はそろそろ部屋に帰るよ。書きたい物も浮かんだしね」
「私も面白い詩を思いついたから、部屋に戻ろうかな」
「そんじゃあ、解散だな」
そう言うと、他の人間も順番に立ち上がり、ガタガタと音を立てて、部屋の外へと去って行ったようだった。
部屋が静かになるのを確認した後、僕は小さく息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。
「やっぱり、起きていたのですね」
目の前に居たのは、民宿の女主人。アンリエッタ。
「ここを片付けたら出て行きますので、ベッドで休んでいてください」
何事も無かったかのように片付けを始めるアンリ。
正直、一本取られた。これから彼女に何かを言われても、言い訳のしようが無い。
しかし、アンリは何も言わずに、黙々と片づけをしていた。
(……よし、寝よう)
考える事を止めてベッドに倒れ込む。
少しずつ薄れていく意識。
その先で、片付けが終わって部屋を出て行こうとするアンリが見える。
「おやすみなさい……彼方さん」
背中でそう言った後、入り口の扉を閉めるアンリ。
その小さな変化に、疲れていた僕は、すぐには気付けなかった。




