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僕の異世界夏休み  作者: 桶丸
9/33

8月8日

『アルコール飲まない。それ以上に、タルコールはもう飲まない』



 今日は異世界に来て、初めての雨が降った。

 自分の世界に居た時は、特に珍しい物でも無かったのだが、異世界の雨となれば珍しく、年甲斐も無く外に出てはしゃいでしまった。

 そんな事があり、夜にはヘロヘロになっていた僕は、夕食を食べ終わった後、部屋に戻って本を読みながら静かにしていた。


 一冊目の本が読み終わると、急に体が疲れてきて眠くなってしまう。時間はまだ早かったが、たまには早く寝るのも良いだろうと思い、ベッドに飛び込んで静かに目を閉じる。

 フカフカの布団。気持ちが良くなり、次第に意識が遠のいていく。


「お邪魔するぜー!」


 そんな時、入り口の扉が勢い良く開き、酒瓶を持ったルナが現れた。


「お、寝る所だったのか? 寝るにはまだ早いだろ!」


 僕の事はお構いに無しに、人がゾロゾロと入って来る。

 ジェシカ、リアス、アンリ。この民宿に住んでいる大人が勢ぞろいだった。


「あの……これは?」

「あん? 宴会だよ。この部屋がこの民宿で一番涼しいって、アンリが教えてくれたからな。今日はここでやる事にした」


 机の上に酒瓶を置いて、ドカリと椅子に座るルナ。それに続いてそれぞれが持ってきた椅子に座り、部屋は一瞬にして賑やかな宴会場となってしまった。

 大人達が騒ぐ中、疲れていた僕は、それを無視して寝ようとする。


「おいおい。夜は始まったばかりだぜ? お姉さんと一緒に飲もうぜぇ」


 既に悪酔いしているルナに首を掴まれて、宴会の場へと引きずり込まれる。

 各々が好きな酒を飲んでいるのに対して、僕はアンリの用意してくれた果汁ジュースをちびちびと飲む。

 楽しそうな大人達。飲み会というのは、いつも大人が楽しいだけで、子供が混じっても何も楽しくない。

 僕は小さくなり、宴会が終わるのをひたすら黙って待っていた。


「おう彼方! 黙ってねえで何か喋れ!」


 ガハハと笑いながら背中を思い切り叩くルナ。

 酒のせいで力が制御できておらず、持っていたジュースを少し零してしまう。


「あん? 話す事ねえか! よおし! じゃあお姉さんが質問してやるよ!」


 持っていた泡立つ酒を机に置き、肩に手を回すルナ。

 そして、耳元に口を近付けて言った。


「お前、この島で会った、どの女が一番好きだ?」


 その質問を聞いて、血の気が引いていく。


「いや、そういう質問は……」

「あんだよ! 良いじゃねえか! 今日は無礼講だっつうの!」


 無礼講。それは、上の人間が下の人間に秘密を吐かせる強制イベント。

 この世に本当の無礼講が無い事を、僕は既に知っていた。


「おら、話せ。遠慮せずに」

「まあまあ、彼方君も困っているじゃないか」


 僕の事を庇ってくれたのは、この中で一番酔っていないような表情をしているリアスだった。

 リアスは茶色い酒が入ったグラスを机に置くと、足元のバッグから一本の瓶を取り出し、カップに注いで差し出してくる。


「ほら、落ち着く事の出来るジュースだ。これを飲んで少し落ち着きなよ」


 そのジュースはルナに飲ませるべきだろうと思ったが、リアスが躊躇なく僕に差し出してきたので、仕方なくそれを飲んでみる。

 すると、急に頭の中がふわりとして、気分が良くなった。


「あの、これって……」

「アルコールは入ってないよ。タルコールは入っているけどね」


 それを聞いて、罠だという事にやっと気が付く。

 そう言えば、リアスは最初に出会った時も、カマをかけてきて素性を吐かせられた。

 それを考えれば、この液体が危険な代物だという事にも気が付けたではないか。


「よおし! じゃあ、彼方君のラブラブトークいっちゃいますかあ!」


 ルナは僕の首から手を放すと、泡立つ酒を飲み干して質問を始めた。


「それじゃあよお。まずあたいの事どう思ってんだ?」


 そう言いながら、僕の腕にしがみ付いてくるルナ。大きな胸が腕に当たり、元々減ってきている冷静な感情が薄れていく。


「ええと……ルナさんは、ぶっきらぼうで……ちょっと暴力的で……」

「あんだよ。悪いとこばっかじゃねえか」

「……でも、凄く優しくて……みんなの事を笑顔にさせる……素敵な人です」


 思った事をそのまま口にすると、ルナの顔が真っ赤になり、素早く離れる。僕は胸の感触が無くなってがっかりした。

 皆が急に静かになったので、少し不思議に感じたが、僕は気分が良かったので、もうどうにでもなれと思い、タルコールジュースを飲み続ける。


「それじゃあ、次は俺の事をどう思ってるのか聞こうかな」


 茶色い酒の入ったカップをカランと鳴らし、笑顔でこちらを見るリアス。


「……リアスさんは、いつも僕を騙します……悪い人です」

「はは、分かっているじゃないか」

「だけど……何て言うか、その一つ一つが、僕に何か大切な事を教えようとしているみたいな……そんな気がして……尊敬できます」


 ふっと笑って酒を飲むリアス。少し嬉しそうだ。


「じゃあ、私は? 私の事はどう思ってるの?」

「ジェシカさんは……自由奔放でマイペースで……いつも上手を取られます」

「あら、そうかしら?」

「でも、どこか寂し気で……僕は笑顔が好きだから……笑っていてもらいたいです」


 フフッと笑い、美味しそうにオレンジ色の酒を飲むジェシカ。

 相変らず静かな宴会場。僕は気にせずに、タルコールを飲み続ける。


「……あの」


 小さな声が聞こえて、ふらりとそちらを向く。


「それでは……私の事は、どう思っていらっしゃいますか?」


 視線を落として尋ねて来たのは、アンリエッタ=ホワイトアース。


「アンリさんは……」


 少し考えた後、やっぱり考えられなかったので、そのまま話す。


「お母さんみたいだなって……思います」

「おか……」


 ガクリと肩を落とすアンリ。それを見て皆が笑う。


「……でも」


 アンリを真っ直ぐに見て、うっとりと笑う。


「この民宿を選んだ理由は……アンリさんを見たからでした……凄く綺麗な人だったから、仲良くなりたいなって……そう思って」


 顔を上げて目を丸めるアンリ。やっぱり綺麗だ。


「それで、実際に来てみたら……やっぱり素敵な人で……仕事なのかもしれないけど、僕に優しくしてくれて……それで、もっと好きになって……」


 言いたい事は山ほどあるのに、何を言えば良いのか分からない。

 だけど、言葉だけは浮かんできて、それが口から勝手に零れていく。


「この世界の人達は、本当に優しくて……温かくて……居心地が良いです」


 急に眠気が襲ってきて、机の上に頭をのせる。

 気分が良い。このまま寝てしまいたい。


「……なあ。これ、こいつに聞きたい事を聞き出す、チャンスなんじゃねえか?」


 ルナの声が聞こえる。聞こえるだけだ。


「おい彼方。好きな食べ物は何だ?」

「ロールの手作りサンドイッチ……」

「好きな場所は?」

「夜の砂浜……」

「落ち着く場所は?」

「ここ……」


 意識が別の場所にある。質問に抗えない。


「彼方君。君が今やりたい事は何だい?」

「島の探索……花火作り……宝探し……」

「君はどこから来たんだい?」

「にほ……秘密です」

「本名は何だい?」

「……秘密です」

「ちっ! 惜しかったな!」


 ルナが舌打ちをする。ルナとアンリには、僕が異世界の人間だと教えてない。まだ秘密だ。


 その後も色々質問されたが、僕の頭の中はもう真っ白で、それ以上応える事は出来なかった。

 少しすると、皆は質問する事を諦めたようで、別の話題を話し始めた。


「そう言えば、彼方君はキラービーを捕まえたらしいね」

「そうなんだよ。しかも、また懐きやがった。シープエッグとキラービーを同時に使い魔にするなんて、前代未聞だぜ?」

「それは、そんなに凄い事なのですか?」

「ああ、多分世界初だろうな。報告したら大変な事になるかもしれねえ」

「やめてよ。せっかくバカンスに来てるんだから」

「分かってるよ。そんなのこいつも望んでねえし、言わねえよ」


 少しずつ意識が戻って来る。どうやら、タルコールが薄れてきているようだ。


「それにしても、不思議な奴だよなぁ」

「そうだね。この民宿にこれだけの人間が集まったのは、いつぶりだろう」


 何か引っかかる言葉を言っているが、まだ思考が追い付かない。

 もう少しこのままで精神力を回復させよう。


「アンリさんは、こうなる事を分かっていたの?」

「いえ、私はお客様を迎えるだけなので……」

「でも、この民宿は『そういう人達』が集まるんでしょう?」

「そうですが、人を集めるのは、私の仕事ではございませんので」

「そうよねえ。そうなると、やっぱり私達が引き寄せられたのは……」


 途中まで言ってジェシカが黙る。少しだけ視線を上げてみようと思ったが、危険な香りがしたので、そのまま俯せになって居る事にした。


「何にせよ、今年の夏は、面白い事になりそうだね」

「そうだな。こいつがどこまでやってくれるか、今から楽しみだ」


 何かを期待しているようだが、ここにはバカンスに来ただけだ。

 他の異世界物語のように世界を救う気も無いし、最強になる気も無い。

 他人がどう思おうと、僕はこの夏にしたい事をするだけだ。


「さてと……」


 椅子がガタリと動き、誰かが立ち上がる。


「俺はそろそろ部屋に帰るよ。書きたい物も浮かんだしね」

「私も面白い詩を思いついたから、部屋に戻ろうかな」

「そんじゃあ、解散だな」


 そう言うと、他の人間も順番に立ち上がり、ガタガタと音を立てて、部屋の外へと去って行ったようだった。

 部屋が静かになるのを確認した後、僕は小さく息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。


「やっぱり、起きていたのですね」


 目の前に居たのは、民宿の女主人。アンリエッタ。


「ここを片付けたら出て行きますので、ベッドで休んでいてください」


 何事も無かったかのように片付けを始めるアンリ。

 正直、一本取られた。これから彼女に何かを言われても、言い訳のしようが無い。

 しかし、アンリは何も言わずに、黙々と片づけをしていた。


(……よし、寝よう)


 考える事を止めてベッドに倒れ込む。

 少しずつ薄れていく意識。

 その先で、片付けが終わって部屋を出て行こうとするアンリが見える。


「おやすみなさい……彼方さん」


 背中でそう言った後、入り口の扉を閉めるアンリ。

 その小さな変化に、疲れていた僕は、すぐには気付けなかった。


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