8月2日
『海を見ながら食べる昼食は、本当に美味しかった』
海の家に集まり、民宿に住んでいる4人で朝食を食べる。
メニューはサラダにパンに牛乳。
どこにでもある朝食だが、うちで食べるよりおいしかった。
後片付けが終わると、突然ドンという大きな音が鳴り、びくりと体を震わせてしまう。
僕を見ていたアンリは小さく笑った後、西側にある山を見ながら口を開いた。
「今の音は、山の上に住む錬金術師さんの花火の音です」
「錬金術師?」
「はい。様々な物を作り出す技術者で、今は自分だけの花火を作る事を、目的としているそうです」
「へえ、凄いですね」
再び大きな音が聞こえて、びくりと肩を震わせる。
朝からこんな轟音をまき散らして近所迷惑だろうと思ったが、アンリが全く動じていなかったので、これが日常なのだろうと諦めた。
数回音が鳴り響き、やっと静かになると、アンリが民宿に消えて行ったので、僕も海の家から去ろうとする。
「こんにちはー」
そんな時、元気な声と共に、見覚えのある女子が入って来た。
「あれ? 貴方は……」
茶色いポニーテールをサラリと揺らし、静かに微笑む女子。
ここに来るまでの飛行船で話しかけて来た、あの女の子だった。
「やっぱりここに居たんだ。おはよう」
「お、おはよう……」
小さくお辞儀をした後、改めて女子を見る。
タートルネックの黄色いシャツに、緑色のハーフパンツ。
健康的なその姿はとても魅力的で、真っ直ぐに見る事が出来なかった。
「そう言えば、まだ名前聞いてなかったよね」
「そうだね。僕は……」
少しだけ悩んだが、やはり本名は隠しておく事にする。
「僕は彼方。16歳。よろしく」
「彼方? 珍しい名前だね。私はアリス=ブルースワロー。君と同じ16歳。よろしくね」
手を差し出してくるアイリス。どうやら握手は万国共通のようだ。
年頃の男女が握手するのもどうかと思ったが、アリスが無邪気な顔でこちらを見ていたので、素早く手を握ってすぐに離した。
「それで、アリスさんは、どうしてここに?」
「呼び捨てで良いよ。アンリさんに用があって来たんだけど、大した用事じゃないから今日はいいや。それより、彼方君は今暇?」
「え? うん。暇だけど……」
「じゃあ、私の家に遊びに来ない?」
突然の訪問イベントに慌ててしまう。
「……ぼ、僕は良いけど、突然行ったら家族に迷惑をかけるんじゃないかな」
「大丈夫。私の家、おじいちゃんと妹しかいないし、今はどっちも居ないから」
それは逆に危険だろうと思ったが、まあ、アリスが大丈夫と言うのだから、大丈夫なのだろう。
「分かった。遊びに行くよ」
「やった! じゃあ、すぐそこにある広場の入り口で待ってるから!」
手を振って走り去るアリス。それに手を振って応えた後、同い年の女子と会話した事にニヤニヤする。
(いかんいかん……)
もう少しこの幸せに浸りたかったが、アリスが待っている事を思い出して、慌てて海の家を飛び出した。
海の家から民宿への道を少しだけ戻り、町に続く上り坂を登っていく。
坂の中腹に辿り着くと、小さな芝生の広場があり、その入り口でアリスが待っていた。
「遅ーい。もう、溶けちゃうかと思ったよ」
「ごめん。少し考え事をしていて……」
「えへへ、ちょっとだけウソ。気にしないで」
可愛く舌を出すアリス。その姿に吸い込まれそうになる。
「私さ、ここに帰って来ても、同世代の友達が居ないんだよね。だから、彼方君がここに来てくれた事、本当に嬉しいんだ」
なるほど。これが飛行船で、僕に話しかけてきた理由か。
本当は恋愛的な理由を期待していたのだが、ここまで無邪気な笑顔で言われると、それが皆無だという事が良く分かる。
だから、ここに来るまでに思っていた恥ずかしい妄想は、胸の中にしまっておく事にしよう。
「このすぐ上の、三角屋根が私の家だよ」
鼻歌を歌いながら歩き出すアリス。その綺麗な声を聞きながら、僕はアリスの背中を追いかけた。
5分ほど歩くと、四角いコンクリートに三角の屋根とテラスをくっつけたような、不思議な形の建物が現れる。どうやら、ここがアリスの家らしい。
「玄関はこっちなんだけど、私の部屋は中庭からでも入れるから、今日はそっちから入るね」
言われるままに着いて行き、家の裏側に回り込む。
木造の扉を空けて中庭に入ると、綺麗な庭が広がる。その先に銀色の扉があり、アリスがその扉を空けて中に入っていく。
続いて僕もそこに入ると、沢山の本棚と高い天井の部屋が現れた。
「これが私の部屋。どう?」
「何と言うか、不思議な空間だね」
「でしょ? でも、そんな所も大好きなんだ」
楽しそうにクルリと回り、入り口の横にある階段の中腹に座るアリス。
僕は一通りその部屋を眺めた後、アリスを階段の下から見上げた。
「ねえ、彼方君はいつまでここに居るの?」
「夏休み中はずっとかな」
「そうなんだ。私も夏休み中はここに居るから、いつでも遊びに来てね」
「……い、良いの?」
「もちろん! そうだ! 夜でも裏の扉はあけておくから、いつでも勝手に入ってきて良いからね」
「夜も……!」
邪な妄想が頭の中を駆け回ったが、これは友達としてのあれのようだ。だから、僕も紳士にその言葉を受け止めた。
アリスとの楽しい会話で時間を忘れていた僕だったが、腕時計を見ると既に午後を回っていたので、挨拶をして家を出る。
民宿に戻って昼食を食べようかと思ったが、坂を少し上った所に建物が見えたので、そこに足を運ぶ事にした。
目標の建物に辿り着いて上を見る。
そこには『何でも屋』という怪しい看板が掲げてあり、店先には魚や駄菓子が無造作に並べられている。
(何か嫌な予感がするな……)
明らかに怪しい雰囲気に引き返そうとしたが、何かが腕をガシリと掴み、僕の行く手を阻んだ。
「帰さんぞぉぉぉぉぉぉ!」
そう叫んだのは、ハゲ頭の小柄な爺さん。
変人だと確信した僕は、その爺さんを引き剥がそうとする。
「買えぇぇぇぇぇ! 何か買えぇぇぇぇ! それまで離さんぞぉぉぉぉ!」
ここまで強引な客引きも中々居ないと感心したが、これを僕の世界でやったら即警察行きだ。
異世界はそんな事も許されるのかと思いながらも、こんな怪しい爺さんから何も買うつもりは無かったので、爺さんを強引につまんで投げ飛ばした。
「はっ!」
爺さんは空中で回転して見事に着地すると、僕を見てニヤリと笑った。
「おぬし……やるな」
「おじいさんこそ」
「ふふふ……このジーザス=ブルースワロー。まだまだ若いモンには負けんよ」
その名前を聞いて、僕は言葉を失う。
どうやら彼は、アリスの祖父のようだ。
「よかろう! お主にはブルースワロー家相伝の殺人拳をお見舞いして……!」
「おじいちゃん!」
店の奥から可愛い声が鳴り響き、今度は一人の女の子が現れた。
「もう! 何度も言ってるでしょ! お客さんにしがみ付くなって!」
栗色のツインテールにパッチリとした瞳。そして、小さな唇。
半袖のメイド服を着た小さな背丈の女の子は、一目で誰か分かってしまった。
「もしかして、アリスの妹さんですか?」
「え? ああ、貴方が噂の、お姉ちゃんと一緒に来た人?」
「はい。僕は彼方と言います。よろしく」
「彼方? 変な名前。私はローレライ=ブルースワロー。ロールって呼んで頂戴」
そう言った後、爺さんを片手で掴み、軽々と店の中に投げ飛ばすロール。
先ほど爺さんが、殺人拳がどうとか言っていたので、もしかしたらブルースワロー家は、武闘派の一族なのかもしれない。
「それで? その噂の彼方さんが、この店に一体何の用?」
「用は無かったんだけど、せっかくだから昼食を買って行こうかなと思って」
「昼食? それなら、今から私達も食べるから、一緒に食べていきなさいよ」
ロールは一度店内に戻ると、木製のバスケットを持って現れて、店前にある机の上でそれを空ける。
その中には、色取り取りのサンドイッチが入っていた。
どうして良いか分からずにその場に立っていると、ロールが椅子に座り、僕に手招きをしてきた。
「ほら、アンタも座りなさいよ」
言われるままに、ロールの横に座る。
「私の手作りだから味は保証できないけど、遠慮しないで沢山食べなさい」
「でも、そんなにお金も持ってないし……」
「はあ? 何言ってるのよ。お金なんて取る訳無いでしょ?」
うんざりとした表情でこちらを見てくるロール。
「昼時にお客様が来たら、一緒にご飯を食べる。そんなの常識でしょ」
ロールが当たり前のように言ったその言葉。
それは僕にとって、衝撃の言葉だった。
「何よ。そんなに驚いた顔して。珍しい事でもあったかしら?」
その言葉に対して、僕は首を横に振る。
「いや……僕の国では、建前とか暗黙の了解とかが存在していて、他人の家で一緒にご飯は食べないんだ」
「へえ、そうなの。まあ、とにかくここではそう言うしきたりなのだから、遠慮せずに食べなさい」
僕は少しの間躊躇していたが、ここではそれが逆に失礼な事なのだと悟り、手を伸ばしてバスケットの中からサラダサンドイッチを取り出す。
そして、思い切ってそのサンドイッチを口に放り込んだ。
「どう? 美味しい?」
サンドイッチに喉を詰まらせてしまい、慌てて胸を叩く。
「もう! 何やってるのよ!」
ロールが水筒を取り出して、木製のカップに注いで差し出してくれる。
僕はそれを慌てて受け取り、一気に飲み干した。
「そんなに急いで食べなくても、沢山あるわよ」
ふう吐息を吐き、今度は肉が挟んであるサンドイッチを食べてみる。
「それで? 美味しいの? 不味いの?」
「……美味しい」
「はいはい。お世辞ありがと。とっても嬉しいわ」
「お世辞じゃない」
お茶を飲み、サンドイッチを頬張り、食べ終わって口を開く。
「こんな美味しい昼食、生まれて初めて食べた」
「……な、何言ってるのよ。大げさすぎるでしょ」
「大げさじゃないよ」
目の前に広がる光輝く海。
どこまでも続く青い空。
そして、僕を包む温かい人情。
僕は、生まれて初めて、心から美味しいと思える昼食を食べたかもしれない。
「ありがとう。ロール」
「……な、何真面目にお礼言ってるのよ。こんなの当たり前でしょ?」
そう。ロール達にとって、これは当たり前の昼食。
だけど、僕は今まで、何の感情も無い冷たい教室で、自分の作った弁当を一人で食べる毎日だった。
ずっと、それが当たり前だと思っていた。
「ほら、まだ沢山あるから、残さず食べなさいよ」
視線を逸らして、恥ずかしそうにバスケットを押し出してくるロール。
僕は頭を下げた後、サンドイッチを手に取り、ゆっくりと食べてその味を噛み締めた。




