8月20日
『熊の弱点はアレ。絶対に抗えない鉄の掟だ』
朝起きてラウンジを歩いていると、ルナが使い魔を捕まえる道具のメンテナンスをしているのが見える。
その光景自体は珍しい事では無いのだが、今日はその道具の中に物騒な刃物などが混じっていたので、気になって声を掛ける事にした。
「ルナさん。おはようございます」
「おう、おはよ」
「どうしたんですか? 今日は何だか物騒ですけど」
ルナは持っていた虫網を机の上に戻すと、サバイバルナイフを手に取り、刃先を眺めながら口を開いた。
「ずっと探していた幻の使い魔が出たって聞いてよ。今日はそこに行くつもりなんだ」
「ああ、ルナさんが最初に言っていた奴ですね」
小さく頷き、サバイバルナイフを机に戻す。
「幻って言うくらいだから、もっと見つからないもんだと思ってたんだが、案外早く見つかったな」
「良かったですね。それで、その幻の使い魔って、どんな奴なんですか?」
「ふっふっふ……聞いて驚くなよ?」
ルナはゆっくりと立ち上がると、僕をビシッと指さして言った。
「熊だ!」
それを聞いて、僕は言葉を失う。
「……ん? ああ! 熊って言っても、ただの熊じゃねえぞ! 伝説の熊だ!」
必死に説明しているが、僕が言葉を失った理由は、それでは無い。
この付近で、最近見つけられた熊。
僕はそれに心当たりがある。
「ええと、その熊って言うのは……」
「あ! 聞きてえか! そうだろうそうだろう!」
ルナは嬉しそうに椅子に座ると、机の上に置いてあったノートを開き、幻の熊について語り始める。
「こいつはアーサーって呼ばれててな! 島民からは神のようにも崇められてるんだが、その姿は幻のようにふと現れては……!」
目を輝かせながら話を続けるルナ。
本当は色々突っ込みたかったのだが、それをやると面倒になりそうだったので、とりあえずその狩りに着いて行く事にした。
完全武装のルナに続いて歩き、何でも屋の裏から山道に入る。
山道はただでさえきついというのに、ルナに狩りの道具を持たされているせいで更に辛い。目的地の中腹に着いた頃には、もうヘトヘトだった。
ベンチに座り体を休めていると、ルナが辺りを散策しながら口を開く。
「なあなあ! アーサーってどんな奴なんだろうな!」
「そうですね。片目眼帯で、言葉を話したりする熊なんじゃないでしょうか」
「そうか! そりゃ強そうだな! あたい、ワクワクして来たぞ!」
子供のようにはしゃいでいるルナ。それを見てため息を吐く。
正直、困った。
アーサーは、あの武闘派一家、ブルースワロー家の墓守だ。
間違えて捕てしまったら、何が起こるか変わらない。
「ああ! 早く出ないかな! 楽しみだな!」
ルナには悪いが、ここでアーサーが出てくるのはまずい。それに、幻と言われているのだから、わざわざこのタイミングで出てくる事も無いだろう。
だから、この場は何事も無く終わってほしい。
そう思っていたのに……
「おや、彼方君じゃないか」
当然の如く現れるアーサー。
これぞ異世界! これぞフラグ回収!
「来た来たぁぁぁぁぁぁ!」
ルナは正面に回り込み、腰にぶら下げていたナイフを抜き取る。そして、アーサーに向かってナイフを振りかざし、大きな声で言った。
「あたいはルナ=バーンエッジ! 使い魔ハンターだ! 伝説の使い魔アーサーに決闘を申し込む!」
「ほう。俺の事を知っていて戦いを挑んで来るとは……面白いじゃないか」
指をポキポキと鳴らし、首を左右に動かすアーサー。
あの目は……殺る気だ!
「ま、待ってください! その前に事情を……!」
「彼方君」
僕の言葉を、アーサーのハードボイルドボイスが制する。
「男には、戦わなければいけない時がある。それが……今だ」
最高に格好良い言葉だが、それをされたらとにかく困る。
「ルナさん! 実は……!」
「黙ってな! こいつは……あたいの獲物だ!」
こうして、第一回使い魔ハンターVS熊の戦いが始まった。
開始早々、ルナが姿勢を低くして突進して、アーサーの膝をナイフで狙う。体重のあるアーサーでは、それを避けられないと思っていたのだが、予想以上に動きが早く、後ろに飛んでそれを躱した。
「ちっ! 速いじゃねえか!」
「君も中々のスピードだな」
再び走り出すルナ。しかし、それを見越したかのようにアーサーは高く飛び、後ろの木を利用して三角蹴りを放つ。ルナはクロスガードで防御したのだが、体重差で吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ!」
「どうした? 君の力はそんなものか?」
「……へっ! 言ってくれるじゃねえか!」
ゆっくりと立ち上がるルナ。それを上から見下ろすアーサー。
ルナは完全に立ち上がると、左手を空に突き立てて大声で叫んだ。
「刀鳥!」
声と同時に左手に付けていた腕輪が光り、中から刃の翼を持った鳥が二匹現れる。
「アンタにゃ悪いが、使わせてもらうぜ」
「構わない。真剣勝負に卑怯も何も無いのだからな」
ふっと笑う二人。
「……行くぜ!」
声と同時にルナが左手を振ると、刀鳥が左右にとび立ち、空からアーサーの懐を狙う。アーサーはそれを飛んで回避したが、既にその頭上でルナがナイフを振りかぶっていた。
「取ったぁぁぁぁ!」
アーサーの頭部に振り落とされるナイフ。
決まった。
そう思った。
「……エクスカリバー」
アーサーの腕が光り、その光がルナの体を吹き飛ばす。その高さに危険を感じた僕は、必死に走ってルナの下に滑り込んだ。
アーサーを見ながら呆然とするルナ。僕もそれを見てごくりと息を飲む。
伝説の剣、エクスカリバー。
それは……アーサーの爪だった。
「こいつを抜くのは、君で三人目だ」
きらりと光る爪。
熊の爪だ。とても危険だ。
だけど、どうだろう。この悲しい気持ちは。
まるで、伝説の剣が見られるのかと思ったら、普通にあり得る事が、普通に起きたようながっかり感。
……と、言うか、それが全てだった。
「これを抜いた限り、もう手加減は出来ない。それでも、君は向かってくるか?」
「へっ! 当然じゃねえか! じゃねえと、ここに来た意味がねえ!」
「……死ぬぞ?」
「うるせえ! それはてめえだぁぁぁぁ!」
刀鳥と共に突進するルナ。腕を振りかざすアーサー。
刃がクロスして、お互いが背中を向ける。
「……」
「……」
少しの沈黙。
次の瞬間、刀鳥が宙に散り、ルナが肩を握って膝をついた。
「ぐ、ぐぅぅぅぅ!」
「中々の大刀筋だ。だが……若すぎる」
血の付いた腕を振り、ゆっくりと振り向くアーサー。
「戦いは非常だ。どんなに力の差があっても、結末は訪れる」
一歩、二歩、ルナに近付いて行く。
「ルナ=バーンエッジ。君の名は、一生涯忘れないだろう」
ルナを射程内に捕らえて、上から見下ろす。
「何か、言い残す事はあるか?」
それは、アーサーが認めた相手への、最高の賛辞。
ルナはそれを感じ取ると、アーサーの顔を見上げ、笑いながら言った。
「……ねえよ」
ふっと笑うアーサー。
そして、ゆっくりと、右手を上げた。
「それでは、さらば……!」
「待ったぁぁぁぁぁ!」
思い切り叫び、ダッシュでアーサーとルナの間に滑り込む。
振り落とされた右腕は、僕の横を通り過ぎ、地面を二つに切り裂いた。
「……彼方君。これは、どういう事だ?」
「こんな戦い! 間違っています!」
「間違っていない。これは男の戦いだと言っただろう」
「そうです! だからこそ間違っているんだ!」
「何?」
僕は立ち上がり、アーサーを睨み付ける。
そして、出来る限りの気迫を込めて、全力で叫んだ。
「何故なら! ルナさんは女の子だからぁぁぁぁ!」
森に響き渡る、僕のむなしい声。
そして、少しの沈黙。
「……ふ」
最初に我慢できなかったのは、アーサーだった。
「ふはははははは!」
豪快に笑うアーサー。それに続いてルナも笑い、最後には僕も笑ってしまった。
戦いが終わり、お互いに刃をしまう。
残されたのは、友情という熱い二文字。
昨日の敵は今日の友。
この言葉は、異世界に置いて絶対だ(逆も多いが)。
「しかし、彼方君は面白い男だな」
ベンチに座りながらアーサーが言う。先ほどまでの緊迫感はすでに消えていた。
「もし、俺が刃を収めなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「そうしたら、これを出すつもりでした」
僕は背負ってきたリュックに手を突っ込む。
「それは……」
僕が取り出した物。
それは、来る前にこっそりロールから受け取った、茶色い壺。
「……なるほど。どうやら俺は、最初から負けていたようだな」
負けかどうかは分からないが、この壺に入っている黄色い液体は、僕の世界の熊も一撃で駄目にする。ましてや、これはブルースワロー家の一品なのだから、アーサーは抗えなかっただろう。
僕は黙ってアーサーにそれを渡すと、アーサーも黙ってそれを懐に抱え込んだ。
アーサーは喉を鳴らすと、ベンチからゆっくりと立ち上がる。
「彼方君。これを」
首元に手を突っ込み、毛の中から何かを取り出して差し出す。
それは、うっすらと青色に光るビー玉だった。
「本当は色々と話そうと思っていたのだが、どうやら話す必要は無いようだ」
ビー玉を受け取ると、アーサーはふっと笑い、墓の方へと歩いて行く。
「君はもう、島に導かれている。好きなように歩くと良い」
そう言い残して、アーサーは山の中へと消えて行った。
休憩所に残る僕とルナ。ルナはベンチに座ったまま静かにしていたが、昼飯の時間が近付いてきていたので、声を掛ける事にする。
「ルナさん。お腹も減ったし、そろそろアンリ荘に戻りましょう」
「……ああ、そうだな。お前は先に帰ってくれよ」
その言葉を不思議に思い、改めてルナを観察してみる。
すると、ルナの足が腫れている事に気が付いた。
僕はルナの前に移動すると、背中を向けてしゃがみこむ。
「な、何だよ」
「何って、おんぶです」
「ば、馬鹿! 要らねえよ。荷物もあるんだし……」
「ここではきちんとした治療も出来ません。荷物は後で取りに来れば良いし、今はとにかく山を下りましょう」
躊躇するルナに対して、背中を揺らして催促する。
やがて、ルナは恥ずかしそうに、僕の背中に体重を預けて来た。
「じゃあ、行きましょうか」
「……あ、ああ」
背中に感じるルナの重み。
それは、思っていたよりも、ずっと軽い。
使い魔ハンターという命懸けの仕事をしていても、やはり彼女が女子であるという事を改めて感じながら、僕は山を後にした。




