8月1日 = 出会い編 =
『やっと到着、異世界の海の家。太陽眩しく、波の音が心地良い』
飛行船の発着音が鳴り、高鳴る鼓動を抑えながら、駆け足で飛行船から降りる。
最初に見えた景色は、何処までも広がる青い海。そして、白い砂浜。
我慢が出来なくなり、発着場を飛び出して砂浜を駆け回る。
まるでプライベートビーチのようなその場所は、都会育ちの僕にとって夢のような場所だった。
砂浜を駆け抜けると、やがて端の方に小さな海の家が見え、更にその先に大きな民宿が見えてくる。
そこは、僕が今日から住む民宿『アンリ荘』。
建物は、日本とヨーロッパの建物をかけわせたような外見で、昭和の洋館を思わせるような作りだ。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
入り口で出迎えてくれたのは、この民宿の女主人であるアンリエッタ=ホワイトアース、23歳。
金髪の碧眼で、絵に書いたような綺麗なお姉さん。
異世界に旅立つ前に見たパンフレットで彼女の事は知っていたのだが、この民宿を選んだのも、彼女に会いたかったからと言っても過言では無かった。
「お名前は……彼方様? で宜しいのでしょうか?」
「はい。そうです」
アンリが首を傾げる。せっかく異世界に来たので偽名を使ったのだが、そうでなくても日本語の名前は珍しいようだ。
「では、お部屋へご案内します」
丁寧に頭を下げてクルリと振り向くアンリ。
白いワンピースのスカートがふわりと舞い、それを見ただけで、来て良かったと確信した。
アンリに案内されて、正面の階段を上り、二階のラウンジを抜けて、その先にある小さな階段を上る。
視線の先に現れたのは、少しだけ埃っぽい屋根裏部屋。
高校生でお金が無かった僕は、格安でそこに泊まらせてもらう事になって居た。
「掃除はしておきましたが、本当にここでよろしいのですか?」
「はい。ありがとうございます。無理を言ってすみません」
部屋の端にあるベッドの上に荷物を置いた後、両扉の窓を全開にして外を見る。
どこまでも続く青い海。
東側にそびえ立つ鬱蒼とした小さな山。
西側に見えるレンガ造りの小さな町。
人工的な自然とは違い、全てが当たり前のように存在しているそれらは、日頃見ている都会の喧騒を忘れさせてくれるようだった。
「どうですか? アンリ荘から見た景色は」
「最高です。ここに来て本当に良かった」
顔を合わせて二人で笑う。
こんな綺麗な場所で1カ月を過ごせるなんて、幸せ過ぎる。死ぬ気で異世界観光スポットを探したかいがあった。
「それでは、私は夕食の準備をしてきます。夕食は海の家で18時からとなっていますので、それまでにいらしてください」
「分かりました。ありがとうございます」
小さくお辞儀をして、部屋を去るアンリ。それを鼻の下を伸ばしながら見つめた後、荷物から手帳を取り出して階段を駆け下りた。
二階のゲストルームを一通り眺めた後、ラウンジの椅子に座って、発見した事を手帳に書き込んでいく。
現在この民宿には、僕の他に二人の人間が泊まっているようだ。
その他にも、自炊用のキッチンが存在していて、用意した物を調理できるようになっているらしい。
ふとラウンジの端に視線を送ると、別館に続く廊下が存在し、『男』と記された暖簾が掲げられている。
どうやら風呂へと続く廊下のようだ。
昼間から風呂というのもどうかとは思ったが、休みならではのイベントだと思い、手帳をしまって立ち上がろうとする。
そんな時だった。
「あ~良い湯だったぁ~」
その廊下の先から現れる、一人の人間。
「やっぱり狩りの後は風呂に限るぜ……って! な、何だお前! 何でこの時間に男が居るんだよ!」
バスタオルに身を包んだ赤髪の女性は、僕を見て慌てていたが、直ぐに冷静さを取り戻して頭を掻く。
「……まあ、良いか」
そして、何事も無かったかのように正面の椅子に座り、手に持っていた瓶詰めの牛乳を飲み始めた。
「……あの」
「ん? なんだよ。あたいの風呂上がりのまったりタイムを邪魔するんじゃねえ」
「いえ、胸が……」
「うるせえ。見るんじゃねえ」
赤髪の女性が足に蹴りを入れてくる。
それは間違いなくラッキースケベイベントだったが、蹴りがあまりにも強烈すぎて、見るべき所を見る事が出来なかった。
蹴られた足をさすっていると、赤髪の女性は牛乳を一気に飲み干して、真っ直ぐに僕を見る。
「あたいはルナ=バーンエッジ。使い魔ハンターだ。先月からこの民宿に泊まってる。お前は?」
「僕は彼方と言います。夏休みを利用してこの島に来ました」
「かなた? 面白い名前だな。夏休みって事は学生か?」
「はい。高校一年生の16歳です」
「へえ。あたいの4つ歳下か。どうりで乳癖え顔してるわけだ」
ケラケラと笑うルナ。使い魔ハンターと言うだけあって、体は鍛え抜かれていて、所々に傷がある。
特に印象的なのは左頬の傷。首元にまで広がるその一筋のラインは、戦いの勲章とも言える強者の象徴のようにも見えた。
その後もルナは淡々と自分の事を話し続ける。
現実世界ではありえない事を色々と言っていたが、体を動かす度に赤褐色の大きな胸が揺れて、話が頭の中に入って来なかった。
「……で、どうよ? 興味あるか?」
質問形式の言葉が飛び出てきて、やっと我に返る。
何を話していたか分からなかったが、とりあえず頷いてみた。
「そうか! よし分かった!」
ルナは嬉しそうに立ち上がると、駆け足で階段を下りていく。
再びルナが戻って来た時、彼女は白のタンクトップにデニムの短パンを履いていて、少しがっかりした。
「ほらよ!」
ルナが持っていた物を投げて来たので、慌ててそれを受け取る。
それは、緑色の虫かごとシルバーの腕輪だった。
「その腕輪を手にはめてみな」
虫かごを机の上に置いて、腕輪を左手にはめる。
すると、突然目の前が光り出して、その光の中から懐かしい形の虫網が現れた。
「それは小型の使い魔を捕まえる虫網だ。捕まえたら一分間だけ拘束魔法が掛かるから、その間に虫かごに入れればゲット出来るって訳よ」
「そうですか。でも、どうしてこれを僕に?」
「はあ? 興味あるって言ったろ? 選別だよ。その代わりと言っちゃあ何だが、珍しい使い魔をゲットしたら、あたいに見せてくれよ」
「なるほど。ありがとうございます」
小さくお辞儀をした後、虫網を眺める。
はっきり言って邪魔だ。こんなのどこにしまっておけば良いんだよ。
そんな事を考えていると、再び光が発生して、虫かごと虫網が腕輪の中に吸い込まれていった。
「ま、そういう事だから、これからよろしくな。あたいは一階の階段下の部屋に居候させて貰ってるから、何かあったら来いよ。歓迎するぜ」
そう言うと、ルナは階段の下へと消えて行った。
一人になったので、民宿の捜索を再開する。
一階に降りると、すぐ横に10畳ほどの部屋が広がっている。その部屋は片面が縁側になっており、その先に砂浜と海が広がっている。
縁側の先は渡り廊下となって居て、そこを抜けると階段がある。階段を下りると海の家に繋がっていて、アンリが夕食の準備をしていた。
「あら、彼方様。どうかなさいましたか?」
「何か良い香りがしたので、来てしまいました」
「そうですか」
ふふっと笑い、調理を再開するアンリ。
「今日の夕食は何ですか?」
「さあ、何でしょう? 当ててみて下さい」
夢のようなやり取りに妄想を膨らませながらも、せっかくなので考えてみる。
この香りは海鮮の香りだ。そして、今手に持っているのはフライパン。調味料はワインにオリーブオイル。その横に米。キャベツ、玉ねぎ……
結局分からなかったので、違う世界から来た僕だけが使える最終兵器をポケットから取り出し、素材を入力して検索ボタンを押す。
「答えは……パエリアですね?」
「正解です!」
最高の微笑みゲットだぜ! ありがとう検索サイト!
「彼方様は料理も詳しいのですね」
「いえ、分からなかったので、少し反則技を使いました」
「そうなのですか? でも、正解は正解です」
アンリは横にある冷蔵庫の扉を空けて、中から何かを取り出す。
手に持っていたのは、小さな飴玉だった。
「これは?」
「正解のご褒美、空気飴玉です。これで海の中でも呼吸ができます」
さすがは異世界。常識では考えられないアイテムが、当たり前のように出てくる。
これを自分の世界に持っていければ最高なのだが、残念ながら魔法アイテム持ち出しは制限されていた。
アンリが料理を再開したので、僕は入り口から砂浜に出る。
目の前に広がる広大な海。そして、どこまでも続く青い空。
(僕の世界でも、昔はこんな景色が当たり前だったんだろうな……)
この世に生を受けて16年。長く生きている人から言わせれば、こんな言葉は中身の無い空っぽの言葉なのだろう。
だけど、僕はそんな人達から血を受け継いで、ここに存在している。
この景色を懐かしく思うのも、決して嘘では無い。
(写真が撮れないのが残念だ)
異世界規制。それのせいで、この景色を写真に収めることは出来ない。
だから、僕はこの景色を目に焼き付ける。
その光景はいずれ劣化していくだろうが、その想いはいつまでも心に残るだろうから。
「こんにちは」
突然後ろから声が聞こえて、素早く振り向く。
視線の先に居たのは、白いシャツに緑色の半袖つなぎを来た男。
「君が今日この島に来た青年だね」
短く伸びた顎髭を擦りながら微笑む男。30歳くらいだろうか。
服装に似合わずどこか紳士的な物腰で、ポニーテールにしている白髪が印象的だった。
「俺は写生画家のリアス=パブロ。この民宿に泊まっている人間だ」
「僕は彼方と言います。よろしくお願いします」
「彼方君か。不思議な名前だね」
ふっと笑って近付いてくるリアス。
黙って立っていると、つなぎのポケットから一枚の紙を取り出して僕に差し出す。
それは、この海岸が描写された、一枚の絵ハガキだった。
「お近づきのしるしだ。受け取ってくれ」
ハガキを受け取って絵を眺める。写真のようにリアルだったが、よく見ると手書きだった。
「これなら、元の世界にも持ち帰れるだろう?」
それを聞いて、思わず一歩下がる。
僕が異世界の住人だという事は、まだ誰にも言っていない。
「貴方は何者ですか?」
「ただの人間さ。だけど、少しばかり人を観察するのが得意でね」
心理戦に引っかかった事が分かり、残念な気持ちになる。
しかし、どうせ異世界の人間だとばれても罰は無いので、それ以上気には止めなかった。
ハガキを胸ポケットにしまい、リアスと一緒に水平線を眺める。
「どうだい? ここの景色は?」
「とても綺麗です」
「君の世界には、こういう場所は無いのかい?」
「ありますけど、僕の住んでいた場所にはありませんでした」
それを聞いたリアスがふっと笑い、空を見上げる。
「俺の住んでいた世界には、こんな景色はどこにも無かったよ」
それを聞いて目を丸める。
どうやらリアスも別の世界の人間だったようだ。
「文明が進むにつれて便利になったけど、その反面で様々なものを失った。それが悪い事だとは言わない。でも、俺達はこの景色を見て、どこか懐かしさを感じている。それは、とても大切な事だと思うよ」
何でもあるけど、何も無い僕の世界。
何も無いけど、何かを感じさせてくれるこの世界。
だからこそ、この景色はこんなにも美しく、目に焼き付くのかもしれない。
「それじゃあ、俺はそろそろ行くよ」
そう言うと、リアスは手をヒラヒラと振ってその場を去る。
残ったのは、一人の僕と、一つの世界。
(本当に……綺麗だ)
沈みゆく太陽の光を受けながら、キラキラと輝く海と空。
それを静かに眺めながら、僕はこの夏休みを満喫する事を心に決めた。




