8月18日 = 日常編 =
『フラグは早めに回収する。これがイベントを忘れない基本だ』
太陽が水平線に沈み始めた頃、僕は神社への階段を登り、山の頂上を目指す。
ヘトヘトになりながら山の頂上に辿り着くと、ベンチに座って太陽が完全に沈むのをゆっくりと待つ。
そして、完全に太陽が沈み切り、辺りが暗くなった頃、彼女は現れた。
「やっぱり来たんですねぇ」
腰まで伸びた茶髪をユラユラと揺らし、音も無く近付いて来る女性。白い着物が不気味な雰囲気を匂わせ、テレビから出て来るあの人を連想させる。
女性は僕の前に辿り着くと、何の理も無く僕の横にすとんと座った。
「アルプス=ブルースワロー。アルって呼んでください」
「僕は彼方と言います。よろしく」
ニヤリと笑うアル。
さて、今更だが、なぜ僕がここに来たのか。
それは勿論、フラグの回収である。
異世界では、話した事が現実に起こるという現象が起こる。
そして、今起こっている事こそが、それなのだ。
「ぐふふ……オーちゃんが言った通りだぁ……」
オーちゃん。察するに、旦那の事を指しているのだろう。あの堅物っぽい人をニックネームで呼べる当たり、流石はアリス達の母親と言った所か。
それはそうと……
(こ、怖ぇぇぇぇ……)
身なり。言動。動き。その全てが日本のホラーを連想させる。更に夜ともなると、その動きはより一層恐怖を駆り立て、フラグを回収しに来た僕を後悔させていた。
恐怖で僕が黙って居ると、アルがグイグイ話しかけて来る。
「ねえ。アリスとロール。可愛いでしょ?」
「そうですね」
「彼方君は、山と海どちらが好き?」
「山ですね」
「ウサギと魚ならどちらが好き?」
「魚ですね」
ぐふふと笑うアル。
正直、話している意味が全く分からない。
「家と外。どちらが好き?」
「家ですかね」
「アリトテレス、どちらが好き?」
「選択肢無いですよね」
「アリスとロール。どちらが好き?」
「それは、ロ……」
途中まで言って、口を紡ぐ。
それを見て、ニヤリと笑うアル。
「……オーちゃんの時も、こうやって結婚させたの」
アルの口元がヒクリと上がる。
(怖ぇぇぇぇぇ……!)
アリス達が言っていた言葉が蘇る。これは不思議じゃなくて催眠だ。彼女は独特の雰囲気と言葉の言い回しで、相手を操作しているんだ。
この人のペースに飲まれたら危険だ!
「ねえ。好きって素敵な事よね?」
「そうですね」
「私、この島好きなの」
「そうですね」
「彼方君もこの島好きよね?」
「そうですね」
この好き好き作戦を使って今度はどのようなひっかけをしてくるのか。僕は冷静に受け答えしながら、切り返しのタイミングを計る。
「彼方君は縞々が好きよね」
「そうですね」
「シマウマは動物よね」
「そうですね」
「……ええと」
「何も考えてないのかよ!」
予想していたよりも浅はかだった作戦に、思わず突っ込みを入れてしまう。
すると、アルは恥ずかしそうに指先をいじり、俯いてしまった。
「だ、だって、まさか来てくれるとは思ってなかったから……それに、私オーちゃんみたいに用事とか無かったし、何を話して良いか分からなくて……」
なるほど。世の中には意味の無いフラグが存在するが、これもその種のフラグだったのか。最初から会話がおかしかったのは、僕が勝手に勘違いをしてここに来てしまったせいで、アルがテンパってしまっていたからのようだ。
僕は自分が100%悪かった事に気が付き、深く頭を下げる。
「すみません。僕の勝手で迷惑をかけて」
「……い、良いのよ。私が好きで来たのだから」
フォローの言葉をかけてくれるアル。それを聞いて顔を上げる。
次に彼女を見た瞬間、僕は目を丸める。
目の前に居たアルは、先程まで来ていた白装束では無く、白いワンピースに麦わら帽子を被っていた。
「彼方の世界を少し思い出させてあげようと思ったんだけど、そういうのも無用だったのよね」
ニコリと微笑むアル。その微笑みは先ほどまでとは全く違い、優しさがにじみ出てくるような、温かくて爽やかな微笑み。
そう。アリスのそれに、そっくりだった。
アルは腕を空に掲げて伸びをした後、静かに立ち上がって歩き出す。
「それにしても、まさか異世界の人が、娘とオーちゃんの約束を解放してくれるとは思って無かったな」
当たり前のように僕を異世界人だと知っていたアル。シーの言っていた神降ろしという事を考えると、それも当然なのかもしれないが、彼女が知っている事はそれだけでは無い。
アルはさっき『僕の世界を思い出させる』と言った。
つまり、彼女は僕の世界の文化すらも知っているのだ。
「もしかして、貴女は僕と同じ世界の人なんですか?」
「いいえ。この世界の人間よ。ただ、他の人と違って『見えてしまう』だけ」
他の世界の存在さえも見通すその瞳。それはまさに神の所業。それが彼女の透けている体と重なり、底の見えない神々しさに息を飲む。
「ねえ。彼方君から見て、この世界はどう見える?」
突然話が変わり、少しだけ焦ってしまう。
「そうですね。僕はこの島しか見ていませんが、綺麗だと思います」
「綺麗……か。そうね。彼方君が居た場所にずっと居たら、そう見えるかもね」
アルが歩くのを止めて、こちらを振り向く。
「だけど、この世界も、彼方君の世界と同じよ」
まるで、僕の心情を分かっているかのように、そう答えるアル。
そう。アルの言う通り。
この世界も、僕の世界も、同じなんだ。
「……でも、僕はこの世界の人間ではありません」
「そうね。いつかは帰らなければならない」
考えたくなかった現実を突き付けられ、僕の心が痛む。
「だから、一線を引いているのよね?」
分かっている。
踏み込み過ぎると傷付く。
僕は……それが嫌なんだ。
「……」
少しの間だけ黙る。
だけど、アルの笑顔を見て居たら、我慢が出来なかった。
「……楽しいんです」
ぽつりと言った後、顔を上げる。
「この世界は、本当に楽しい。今までずっと一人だった僕を、優しく救い上げてくれる。それは、僕が異世界の人間で、ずっとここに居る訳じゃ無いからかもしれないけど、それでも、楽しいんです」
それは、内に秘めていた本音。
ずっと口にしたくて、それでも出来なかった、この世界への感謝の言葉。
「……だから」
アルの笑顔。それを見て、僕も微笑む。
「日が経つ度に……辛くなる」
微笑んで、俯く。
楽しい。だけど、それは続かない。
子供では無く、成長してしまった僕だからこそ、それを強く感じてしまう。
「それで良いのよ」
頭の上から、アルの声が聞こえる。
「別れを辛く思う心がある分、今が幸せという事なの。だから、彼方君は夏休みを思いっきり楽しめば良いのよ」
声が近付き、顔を上げる。
そこには、相変らず微笑んでいるアル。
「ほら! 笑いなさい! 悩んでいる暇があったら、動きなさい!」
そう言って、僕の頭を叩く。幽霊なはずなのに、頭に衝撃を受けた僕は、予想外の出来事に目を丸めてしまった。
「さ、触れる……?」
「当たり前でしょ? 私はブルースワロー家の当主なのよ?」
腕を組んで胸を張るアル。その動きはどこか子供っぽく、僕は先ほどまでの悲しさを忘れて笑ってしまった。
時を忘れてアルと話を続ける僕。彼女が僕の世界の事を知っている事もあってか、言葉を選ばずに話す事が出来る。アルも話し上手で、僕の世界とこの世界の文化を知った上での話をしてくるので、本当に楽しかった。
何気なく時計を見ると、予想以上に時間が立っていたので、思わず立ち上がる。アルもそれを察したようで、ふっと笑ってベンチから立ち上がった。
「そろそろ、帰らなければいけない時間なのね?」
「はい。これ以上遅くなったら、アンリさんに心配されますから」
「ふふっ、あの子、心配性なのは相変らずなのね」
小さく笑った後、アンリが僕の前に回り込む。
そして、右腕を空にゆっくりと伸ばし、僕の頭に掌をちょこんと乗せた。
「彼方君。今日は来てくれてありがとう」
静かに頭を撫でるアンリ。それを見て、僕は幼い日の事を思い出す。
きっと、母親が生きて居たら、こんな感じだったのかもしれない。
「そ、それじゃあ、最後に良い事教えようかしらぁ……」
「今更ですけど、キャラブレブレですね」
「い、良いじゃない! 楽しいんだから!」
頬を膨らませるアル。こういう所は、本当にロールにそっくりだ。
「それじゃあ、教えるわよ!」
アルは頭に乗せていた手を空に掲げると、人差し指を立てて口を開く。
「私達のお墓の裏にある洞窟! その先にある小さな箱に、新しいフラグの道具が隠されている!」
星空に、虚しく響く、あるの声。
この人、フラグって言っちゃったよ……
「あら? 嬉しくなかったかしら?」
「嬉しいですけど、何というか、異世界感がありません」
「ふふっ、良いじゃない。同じなのだから」
その通り。
僕の世界も、この世界も、同じ。
特殊でありながら、普通でもある、そんな世界。
「そういう事だから、頑張ってアーサーを倒してね」
「……はい?」
「アーサーを倒してね」
「いやいや、二回言わなくても分かりますよ」
「アーサーは強いから、気を付けてね」
「そりゃあ熊ですからね!」
嬉しそうに微笑むアル。
そう言えば、彼女はブルースワロー家の当主だと言っていた。
(……武闘派一派めぇぇぇ)
結局最後は拳で語らなければいけないのか。
「それじゃあ、私もそろそろ帰ろうかしら」
体が光り出すアル。どうやら、別れの時間が来たようだ。
僕はふっと笑った後、ゆっくりと右手を差し出す。
「今度は、すり抜けないで触れます」
「そうね。楽しいわね」
そう言って、僕達は手を繋ぐ。
幽霊とでも、手を繋げる。
だから、異世界は、楽しい。
「さようなら」
「……さようなら」
手を放すと、淡い光と共に、アルが空に溶けていく。
それを最後まで見届けた後、僕は小さく息をつき、民宿へと歩き出した。




