8月17日
『よく考えたら、海に来たのに、山にばかり登っている気がする』
久しぶりに予定の無い一日。僕は少し遅めに起きて朝食を食べた後、民宿内を掃除していたアンリを手伝い、そのまま一緒に昼食を食べる。
午後になって、外に出ようか迷ったのだが、最近はバタバタしていてゆっくりできなかったので、今日は一日部屋の中で過ごす事にした。
この島に来て2冊目の本が読み終わり、僕はベッドに寝転がり天井を見上げる。そのままぼうっとしていると、入り口のドアからノックの音が聞こえて、アンリが姿を現した。
「彼方さん。宜しいですか?」
「はい、どうしました?」
「玄関にアリスさん達が来ているのですけど」
アンリと一緒に玄関に向かう、すると、そこには白いワンピースを着たアリスと、黄色いワンピースを着たロールの姿があった。
「彼方君。こんにちは」
「こんにちは。どうしたの?」
「これからお墓参りに行こうとしているんだけど、彼方君もどうかなと思って」
お盆は昨日までなのだが、この世界には僕の世界の常識は適応しない。それに、花火大会の時の事を考えると、お墓参りには言っておいた方が良いと思ったので、一緒に着いて行く事にした。
部屋でボーダー柄のポロシャツに着替え直して、再び玄関に向かって外に出る。すると、どこかで見た事のある男がアリス達と一緒に立っていた。
「やあ、おはよう」
その声を聞いて、僕はその人物の事をやっと確信する。
「もしかして、シーなの?」
「もしかしても何も、僕以外あり得ないじゃないか」
いつもの黒いローブを脱ぎ、白い半そでのワイシャツを着た好青年。その姿は、まるでアイドルのように爽やかだった。
「どうしたの? 脱皮?」
「失礼だな。お墓参りに行くのに、ローブを切る訳にはいかないだろ?」
「それはそうだけど……」
いつもローブを着ていたので何も感じていなかったが、こうやって私服に身を包むシーは中々の美青年に見える。もしかして、家に引きこもらないで外に出て居たら、人気者になって居たのではないのだろうか。
いや、考えてはいけない。眼鏡を取れば美人とか、きちんとしていれば好青年とか、そう言うのは所詮外見だ。
人間は中身! 中身で勝負なのだ!
「何呆けてるのよ。姉さん達、もう行っちゃったわよ」
ロールの声で我に返る。僕は考える事を止め、靴を履いてロールの横に並んで道を歩き出した。
何でも屋に続く坂道を登りながら、前を歩くシーとアリスを眺める。民宿からここに来るまでずっと話しっぱなしだ。今までの事を考えると積もる話もあるだろうが、まさかここまで仲良くなるとは思っていなかった。
何でも屋に辿り着き、裏手に回って山を登る。ブルースワロー家の墓は中腹まで言った道を小脇にそれた所にあるらしい。体力の無い僕は既に肩で息をしていたが、他の三人は息一つ乱さずに山を登り続けていた。
「彼方、大丈夫?」
僕の横を歩いていたロールに声を掛けられて、僕は曲がった背筋を伸ばし直す。
「ダイジョブだよ」
「声が引きつってるわよ?」
「……まあ、うん。10日そこらで大丈夫になったら、誰でも登山家になれるよね」
「情けないわね。もう少しだから頑張りなさいよ」
ロールに背中を叩かれて、思わずむせてしまう。それを見たロールはやれやれとため息を吐き、少し歩幅を短くして一緒に山を登ってくれた。
やがて、僕達は墓の前に辿り着き、ロール達が拝む準備を始める。
(綺麗な場所だな……)
鬱蒼とした森の中に、ぽつんと広がる木の無い空き地。空からは光線のように光が舞い降り、ブルースワロー家の墓を照らしている。
それはまるで、ゲーム内の伝説の石碑のような光景だった。
「さあ、準備できたよ」
そう言って、ロール達が墓の前で手を合わせる。僕のそのやり方を片眼で見ながら、後ろで両手を合わせて静かに拝んだ。
全員が拝み終わると、ロールが地面にシートを広げる。
「何してるの?」
「何って、軽食会の準備よ」
「軽食会?」
「そう。拝んだ後の軽食会。常識でしょ?」
「いや、僕の国ではそういう風集は無かったから」
「そうなの? 相変らず変な国ね」
ため息交じりに言いながら、着々と準備を続ける。この国の風習を知らなかった僕は、手伝う事も出来ずに、ただ遠くから見ているだけだった。
軽食会の準備ができると、三人が靴を脱いでシートに座る。僕も座ると、いつものようにロールがバスケットを開き、そこからクッキーやケーキが現れた。
「今日は姉さんも一緒に作ったから、気を付けてね」
「ちょ、ちょっと! ロールったら!」
顔を真っ赤にするアリスを見て、ロールとシーが楽しそうに笑う。僕も笑ったが、その和やかな雰囲気に着いて行けず、上手く微笑む事は出来なかった。
お菓子を頬張り、楽しそうに話をする三人。僕は相変らず黙って居る。
実は、僕は複数の人間と楽しく会話をするのが苦手だ。リナ達のような例外も存在するが、特に年が近い人達とは上手く話せなかった。
「どうしたの? さっきから黙っているけど」
アリスに声を掛けられ、僕は咄嗟に笑顔を作る。
「いや、何でんも無いよ。それより、アリスのお父さんの事は知ってるけど、お母さんはどんな人なの?」
それを言った瞬間、先程まで賑やかだった三人が静かになる。
「……? どうしたの?」
「えっとね……」
アリスは何故か口籠った後、言いにくそうに話し始める。
「私達のお母さんは、何というか、その……不思議な人で……」
「不思議な人?」
「そ、そうよ。不思議な人。それだけなんだから」
明らかに何かを隠している雰囲気を感じて、あえて追及して見る事にする。
「それは、どういう風に不思議なの?」
「え? そ、そうだね。言葉……かな?」
「言葉?」
「そう! 言葉! 不思議な事を言う人だったの!」
それを聞いて、急に嫌な予感を感じた僕は、話しを変えようと口を開く。
しかし、その雰囲気を無視するかのように、シーが悠然と語り出した。
「アリスのお母さんは神降ろしの一族の人でね。たまに神を降臨させては、人々に啓示を伝えていたんだ」
「……神降ろし? 何それ?」
「僕も良く分からないのだが、周りの人が言っていたのだから、それが全てさ」
自慢げに言い切ったシー。それとは反対に、アリスとロールは表情を失っている。
もしかして、アリス達のお母さんは、変わった人だったのか?
「と、とにかくそういう事! でも! お父さんとは凄く仲良かったんだよ!」
必死にフォローをしているアリス。ロールも苦笑いでそれに同意しているが、どうやら地雷を踏んでしまったようで、申し訳なくなり黙ってしまう。
そして、黙ってしまった理由は、それだけでは無かった。
(……フラグを立ててしまったかもしれない)
ここは異世界。言葉にした事は、起こる可能性がある。
とりあえず、夜の道には注意しようと思った。
母親の話を何とか終わらせて、日常の会話に戻る。先ほどの気まずい空気が若干残っているようで、最初のように話はあまり弾まなかったが、それでも三人が楽しそうに話していたので、僕はほっと胸をなでおろした。
やがて、日が傾き始めると、ロールがマスケットをしまって立ち上がる。
「そろそろ帰りましょう」
「そうだね。このままだと、アーサーさんに迷惑かけちゃうかもしれないし」
突然伝説の人物の名前が飛び出し、思わず体を震わせる。
「どうしたの?」
「いや、何でも無いよ」
何事も無かったかのように片づけを手伝う。正直、アーサーさんの事に凄く興味があったが、先程のような雰囲気になっても困るので、迂闊に聞かない事にした。
片づけが終わり、三人で山道を下り始める。
細い小道を抜けて見慣れた中腹の休憩所に辿り着くと、アリスが何かに気が付き、山の上を見て微笑んだ。
「あ、アーサーさん。こんにちは」
アリスの声に続き挨拶をするシーとロール。僕は気になって居た人物が登場した事により、テンションを上げてそちらを振り向いて見る。
そこに居たのは、予想外の人物。
「こんにちは」
いや、人物では無い。
熊だった。
「その恰好は、墓参りの帰りか?」
「そうです。アーサーさんは買い出しの帰りですか?」
「ああ。ソースを切らしてしまってな」
リュックを背負い、四足で歩く大きな熊。片目を眼帯で隠しているその姿は、どう見ても獰猛な熊そのままで、流石に笑って居られる事は出来なかった。
「おや? その男は……」
「あ、この人は夏休み中に遊びに来た彼方君です」
アリスに紹介されて、恐る恐る頭を下げる。
「アーサーさんはね。この山の主なんだ。ブルースワロー家の墓守もやってくれていて、本当に私達は頭が上がらないの」
「いやいや。俺なんて大した事はしていないさ」
ハードボイルドな声で言った後、ニヤリと笑うアーサー。その姿に圧倒されてしまい、僕は完全に言葉を失っていた。
アーサーは僕に近付いて上から見下ろした後、少しだけ目を見開いて口を開く。
「彼方君、と言ったな」
「は、はい」
「この出会いは何かの縁だ。気が向いたら、またブルースワロー家の墓に来ると良い。そしたら、面白い話を聞かせてやろう」
そう言って、アーサーは森の中へと消えて行く。完全に居なくなったのを確認すると、僕は急に足が震え始めて、思わず腰を地面についてしまった。
僕が動けずにいると、ロールが前に回り込み、しゃがんで僕の顔を見る。
「ちょっと、大丈夫?」
「いや、流石に少し驚いたよ」
「そうね。話をする熊なんて、珍しいものね」
いや、僕の世界ではそれほど珍しいものでは無い。テレビの向こうでは、何匹ものクマが言葉を話している。
だけど、リアルに体感したそれが、予想以上の迫力だっただけだ。
「ほら、立てる?」
差し出された手を握り、何とか立ち上がる。手は相変らず震えていたが、足はもう大丈夫のようだったので、アリス達に続いて山を降りて行った。
何でも屋の前に辿り着くと、シーとアリスは町に用事があると言って、二人で坂の上に消えて行く。僕も帰ろうかと思ったが、流石に疲れたので椅子に座って少し休む事にした。
アーサーの事を思い出しながら物思いにふけっていると、メイド服に着替え直したロールが現れて、僕にお茶を差し出す。
「お疲れ様」
「ああ、ありがとう」
お茶を手に取り、一口飲んで息をつく。その瞬間に緊張の糸が解けて、思わず大きく息をついてしまった。
「全く、おっさん臭いんだから」
小さく息をついて横に座るロール。それを見て、僕は恥ずかしくなり頭を掻いた。
「それにしても、彼方がアーサーさんに気に入られるとは思わなかったわ」
「え? あれ、気に入られたの?」
「そうよ。アーサーさんは、気に入った人間を招待するの」
「そうなんだ。全然分からなかった……」
熊に気に入られるのもどうかと思ったが、他人(僕の世界では動物だが、話すので人と認識しておこう)に興味を持たれるのはまんざらでも無く、少しだけいい気分になる。
それを察したかのように、ロールは悪そうな笑顔を見せて来た。
「言っておくけど、招待されても別に特別って訳じゃないんだからね」
「分かってるよ」
そう言って、ロールに微笑む。いつの間にか、普通に笑えるようになっていた。
お茶を全て飲み干し、完全にリラックスできた僕は、帰る為に立ち上がる。
「もう帰るの?」
「うん。そろそろ夕飯の時間だしね」
「そう……」
寂しそうな表情を見せるロール。それに首を傾げて見せる。
「どうしたの?」
「な、何でも無いわよ! それより……!」
ロールはメイド服のポケットに手を入れると、中から何かを取り出して、僕に差し出してくる。
それは、クッキーの入った小さな小包だった。
「これ! 余ったから持って行きなさい!」
「え? 良いの?」
「も、勿論よ!」
「だけど、いつも貰ってばかりっていうのも……」
「良いから! 持って行きなさいよ!」
小包をグイグイ押しつけて来るロール。クッキーが割れそうだったので、ロールの手を掴み、それを受け取る。
そして、今度は僕がポケットに手を入れて、中にあった物をロールに差し出した。
「な、何よこれ……」
「いや、いつも貰ってばかりじゃ悪いからさ」
それは、青い石を削って作ったストラップ。
その石は、彼女達の父に教えて貰った瓶に入っていた石だった。
「昨日の夜に少し時間が出来てさ。いつもお世話になっていたから、渡そうと思っていたんだ」
そう言ってロールに差し出すと、ロールはゆっくりとそれを手に取り、右手に手首に巻き付ける。本当はそうやって身に着けるものでは無かったが、妙にしっくりしていたので、それで良い事にした。
ロールが黙ってしまったので、僕は手で挨拶をして、民宿に向かって歩き出す。
「……か、彼方!」
ロールの声が聞こえ、顔だけ後ろに向ける。
「あ、ありがとう……」
小さな声で言った後、静かに微笑む。
その微笑みに笑顔で答えた後、素直に喜んでくれた彼女に心で感謝しながら、民宿への道を下って行った。




