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僕の異世界夏休み  作者: 桶丸
16/33

8月15日

『夏恋花火』



 アンリの用意した深い青色の浴衣に着替えて、アンリ荘の屋根に上る。屋根の上には、今日の為に作られた足場が設置してあり、民宿に泊まっている人達が既に集まっていた。


「よお! 遅かったじゃねえか!」


 赤い浴衣を着たルナが声を掛けて来る。既に酔っているようで、胸元が大きくはだけている。今日は他の人間も居たので、僕はそれを意識しないように、何事も無かったかのように手すりにもたれかかった。


「その浴衣、中々似合ってるじゃない」


 飲み物を持って現れたのは、オレンジの浴衣を着たジェシカ。


「それで、ナレーションの台本は持ってきたの?」

「はい。よろしくお願いします」


 懐からノートを取り出してジェシカに渡す。ジェシカはそれをパラパラと眺めた後、ウインクして足場の端にある音響機材の元に向かう。今日はそこで花火のナレーションをしてもらう事になっていた。

 腕時計で時間を確認しながら用意してあったお茶を貰って飲む。もう少しで花火の始まる時間だ。約束では、ブルースワロー姉妹もここで花火を見る事になって居た。


「彼方さん……」


 後ろから声が聞こえて振り向く。

 そこに居たのは、クリアブルーの着物を着たアンリ。


「あの……この浴衣、いかがでしょうか」


 襟元を上げて恥ずかしそうに視線を外す。その仕草の一つ一つが可憐で見惚れてしまう。


「ええと……凄く似合ってます」

「そ、そうですか。嬉しいです」


 アンリが口元を抑えて小さく微笑む。その間に耐えきれなかった僕は、飲み物を一気に飲み干した。

 無言の時間が少し続くと、突然空から強い風が吹き声が聞こえてくる。


「おにいちゃーん!」


 嫌な予感がしたので、お茶をテーブルの上に置いて空を見上げる。

 すると、ピンク色の浴衣を着た二人の少女が、僕の頭上から舞い降りて来た。

 少女達は僕の上に着地すると、そのまま背中に座って口を開く。

 

「今日は呼んでくれてありがとう」

「わーい。花火だ花火だー!」


 不敵に笑って見降ろすリナ。楽しそうにはしゃぐリコ。


「ええと……これは、どういう事かな?」

「お兄さんはいつもそればかりね。もう少し気の利いた言葉は言えないのかしら」

「二人とも、浴衣似合っているね。可愛いね」

「そう。今日はこの椅子で花火を見る事にするわ」

「すみませんでした!」


 素直に謝ると、リナ達が僕から降りてくれる。


「全く、本当に鈍いのだから。空から落ちて来た女子を優しく抱えるのは、男子として当然の事でしょう?」

「普通は空から女子は落ちてこないんだよ。もっと現実を見て欲しいな」

「あら、現実に起こったじゃない」

「……そうだね」


 何も言えなくなると、リナ達は楽しそうに笑い、足場の端に居るアンリに挨拶に向かった。

 僕は改めて腕時計を見る。花火の開始まであと10分。

 ブルースワロー姉妹は、まだ現れない。


「もしかしたら、このまま来いかもね」


 そう言ったのは、椅子に座って絵ハガキを書いているリアス。今日は紺色の浴衣を着ていた。


「来ます。絶対に」

「分かってるよ。冗談さ」


 ふっと笑うリアス。どうやらいつものように、言葉を使って僕の心理を探っていたようだ。


「緊張しているみたいだけど、大丈夫かい?」

「そうですね。ちょっと息苦しいです」

「タルコールあるよ。飲むかい?」

「それだけは絶対に飲みません」

「そうか。残念だ」


 それだけ言って、再び絵ハガキを書き始める。その口元が少し笑っていたので、僕をリラックスさせてくれる為に声を掛けてくれた事が分かった。

 花火の時間まで残り5分。流石に心配になり、溢れる人で賑わっている砂浜の方を見る。そんな中で二人を見つけられる訳などなかったが、それでも目を凝らして、二人が現れるのを必死に探した。


(まさか、本当に来ないのか?)


 思いもしなかった展開に、僕の鼓動が早くなる。

 その時だった。


「遅くなりました!」


 下から大きな声が聞こえて、直ぐにそちらを見る。すると、両手に屋台の食べ物を一杯に持ったブルースワロー姉妹がそこに居た。


「遅いぞお前等! ハラハラしたじゃねえか!」

「ごめんなさい! 屋台が面白すぎて、離れられませんでした!」


 ルナとアリスの会話を聞いてみんなが笑う。

 しかし、今から民宿に入ってここまで来ると、花火の時間まではギリギリだ。


「早く上がって来いよ!」

「分かりました!」


 のんびりとした会話に僕は焦ってしまう。

 しかし、僕の焦りは、次に彼女達が取った行動で一気に吹き飛んでしまった。


「はっ!」


 地面を強く蹴り、空高く舞う姉妹。高く上がった彼女達は空中でくるくると回り、そのまま屋根の上にある足場の手すりに着地した。


「ふう」


 小さく息を吐き、にこりと笑うアリス。


(……ああ、うん。異世界だった)


 僕はいつものセリフで自分を納得させて、冷静さを取り戻した。

 姉妹は持ってきた食べ物を机の上に置くと、それぞれに挨拶をしながら足場を歩く。全ての人間に挨拶が終わると、最後に僕の元にやって来た。


「彼方君。誘ってくれてありがとう」


 白と赤の浴衣を見て微笑むアリス。当然のように可愛かったのだが、それよりも大事な事があったので、僕は褒め言葉を忘れてしまっていた。


「何ぼうっと突っ立ってるのよ」


 ロールが足に蹴りを入れて来る。それでやっと状況を理解し、慌てて口を開いた。


「……ふ、二人とも。浴衣似合ってるね」

「遅いわよ。お世辞なの見え見え」


 不機嫌そうに鼻を鳴らすロール。緑と黄色の浴衣。いつもメイド服を着ていて洋の雰囲気を出している彼女だが、今日は完全に和の雰囲気を見せていた。


「ロールは何を着ても似合うね」

「何それ。それじゃあ、何を着ていても同じみたいじゃない」

「そんな事は無いよ。ロールだからこそ、そう思うんだ」


 顔を赤く染めて後ろを向くロール。相変らずのツンデレっぷり。最近はそれを楽しんでいる自分が居るのだが、別に嘘を言っているわけでは無かったので、罪悪感は無かった。



 全員がそれぞれの場所に位置取り、花火を見る準備が出来る。僕は予定通り、ジェシカの横でブルースワロー姉妹と花火を見る事になった。

 ジェシカはマイクのスイッチを入れると、近くにあった酒を一気に飲み、元気な声でナレーションを始める。


「さーて! お待たせ致しました! ただ今より、花火大会を開催いたしまーす!」


 その声に少し遅れて、ドッと言う短い音と共に、山の中腹から火の玉が空に上がる。

 そして、星の輝く夜空に、大輪の花が咲き誇った。


「……綺麗」


 うっとりとした表情を見せるアリス。それを横目で見ながら、無事に上がり始めた花火にほっと胸をなでおろす。

 やがて、第一部の花火が全て打ち終わり、周りから拍手が巻き起こった。


「凄い! 凄い!」


 僕を見ながら興奮気味に口を開くアリス。


「こんな綺麗な花火を作れるなんて、シーと彼方君は本当に凄いね!」

「僕は少しアドバイスをしただけだよ。本当に凄いのはシーだ」

「そんな事無いよ! 二人とも凄いよ!」



 恥ずかしくなり頭を掻く。横目で周りを見回すと、みんなも楽しそうにしていたので、シーを手伝って良かったと心から思った。


 ジェシカのナレーションを挟み、第二部の花火が打ち上がり始める。

 第二部の花火は、ゆっくりと見る事の出来る花火。その絶妙な間の使い方に、全員が言葉を失って花火を見ていた。


「本当に……凄いね」


 花火を見つめながら、アリスが言葉を零す。

 その表情は笑っていたが、どこか悲しかった。


「シー、ずっと頑張ってたんだね」

「うん。僕が会いに行った時は、いつも花火の話ばかりしていた」

「そうなんだ」


 アリスが視線を落とす。


「……花火ばかりで、辛く無かったのかな」


 笑いを失い、悲しさだけが顔に残る。


「もっと他にやれる事はあったのに、私と約束したせいで、花火ばかり作って……」

「それは違うよ」


 僕はハッキリと否定して、アリスの顔を真っ直ぐに見る。


「シーは花火を作っていた時、ずっと楽しそうに笑っていた。シーは花火と出会って、心から打ち込める事を見つけたんだ」

「でも、それだけじゃ寂しいよ」

「そうかな?」


 僕は花火を見上げる。それに続いて、アリスも花火を見上げた。


「自分が本当にやりたい事って、そう簡単に見つけられないものだと思う。だけど、シーはそれを見つける事が出来た。それは、幸せな事だったんじゃないかな」


 暗い夜空に花さく大輪の花火。

 それは、間違いなくシーが目指していた、人を笑顔にする花火。

 それが現実に起こっている今、シーが寂しがっている訳が無い。


「正直、僕はシーの事が羨ましい。たとえ約束に縛られようと、自分が心から熱中出来る事を、見つける事が出来たのだから」


 花火を見つめながら胸を抑えるアリス。それを見て、僕は静かに微笑む。

 やがて、第二部の花火が終わり、辺りは再び静けさを取り戻す。



「さあ、お待たせしました! 次が最後の花火となります!」


 ジェシカのアナウンスで、砂浜が盛り上がり始める。


「最後はこの場を締めくくる盛大な花火! テーマは『笑顔』です! 皆様もこの花火を見て、夏の思い出を笑顔で締め括って下さい!」


 それを聞いた瞬間、アリスが目を見開いてこちらを向く。

 静寂に包まれる会場。

 星がきらめく夜空。

 その綺麗な夜空を見上げながら、想いの全てを込めて、僕は言った。


「シーからの伝言だよ」


 打ち上げ音。


「遅くなって、ごめん」


 舞い上がる火の玉。


「そして、ありがとう」


 闇を切り裂く、一輪の大花。


 二発。三発。次々と火の玉が舞い、空に花を咲かせる。やがてそれは目で追えなくなり、幾つもの火の粉が乱れ飛びながら島全体に広がり、空を色取り取りの花で覆いつくした。

 湧き上がる歓声。それに答えるかのように、次々と花火が舞い上がる。


「こんな凄い花火を、たった一人の為に作ったなんて、誰が想像するだろう」


 願いが込められた花火。

 力強く、それでいてどこか儚いその光を、アリスは胸を抑えながら見続ける。

 そして、誰にも聞こえないような声で呟いた。


「……消えないで」


 その言葉に答えるかのように、何度も島を照らす花火。

 それを見て、アリスが微笑む。


「凄い……本当に凄い」


 唇を噛み締めて、その花火に手を伸ばす。

 まるで、幼い頃に交わした約束を、その手に感じようとするかのように。

 しかし、その花は掴む事が出来ず、花弁を散らしながら夜の闇に吸い込まれていった。



 花火が終わり、砂浜から歓声と拍手が巻き起こる。

 アリスは空を見上げたまま、静かに微笑んでいた。


「……ありがとう」


 ぽつりと呟いて、僕を見る。


「笑って居たかったけど、何か胸が一杯で、あんまり笑えなかったよ」


 小さく舌を出すアリス。それを見て僕も微笑む。


「あーあ。終わっちゃった。なんだか少し寂しいな」


 名残惜しそうに空を見上げながら、そっと拳を握り締める。その姿は、まるで今見た花火を胸に焼き付けているかのようだ。

 そんな彼女を見ながら、今度は僕が口を開く。


「まだ、終わってないよ」


 首を傾げるアリス。

 僕は手を伸ばして、山の入り口である階段を指差す。

 その先に見える、小さな小さな人の影。


「約束が果たされるのは、これからだ」


 それを見た瞬間、アリスは身を乗り出す。

 しかし、それ以上は動かずに、寂しそうに俯いた。


「行かないの?」

「……私には、約束があるから」


 僕はゆっくりと立ち上がり、星の輝く夜空を見上げる。


「もう一つ、伝言を頼まれているんだ」


 そして、静かに瞳を閉じる。



「お前達の優しさは、私を笑顔にしてくれる」


「お前達の成長を近くで見られなかった事を、本当に残念に思う。だけど、優しさを失わずに育ったお前達を感じられて、私は幸せに思う」


「お前達は、自分の信じる事を、歩きなさい」



 静かに目を開き、アリスを見る。


「シーがあの花火を完成させられたのは、この伝言を頼まれた人のおかげなんだ。だから……」


 もう、アリスは聞いていなかった。

 手すりに手をかけて飛び出すアリス。くるりと回って地面に着地すると、下駄を脱いで全速力で走り出す。

 豆粒のように小さくなった彼女は、神社の前に居る豆粒のような彼に出会い、そのままの勢いで彼に抱き着いた。

 約束を果たした僕は、彼女達に背を向けて、手すりに寄りかかる。

 視線の先に立っていたのは、小さく微笑んでいるローレライ。


「本当に、馬鹿なんだから」


 そう言って、僕の横に並ぶ。


「お姉ちゃん達、くっついちゃうかもよ?」

「どうかな。そうかもしれないけど、そうじゃない気もする」


 曖昧に答えると、ロールはフフッと笑った。


「それにしても、お姉ちゃん、良く彼方の話を信じたわね」

「どうして?」

「だって、証拠が無いじゃない」


 それを聞いて、今度は僕が笑う。

 ロールなら、絶対にそう言うと思っていた。


「オーシャン=ブルースワロー」


 僕は、この時の為に考えていた言葉を話し始める。


「黒髪の七三分け。黒縁眼鏡。紺のスーツ」

「どうせ、姉さんの部屋で調べたんでしょ?」

「紳士的な風貌で、話し方は少しきつめ」

「そんなの、姉さんの部屋で日記でも見れば、すぐに分かるわ」

「大事な事を話す時に、喉を鳴らす癖がある」


 それを聞いた瞬間、ロールが目を見開く。


「彼に聞いたんだ。どうして娘達に会わないのかって。そしたら……」


 少し言葉に詰まった後、湧き上がる気持ちを抑えて言葉を吐き出す。


「……会ったら、帰れなくなるって」


 その言葉は、僕の心を強く締め付けた。

 俯いたまま動かないロール。


「だから、忘れないで」


 僕は空を見上げる。

 

「彼が君達『二人』に向けて言った言葉を」


 お前達。

 彼は、確かにそう言った。


 僕は、彼が言ったその言葉を、一生忘れないだろう。


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