8月12日
『あれを都会に連れて行ってどう使うかは、怖くて聞けていない』
神社の階段を上りながら大きなあくびをする。
時刻はまだ朝の5時の後半だというのに、ルナに起こされて無理やりここに連れてこられたせいだ。
昨日風呂上りにあれほど酒を飲んで騒いだというのに、彼女は今日も元気で、僕のペースを無視してガンガン階段を上がって行く。インドア派の僕は、着いて行くのがやっとだった。
何とか階段を上り切り、目的の神社に辿り着く。すると、境内の前に見慣れた二人組が居るのが見える。
「あ! おーい!」
大きな声で手を振って来る女子。アリスとロールだった。
「待ち合わせって、彼女達とだったんですか」
「ああ。昨日すっかり忘れててな。寝る前に思い出した」
頬を掻きながら境内の前へと走るルナ。
僕はため息を吐いた後、眠い眼を拭いながらルナの背中を追いかけた。
二人の前に辿り着くと、二人はいつもの服装と違って、長袖の服を着ていた。
「今日は半袖じゃないんだ」
「うん、山に登るって言っていたから、寒くなると思って」
その話を全く聞いていなかった僕は、無言でルナを睨み付ける。
「ま、まあ、大丈夫だって! ほら、私も半袖だろ!」
「……へえ。なるほど。そうですか」
それだけ言って、静かに頷く。今の時点で少し肌寒いというのに、これ以上寒くなったら風邪をひくかもしれない。その時は、全力でルナを恨む事にしよう。
4人で何故か号令をした後、境内の裏に回って細い道を登り始める。
そこは、今まで上ってきた階段のように整備されている訳でも無く、歩くのには体力の居るデコボコの道だった。
「ルナさん。どうして山を登るつもりだったんですか?」
「ああ、この山の上にどうしても欲しい使い魔が居てさ。でも、登り方知ってるのこいつらだけだったから、お願いしたんだよ」
「だからって、こんなに朝早くに登らなくても良いと思うんですけど」
「それがなあ。その使い魔が出るのが朝早くでよお。こいつらにお願いする時も、本当に苦労したぜ」
豪快に笑いながらガシガシと坂を登るルナ。アリス達も山登りには慣れているようで、ドンドン山を登っていく。
女子が普通に登っているのに男である僕が根を上げる訳にはいかないと思い、荒くなる呼吸を抑えて必死に山を登った。
やがて、道が開けて広い広場に辿り着く。そこはどうやら、前にロールと登った裏山と、丁度反対側のようだった。
「よーし。ちょっと休憩しようぜ!」
ルナが木で作られたベンチにドカリと座る。男の僕がその横に座る訳にもいかないので、地面に腰を下ろした。
景色を眺めて話をしているアリスとルナ。それに対して、少しでも疲れを癒そうと地面を見る僕。
二人と僕を比べて、少しだけ悲しくなった。
「全く、情けないわね」
思っていた事をそのまま言われ、苦笑いで顔を上げる。
視線の先には、少しだけ心配そうな表情をしているロール。
「ほら、温かいお茶よ」
流石はロール。こうなる事を知っていたような気遣いだ。
僕はそれを縋るように受け取り、一気に飲み干した。
「お腹も減ったでしょ。ほら、サンドイッチ作って来たから、皆で食べましょ」
そう言うと、ロールは僕とルナ達の間にシートを広げて、背負ってきたリュックサックから食料を取り出す。朝から何も食べていない僕は、その食事にかぶりついてしまった。
無事に食事も終わり、改めて山頂を目指す。
島の太陽は昇るのが早く、既に辺りは明るくなってきていた。
「やべーな。思ったより日が昇るのがはえー。このままじゃ捕まえれねえかもしれねえ」
「ルナさんが狙っている使い魔って、コッケンですよね?」
「ああ。そうだ」
コッケン。今までの使い魔の名前から考えると、恐らく赤い鶏冠のあいつだろう。僕の世界では庭先に居るのに、この世界では山の上に居るようだ。
「コッケンは都会で高く売れるからな。ここに来たら、絶対に取っておきたいと思ってたんだ」
「でも、大丈夫なんですか? あの子、意外と素早くて凶暴ですよ?」
「分かってんよ。その為にこいつを連れて来たんだ」
そう言って、アリスとルナがこちらを見る。
なるほど。つまり、そういう事か。
「言っておきますけど、僕は見た目通りの貧弱ボーイですからね」
「分かってんよ。要はあれだよ。人海戦術って奴だ」
それなら僕も力になれる。アリス達もそれを見越して二人で来たのだろう。
しかし、逆に考えると、これ程の人数で捕まえなければいけない使い魔と、今から対峙するという事にもなる。僕の世界にも闘鶏という競技があるくらいだから、生傷は覚悟していた方が良さそうだ。
やがて再び視界が広がり、目の前に青い空が姿を現す。
(これは……)
目の前に広がる360度の視界。島全体を見渡せるその景色は、今までに見た事も無い絶景だった。
(もう少し早く来れば、朝焼けの空を見られたのかもな)
そう思い、少しだけ残念な気持ちになる。だけど、僕は基本的に朝が苦手なので、それに近い夕陽をもう一度見に来ようと心に誓った。
僕が景色に感動していると、ルナはそれを無視して腕輪から虫網を取り出す。
「よっしゃあ! コッケン来いやぁぁぁぁぁ!」
元気に網を振り回すルナ。虫網で鶏を捕まえるのもどうかと思ったが、異世界の鶏なので、きっとそれも可能なのだろう。
そんな事を考えていると、茂みから一匹の獣が飛び出してくる。
「来たぁぁぁぁ!」
その姿を見て、僕は言葉を失う。
僕の世界のそれとは違い、刃物のように鋭くとがった鶏冠。鋼鉄のように真っ直ぐに突き出ている嘴。そして、ガラス細工のようにかっちりとした翼。
一言で言えば、サイボーグ鶏だった。
「よおし! お前等囲め!」
言われるままに背後に回り込むアリスとロール。僕はコッケンの機械的な鳴き声を聞いて、動けずに顔を引きつらせる。
「こら、彼方! 仕事しろ!」
「いや、だってこいつ、生きものじゃない……」
「ゴチャゴチャうるせえな! ぶん殴るぞ!」
殴られるのは嫌だったので、トボトボと歩いてコッケンの右手に回り込む。ルナは左手に回り込み、完全包囲の陣形が整った。
「よおし……覚悟しろよ……」
ルナがジワジワとコッケンに近付く。
その時、急にコッケンが僕の方に振り向き、全速力で突進して来た。
(やっぱり俺かぁぁぁぁぁぁ!)
冷静に考えてみよう。獣が追い詰められた時、何処を狙うか。
それは勿論、一番弱そうな所だ。
そして、この中で一番弱いであろう人間。
それは僕だ!
「コケー。コケコケー。シネコケー」
僕をあざ笑うかのように、機械的な鳴き声を発するコッケン。いや、むしろ嘲笑っている。ここでこいつに負けたら、男としての名折れだ。
「う、うおおおおおお……!」
突進してくるコッケンに対して、僕は腕輪から虫網を取り出して構える。
そして、相手の飛び蹴りに合わせて、その網を振り下ろした。
「コケー」
感情を感じさせない鳴き声と共に、コッケンが後ろに吹き飛ぶ。それに合わせて、僕も後ろに吹き飛ばされた。
「ナイス! やるじゃねえか!」
地面で虚しくシャカシャカと足を回しているコッケンに近付き、ルナが虫網を落とす。コッケンはそれ以上暴れる事も無く虫網に包まれて、ルナの虫かごに納められた。
大取物が無事に終わり、僕は静かに立ち上がる。左手が妙に痛かったので見てみると、そこには切り傷がバッサリとついていた。
(網には当たっていなかったのか)
どうやら、先程の打ち合いは躱されていたようだ。
鶏に負けて吹き飛ばされる男子高校生。現実世界ならお笑いものだ。だから、僕も思わず笑ってしまった。
「何笑ってんのよ!」
突然大声をあげて近付いてくるロール。その声に驚いていると、リュックサックから薬箱を取り出して、僕の腕を治療し始める。
「全く! 本当に馬鹿なんだから!」
文句を言いながら手際よく治療をするロール。
それにしても、先程からロールがリュックから出している物が、リュックより大きいのは気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃない。先ほど出した朝食も、この薬箱も、明らかにリュックより大きい。きっとあれは便利道具の一つなのだろう。
「何ぼうっとしてんのよ! ほら、終わったわよ!」
いつの間にか治療が終わり、ロールが薬箱をしまう。シップのようなものが張られた腕は、既に痛みを感じなくなっていた。
「ありがとう。ロール」
「アンタ、いつもそればっかりね。たまには他の事言ってみなさいよ」
少し考えてから、思った事をそのまま言ってみる。
「……ロールは良いお嫁さんになるね」
「田舎のおっさんか!」
素早く、そして的確に、僕の胸に平手を当てるロール。その的確な突っ込みに感動しながらも、胸が苦しくなってせき込んだ。
僕達のコントが終わり、アリスとルナが駆け寄って来る。ルナが持っていた虫かごを掲げると、既に複数のコッケンが入っていた。
「ったく、お前等が遊んでるうちに、5匹も捕まえちまったじゃねえか」
あの素早い使い魔を、この短い時間で5匹。黙って二人で捕まえていた方が、効率的では無いだろうか。
「いやー。しかし、スローライフ家の拳術はやっぱすげーな」
「ルナさんも凄い網捌きでしたね」
「そんな事ねえよ。アリスの崩拳食らったコッケン。完全に伸びてたぜ?」
「ルナさんこそ、踵落としでコッケン地面に埋まってましたよ?」
お互いの功夫を褒め合う二人。それを静かに見上げながら、小声でロールに聞く。
「やっぱり、スローライフ家って武闘派一族なの?」
「そうよ。逆らったら命が無いと思いなさい」
ふっ笑うロール。それを見て、静かに体から血の気が引いて行った。
言葉だけは穏やかな話が終わり、僕達は山を降りる。一度登った場所だったので、来た時よりも楽な気持ちで下る事が出来た。
やがて神社に辿り着き、4人は中央で顔を合わせる。
「そんじゃあ、あたいは民宿に戻って、コッケンを大箱に移すぜ」
「私も店の手伝いがあるから、先に帰るわね」
そう言って、ルナとロールが駆け足で消えて行く。先ほどまで山登りをしていたのに、軽やかに歩くその姿を見て、僕は男としての何かを失った気がした。
「あの……彼方君」
意気消沈している僕に声を掛けてくるアリス。どうやら、まだ用事があるらしい。
「ちょっと、聞きたい事があるんだけど……」
「良いよ。何?」
「ええと……」
アリスは胸の前で指を交差しながら、小さな声で言った。
「……シーの事なんだけど」
それは、アリスの幼馴染。幼い頃に両親に会う事を止められて、今尚面と向かって会ってはいない。
「彼、元気?」
「うん、元気だよ」
「その……怪我とかしてないかな」
「最近は僕と一緒に花火を作っているから、危ない事はしていないよ」
「そうなんだ……良かった」
ほっと胸をなでおろすアリス。どうやら彼の事が気になるようだ。
だから、僕は躊躇せずに、ハッキリと言った。
「今から会いに行こうよ」
それを聞いた瞬間、アリスは慌てて首を横に振る。
「だ、駄目だよ! お父さんと約束したし!」
「でも、それは二人が小さかったからでしょ? 今は花火が危険な事も十分に分かっているし、もう大丈夫だよ」
「そうだけど……! でも! 駄目! 約束なんだから!」
幼き日に父と交わした約束。その父はもう存在しないのだが、それが更に強い鎖となって、シーとアリスを縛り付けている。
約束の花火が完成すれば、それは解決するのだろうか。
(いや、そういう問題じゃない……)
微笑みながらも、どこか寂しそうな表情を見せているアリス。
この二人は、このままではいけない。
そう思いながら、二人を引き合わせる事を必死に考えている僕が、ここに居た。




