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僕の異世界夏休み  作者: 桶丸
12/33

8月11日

『よく考えたら、僕の年頃が一番恥ずかしがる年頃だと思った』



 露天風呂に入り、きらめく星空を見上げながら、僕は大きく息を吐く。

 一日の終わりに入る風呂は、最高に気持ちが良い。自分の世界に居た時はシャワーだけの時もあったが、この民宿に来てからは毎日風呂に入っていた。

 やがて体が温まり、そろそろ出ようかと考える。

 そんな時、入り口の扉が開き、誰かが入ってくるのが湯気の隙間から見えた。


(リアスさんかな?)


 露天風呂は時間によって男女が別々に入る。今は男湯の時間なので、民宿の住人の中から考えると、それ以外あり得ない。

 そう。ありえないはずだった。


「何だ、彼方じゃねえか」


 立ち上る湯気の先で、堂々と全裸で立ち尽くす女子。

 赤褐色のナイスバディー。ルナ=バーンエッジ。


「……な!」

「何恥ずかしがってんだよ。もうガキじゃあるまいし」


 いつもと変わらない表情で体を洗い始めるルナ。

 予想外の出来事に、肩まで湯船に浸かり、頭に乗せていたタオルで股間を隠す。

 数分後、体を洗い終えたルナは、体を隠さずに堂々と湯船に浸かった。


「おい、湯船にタオル入れてんじゃねえよ。マナー違反だろうが」

「で、でもですね……」

「デモもクラシーもあるか。男なら堂々としてろってんだ」


 言葉の意味は分からなかったが、確かにタオルを湯船に入れるのは良くない。

 僕は覚悟を決めると、タオルを外してお湯を絞り、頭の上に乗せた。

 露天風呂の中に男女が二人。女は体を隠さずに堂々と湯に浸かり、男は小さくなって後ろを向いている。

 ……良く考えたら、これって逆じゃないか?


「おい」

「は、はい……?」

「後ろ向いてねえでこっち見ろよ。話が出来ねえじゃねえか」

「そんな事は無いと思うんですが……」

「ああ? お前の国では、背中で話すのが礼儀なのか?」


 それを言われると何も言い返せない。

 仕方なく、僕はルナの方を向いた。


「へへ……何だよ。中々良い体してんじゃねえか」


 それはルナさんの方ですよ。と、高らかに言いたかったが、それではスケベ全開だったので(言わなくてもムッツリなのだが)、黙って頭を掻いて見せる。


「それで? どうだ、あたいの体は? ムラムラするか?」


 赤褐色の艶めく肌に、しっとりと濡れた口元。体のラインは鍛えているだけあって引き締まっていて、特に腰のラインなどは、大きなバストとヒップをより強調するかのように地獄の……。


「はは……冗談だよ冗談」


 ケラケラと笑うルナ。危うく内なる妄想が爆発するところだった。

 僕が視線を散らしながら妄想していると、ルナが空を見上げて鼻歌を歌いだす。

 軽快で跳ねるような歌声。予想外の上手さに聞き惚れてしまった。


「……なあ。彼方」

「はい!?」

「お前、今楽しいか?」


 突然真面目な話を振られたので、少しだけ答えに詰まる。


「ええと、そうですね。今までの夏休みの中で、一番楽しいです」

「だよなー。あたいの裸も見れたしなー」


 悪そうな笑顔で口元を抑えるルナ。

 ここだけの話、僕は何度も彼女の裸を見られそうになっているが、実は一度も見た事が無い。

 何故なら、見ようとすると何かに阻まれて、絶対に見る事が出来ないのだ。

 これこそが、異世界クオリティー。いや、ラッキースケベクオリティー。

 これからもこのような事は起こるのだろうが、見る事は出来ないのだろう。


「ルナさんはどうです? 楽しいですか?」

「あたい? あたいは……」


 言いかけて、一度言葉に詰まる。

 そして、少しの間を空けて、再び口を開く。


「……そうだな。あたいも楽しいよ」


 静かに微笑み、頭の上で腕を組む。

 ルナが黙ってしまったので、二人の間に沈黙が続く。相変らず向かい合っているので少し気まずかったが、ルナはそんな事お構いなしに、空を見上げて何かを考えているような表情をしていた。

 やがて、ルナがこちらを向いて口を開く。


「彼方、あたいさ……」


 少しだけ口を紡ぎ、頭の上で組んでいた手を下ろす。


「……実は領家の娘なんだ」

「領家?」

「ああ、いいとこの娘って事だよ」


 それを聞いて、僕は普通に頷く。


「驚かねえのか?」

「はい。そういう可能性もあるって思っていたので」

「はあ? 何言ってんだよ。いいとこのお嬢様ってのは、もっとこう澄ましてるもんだろ。あたいとは正反対じゃねえか」


 その言葉に対して、首を傾げて見せる。


「でも、ルナさんって姿勢良いし、粗暴に見えて、一つ一つの動作が凛としているから、そういう環境で育てられたんだろうなって……」


 それを言った瞬間、ルナの顔が真っ赤になる。


「ば、バカ! そういう所は見なくていいんだよ!」

「え? ああ、すみません」


 何を怒られたか分からなかったが、とりあえず頭を下げておく。すると、ルナはふっと笑い、少しだけ笑顔になって話を続けた。


「まあ、そういう事でさ。お前の言う通り、小さい頃から礼儀正しく育てられた訳よ。だけど、あたいは体動かすのが好きでさ。近くに使い魔が捕れる森があったから、いつもそこに行って、使い魔ばかり取ってた」


 領家の女子がお転婆なのは、異世界の常識だ。

 まあ、その世界に住む人間にとっては、普通では無いのだろうが。


「そんでさ。ある日いつものように使い魔取って家に帰ったら、父さんに一人のおっさんを紹介されてさ。そんでもって『彼がお前の婚約者だ』って。全く、ぶったまげたよ、あん時は」


 これも良くあるパターン。それが実際に起きている人間が目の前に居るのだが、まだ異世界知識の範疇だ。


「あたい、そん時に、自分に本当の自由が無いって事が分かってさ。気付いたら自分の部屋に戻って、金目のもん鞄にぶち込んで家を飛び出してた。そこからは、色々あって、今の仕事に就いたってわけさ」


 話を終えて、再び空を見上げるルナ。

 その表情は、少しだけ寂しそうだった。


「どうだい? バカな話だろ? 家に居りゃあ、一生金に困らずに生きていけたってのに、あたいはそこから飛び出したんだぜ?」


 確かに、お金は大事だ。生きるには何よりもお金が要る。

 だけど、少しも笑う気にはなれなかった。


「どうした、彼方? ぼうっとして」

「いや、その……」


 少し考えた後に、素直に思った事をいう事に決める。


「ルナさんは、凄いなと思って」

「……はあ?」


 首を傾げるルナ。それに対して、僕は視線を落とす。


「人間って、一度その環境に慣れてしまうと、そこが悪い場所でも、抜け出せなくなると思うんです。本当は覚悟を決めて、一歩踏み出せば良いだけなのに」


 それは、現実世界の自分。

 何も出来ないと決めつけて、何もしようとしない、孤独な自分。


「だけど、ルナさんはその一歩を踏み出した。たとえそれが、元居た所より不便だとしても、自分の決めた事に、真っ直ぐ突き進んだ」


 言った言葉がそのまま僕に帰って来る。

 ルナさんは強い。

 そして……僕は弱い。


「僕は、そんなルナさんを尊敬します」


 口先だけの僕。行動できない僕。

 それでも、今言った言葉だけは、心からの本音だった。


 何も言ってこないルナ。

 時間だけが、静かに過ぎていく。


「……めてだ」


 そんな中、ルナがぽつりと呟いた。


「そんな事言われたの……初めてだ」


 それは、飾り気のない、彼女の心の声。


「あたいを知ってる奴らは、皆あたいの話を笑った。酒のつまみだ。馬鹿話だって。だから、あたいもそれに合わせて、馬鹿みたいに話してた」


 僕はゆっくりと彼女の事を見る。

 だけど、湯気で隠れて、彼女の表情は読み取れない。


「だけど、あたいにだって覚悟はあった。不自由なく生きてきた人間が、一人の力で生きるのは大変だった。だから、それを笑われて、罵られて、苦労していないと思われるのは、凄く辛かった」


 その言葉を聞いて、僕は我慢が出来なくなる。


「そんな人達は、ぶん殴ってしまえば良かったんだ」


 ルナの口元が少しだけ上がる。


「……ばぁか。世の中には付き合いってもんがあるんだよ。本当はお前だって分かってんだろ?」


 その通り。

 僕も分かっている。

 だけど、それを上手く出来ないから、いつも一人なんだ。


「あーあ。せっかく二人で馬鹿みたいに笑おうとしたのによ。お前のせいでシラケちまったじゃねえか」


 大きくため息を吐いて伸びをするルナ。再び胸が見えそうになり、視線を横に向けてそれを回避する。

 その瞬間を意図していたかのように、絶妙なタイミングで彼女は言った。


「だけど、あんがとな」


 それは、湯気に阻まれて消えてしまいそうな、とても小さな声。

 だけど、僕には聞こえてしまった。


「ようし! じゃあ、この話はもう終わりだ! そろそろ上がって酒飲もうぜ!」


 勢い良く立ちあがるルナ。全てに対してお構い無し。

 僕が全裸を見ても動じないのだろうが、やはり見るのは紳士では無いし、どうせ湯気が発生して見れないので、ひたすら横を見続けた。


「ったく、せっかくサービスカット作ってやったってのに、甲斐性のねえ奴だなあ」

「そうは言ってもですね。色々な法律とかがあって、迂闊に裸を見ると……」

「ああ? それはお前の世界の話だろ? ここでは関係ねーよ」


 ああ。やっぱりそうか。

 彼女は、僕がこの世界の人間では無いという事に、最初から気付いていたんだ。


「ほら。先に上がってやるから、お前もとっととラウンジ来いよ」


 くるりと振り向き、凛とした姿勢でルナが風呂場を出て行く。

 落ち着きを取り戻した露天風呂。

 僕は風呂から上がり、夜空にぽっかりと浮かぶ月を眺める。

 その姿は、同じ名前を冠した彼女のように、暗い場所で強く静かに輝いていた。


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