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僕の異世界夏休み  作者: 桶丸
11/33

8月10日

『夕暮れに響く弦の音は、綺麗な歌声と共に、茜色の空に溶けて行った』



 昨日の宝探しで見つけた割石をシーの元に持って行った後、僕はシーに言われて、錬金術による花火の作り方を勉強した。

 最初は難しいと思っていたのだが、分かってくると理科の実験のようで面白く、昨日は夜までシーと錬金術について勉強した。

 そして、翌日。僕達は再び合流して、実際に錬金術で花火を作ってみた。

二人で作った花火は、思ったより出来が良く、打ち上げて火花が空に舞った時には大いに感動した。

 そのままシーと錬金術について熱く語り合ったのだが、夕方になると流石にお腹が減ったので、民宿に帰って夕飯を食べる事にした。



 民宿に辿り着いて腕時計を見ると、まだ夕食までには時間がある。いつものように砂浜で夕日でも見ようかと思ったのだが、海の家の方から聞きなれない楽器の音が聞こえたので、そっちに行ってみる事にする。

 海の家に辿り着くと、建物の前に置いてあるベンチにジェシカが座っていて、ギターに似た楽器を弾いているのが見えた。


「ジェシカさん。こんばんは」

「やあ、彼方君」


 ジェシカはニコリと微笑むと、再び楽器を鳴らし始める。


「その楽器は、何という楽器ですか?」

「これ? これはピンネットっていう楽器よ」

「へえ、どうやって音が鳴っているんですか?」

「ここに張ってある弦をはじくと、中の空洞に溜めてある魔力が振動して、それに対応した音が鳴るようになっているの」


 ジェシカが上の弦から順番に弾く。すると、ドレミの順に音が鳴り、最後に全部を一気に鳴らして見せてくれた。


「不思議な音がしますね」

「彼方君の世界にはこういう楽器は無いの?」

「ありますけど、僕の世界には魔法が無いので、こんな多彩な音が出ません」

「それじゃあ、楽器自体は沢山あるんだね」


 それを聞いて、僕は首を傾げる。


「だって、多彩な音が出せないって事は、音を作る為に沢山の楽器が必要でしょ?」


 流石は音楽家だ。説明していないのに、状況だけでその答えに辿り着いた。


「面白そうだなあ。ねえ、他にどんな楽器があるの?」


 ジェシカに聞かれたので、携帯端末機で楽器の種類を調べてみる。


「ええと……まず、今ジェシカさんが引いているのが弦楽器で、あとは打弦楽器、管楽器、体鳴楽器、膜鳴楽器、気鳴楽器、鍵盤楽器、電気楽器、和楽器……」

「もう良いわ。ありがとう」


 まだまだ楽器はあったのだが、ジェシカがお腹一杯という表情をしていたので、携帯端末機をポケットに戻す。

 ジェシカは大きくため息を吐いた後、楽器から手を放して空を見上げた。


「はあ、やっぱり私の世界って、遅れているのね」

「遅れているって、音楽の事ですか?」

「そうよ。どう考えたってそうじゃない」


 ピンネットに視線を戻して、おもむろに弦を弾くジェシカ。


「決められた音楽に決められた楽器。新しい物は直ぐには生まれず、ひたすら同じ音を奏でる。これを遅れていると言わずに何というの?」

「技を磨いている」

「なるほど、上手い事言うわね」


 ははっと笑うジェシカ。それを見て僕も笑い、ジェシカの横に座ってしまう。


「ジェシカさん。一曲弾いてくれませんか?」

「ええ? 恥ずかしいわよ」

「お願いします」

「もう、仕方ないわねえ」


 ジェシカはふうと息を吐いた後、ピンネットに視線を送り、静かに瞳を閉じて弦を弾く。

 そして、演奏が始まった。


(これは……)


 弦の弾ける音。そして、中で魔力が弾ける音。それぞれが別々な音を鳴らし、一つの楽器で二重の音楽をかもし出す。

 しかし、僕が驚いたのは、それだけでは無かった。


(……アルハンブラの思い出)


 その曲は、僕の世界にも伝わっている、有名なギターの曲だった。

 これは一体どういう事だろうか。僕はこの世界に始めて来たというのに、この世界では、僕の世界の有名な曲が『音楽』として既に定着している。

 もしかして、僕よりも前に来た音楽家が、この世界に音楽を広めたのだろうか。


「……っと。まあ、こんな所だね」


 曲を弾き終えたジェシカを見て、静かに息を飲む。


「どうしたの? 気分悪かった?」

「いえ、その……」


 少しだけ考えた後、僕は覚悟を決める。


「あの……ジェシカさんに、聞いて欲しい曲があるんですが……」

「え? うん、良いよ。聞かせて」


 ポケットから携帯端末機を取り出すと、ミュージックプレーヤーを立ち上げる。

 そして、アルハンブラの思い出を再生した。


「……これは」


 ごくりと息を飲み、こちらを見つめるジェシカ。


「凄い! こんな小さな箱から音楽が流れるなんて!」


 その反応に、ガクリと肩を落とす。しかし、ジェシカからすればそうなのだろうと思い直し、改めて説明を加える事にする。


「これは、僕の世界の便利道具です。でも、今はそれ見せたいんじゃなくて……」

「分かってるわよ。この曲の事でしょ?」


 やはり分かっていたようなので、僕は苦笑いを見せる。


「もしかして、この曲は彼方君の世界にも存在するの?」

「はい。この曲だけじゃなくて、前に歌ってくれた曲も存在しています」

「なるほど……だからあの時……」


 それだけ言って、ジェシカが一度黙る。

 ジェシカは顎に手を当ててうーんと唸った後、改めて話し始めた。


「この曲って、いつの時代に作曲された曲なの?」

「ええと、1896年だから……今から120年くらい前ですかね」

「私の世界では、1000年以上前から存在しているわ」

「つまり、こちらの世界が先という事ですか?」

「分からないわ。時間軸が変わっている可能性もあるし……」


 難しい話になって来たので、頭が混乱し始める。


「とにかく、どちらが先かは、もう分からないって事」

「では、どちらかの世界の人間が伝えたという可能性は?」

「大いにあるわね。現に彼方君がここに居る訳だし……」


 そこまで言って、ジェシカがハッとした表情を見せる。

 そして、次の瞬間、僕に思い切り顔を近付けて言った。


「これって、私達の世界の人間が、そちらに行った可能性もあるって事よね!」

「僕もそう思います」

「そうよね!」


 勢い良く立ちあがり、左右に歩き回るジェシカ。どうやら落ち着いていられないようだ。


「どうして考え付かなかったんだろう! そうよね! 彼方君が居るのだもの! そういう事だってあるわよね!」


 新しい可能性。それは、別の世界で音楽をやるという、奇跡にも近い可能性。

 しかし、それでも可能性はここに証明された。証明された限り、絶対に不可能という事は無い。

 証明された可能性は、それだけでは無い。


「僕の世界と同じ曲が二曲もあるという事は、他の曲もこの世界で、『音楽』として認められるんじゃないでしょうか」


 それを聞いたジェシカは目を丸めて、再び急接近してくる。


「確かにそうね!」


 最高の笑顔で言った後、右手を僕に向けて差し出す。


「そういう事だから、さっきの便利道具を私に頂戴!」

「それは無理です」

「えー。ケチ」


 ジェシカが口をとがらせる。


「どうせ彼方君が持っているくらいだから、誰でも持ってるんでしょ?」

「そうですけど、これを置いていくのは、異世界違反なんですよ」

「そうなの?」

「そうです。それに、本当はこれで曲を聴かせるのもギリギリで……」


 それを言って、今度は僕がハッとする。

 しまった。言いすぎた。


「……へえ、そうなんだ」


 ニヤニヤするジェシカ。それを見て、慌てて視線を逸らす。


「ふーん。へえー」

「な、何ですか……」


 楽しそうに僕を見ているジェシカ。やはり、言うんじゃなかった。

 ジェシカは僕を上から眺めた後、今度は座って下から覗き込む。


「ねえ、どうしてこれを聴かせてくれたの?」

「それは……」


 何とかはぐらかそうと考えたが、ジェシカの前では隠せなかった。


「ジェシカさんなら、伝えたかった事に気付くかもしれないと思って……」

「それで、無理をして、私にこれを聴かせてくれた訳ね」

「まあ、その……そうですね」


 僕は視線を地面に落とす。

 少しの沈黙。

 やがて、ジェシカが口を開く。


「全く、馬鹿なんだから」


 そう言ったジェシカは、微笑んでいた。


「そんなに危ない橋を渡らなくても、私は普通に音楽をやっていたわよ」


 小さく鼻を鳴らしてピンネットを奏でる。再び奏でられた音は、沈みゆく夕日と混ざり合い、空へと解けていく。

 それはまるで、音楽の女神が天に音を捧げているかのような光景だった。


「どう? 私のオリジナル曲よ。これなら、聞いた事が無いでしょ?」

「そうですね。初めて聞く曲です」


 ゆっくりとしたテンポの流れるような曲。日頃の元気なジェシカさんからは想像のつかない、どこか神々しく、儚いメロディー。

 だけど、僕はもう知っていた。この透き通るような音楽こそ、ジェシカさんの本当に得意としている音楽なのだと。


「ほら、合わせてあげるから、歌いなさいよ」


 突然のキラーパスに、慌てて首を横に振る。


「む、無理に決まってるじゃないですか!」

「何よ。自由な世界の人間でしょ? ほら、何でも良いから」

「自由だから逆に難しいんですって」

「もう、仕方ないわねえ」


 フフッと笑い、ジェシカが空を見上げる。


「本当は駄目なのだけれど……お礼よ」


 小声で言った後、ジェシカが深呼吸をする。

 そして、彼女の口から響き渡る、綺麗な歌声。


(これは……)


 歌に呼応するかのように、オレンジ色の光が幾つも現れて、その光が僕とジェシカを包んでいく。

 やがて、ジェシカが歌うのを止めると、オレンジ色の光はパチンと音を立てて弾け、茜色の空に消えて行った。


「この曲、作りかけなの。だから、歌はこれでお終い」


 そう言いながら、曲の続きをピンネットで奏でる。

 完成された曲を歌う事だけが許された世界。

 その世界で、彼女が僕だけに歌ってくれた、作りかけの曲。

 それは、彼女が新しい世界に足を踏み出した事を教えてくれる、心の声だった。

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