一日目@ホーリーさんといっしょ
「大変だ。容態が」
なんか、ピーピー警告音鳴ってる。
どこから出てんだ?
あ!
ホーリーさん、口から泡でてる!
血の気が引くとはこのことだ。
いろんな管を踏み越えて、おれは魔管士の肩をひいた。
振り返った男は、どこか上の空だった。
ぼうっとしてる。
大丈夫か?
「あんた。しっかりしてくれ」
「おお、猫殿」
「ホーリーさんは・・・・・・ここに」
(ストン! だめ)
泣きそうな声だった。
ホーリーさん、そう言うけど。
(なりません、ストン。それ以上言ったら絶交です)
いいよいいよ別に。
(ストン。一生のお願いです)
えっ。
それだしてくるか、今。
ずっと前の約束だ。
まだおれが人間の子どもで、ホーリーさんがただのぽっちゃり王女だったころ。
なんでも一つ、願いを叶えてやると言った。
命を助けてくれたお礼だ。
おれが助けたんじゃないってところが、カッコ悪いけど。
城の周囲には、湖がある。きれいな魚もいるし、星屑の砂のつもった水辺もある。子どもにとって格好の遊び場だった。
湖に落ちたおれを助けようと、ホーリーさんはからだをゆすって水中に飛び込んだ。やばいと思ったなあ。ホーリーさん泳げないよね? てか水苦手って言ってたよね? ホーリーさんは泳がなかった。沈みもしなかった。ぷかぷか浮きながら、おれのところにきた。
ストン。髪につかまって。
ホーリーさんの三つ編みにつかまって、命拾いした。
おかえしに何でも言うこと聞くって約束したんだった。
じゃあ、わたくしの一生にひとつ、頼みごとをするわね。
忘れないでね。ストン。あなたはわたくしの大切な・・・・・・
あわただしくなった。
「これからだぞ」
「気ぃ抜くなよ」
そんな声が聞こえてきた。
おれいつのまに回想モードに入ってた?
魔管士、ぼうっとするのやめたみたいだ。
いろいろ指示出してる。
魔法陣を描いていたろうそくの火が、ひとつひとつ消えていく。
おいおいどうなるんだ。
魔法典医のじいさん、こういう事態でも魔管士に何も言わないつもりらしい。これが「委ねる」ということなら、おれには無理っぽい。
(ストン)
おれは爪が出てたのを、あわてて引っ込めた。
緊張すると爪出るくせ、直したと思ってたのに。
一生のお願い発動されたら、一歩下がるしかない、のか?
(ストン)
くそっ。今度はより目になってる?
「猫殿、下がっていてください」
魔管士は胸元から小さな袋を取り出した。
その口を開けると、小さな光がたくさん飛び出した。
緑、白、赤。
飛び回っていたが、魔法陣のかわりにホーリーさんの周りに規則的に漂っている。
(妖精ですね)
あ、ああ、そうだな。
珍しいもんじゃないけど。
(いいえ、ストン。とても珍しいです。祭りの夜、湖と森に飛び回るのをみたことはあるけれど。お財布のなかに入れて連れて歩くなんて)
ホーリーさんうれしそうだけど。
あの小袋、財布だったんだ。おれの財布のほうがでかい。
小銭取り出すとき、妖精出しちゃったりしないんだろうか。
しかしなあ。
ためいきも出てくるわ。
(きゃっ☆きれいですわね、ストン)
わくわくできるような状況じゃないから。
わかってるのか?
(ストン。人形に妖精さんを詰めたら、飛ぶかしら)
知らねえし。詰めもんにしたら怒られるぞ。
てかそれおれの毛で作った人形のことだよね。
ぼっさぼさの毛玉がほのかに発光しながら飛んだらダメだと思う。
のんきすぎ。
本来落ち着きのない妖精が、一所にとどまり続けるのは容易なことじゃないだろう。魔法陣を定着させようと(たぶん)、六人がかりでなんかしてる。
掲げた杖の先から、白いもやもやが出てる。
あれか?
暑い日に、じいさんが杖の先からミスト出してたっけ。
すごく細かい霧だから、のどからくる夏風邪にも効くって、いつのまにか長蛇の列ができてたことがあった。
それ的なものか?
あっれ。
なんか、ホーリーさんちょっと、しぼんできてない?
ミストにそういう効果あるの。
うわー。
おれ剣やめて魔法使いになろうかな、まじで。
じいさんにミスト習って、楽ちんダイエット教室開いてやる。
(ストン、ふざけないで)
ホーリーさんに言われたくない。
あんな状態(手足だらん、顔色蒼白、白目、呼吸してないっぽい)で大丈夫なの? 筋金入りののんき者だな!
(言ったでしょう。わたくしは、平気です。ねえ、外に行きましょう)
はあ。何言ってるの。
あなたねえ。
(っぷ)
なに、何がおかしいのっ。
(ストンは怒るとねえ様みたい)
しっぽでぶってやろうか? ああ?
おれ、言っとくけどオシャベリな男じゃないからな。
ホーリーさん勝手におれの頭んなか入ってくるから。
本来なら、こうして考えてること十個あっても、口にするのは一個か二個だから。ご婦人方には、「何をお考えなのかわからないわ。それが口惜しい・・・・・・」とかなんとか言われちゃってるんだからっ!
(侍女たちから様々なことを教えてもらいますが)
はい?
(ストンがご婦人方の噂になっているというのは、初耳です)
まじか!
猫は恋愛圏外なの?
軽くショック!
(ストンの心はにぎやかなのですね)
それはともかく。
ここから出たらどうなっちゃうかわかんないんですよ。
今もどういう状況なのか、把握できてないのに。
絶対にダメ。絶対ダメ!
(ストン。一生のお願いです)
お願いさっき使いました。
おしまいだから。はいざんねーん。
「近衛隊長殿」
誰。今忙しいの。
ホーリーさんの無事を確認するまで、おれはここにいないと。
王様がお呼びだって。
う。これは行かねばなるまいが。
ホーリーさんの体、どんどんしぼんでる・・・・・・。
なんか泣きたくなってくる。
皮だけになっちゃうんじゃないか。
(お父様のところにまいりましょ、ストン)
うきうきの声と、壮絶な分解の図のギャップが激しすぎて、なんて言ったらいいかわからない。治療と言うより、祓いの儀式みたいだ。
(祓い。ある意味、そうなのでしょう)
うかない声だ。
どうしたんだ?
(離れても、大丈夫です)
何を根拠に。
(ジルさんがそう仰いましたから)
ジルって、アレ?
魔法陣のわきで、必死なカオして両手で見えない壁を押してる人?
(はい。あなたのそばから離れないかぎり安全だと)
いつのまにそんなやりとりあったの?
ホーリーさんずっと眠ってたよね。
(目覚めていました。でも、体は眠っていて。ジルさんが体からわたしを引き離してくれたのです)
なんだ、わかってんじゃん魔管士。
ならどうして秘密にしろなんて。
(わけがあるのです。言わないようにと、ジルさんが)
なんなんだ、魔管士。
どういうつもりだ?
で、ホーリーさん今どこに。
きょろきょろ見回してみても、やっぱりホーリーさんの姿はない。
(あの。あなたの中に、その、いるのです)
部屋を出るとき、姿見が目に入った。
見たらいけなかったんだよ・・・・・・。
おれ、これまでずっと頑張ってきたんだ。
わあ、まじか。猫・猫、あれほんとに猫なの?
猫に剣もてんのかよ。
といった周囲の冷たい視線を跳ね返そうと、努力してきたつもりだ。
肉球には血がにじんだ。
スタミナはないが、早さは国一番。という自負もある。
相手の懐に飛び込み、短時間でけりをつける。
そのためには、鍛え抜かれたしなやかな筋肉と、スリムな体が必要。
(ストン、ごめんなさい)
ホーリーさん。
空気って、食べ物でしたっけ?
まんまるな頬。
なんか服がきつい、と思ったら、腹! 出てる。
ぱんっぱんなんだけど! 待って。これどういう悪夢。
ほんと、ナニコレ。
鏡には、すんげーふっくらした自分の姿が映っていた。
もう。
ふざけんなよ!(泣)