一日目@あんたに何ができるんだ
侍女たちの休憩室。
もふもふアレルギーの方はご注意めされよ。
紺の仕立てのよいメイド服に身を包んだのは、銀色の毛もつやつやしたきつね、そしてスカートからのぞくふさふさの茶色いしっぽを毛繕いするりす。それから、何というのか、この国ではついぞ見かけぬ動物である・・・・・・長い首は黄色、茶色い斑点がついた通称「キリン」(侍女の名がキリンという)。キリンの首には、白い包帯が巻いてある。
これは今日の昼、ドラゴンと対峙したときに負った傷である。
「魔法栄養士なら、このあいだ追い出したのでは」
リスが潜めた声で言った。
「姫様を苦しめる悪人よ。魔法栄養士なんて連中は。夜中に枕をひっくり返したら、怖じ気づいて逃げ出したじゃない。いい気味」
夜中、メイド姿のリスに無言で枕返しをされたらトラウマになりそうだ。
キリンとキツネは目を見合わせた。
さすが、リス。
「まあまあ」
リスのしっぽを、キツネがぽふんとたたいた。
「じっさいはね、王様が暇を出されたのよ。魔法栄養士ではだめだったの。姫様のお食事は、魔法抜きしてあるでしょ。それなのに症状がよくならないんだもの。知らないうちに流れ込んでくるものに関しては、根本的治療が必要だって・・・・・・」
「水を飲んでも太るってやつね」
リスがぽんと手を合わせた。
「あれかくらいふくよかでないと、姫様の愛らしさが引き立たないわ」
はあああ、とキリンがため息をついた。
「どうされました、キリン様」
「いやな予感がするのですよ」
長いまつげをぱちぱちさせて、キリンは答えた。
「魔法管理栄養士。噂を聞いたことがあるでしょ」
リスとキツネはちいさくうなずいた。
魔法は天地に満ちている力を、ある手続きによって引き出すもの。
まれに、生まれながらにして様々な魔法が使える人もいる。
第二王女も、そうした希有な存在だった。
ときに暴発する力を押さえ込むために、身体に様々な症状があらわれる。
魔法管理栄養士は、その力の流れを変えることができる。
ただ大きな代償もともなうようで、よい噂と悪い噂が混在している。
「なんともふてぶてしい顔つきでした」
「寒気がするくらい。髪も目も真っ黒だなんて。不吉だわ」
「木っ端魔法使いに何ができるものですか。しかし、ご挨拶はしないとね」
「キリン様っ、まさか」
キリンは歯をむき出しにして、思わせぶりに笑った。
※
あれ。あいつら、また何かたくらんでるな。
侍女たちがざわついてる。
おれがにらむと、そわそわして散るけど、また別のところで集まってこそこそやっている。
悪事の計画でも練ってんのか。
いたずらに毛が生えたようなものだが、宮殿の品位を落とすということがわかってるのか、いないのか。
いい加減にしてほしい。
ちょっかいだすのはやめろと、何回言ってもだめだ。
おれは今、ホーリーさんの宮殿に向かって東の廊を歩いてるところだ。 魔法管理栄養士到着の知らせは、王様が直々に発表なさった。
これは、暗に「じゃまするなよ」と城の者にくぎをさしたも同じこと。 ホーリーさんの魔法吸着体質は、度を超した肥満となり隠しがたい。第二王女として公式の場に出たのは、十六歳の誕生日の時、国民の前に姿を現したきり。
あとはずっとこの蓮の宮殿で過ごしている。
魔法の力が強すぎて、城を凍らせたり何年もの間、常冬にさらされたり(悲惨な例も聞くと、穏やかではいられないが)、幸いそんな実害が出てるわけじゃない。
近くにいる者がけものになる、という珍事も実害と言えば実害だが、けものになった者たちは案外楽しそうに暮らしている。
ストンも、猫の姿を深刻に気に病んではいない。
王様王妃様をはじめ、蓮の宮の者たちは心底姫様を愛し、そのままがよいと願っている。
(そのままでいいわけないだろう・・・・・・)
廊に飾られた歴代の国王の肖像画を眺める。
足を止めたのは、三代前の女王様の肖像の前だ。
「あれ。姫様じゃね」
こんな画あったか?
太っている、というレベルじゃない。
丸い。ただひたすら丸い。
いすに座っているのか、横になっているのか。
どこが顔なのか?
金髪がちょろりとお団子に結い上げられているらしいのを見ると。
(あれが頭部か)
足はスカートのすそに隠れてしまっている。
藍色の背景に純白のドレス姿(?)
もはや肖像じゃなくて、闇夜の満月だ。
「女王様か」
女王ホーリー・ベルの時代。
この国はもっとも豊かでもっとも平和だったという。
戦と疫病、飢饉にあえいだ国民のため、ホーリー・ベルは誓約として城のそばの湖に身を投げた。
この身をが水中に沈めば、国もまた滅びる。
沈まねば、国はまた豊かに栄えよう。
すると女王の身は浮かび上がり、純白に輝く光に包まれ、三日三晩清らかな歌声が国中に響きわたった。これがかの有名な「ホーリーの福音」である。
ホーリー・ベルは城に蓄えた食料を国民に分け与え、病めるものをその手で癒した。
疫病はおさまり、戦にも勝利したのち、女王として君臨した彼女は長きにわたり続く平和の礎を作ったのだった。
伝説の女王によく似た(体型がね)姫様を、ホーリー・ベルの再来と思って大事にする気持ちも分かる気がする。
(でも、ホーリーさんはホーリーさんだ)
ストンが猫になってから十年。
(十年か。ふざけんな、だな)
同い年のホーリーさんも二十五歳だ。
城の皆の甘やかしぶりは、目に余る。
過保護と言っていい。
宮で守られているだけでホーリーさんは幸福なのか?
おこがましいことだと思うが、ついつい心配してしまう。
ストンもいつまでお守りできるかわからない。
猫の寿命がどれくらいなのか、近頃よく考える。
(おれが死んだら、ホーリーさんはどうすんだ?)
考え始めると、眠れなくなるくらいだ。
ストンが死んだら、泣くんじゃないだろうか。いや、のんびり笑っているだろうか? 泣かないでほしいが、ほわんと流されても寂しい。
胸がなんとなく痛くなる。
廊の突き当たりに、誰かが立っている。
ひげが、ぴんと立った。
魔法管理栄養士、なんとか・ジル。
黒い髪を後ろでひとつに結わえ、黒い目でじろりとこっちをみた。
「やあ、近衛隊長殿か」
見た目とちがって、笑うと子どものようになる。
「助かった。迷ったのだ。王女様の部屋はどこだろう」
「こちらへ」
先へ立って歩く。が、後ろが気になる。
「尾に触れないでいただきたい。剣を抜いてしまうかもしれませんよ」
「これは、お許しを」
失礼なやつだ。
本物かどうか、疑ったのだろう。
にらむと、照れくさそうに頭をかいた。
「この城には、不思議がつまっておりますな。さきほど御前で拝見した者の中に、隊長殿のような人獣をたくさん見ました。どんな魔法をもってしても、人を四六時中けものに擬態させるなどということはできません」
「擬態ではありません。わたしは、猫なのです」
不思議なことだ。自分の身に起こったことだと、まだ半分は信じられない。
「姫様のおそばに長く仕えるものは、けものになります。わたしは姫様より十日早く生まれたおかげで、幸いなことに城で育ちました。十五になった晩、このような姿になりました。それからずっと、こんななりです」
「ほかの者たちは」
「侍従のキリンもリスもキツネも、姫様が赤子の頃よりお仕えする者たちです。ほかにもおりましたが、けものの姿を厭うて国を出ました」
「国外へ行けば、呪いはとけると聞きましたが」
「お客人には、呪いにしか見えないでしょうね」
扉の前で立ち止まる。
呪いというなら、どうしてこの蓮の宮殿はこんなに明るいのか。
のどかで、時すらとまったようで。
大国の思惑も、この小さな宮殿までには届かない。
ホーリーさんを守るための大切な魔法のような気もしている。
「診ないことには、わかりかねます」
男は静かな声でつぶやいた。
魔法管理栄養士だかなんだか知らないが、せいぜい役目を果たすといい。ホーリーさんのちいさな体をふくらませているものの正体を暴いて、この国がどうなるか。それとも、何も変わらないのか?
(あんたに何ができるんだ)
ストンだけじゃない。注視している者は大勢いるのだから。