ただいま②
雄大は社長室の奥にあるユイのプライベート空間に招き入れられた。
強化ガラス製のプレートと木皿の上に乗せられた料理がテーブル狭しと並べられている。どの料理からも甘い香りが発せられ雄大の鼻孔をくすぐる。ユイが自分をもてなすために作ってくれた、という贔屓目を差し引いても十二分に食欲が刺激されることだろう。
チーズ&オニオンパイ、アップルパイ、玉ねぎ丸ごとグラタン、ビーフシチュー&マッシュポテト木星風、かぼちゃのひとくちコロッケ、根菜しゃきしゃきサラダのマスタードソース和え、チーズ入りピタパン──三人前から四人前はありそうなボリュームである。
「う~わぁ! すごいですね! これ全部ユイさんが?」
「はい、ちょっと作り過ぎてしまいました」
「美味しそう! ユイさんてお料理上手なんですね」
雄大は椅子から立ち上がって色々な角度から料理を眺める。
「撮影していい?」
「は、はぁ、写真ですか? どうぞ」
雄大はすごい、を連発しながらPPのカメラで色んな角度から料理を撮影する。
「あの、撮影するほど良い見栄えではないのでその辺で許してくださいませんか」
「そんな事無いですよ、どの料理もすごく可愛い」
「ありがとうございます、でもお料理はお味が大事、どうぞ暖かい内にお召し上がりください」
「ではお言葉に甘えて早速、ユイさんも座って」
「はい、いただきましょう」
「いただきます──」
雄大は月や火星でポピュラーな作法である指を伸ばして手のひらを合わせる仏教式の合掌スタイル、ユイは木星や地球圏でポピュラーな右手を上にして指を交互に組んで手のひらを合わせるキリスト教式の合掌を行って食膳に礼を示した。
ユイはちらっと雄大の合掌を見てからもう一度指を伸ばして合掌する。
「お月様でのいただきます、はこうするのですね? 覚えました」
「あ、まあそうですね。そこは割と自由ですけどウチは無駄に古臭くてぴったり両手を合わせます」
幼馴染みのラドクリフが宮城家にホームステイでやってきた時、母の純子が食事の作法について厳しくしつけていたのを雄大は思い出した。
「折り目正しい月のお武家様らしくて良いですね。魚住も月の出身なんですけどお祈りは木星と同じでしたよ」
「へえ~そうなんだ」
「雄大さんのお宅にお伺いした時はこれで挨拶しますね?」
「えっ、ウチ?」
「地球でお父様と由利恵さんにお会いした時に言われました。年始に顔を合わせるのが宮城家の恒例行事だと──私、今からお母様に会うのが楽しみです」
「えっ、まいったなぁ。親父──いや裕太郎が正月に実家来いって? それ、俺も含まれてたりします?」
「ええ、由利恵さんからも『縛り上げてでもお兄ちゃんを連れてきて!』と頼まれておりますので」
「ゆ、由利恵め~……」
雄大は父、裕太郎と絶賛冷戦中である。クーデターの一件以来、関係は好転するかと思いきや、裕太郎の方が妙に意固地になって雄大を避けてくる。家宛てのメッセージや手紙は無視、または受け取り拒否をされる始末だ。
(──い、行きたくねえ~……)
「ふふ、年貢の納め時、という事ですね。ちゃんとお父様と仲直りしてくださいな」
「いやアレ、あの糞親父の方が折れない限り絶対無理だから」
「親子なんですねえ、そういう眉間に皺を寄せてるところなんけそっくり。よく似ていらっしゃいます──さぁさぁ、ご機嫌を直して食べましょう。先ずはこれからどうぞ」
ユイはくすくすと笑いながら雄大にビーフシチューを注ぎ分ける。
「美味しそう」
雄大は木のスプーンでシチューをすくうと口に含んだ。割と味付けは単純、甘味が強めで口当たりが優しい。次に肉の塊をまるごと口に入れた。
「えっ、これ──肉?」
(ビーフシチューに入ってるこの肉っぽい塊──なにこれ、カマボコ? ハンペン?)
首を傾げながら肉のようなものをスプーンで割る。
「え? 魚のすり身?」
「それはピルルタです、雄大さんは初めてですか?」
「ピルルタ?」
「ピルルタのすり身と卵白を練ったものに豆ペーストを混ぜた衣 をつけて揚げてあります、木星の伝統的な郷土料理ですよ」
(いや、だからピルルタって何……)
味は淡白、若干癖のある白身魚と言ったところ。
「衣がシチューをたっぷり吸っててすっごく美味しかったでしょ?」
ユイも一息にピルルタを口に含んだ、頬をふくらませて幸せそうに咀嚼する。
「ん~、おいひぃ~! この間作ったときより美味しく出来ました!」
「あはは、ユイさんの好物なんだ」
「実はぜんぶ私の好きな物ばかりですよ、えへへ」
ピルルタが何なのかはサッパリわからなかったがユイが子供のように喜んでいる姿を見ると細かいことはどうでもよくなってくる。
(まあ木星王家ではこれがビーフシチューなんだろう)
「このコロッケも可愛いよね──食べちゃお」
雄大はフォークでコロッケを突き刺そうとした。
「あああ!? ダメっ」
ユイが素っ頓狂な声を上げてそれを制する。
「え? 食べちゃダメ?」
「ゆ、雄大さんダメです」
「いやこれ、コロッケ……」
「そ、それはそういう食べ方をするものではありません。コロッケは、こうやって食べます」
ユイはコロッケを木製のスプーンでゴスゴスと押し潰すとぐちゃぐちゃにしてしまう。
「はぁ?」
「はい? あの、何か……」
「潰すの?」
「はい」
「潰すならそのまま食べましょうよ。このコロッケすっごく可愛いのに?」
「ま、混ぜ合わせるために作ったんです。当然、潰します」
「え~混ぜる? でも──そのまま食べたって」
ユイが手を止めて悲しそうに下を向いたので雄大は慌てて言いかけた言葉を呑み込んだ。
「あ、気にしないで! 続けて続けて」
「はい」
ユイはピタパンを開くと、潰したかぼちゃのコロッケを生地の内側に擦り込むように盛り始めた。そして根菜のサラダをせっせと詰め込む。
「はいどうぞ、サラダパンですよ」
「へえ? こうやって食べるんだ」
粗いペースト状になったかぼちゃの甘味、香ばしいサクサクの衣がサラダのマスタードソースを吸って複雑な味になる。堅めに茹でられ細切りにされた根菜を噛み切って咀嚼していくと最初は強過ぎると感じたソースの味がちょうどよくピタパンと馴染む。
「ん~!? これ! これイイ! この食べ方すごく美味しい。袋状になってるからハンバーガーとかサンドイッチより食べ易いし食感もいい」
「良かった~! お口に合う物で良かったです」
「前に木星に行った時は出店とかにこういうの無かったですよね? 観光案内にも無かったし」
「ええ、それは──まあ、いいじゃないですか」
ユイの顔が少しだけ曇る。
「こんな美味しいのに木星で流行ってないなんて勿体ないなぁ、ていうか変だな? ユイさん何か知ってるなら教えてよ」
ユイは視線を下げてビーフシチューをつつく。
「その──なにぶん、私の覚えている木星はそれこそ50年も前のもの──地球の直轄惑星になって銀河公社の資本が随分入り込んで木星の事業者はエウロパやガニメデに移転を余儀無くされたと聞き及びます──もしかすると、いまの木星の人達は田舎臭いピルルタやサラダパンなんて、知らないかも知れませんね……」
「あ……ご、ごめん」
シーン、と静まり返る食卓。メッセージの受信を知らせる小さな電子音がユイの端末から聞こえてくる。
「すみません、なんか湿っぽくしちゃって。せっかく雄大さんをおもてなししてるのに余計な事を。もっと普通のお料理にしていれば」
「いや、この話題引っ張っちゃったの俺だし、ごめん」
クーデターを未然に防止したことを契機にして、ユイは世間的には生きてもいない、死んでもいない亡霊のような存在からうってかわって惑星連邦のアイドル的存在になり、思想犯罪者の立場から一転社交界の華へと返り咲いた。
木星王家の名誉は連邦内で復活を果たしたが実態としては何も変わってはいない。木星の民が王家の支配下から離れて50年。地球の息がかかった総督の統治する木星はユイの記憶の中にある木星とは別物となっていた。
武装した看守ロボットの監視下から解放され、自由になったはずの皇女。人権と家の名誉を取り戻すことが出来たユイの闘いは
終わったように見えたが彼女の闘いはむしろこれからが本番なのだろう。
(失われた50年──平和的な木星王家の再建かぁ)
最初に会った時、ユイは言った。
『木星を、買うのです──』
それはリオル大将とレムスの城、巨大戦艦キングアーサーを攻略する事よりも遥かに困難に思われた。
「ユイさんっ!」
「え? は、はいっ?」
雄大は席を立って向かいに座るユイの傍らに寄り添い、その手を握った。
「雄大さん?」
「俺も、頑張るから──夫婦になったら一緒に、木星の土地を少しずつ買って──ユイさんの記憶の中にある木星に少しでも近付けましょう! 木星買っちゃいましょう!」
「あ、ありがとうございます……」
ユイの肌がみるみるうちに紅潮し唇が歪んでいく、瞳にうっすらと涙が滲む。
「泣かないで」
「その、すごく嬉しくて。おぼえていてくれて──」
「ユイさんのことなら全部憶えてるよ」
雄大は親指でユイの涙を拭うと、優しく唇をふさいだ。触れるか触れないほどの軽い口づけ。
「雄大さんダメ──過剰なスキンシップは禁止です」
「ずっとこうしたかった、長かったよ──お帰り、僕のユイさん」
雄大はユイを椅子から立たせると引き寄せて口づけした。
「た、ただいま──戻りました」
「ユイさんの唇、シチュー味だね、とっても美味しいよ」
「もう──雄大さんのばか……」
雄大とユイは料理が冷めるのも構わず、長く甘い口づけを交わした。
◇
「じゃーん! ただいま戻りましたァ! 皆のアイドル、リンジーちゃんが帰って来ましたよ~!」
〈Bad Girl live in London〉というロゴマークの描かれた紺のタンクトップとパンクファッション風のリベット付きレザージャケットとデニムのホットパンツに何故かシルクハット、何故かステッキ代わりのこうもり傘を携えた大柄な女性がぎゃらくしぃ号乗組員が集う夕食時の食堂エリアに騒々しく現れた。
どう見てもロンドン観光を終えたおのぼりさん的なファッションである。
「あー! ブリジットさだぁ! かっこいー!」
「おーい、林檎! 帰って来たよ~!」
林檎を筆頭に6人ほど、ブリジットと仲のよい女性、そして8人ほどの男性店舗クルーがブリジットに駆け寄ってくる。
予想していなかった男性クルーの歓迎に驚くブリジット。
「な、なんだよ~ボーイズ、そんなにあたしが恋しかったの? もー、普段はそんな素振り見せないくせにぃ」
ブリジットは照れまくってポーズを取るが、男性クルーに限って全員がブリジットを通り過ぎて後ろにいる牛島調理長の元に駆け寄っていった。
「何それ!? 酷くない!?」
「ハハハ、これが人徳ですよ」
男性クルー達は牛島をせかして厨房に案内する。調理長を欠いたぎゃらくしぃ号の食事は多様性を欠き味気ないものになっていた。食べ盛りの若い男性クルー達にとってはユイの長期不在よりもこの牛島不在による食事のクオリティー低下の方がツラかったに違いない。美味しい物が食べたければ店舗で売っている高い商品を買うしかないが毎食それでは経済的にもメニュー的にも行き詰まってくる。
「くそ~、色気より食い気優先とは……ウチの男どもは女の子見る目無いよね~! リンジーちゃんこんなに可愛いのに」
「食い気優先はお前だ、起きろ」
赤ペンを耳に挟んだ六郎が伝票の束でブリジットの頭を叩く。寝言は寝て言え、と言わんばかりの呆れ顔。
「ねっ、ねっ、どう六郎、これいいでしょ? セクシー? 可愛い?」
「んー、お前にしちゃ頑張った方だがなぁ、でも傘とシルクハットのせいで手品師のアシスタントみたいだわな……60点」
「え? ブティックの店員さん、めちゃめちゃ褒めてくれてたのに60点なの?」
「お前のファッションチェック史上初の60点台、過去最高得点だ喜べよ」
「え~?」
「そうだべな! ブリジットさ超~かっけえだよ! セクシイ!」
「林檎だけだよそう言ってくれるの! それに比べてあんた達は~!」
苦笑いする他のクルーにヘッドロックをかけるブリジット。
「待って待って!」
数人掛かりでブリジットの脇をくすぐったりしてじゃれあっている。六郎は咳払いをしてからブリジットに注意を与えた。
「おいブリジット。おまえまさかその手品師スタイルでマーガレット閣下のとこに行くつもりじゃないだろうな?」
「え? 行くよ? マーガレット様にもファッションチェックしてもらうんだ、あの人は専門家だし、きっと75点以上貰えるよ!」
「普通の格好で行くのをオススメしておく」
ブリジットは首を傾げる。
「閣下になんかあった? 機嫌悪い?」
「まあその、色々あってな、ちょっといつもよりカリカリ来てるかなぁ」
「いつもカリカリしてるよ、それっていつも通りの閣下じゃん」
「お前なぁ、自分の主人に向かってそれは無いだろ……まぁ、間違ってはないんだけど──宮城の奴が来てから随分丸くなったんだがな」
「そうかも。ねえ、あんた達から見てマーガレット様なんか変わってた?」
ブリジットが女性クルーに訊ねると女性クルーの一人が言いにくそうに口を開いた。
「そう言われてもマーガレット様って、私達と接点無いし──その、怖いし、厳し過ぎるよね……」
それを皮切りに女性クルー達の歯に衣を着せぬマーガレット評が次々と飛び出してくる。
「そうそう、超美人だしセンスいいけどツンケンし過ぎで可愛げは無いかな。なんかユイ様よりよっぽど『姫』って感じ、もちろん悪い意味で」
わかる~! と女性一同から同意の嬌声が上がる。ブリジットもウンウンと大きく頷いていた。
六郎は耳を塞いで『俺は聞いてないぞ』と必死にアピールしていた。
「でも私、伯爵様の可愛いとこ見ちゃったんだよね」
「え? どんなどんな?」
「閣下ってあの宮城君、皇配殿下と噂になってたじゃん? な~んかまだ未練たっぷりみたいでさ」
「え? なにそれ?」
「ユイ様居ない隙に仲良くしたかったんじゃないかな、物陰からこっそり彼の事眺めててさ話し掛けるタイミング見計らってるのよ、でも結局声掛けられなくて切なそうな顔で『はぁ~』って溜め息吐いてるの! もう、弱々しくて超可愛いの。鼻を上に高く上げて澄まし顔で歩いてさ、私達が無駄口叩いてたらギロッ、て睨んでくる普段の伯爵と大違いでさ、私『あ~、この子も一応年頃の女の子なんだなぁ』って。それにこんな美人でも失恋するんだと思うとちょっといい気味、とか思ったり」
「えーっ、ホントに~?」
「なにそれ、まるで別人じゃない!」
「初恋の人が忘れられないってことね、いいじゃんいいじゃん三角関係」
「ちょ、ちょっとそれ詳しく!」
六郎はびっくりして待て待て、と大声を出してその場の妙な盛り上がりを抑え込んだ。
「お前らもこの船に勤務して長いんだ、あの人の地獄耳と激しい気性を知らないわけでも無いだろ。そういう噂話を大声でやってるとな、この船に居られなくさせられるぞ? 閣下に嫌われたら最期、魚住さんも助けてくれないんだからな。もちろん俺も庇えない」
林檎以外の全員に緊張が走り、それまでの騒ぎが嘘のように張り詰めた静寂が訪れる。
「おら知らなかった……雄大さ、モテるんだなぁ。でも超かっけえし、伯爵さぁも惚れちまうのも仕方ねえなぁ」
「うーん、超格好いい、というのは言い過ぎかもね」
「宮城って、目つき悪いじゃん? 悪人面?」
「ムッツリしてそう、ていうか細かい事でブチブチ文句言ってきてウザそう。サワヤカじゃないよね」
「あ、わかるそれ! ネチネチしてそう!」
「そだっけかなぁ? おらは雄大さ、かなりサバサバしてかっけえと思うだども?」
林檎は首を捻りながらボリボリと頭を掻いた。
「お前も気をつけろ鏑木、お前は妙に宮城に懐いてるけどこれからはあんまり必要以上に宮城にベタベタして閣下を刺激しないように」
「おら別に特別ベタベタしてないよ? ふつうかな」
「ま、まあお前は誰にでもベタベタするけど……」
「だっけ、そういうのをふつう、って言うんだべ?」
「お、おうそっか、そうだよな」
林檎はいつになく真摯な態度で六郎を見上げる。
「伯爵さぁは仲良しの皇女さぁと雄大さがコンヤクしちゃって、ふたりに遠慮して甘えられなくなってすっごく寂しいんだべ? だったらおら達が伯爵さぁともっともっと仲良くしたらええんじゃないかなぁ。こんな風に噂話したり、怖がって遠巻きに眺めて笑い者にしたりするんじゃなくて、こっちがらもっときさくに話し掛けてあげだらええと思うんだども。そっだら、伯爵さぁのご機嫌伺っていちいちビクビクしなぐてもよぐなっべ?」
林檎は珍しく真面目な表情で一同を見回した。
「鏑木おまえ……」
「おお……あんたってほんとイイ子ね」
「天使……」
女性クルー達が次々に林檎の頭を撫でてくる。
「?」
林檎はキョトンとして撫でられるがままになっていた。




