ただいま
公社の客船からやってきていた団体客のシャトルがぎゃらくしぃ号を離れていく。賑やかだった店舗エリアもようやく静けさを取り戻した。軽やかな店内放送と共に店員達の軽口が聞こえてくる、彼女達はこれで本日は上がり、なのだ。
またもやレジ要員として駆り出されていた雄大は肩を回して大きなため息を一つ吐き出した。
「ハア……疲れた」
隣のレジの女性店員がお疲れ様でーす、お先上がりまーす、と事務的な口調で声掛けしてくる。
「はいお疲れした……」
無表情の彼女達を営業スマイルで見送る雄大。バックヤードに引っ込んでいく店員達の後ろ姿を眺めつつ内心舌打ちしていた。急遽、彼女達が先に上がって雄大が一人でレジに入るシフトが組まれていた──何とも理不尽な仕打ちだ。
「なんなんだよ店舗スタッフ緊急ミーティングってのは? 意味わかんないだろ! ユイさんは居ないし、マーガレットとはギクシャクしてるし、林檎と陣馬が俺の部屋でくつろいでてなかなかひとりになれないし……それに」
最近、雄大は何者かの悪意に晒されている。
一つ一つはせせこましい細かい嫌がらせではあるが蓄積すると心理的ダメージはそれなりに大きい。最近、どこかからアドレスが漏れたらしく雄大宛てに「死ね」「負け犬」「女の敵」「月に帰れ」「船を降りろ」という文字で埋め尽くされたメッセージが頻繁に届くようになっていた。添付されたグロテスクな動画が強制的に再生されたりもするので迂闊に人前で開封出来ない。
迷惑メッセージとしてブロックしようにも送り主のアドレスはなんとユイ皇女のものである。無視するわけにはいかず開くと罵詈雑言が飛んでくるという具合だ。
(どうやってるか知らないけどこの嫌がらせ犯、ユイさんのPPを乗っ取ってるみたいなんだよなぁ)
雄大の学生時代は嫌がらせとの戦いだった。
空気を読まず正論を吐いてしまう性格、家柄の良さと美人の母親は反抗期のギャングエイジ真っ只中である子供同士のコミュニティーにおいてマイナスに作用した。根が真面目な雄大は悪目立ちして周囲から浮いて孤立、他愛のない嫌がらせを受けることもしばしばあった。
そんな嫌がらせに耐性がある雄大でも今回の執拗な攻撃には精神的に大きなダメージを受けていた。
(出逢ったばかりのマーガレットからぶつけられてたハッキリとした敵意とは逆の粘着質な敵意の表現方法だなこれ。まあなんだ、確かに俺もパルフェのメンバーのお泊まり報道とかで、相手の男に殺意湧いたことはあったから、嫌がらせしてくる連中の気持ちは理解できるけど)
「ハア、そういやパルフェの番組も録り貯めるだけで消化出来てないんだよ、最近妙に忙しくてロクに金星アイドルの情報入れてないし──ファンクラブ会員として情けない……だいたい軍を止めたんだから行こうと思えばヴィーナスライブツアーとかフェスに行けるはずなんだよ──」
雄大はレジスターに突っ伏してハァ~、と特大の溜め息をついた。いつの間にか決まっていた謎の勤務シフト変更によってブリッジクルーであるはずの雄大がレジ業務に駆り出されていた。マネージャーをやっている甲賀六郎に聞いてもニヤニヤ笑うだけで取り合ってくれなかった。
「六郎さん、もっと真剣に犯人探しやってくんないかな? 絶対店舗スタッフの中に嫌がらせ犯人がいるんだから──まさかさっきの女の子達の中に犯人が──いや、もしかすると店舗スタッフの全員から嫌われてるとか?」
ユイ皇女との婚約をスタッフ全員に告知した事が、今回の一連の事件の発端になっているのは時期的に考えて間違いが無い。
(俺とユイさんが結婚するの、あんまり祝福されてないって事だよな)
マーガレットと交際している、という噂が立っていた時もあったが当時は嫌がらせを受けなかった。生暖かい感じで見守られていて、むしろ、どうにかくっつけてしまおうという意志すら働いていたように思える。
(マーガレットと恋人同士になる、という選択肢もあったはずなんだが、そうしていればクルー達からも歓迎されていたんだろうか? うん、マーガレットはいじらしくて可愛いし、不満は無いよな……積極的だし)
「店員さん、く~ださ~いなっ」
客が来たらしい。誰もいないと思ってレジに倒れ込むようにうなだれてブツブツ文句を言っていた雄大は慌てて姿勢を直して客に向き直った。
「は、はい失礼しました──あ、あれっ!?」
「店員さん、これく~ださいっ、うふふっ」
買い物カゴを持った女性は雄大の顔を下から覗きこんでくる。そこにいたのは──
「ゆ、ユイさん! いつ帰って来たんです?」
「さっきの団体のお客様達とご一緒させてもらいました」
唄うような声、艶やかな黒髪、奥深くまで吸い込まれそうな瞳、紛れもなく雄大が待ち焦がれていた愛しの女性、ユイ・ファルシナ皇女殿下その人である。
「本物ですか!?」
「え? きゃ? 雄大さんちょっと!?」
雄大はサッカ台越しに立つ皇女の手を掴むと上半身を引き寄せた。
「このまったく化粧臭さを感じないカスタードクリームのような甘い天然地肌の薫りそして微かなタマネギの残り香が混ざり合う独特の複合臭、きめ細かい肌の感触の中に時折感じるささくれ感! やったあああ! 夢じゃないぞ、本物だぁあああ!!」
ユイの右手を取って手袋を外して撫で回し手の甲に頬摺りを始める雄大。
「えっ、ちょっと──」
「あ、あいたかったよ~、ユイさんの可愛いおてて!」
「私の右手に?」
「ユイさんの手、基本きめ細かいんだけど部分的にちょっと荒れてたりしてさ、働き者の手って感じで好きなんだなぁ俺……お母さんの手って感じ」
「あ、あのう……喜んでくれるのは嬉しいのですが──ちょっとやり過ぎです、恥ずかしいのでこの辺で……その、お会計をしていただきたいのですけど」
指フェチの変質者めいた雄大の異常行動が理解できず面食らったユイ皇女は思わず周囲に人影がないかをちらちら確認した。
「そ、そうだねユイ、続きはユイの部屋に帰ってやろうね! なんちゃって」
「続き? な、何をやるんですか?」
「相思相愛の婚約者同士、久々に会ったんだからやる事は一つでしょ。ユイさんもわかってるクセにとぼけちゃって!」
「わ、わかりません──雄大さんちょっと変ですよ?」
ユイの顔がじんわりと朱に染まっていく。
「もー、顔赤くしちゃって、可愛いなぁ」
雄大の手が右の手の甲から肘、肘から二の腕をねちっこくマッサージし始める。この過剰スキンシップの恥辱に耐えられなくなったユイは左手で雄大の耳をつねりあげる。
「あいたたた!?」
「ここはお店で、私は今はお客さん! ここの店員さんってレジそっちのけで女の子にタッチするのが仕事なんですか? いい加減にしないと社長として怒りますよ?」
「あっ、は、はい……すいません、つい嬉しくて」
「も、もう──変な雄大さん……他のお客様に見られたら頭がおかしい破廉恥な人達だと思われます」
「は、はーい……」
叱られてシュンとした雄大は大人しく商品をスキャナーに通してレジに読ませ始めた。バーコードが補助的に付属しているがスキャナーは商品の包装紙や形状を精確に読み取ってレジに商品情報を出力する。
「へー、ユイさんも普通に買い物するんですねえ……」
「そうなんです、私こうやって自由にお買いもの出来るようになったんですよ」
ユイはニコッと微笑む、
「ユイさん、すごく嬉しそう」
「そ、そうですか、えへへ……顔に出てますか?」
「な~んだ、やっぱり俺に会えて嬉しいんでしょ?」
「ち、違います、そうじゃなくて──こうやって自分の意思で自由に、お店の商品を直接選ぶなんて──少し前の私なら、どんなに願ってもかなわない夢でしたから」
ユイは手首と手首を張り合わせて苦笑いして見せる。
「ああ、手錠か──」
思想犯罪者として軟禁されていたユイにはこうやって買い物をする自由どころか常に監視され最低限のプライバシーも無かった。
「雄大さんのおかげです、ありがとうございます」
「いやそんな、俺は別にその場に居合わせてちょっと手伝いをしただけで──何もしてません。でも本当に良かったですね、夢がかなって」
「はい、私は幸せ者ですね──良い殿方に巡り会えました」
「ユイさん──」
「雄大さん──」
ふたりでしばらく無言で見つめ合うが、遠くで何か椅子をひっくり返したような物音がしたので雄大は急に我にかえって会計作業を再開した。
「なんだか照れますねぇ、お客さんは他にいないのかな?」
「も、もう……雄大さんが早くレジを済ませてくれないから」
「すいません──このカットされてない野菜、もしかしてユイさんが一から自分でお料理するんですか?」
「はい、もちろんですよ──その、出来たらお呼びしますね」
「え、ええ~っ! 手料理、手料理ですか! やった!」
「雄大さんにお土産を色々考えたのですけど良いものが思い浮かばなくて。どうせ選べないならせめて自分の手を動かしておもてなしをしようかと──特別美味しくはないかも知れませんが、それなりに食べられると思います」
照れるユイを見て雄大は急に胸の奥が熱くなり激しい感情の渦が押し寄せてきた。それは一気に涙腺にまでやってきてあっという間に雄大の瞳を涙で濡らした。
「うっ……ううっ」
「え、どうかされましたか?」
大粒の涙がこぼれる。
「まさか、この俺が──こんな素敵な人に、ホロでもない、二次元でもない、ロボットでもない生身の三次元の女性に、しかも若くてピチピチのお姫様に! ごはん作ってもらえる日が来ようとは──士官学校やめて良かった、もとい、生きてて良かった──!」
ゴシゴシと涙を拭う雄大の姿にユイは困惑気味だった。
「や、やっぱり今日の雄大さん、なにかおかしいです。大げさ過ぎます。ちょっとディナーをご一緒するだけですから」
「買い物がユイさんの夢なら、俺の夢は女の子の部屋にお呼ばれして手料理を振る舞ってもらうことなんです! エロ漫画みたいに!」
「そ、そうでしたか──って、えろ、まんが?」
「そう、食後にデザートとして彼女のマシュマロパイを美味しくいただくのがまあ定番なんですけど。ついに俺にもこういうオイシイ話がめぐってきたかと思うと嬉しくて泣けてきて……」
「ま、またそれですか──い、いやらしいことが目的なら部屋には呼べません! 真面目なご相談もしたかったのに」
「ええ~……? せ、せっかく久々に会えたんだし、思いっきりいちゃいちゃしましょうよ! 俺達婚約してるんですよ、婚約! 婚約イコール結婚、結婚イコール夫婦生活!」
「こ、婚約したといっても別に即夫婦生活が始まるわけではありません! ゆ、雄大さんのそういうエッチなことを最優先に考えるところ、あまり好きになれません……それに、私の身体が目当てで手料理なんてどうでもいいおまけみたいですし。やっぱりやめます」
ユイは眉をひそめ目を閉じ、口を真一文字に結んで横を向いた。
「そ、そんな殺生な──手料理、ユイさんの手料理がぁああ」
大袈裟に頭を抱えて苦悩し始める雄大の姿を薄目を開けてうかがっていたユイはクスリと笑うと両手を腰に当てて殊更偉ぶって見せた。
「では、ぎゃらくしぃグループの社長として、ぎゃらくしぃ号の船長として宮城雄大さんに命令します、さっきみたいな過剰なおさわりは禁止です! それが守れるなら一緒にお食事しましょう」
「は、はい了解、かしこまりました。おさわりは、禁止の方向で──善処します」
思わず軍隊式の敬礼をする雄大。
「よろしくお願いしますね?」
ユイはえっへん、と胸をそらした後でホッと一安心したように笑った。
珍妙なやり取りの末に会計を済ませたユイは買い物袋を下げ、雄大に手を振りながら去っていった。バックヤード近くに差し掛かると 様子をうかがっていたのだろうか十数人のクルー達がユイの前に現れて口々に「お帰りなさいませユイ様」を連呼してユイの手荷物を代わりに運び始める。ユイも嬉しそうに一人一人に「只今戻りました」と丁寧に返礼していた。
雄大はその様子を遠目に眺めながらとんだ失態をやらかしたことに気がついた。
「しまった! 俺、あんまり嬉しくて大事なことをいい忘れてた──お帰りなさい、って言わなきゃ」
それが、長らく家を空けていたユイが雄大に望んでた言葉だったのかも知れない。
〈お帰りなさい〉〈ただいま〉
そういう家族との何気ない会話を戦争で奪われてしまった彼女なのだから──




