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銀河コンビニぎゃらくしぃ  作者: てらだ
81/121

狙われた雄大②

「ユイさん達が帰ってくるまであと2日もあるのか……」

 できたばかりとはいえども、恋人の不在というのは案外と精神的に堪える物らしい、雄大は深く溜め息をつく。

 店内放送の声、娯楽室の看板などにユイの声や姿を確認することができるがしょせん記録媒体、生の魅力にはかなうべくもない。

 これまでは、会おうと思えばすぐにでも会う事が可能な距離にいた彼女も、今では遠い遠い別の天体の上。

「心も寂しいが食事もやや寂しいな……」

 雄大は腹ごしらえをするべく店舗で買ってきたサンドイッチとインスタントラーメンを持って誰もいない食堂にやってきた。

 どんぶりにブロック状の麺と固形スープを入れ、ライトを当てるとブロックは俄かに熱を持ちぶくぶくと泡を立てながら溶け始める。ちょうどポップコーンが弾けるようにそれらは裏返りながらポンポンと弾けていく。大きめのサイコロ2つ分の固体は周囲の空気と反応しながら膨張していく。箸で固まってる麺をほぐしていくと、どんぶり一杯のトンコツラーメンが完成する。問題は見た目がぐちゃぐちゃで美的センスの欠片もなく栄養も偏り過ぎで健康によくないところだが調理中の音や鼻腔をくすぐる香り、そしてたちのぼる湯気はインスタント食品である事を忘れさせてくれる。動歩兵の戦闘糧食や無人補給ステーションの中に放り込まれている保存食では楽しめない感覚だ。

『酸素量が少ない場所での反応調理は稀に酸欠による健康被害を引き起こす可能性があります、ご遠慮ください』

『反応中食材は非常に高温です。火傷には十分ご注意ください』

 注意事項の書かれたブロックの包装紙を丸めてくずかごに放り込む。

「あ、飲み物──」

 雄大は箸を置くと席を離れた。

(……しかしなぁ、酸欠で倒れたやつとか手を突っ込んで火傷したやつとかいるのかね?)

 そんなことを考えながら食堂に備え付けてあるウォーターサーバーからグラスに氷水を注ぐ。

 雄大が戻ってくるとアツアツだったラーメンも少し冷めてちょうど食べ頃になっている。

「いただきまーす」

 誰に言うでもなく習慣でそう呟く。

(ああ、一昨日の晩にマーガレットの部屋で食べた食事とは雲泥の差があるな──しかも人気の少ない食堂でひとりわびしくインスタントラーメンか。ユイさんだけでなく牛島さんもいないのはどうなのか……)

 このラーメンキューブは雄大が子供の頃に火星圏で爆発的にヒットした商品で、当然月のルナシティでも流通していた。しかし宮城家では母親の純子がこういうジャンクフードを子供に食べさせないよう目を光らせていたので、当時の宮城家の子供達にとっては憧れの食べ物だった。

(留守番してる時、ラドクリフと一緒に隠れて食べたっけ。どんぶり使ったせいで即バレして大変だったな)

 ラーメンにこだわらずブリッジにサンドイッチだけ持ち込めばラフタと他愛もない話をしながら食事が出来たのではないだろうか、雄大は後悔しつつ箸で麺を手繰り寄せる。

「でも食べたかったんだから仕方がない……ん?」

 激しい違和感。麺と一緒に口腔内に滑り込んだ物質、その摂取を身体が拒否した。

「ゴホッ! ゲボ──ゴホ、オエッ!」

 激しく咳き込んだ後、急いで氷水を流し込む。

(なにこれ異物混入? 有り得ないだろ!)

 麺を持ち上げてぐるぐるとどんぶりの中をかき混ぜるとスープの色が黒く変わるほどの粉末が姿を表す。ふぅっと強めに息を吹きかけるとあたりにもうもうと煙のように粉末が舞う。

(な、なにぃ──こんな事が、さっきの反応調理中にこんな粉末は見かけなかったぞ)

 インスタントラーメンに有り得ない量の何か調味料──おそらくは胡椒(コショウ)が混入している。

(まさか)

 慌てて食堂のテーブル上に備え付けのコショウ入れの蓋を開けて中身を確認する。粉末胡椒の容器がふたつ、空っぽになっている、つまり──

「やられた……でも誰がこんな」

 食堂には雄大のほかには誰もいない。

 雄大は箸を握りしめ、もはや食べられなくなってしまったラーメンを見下ろすことしかできなかった。



 交替時間の少し前にブリッジに入る。ラフタは操舵士席に深く腰掛け、猫のサブローを撫でていた。

 雄大の入室に気がつくと首を入り口に向けて軽く会釈する。

「じゃラフタ、引き継ぎしようか」

「そうだね」

 ラフタが猫を抱えて席を立つと雄大がその代わりに操舵士席にするりと滑り込む。

 現在、ぎゃらくしぃ号は航路内の分岐点に当たる宙域で一時停泊しつつ利用客を待ち構えている状態だ。

「何かあったか?」

「特に何もなかったよ。利用申請があったのは一般の船舶が五隻、銀河パトロール巡視艇の定期巡回を挟んで公社の客船が二隻」

「予定ど、ご、ごほ、ゲッホン? 悪い悪いンッ、ケフン」

「あれ雄大、具合でも悪いのかい」

「いやちょっと、喉がね」

「小田島先生に来てもらう?」

 ラフタが気遣うと、腕の中のサブローも気の抜けたコーラのような鳴き声を出して雄大の肩を軽く叩く。雄大はこの縞柄のオス猫からも気遣いを受けたような気がした。

「ラフタもサブローもありがとな、大丈夫、大丈夫──コホン、風邪じゃなくて調味料の過剰摂取……」

「ふーん……大丈夫ならいいけど、具合悪いなら、無理しないで」

 ラフタは首を捻りながら雄大の肩を叩く。

「僕は部屋にいるからまた呼んでね」

「ああ、お疲れさん。じゃまたな、ラフタ」

 ラフタは猫を抱えてそのままブリッジを退出した。

 それを見送ると雄大は各種の引き継ぎチェック事項もそこそこに食堂近辺の防犯カメラ映像を再生し始めた。

「あんな短い間に? 近くに誰もいなかったと思うんだけど」

 いたずらされた事は腹立たしいが、腹立たしいというよりも雄大は薄気味悪さ、そして恐怖を感じていた。

(俺が豚骨ラーメンから目を離したのはそれこそ数十秒だ。1分とかかっていないと思う)

 映像には雄大が席を離れた隙に黒い影がラーメンに覆い被さり一瞬で去っていく様子が残っていた。

「いたずらにしては手際よすぎだろ」

 自分に狙いをさだめてこういういたずらをしてきた人間は過去にも結構いて犯人の見当はついていたのだが、今回は誰の仕業かまったく思い浮かばない。

「誰なんだろう?」

 食堂や娯楽室は普段開放されているので部外者が利用することもあるが、今日は食堂に近付いた部外者はいない。間違いなくこのぎゃらくしぃ号のクルーが犯人だ。

「俺、知らず知らずのうちに恨まれてるのかなぁ」

 雄大は幼年学校や士官学校で受けた、教官の理不尽なしごきやクラスメイトたちからの数々の嫌がらせを思い出す。

「メシに胡椒ぶちまけられた、なんて可愛いもんだけど……やっぱり気分いいもんじゃ無い」



「ユイさんとの婚約が原因、かな。やっぱり……」

 雄大はコントロールパネルに頬杖を突いてぼんやりと防犯カメラの映像を眺めていた。不意にコツコツ、と足音がする。

 ブリッジにやってきたのはマーガレットだった。あまり派手派手しさはなく、おとなしめの紺のブラウスにゆったりとした濃緑色のミニスカート、白いタイツ。髪の毛は後ろでまとめてちょうどポニーテールのような感じにまとめている。

「わっ」

 振り返った雄大は派手に驚いて立ち上がる。

「皇配殿下」

 マーガレットの頬は上気して少し赤みを帯びているようだった。例の一件以来、彼女と話すのはこれが初めてだ。

「え、殿下って俺?」

「はい殿下、そろそろ交替の時間、だと思うのですが……」

「あ、そ、そうか」

 雄大は操舵士席を空けてマーガレットに座るように促すが、彼女はスイスイとその横を抜けて火器管制士の席に腰掛ける。その間ずっとうつむき加減で手で頬を覆い、雄大から顔を隠すようにしている。

「あの時のあれだけどその」

「ひ……引き継ぎ」

 マーガレットは雄大の言葉を遮った。

「ブリッジ勤務の引き継ぎをしたいと思います、何かありましたでしょうか」

「そうだな、ええと」

 雄大は特に予定に変更のないこと、ニュースやクチコミ情報などあさった成果を報告した。その間中、マーガレットは雄大と視線をあわせようとしなかった。

「マーガレット──その」

 話しかけても少女伯爵はまったく反応しない。広域レーダーをメインビューワーに投影して宇宙船の動きを虚ろな目で追い始めた。

(こりゃあ、今は話したくない、ってことだよな……まあそれはそうか。とんだ恥をかかせちゃったみたいだし)

 もし。

 目前の気高い少女が自分の恋人だったのなら、傍によって無言で寄り添うことも出来ただろう。しかし雄大にはそれができない、彼女を選ばなかったから。

「じゃ、俺……部屋に戻るわ」

「……ごゆっくりどうぞ殿下」

 雄大はしおらしく物静かなマーガレットの態度を崩すことができぬままブリッジを退出した。



 雄大がブリッジから遠ざかるのを確認し終えたマーガレットは、ふう、と息を吐いた。必要以上に速くなった胸の鼓動を深呼吸をすることで抑えた。

 キョロキョロと周囲を確認し、おそるおそる立ち上がるとゆっくり操舵士席に近付いた。

「ここ、あいつが座ってた……」

 周囲を見渡しそっと腰掛ける。

(ああ──まだほのかにあたたかくて、心地良い)

 マーガレットは微かに残っていた雄大の体温をシート越しに感じていた。そして伯爵が吸い込んだブリッジの空気には微かな匂いが残っていた。男性用のソープに柔軟剤の香り、それに交じっているのは成人男性特有の野卑な汗の臭い、極々僅かな雄大の残り香。

(あいつの、あの人の匂いだわ、まるで腕の中にいるみたい)

 シートにすっぽりと包まれたマーガレットは雄大と肌を合わせた時の事を思い出した。シートに残った想い人のぬくもりは少女の身体と冷えた心をじんわりと癒やしていく。

「はぁ……」

 伯爵家当主としての自尊心はなりを潜めて、いじましい少女の恋慕の情が今のマーガレットを突き動かしている。

(こういうの、なんていうか……その……へ、変態? みたいな?)

 みるみるうちに身体中が火照ってくる。

 雄大が頬杖を突いていた辺りのコントロールパネルに自分も頬杖を突いてみる。

 たったそれだけのことで沈んでいた気分は(たかぶ)り無重力下のように身が軽くなる。

(我ながらなんてみっともない……でも、こうでもしてないと苦しくて、苦しくて──もっと変になってしまいそう)

 自分で自分の肩を抱く。

 こんな見慣れた自らの腕じゃなく、もっと粗野な造りの雄大の腕で強く乱暴に抱き締めて欲しい。

「あの人に触れたい、触れて欲しい……宮城に」

 いつしか目に涙が溜まって雫がこぼれ落ちそうになっていた。悲しく切ない涙ではなく、恋い焦がれる相手の体温や息遣いを感じられた感激の涙。

(一緒にいると、どうしても必要以上に宮城に寄りかかっていきたくなっちゃう……そんなことしたら駄目なのに……ユイ様の婚約者なのに……)

 唇と唇が触れ合う感触、今でも鮮明に身体が記憶している、雄大との初めてのくちづけ。

 唇を軽く噛みながら涙を拭う。

「ユイ様、早く帰って来ないかな……」

 主君が居ないから、調子が狂う、いつものワイズ伯爵に戻れない。

(お祖父様は、こういうこと教えてくれなかった。こんな、誰かを愛しく想う気持ちの抑え方)

 マーガレットはもっと雄大を身近に感じたくなり、くんくん、と大きく鼻に息を吸いこんだ。その拍子に要らぬものまで吸い込んでしまう。


「はっ……ふぁっ、ふぁ──?」


 マーガレットはハンカチーフを取り出すとくしゃみを無理やりかみ殺した。

 原因は猫の毛かそれとも胡椒なのか。マーガレットの鼻の調子はしばらくおさまらなかった。



 雄大が自室近くまで来ると、通路の向こう側からもの凄い勢いで太刀風陣馬が駆け寄ってくる。

「こ、皇配どの~! 一大事、一大事でござる!」

「うわめっちゃウザい……!」

 雄大は思わず顔を背けた。そのまま反転して逃げ出したくなったが陣馬を預かっている以上、無視するわけにもいかず渋々前方に向き直る。

「へいへい、今度は何の一大事だよ、巨峰大福でも食ったのか?」

「な、なんでござるかその態度、皇配どのの個室で事件だというに!」

「あのなー、なんかことあるごとにぎゃーぎゃー騒ぎ過ぎなんじゃないのかお前さんは? こっちはな、二号店とか胡椒とかマーガレットとかユイさんとかで頭いっぱいなんだよ、今度は何やったんだ、まさかシャワーやトイレ壊してないだろうな……?」

「いわれたとおり拙者、大人しく寝具をお借りして就寝していたのだ、そ、そうしたら──」

「なんだ」

「ノックの音と同時に女性が──半裸の女性が入ってきて拙者を押しのけてベッドに! ど、ど、ど、どうしてよいかわからずここで待っていたのでござるよ!」

「──ああ、そういうこと」

 陣馬のこの慌てよう、ただごとでは無い事態のように見えるが雄大には察しが付いていた。

「当てようか陣馬、その突然部屋に侵入してきた女性とやらの特徴──背はちょうどお前と同じ程度、おさげ髪のままか、ほどいてわさっとした感じの黒髪で目は半分閉じたような感じで寝てるのか起きてるのかよくわからない。服装はタンクトップかスポーツブラにスパッツ、靴や靴下は履かず裸足。首から四枚ぐらい札を提げて、手にはマンガかPP──」

 眼帯で隠れていない片方の瞳を丸々と見開いた陣馬の表情をみればこれ以上の問答は不要だ。

「お、お知り合いの女性でいらっしゃいますか?」

鏑木林檎(かぶらぎりんご)皇女親衛隊(ロイヤルガード)の名誉副隊長だよ」

「林檎? 人の名前?」

 雄大は犬のようにまとわりつきながらついてくる陣馬を押し退けるようにして自室のドアを開けた。

「りんごー、おーい、リンゴさんや」

 部屋に入るとベッドにはすうすうと寝息を立てて就寝中の鏑木林檎の姿があった。

「こいつめ……また俺のベッドで寝やがったな」

 雄大は飛び出した脚をベッドの上に置いて散らかったマンガを書棚に戻す。陣馬は床に正座してジィっとその様子を眺めていた。

「まあ気にするな、割と日常的な光景だからなぁ」

「なにやら騒々しい日常ですなぁ」

「じゃあ陣馬、悪いけど俺、ちょっと考えごとしながら横になってそのままニ、三時間ぐらい眠るから。起きたらお前の相手をしてやるからもう少しだけ待っててな」

「えっ、この女性はどうするので?」

 陣馬はソワソワしながら林檎の上下する胸を眺めている。

「寝ちゃってるのを無理に起こすのもアレだから寝かせてやってくれ、すまんな陣馬」

「ふ、ふたりはどういうご関係で──ご、ご兄妹とか」

「別に。他人と言えば他人だな」

「あ、もしやおふたりはその~ぅ、愛人関係とかいう」

「無い無い、ハハハ──」

 雄大がそのまま目を閉じると部屋は急に静まり返る。

 空調の音とふたりの寝息──

 その沈黙に耐えられなくなった陣馬は刀を手にとり鞘で雄大の頭を軽く打ち据えた。

「起きんか!」

 雄大はぎゃっと喚いてからソファから跳ね起きる。

「な、なんだなんだ? おい?」

「そんな雑な説明で納得できるわけなかろう!」

「おまえ何をそんな急にマジギレしてるんだよ」

 陣馬はわぁわぁと喚き立てる。

「こっ、このような愛らしい女性が下着姿同然の格好で男の部屋に……こんなただれた関係、拙者見過ごすわけにはいかぬ……! そなた皇女殿下への誠実な想いを語ったその口でよくもまあぬけぬけと──おぬしを想うてくれておる伯爵どのや皇女殿下にすまないとは思わないのか?」

 鞘でぐりぐりと頭を小突きまわしてくる。

「や、やめろ! お前、武士の魂である刀をそういう使い方していいのか?」

「女性とみれば見境なく手を出すお主に言われとうはないわ! ちょっと尊敬してしまった自分が情けのうなってくる」


「ぅるさいだよ、も~」

 陣馬があまりに騒ぐのでついに林檎が目を醒ました。それでも覚醒具合はまだ六割といったところか。

「うわっ」

「あ、雄大さ、おはようございまぁす、ふぁ──もう一人の人も、おはようございますー」


「ど、どうもおはようございます」

 林檎から深々と頭を下げられた陣馬は雄大を攻撃するのをやめて神妙な面持ちで返礼をする。

「起きたな」

「うん、おら寝ちゃってたみたい」

「自分の部屋で寝ろよなぁ……俺のベッド占領するの何回目だよ」

 でへへー、と林檎は照れたように頭をかいた。

「ごめんしてけろ」

 林檎の目は半分空いておらず、とろん、として未だまどろみの中にあるようだった。

「そういやお前、給料出たらしいな」

「そうなの! おらの初任給すごいだよ? てどり50万ギルダ、だって! マンガたくさん買えるし、パルフェのライブチケットも買えるよ」

「さすが半年分まとめてだと結構な額面になるな……いいかリンゴ、無駄遣いはするなよ」

「うん、大事につかう!」

「それはそうと林檎さんや、寝る前、俺の部屋に侵入した時に何か異変を感じなかったか。特にそのベッドの辺りになにか居ただろう?」

 林檎は口をとがらせ眉間に皺を寄せて、んー、と唸りながら記憶をあたりはじめる。

「そーいわれだらなんかいたっけっかな? でもなんかすぐに逃げてったから別に気にしなかっただよ。ワンちゃんかな、って。雄大さ、イヌ飼ってただか?」

 陣馬は自身の顔を指差して「拙者が、イヌ?」と嘆きながら雄大に何かコメントを求めてきた。雄大は両の掌を上に向けて持ち上げてお手上げのジェスチャーをしてみせる。

「あ、そうだ、そっちの白い服の人はじめまして! おら鏑木林檎っていうだ、じゃなくて林檎といいますだよ。いつもはぎゃらくしぃ号で働いてるけど、皇女様の親衛隊もたまにやってるんだぁ、へへ」

「林檎どのですか、丁寧なご挨拶恐れ入ります。申し遅れました拙者、太刀風陣馬と申す兵法者。木星帝国大公殿下の家臣にて、こちらの船におきましてはユウダイ皇配殿下の食客扱いということでお世話になりもうす、短い間なれど……」

「えっ武士? 陣馬くん? 陣馬くんは武士なの? おさむらいさん?」

「そ、そう! 拙者、剣の技を磨き日々修練を積んでおります。いまだ未熟者なれど心意気だけはこの名前に負けぬよう努めております」

 ベッドの上で胡座をかいているリンゴとは対照的に、陣馬のほうは床に正座して深々と頭を下げていた。

「そうなんだ、ブリジットさみたく修業中だか。がんばってね!」

 林檎はその口角を上げて邪気のない笑顔で陣馬を祝福した。

「その眼帯かっこいい! どこで買ったの?」

「え? えーと」

 完全に林檎のペースに巻き込まれている陣馬、雄大はその肩を叩く。

「おい陣馬、ちょうど良いから本人に訊いてみろよ、俺とのこと」

「お、おう──あ~、鏑木どの? これなる皇配殿下と鏑木どのはどういうご関係で?」

「コウバイって雄大さのことかな」

「そうでござる、これなる男性について鏑木どのはどう思ってらっしゃるのか、率直にお聞かせ願いたい」

「うん、おら雄大さのことだいすきだよ! かっこいいもん」

 リンゴは喜色満面、大きな声で雄大への好意を示した。

「ンガッ、な、なにィ~!?」

 陣馬は口をパクパクさせながら雄大のほうを睨むが雄大はまったく動じる気配がない。雄大は落ち着いた様子で林檎に声をかける。

「なあリンゴ、おまえブリジットさんとも仲良しだよな」

「うん! ブリジットさも大好きだよ! めちゃくちゃ強いしおっきいよね!」

「は?」

 陣馬は毒気を抜かれたようになる。肩の力も抜け落ち背を丸めて首を傾げながら雄大のほうを向いた。

「皇配どの? つ、つまりこれはどういう?」

「別にお前が考えてるような変な関係じゃないよ」

 雄大は背中をボリボリと掻いた。林檎もつられたように脇腹の辺りを掻きはじめる。

「こういうさ、他人との距離をぐいぐい詰めてくるちょっと変わった娘なんだ。俺はなんか特別に懐かれてるみたいだけど」

「は、はぁ──さようでござるか」

「んだなぁ、雄大さは特別だ、かっこええだし、面白いマンガとか綺麗なアイドルとかたくさん知ってるし、ごはんおごってくれるし。おら、雄大さのこと大好き!」

 陣馬は呆気にとられて左様でござるか、はぁ、左様で、を連発して

「好きならもうすこーしだけ尊敬してくれませんかね」

「すっごくソンケーしてるだよ? だがらはじめての給料もらった報告に来たんだもん」

「で、眠気に負けて寝たのか」

「えへへ~、そだなぁ寝ちまっただ」

 自然体な林檎の様子を見て陣馬は納得したような、はぐらかされたような複雑な表情で頭を捻り出す。

「う、うぬぬ……でも拙者、鏑木どののような若い女性がそのような格好で男性の部屋に出入りするのは、そのう、感心しないでござる。こういうのはその、各方面に対してけじめがつかんというか」

「聞いたかリンゴ、陣馬も俺と同じこと言ってるだろ。俺が特別服装に厳しいわけじゃないんだから、今度から部屋着でうろつくのはやめなさい」

 はぁい、と林檎は勢いよく返事するが、反射的に返事をしているだけの時もあるから手強い。

「じゃ、一大事は解決したな──取り敢えず俺は寝るぞ。リンゴも自分の部屋にちゃんと眠り直すんだ。給料出たお祝いはブリジットさんや牛島さんが戻ってきてからやろうな、それでいいだろ?」

「あっ、そだね! じゃあ陣馬くんもまたね、バイバーイ」

「えっ、拙者? ば、ばいばーい……」

 陣馬と二秒間ぐらい手を振り合うと、寝ぼけまなこの少女はベッドから降り、たまによろめきながらも歩き出す。

 陣馬は狐に化かされたような顔で少女を見送ったあと、ドッと気疲れしたように床にへたり込む。

「日常的にこういうことが起こっているのか」

「そう、たまにブリジットさんが一緒にきてふたりで散らかすだけ散らかして帰っていくこともある。今日は割とすんなり帰ったほうだぞ」

「羨ましいような、あんまり羨ましくないような状況でござるな」

「リンゴと一緒だと寂しくないけど心身ともに消耗が激しい、ブリッジ勤務中のひとりの時間のほうが心地良く感じる時はあるな──あ、いつまでも床に座ってないで使ってもいいぞ、ベッド空いたしな。寝てたんだろ?」

 雄大はそう言いながらソファに身体を横たえて目を閉じてしまう。

「いやいやいやいや、今まで鏑木どのが寝ていたベッドでござるぞ、それではまるで女性の寝具を物色するような変態の所業……」

「変態? ああ、リンゴはそういうのすごくおおらかだから大丈夫──そもそもおまえが最初に寝てたのをリンゴのヤツが寝ぼけて追い出したんだ。あいつに遠慮しなくていいよ」

 雄大は壁のほうを向いて完全に寝入ってしまった。

「え、もう眠りについたのでござるか? お、おーい皇配どの、皇配どのぉ~?」

 無視されているのか本当に寝てしまったのかわからないが雄大はかすかに肩を上下させるだけで無反応、沈黙を保っていた。

「ま、また放置されたでござる……なんとも所在無い」

 陣馬はなにやら良い匂いのするベッドを前にひとり、悶々とするのだった。

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