マーガレット・ワイズ伯爵
ハイドラ級高速巡洋艦に限らず、連邦宇宙軍のブリッジは操舵士、航海士、火器管制士、通信士、艦長、副長の6人が座る席があるが操舵士が火器管制を兼ねたり艦長が航海士の仕事を兼任し、2~4人が詰めて航海するのが通例である。
改装特務艦、もとい民間武装商船「ぎゃらくしぃ本店」も艦橋の構造はほぼ同一だが操舵士のスペースが拡張してあり、副長席があるべき部分には航海補助ロボットが据え付けられている。航海補助ロボットは過去誤作動で大事故を引き起こしているためお堅い職場では敬遠されがちで銀河公社や宇宙軍では導入を見合わせている。
幼い頃、航海補助ロボットの事故がニュース番組を賑わせていたのは雄大もよく覚えている。
雄大はユイ皇女に艦内の重要設備を案内して貰っていた。
「やはり気になりますか」とユイ皇女は少し困り顔になる。
ユイの頭上に偵察ドローンが浮かび彼女のホログラムを投影する。ユイは簡単に牢屋から出られないので時折こういう形で部屋の外の様子を伺う事がある。
「不安に思うかも知れませんが」
木星帝国皇女兼代表取締役はロボットの頭を撫でるような素振りを見せた。
「この子たちは事故を引き起こした先輩世代……生真面目過ぎてノイローゼになったKP-999タイプとは違う株から産まれた人工人格で、多少不真面目で非効率な事をする時がありますが割と息抜きが上手で自己矛盾に陥ったり、自暴自棄になって大事故を引き起こしたりはしないでしょう。無駄に思い悩んだりしないお気楽な性格なんですね」
「不真面目なロボット?」
「機械と人間のいいとこ取りですよ。電子人格研究の第一人者、牛島実篤博士が自ら対話して教育した牛島モデルから株分けした子逹なんです」
「へえ……お詳しいんですね。皇女殿下は専門でロボットの研究などされてるんですか?」
個性を重んじるロボット調理長、牛島の名前はこの牛島実篤博士にちなんだ名前なのかも知れない。
「まあ六郎と魚住からの受け売り知識ですが……今までは操舵士はBBライセンスの副操舵士が一人でしたので長距離任務の時はこの子達には随分助けられました。でもAAAライセンス持ちの宮城さんがいらっしゃったのでこれからはどんどん外宇宙域まで飛んで行けますね!」
ユイが六郎、魚住、と呼び捨てにするのは主君と臣下の関係だからというのもあるが主従関係以上の親愛の情を感じさせる。
「あと私の事は社長、で構いませんよ? ええと次は……」
「それにしても……」
雄大はとろーん、と蕩けた瞳でホログラムを見つめた。ホログラムでもこの美しさ。本物の皇女殿下の生のフェロモンと黒髪の輝きが無くても十分男性を虜に出来る魅力がある。ホログラムだから舐め回すような視線で皇女殿下の麗しの腰のカーブや小ぶりながら形の良い胸の膨らみを横からじっくり観察しても偵察ドローンのカメラに捕捉されなければ遠く離れた本人に気付かれる事はない。
(このホログラム、データ化出来ないもんかなぁ)
「あの宮城さん?」
(何と言ってもこの声がいいんだよ……和むよなぁ。今度録音しよう……)
「ちょっとお疲れになったのではありませんか?」
「いえ! ちょっと考え事を」
「お顔が少し赤いような……」
訝しむ姫、まさか皇女のボディーラインを堪能していたとは言えない。
(なんか俺、最近ホログラムフェチへの道を邁進しまくりで、いかんいかん……はっ?)
不意にブリッジの隅から鋭く刺すような視線。
物凄い殺気を感じて視線の主を探す。そんな雄大に釣られてドローンのカメラもそちらを向いてズームする。
「あら、メグちゃん」
皇女がブリッジの隅に笑いかける。
「ユイ様、ご機嫌うるわしゅう。ちょっと通信システムの調整をしてましたの」
メグと呼ばれたのは身長150ぐらいの線の細い少女だった。ホログラムの皇女にうやうやしく頭を下げる。年の頃は15、6というところだろうか。服装は機能的な火星風フライトスーツを改造したもののようで上は肩を出してるが透明な素材で肩当てを付けている、木星のマークなのか双子星をあしらったボタン。下はホットパンツにしてあり、へそと白い太腿を出してはいるが下品になり過ぎてはいない、ゴージャスなベルトを三本、腰に掛けていてそれぞれから色違いのレース編みのスカーフが下がっていて重なり合う部分の複雑な色合いが目に楽しい、そしてそのレースからちらちら見え隠れする白い美脚。これは火星風でもあり金星風でもあり……結構アイドルのファッションにうるさい雄大も流石に見た事がない奇抜さだ。
「やだもう、ブリッジにいらっしゃったのならお声をかけてくだされば……ドローンのカメラだといけませんねぇ。メグちゃん、こちら宮城雄大さん。ぎゃらくしぃ待望のAAAライセンスパイロットなの」
「はい、存じておりますとも殿下。魚住から詳細な報告を受けておりますゆえ」
鼻にかかった少しかん高い声。皇女に対してはにこやかに笑っているがたまにちらっと横目で雄大を物色する目つきは鋭い。
「宮城さん、こちらマーガレット・ワイズ伯爵。とってもお洒落さんで可愛いですけどこう見えて腕利きのクルーなんですよ? そして私の一番のお友達でもあるのです。仲良くしてくださいね」
「えっ伯爵?」
「そう、ワイズ家は栄えある木星帝国の重鎮。先の大戦でわたくしのお祖父様は連邦の重歩兵をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……最後まで皇帝陛下の居城リオネルパレスの門を死守した武門の誉れ。わたくしはそのように名高きワイズ家の当主でございますの。おわかりなさいまして?」
メグちゃんことマーガレットは手袋を取ると雄大の前に差し出した。手の甲を上に向け小指と人差し指をピンと反らしている。
どうやら雄大に跪いて手の甲にキスをしろ、という事らしい。
「あ、メグちゃん……駄目ですよそういうのは……宮城さんは帝国の臣民ではありませんし、あくまで社長と従業員の雇用関係ですから」
「いいえ殿下。この者、殿下の身分を知りながら殿下に対して分不相応のよからぬ懸想をしている様子、このマーガレットが殿下に手本を……臣下への躾という物を見せて差し上げますわ」
雄大の生家、宮城家は古い武家なのだが、こういう欧州風のしきたりには疎いが、神話に出てくる竜と戦う騎士達が姫君に忠誠の証として手の甲にキスをしていたのを資料で見た事がある。
「宮城雄大と申しましたね? 今後も木星帝国再興のため、皇女殿下とワイズ伯爵家の力になりなさい」
「あ、はい伯爵、ええとマーガレットワイズ伯爵閣下」
雄大は緊張しつつ片膝を付いてメグの手を取り、んちゅーっ、と口づけをした。
「いっ? きゃああ!」
「えっ、俺なんか間違えました?」
驚いて唇をマーガレットの手から離す。
「ま、真似だけでいいのよ! ホントにキスするなんて馬鹿じゃないの? やだやだやだ! これだから地球連邦の野蛮人どもは嫌なのよ! 嫌らしい、穢らわしい!」
メグは雄大のキスした場所に懐中から取り出した消毒液スプレーをひと吹きしてはハンカチでぬぐい取る作業を何度も何度も繰り返した。
「め、メグちゃん? ほら慣れない事するから……」
「すいません、俺もこういうのはじめてで……」
マーガレットの顔はストーブのように真っ赤に発熱していた。
「あーもう、この田舎もの! これからは気をつけなさいよねっ」
皆がうらやむ大都会、月一等市街地に住んでいた雄大は、まさか自分が田舎者扱いされるとは思っていなかった。地球辺境から出て来たらしいリンゴと会ったらどうなる事やら。
「とにかく殿下が甘やかした分、わたくしがビシビシしつけていきますから。覚悟しておく事ね」
「じゃ、じゃあ私達はこの辺で……また後でね、メグちゃん」
ユイ皇女は雄大にブリッジを退出するよう促した。
退出間際、マーガレットは雄大に小声で呼びかけてくる。
「あなたがユイ様を嫌らしい目で見てた事わたくし、ばっちり目撃してますのよ? あなたが幾ら操船技術で有能であっても、その素行宮廷に仕えるに相応しくありません。わたくしがAAAライセンスを取得すればあなたは用無し、おわかり?」
少女は眉間に物凄いシワを寄せて渋面を作ると雄大の腹に拳をぶつけてきた。
「フンッ!」
「ぐはっ?」
この少女の拳、線の細い少女の繰り出した突きとは思えない鋭さで的確に雄大の鳩尾の部分を突いていた。
痛みと共に呼吸が苦しくなり、情けない格好でへたり込む雄大。
「あーららぁ情け無い。フフッ軍隊にいたと聞きましたが? 連邦宇宙軍おそるるにたらず、これでは衛兵も勤まりませんわァ。殿下に邪な行為及ぶことあれば今度は拳ではなく剣を突き立てる事になります。覚悟なさい」
(声が出ない……)
マーガレットは平然とした顔でブリッジを出て行き、外で待っていたユイ皇女に会釈をして何事か談笑を始めた。よく事情が掴めてないユイの視線をブロックするかのような位置取りをキープし続ける。
(な、なんつー……なんというムカつく……)
年端もいかぬ少女に軽いパンチ一発で倒されて咽せるのは成人男性にとって相当な屈辱である。
(俺に、俺にドMの……マゾの資質が備わってさえいれば……この屈辱も快感に……)
残念ながら雄大にそういう素質は備わっていなかった、非常に残念だ、情けなくて少し涙が出た。あんな小娘に泣かされたと思うと余計に泣けてくる。