不穏な空気
ユイ・ファルシナ皇女はロボットの牛島実篤、『木星皇女親衛隊』ブリジット・ヴォン・パルルーザを護衛役に、お供としてリタ・ファルシナを連れて地球を訪れていた。
滞在の主な目的はマグバレッジJr.が取り仕切る政府の公式会見と戦没者追悼式典への列席である。
公的な仕事の他に各放送局の番組に可能な限り出演するためプライベートな時間は取れないようだった。
ぎゃらくしぃ号はその主人を遠く地球に残して木星宇宙港周辺宙域に停泊していた。此方ではセレスティン・ファルシナ大公殿下を擁する旧木星帝国海軍を交えた会議が行われる事になっていた。
ぎゃらくしぃ号、アラミス支店号、海軍の神風号の三隻は寄り添うように並んでいた。神風号は船影をハッキリ見せないようカモフラージュする電子暗幕のような特殊フィールドを張り巡らせており、何かモザイクが掛かった小惑星のような見た目になっている。ぎゃらくしぃ号を利用しにきた顧客達の目にも神風号は奇異に映るのか、カモフラージュしているせいで返って注目を集めていた。
次期皇帝ユイ・ファルシナ。その婚約者である宮城雄大は食堂の片隅で宰相代理の魚住京香と打ち合わせを行っていた。海軍相手は何とも面倒だが同じ木星の旗を掲げる仲間である以上、無碍にするわけにもいかず魚住の新たな頭痛の種となっていた。
「またセレスティン殿下は欠席であのガッサのオッサンが出てくるんです?」
「そうなんですよ、殿下はお風邪を召されてるとか」
「魚住さんは大公殿下って見たことあるんですか」
「いえ。このホログラムだけですね」
魚住はガッサから送信されてきたセレスティン殿下のデータを再生する。遠いながらも親戚というだけあってユイに似た雰囲気を持っている。線が細く小柄で中性的な顔立ちの少年だ。
(何かと理由を付けては姿を見せないし声も聞かせてくれない。胡散臭いんだよなぁ……)
雄大はこのセレスティン殿下という人物は実在しない架空の存在なのではないかと疑っていた。
「風邪ねえ……ブリジットさんは風邪気味なのに護衛任務行きましたけどね」
「リンジーを一般人の尺度で測っちゃいけませんよ──宮城さん、これを見てもらえます?」
魚住が提示したのは「木星帝国組織図(第一案)」と題された人物リストだった。
ユイ・ファルシナ皇帝と雄大ファルシナ皇配殿下を中心に、宰相としてセレスティン大公殿下が配され、アラムール・ガッサ将軍が正式に木星帝国海軍大将として任命される予定だった。
製造元不明、所属不明の巡洋艦四隻を木星の宇宙軍として認めるのはユイ皇女のイメージダウンや地球との和平協調路線の妨げになるのでは、と雄大は少々心配だった。
(何か問題起こされたら大変だよな……)
「ふーん、魚住さんが宰相では無いんですね」
「まあ、私なんて所詮はユイ様の侍女に過ぎませんから。そこは確かにガッサ将軍の言う通りですから、出過ぎた真似は控えねば──」
「しかし毎度毎度体調不良で会合に欠席するような病弱なセレスティン殿下に国政が務まるんですかね?」
「この文章を見てもらえますか? 木星帝国典範の一文です」
『宰相の能力資質に問題があると判断れた場合、五人以上の理事からなる帝国議会は宰相を一時的に解任してその職務を理事の合議という形で代行する事が可能である事とする』
「議会? 連邦議会じゃなくて木星の?」
「帝国議会ですね」
「へえ木星は帝国って言うけど議会制政治なんだ。皇帝はシンボルみたいな物ですかね」
「とんでもない! もちろん皇帝陛下のお考えが第一に尊重されます。宰相は決定された政策や方針を実行に移す行政のトップであり、帝国議会の議員である理事達は宰相の手足として働く部下です。宰相も所詮は皇帝陛下の相談役に過ぎない存在ですからね。お飾りだなんてとんでもない事ですよ」
「じゃあ魚住さんの役職は?」
「私は理事の一員にして侍従長という事になりますね。私はこれまで通り企業であるところのぎゃらくしぃグループを切り盛りする役目に集中出来るからまあ願ったり叶ったりですよ。一国の宰相だなんて私はそんな器ではありません」
魚住はそう謙遜するが、無闇に高い忠誠心、世間知らずの皇女や伯爵を助ける一般教養、旧木星帝国に関する専門知識、有無を言わさぬ実行力、どれを取っても魚住ほど宰相に適任な人材もいないだろうと雄大は感じていた。
(あと金勘定に関して冷徹なところとか──そう言えば婚約者になってから給与の件が完全に有耶無耶にされてるけど──忘れた振りして意図的に踏み倒そうとしているのでは)
「何か問題が?」
「あ、いえいえ……」
「その他、理事のメンバーはマーガレット閣下、宮城さん、ハダム大尉、ガッサ将軍となります。ハダム大尉にはガッサ将軍と同等の大将の位を授け、木星帝国陸軍の指揮権を与える予定です。これなら大公殿下一派の好きには出来ないんじゃないかと。陸軍、海軍を統べる元帥は取り敢えずマーガレット閣下にお願いします。元々ワイズ伯爵家は武門の家柄でしたし」
「へえ、ハダム大尉、随分と信用されてますねぇ」
「我々は年若い集団ですから。ガッサ将軍や他の組織の方々に軽く見られないためにもああいう威厳のある年配の方が欲しいところです」
確かに木星帝国の構成メンバーは若輩者ばかりだ。交渉事に若輩者ばかり出て来るのを快く思わない人達もいるだろう。
「もしかして魚住さん、ハダム大尉みたいな人がタイプだったりして、ハハハ」
雄大は軽いジョークのつもりで言ってみたが魚住は真剣そのものの表情で答えた。
「いえ人物的には好ましいですけど、自分の恋人として選ぶならああいう腕毛とか胸毛とか生えてそうな感じの人ダメですね」
「じゃあどんな感じの男性がタイプなんです?」
「──目立たず、女に興味が無くて煩く無く私の仕事の邪魔をせずいつもどこかに行って姿が見えない人です」
「は、はあ?」
「男性とのお付き合いにうつつを抜かす暇など無い、そういう事です。ぎゃらくしぃグループを公社に負けない程の大企業に育て上げ、その経済力を持って木星に独立国家を作り上げるその日まで! ユイ様の戦いは終わらないのです!」
力強く拳を握り振り上げる魚住。
「この魚住、ユイ様にお仕えした時より木星帝国という国家に嫁いだものと思い個人的な幸せは諦めております。ユイ様と雄大さんのお子様を立派な皇太子として育て上げる事が新しい私の夢であり、人生の目標です!」
流石は自らを冷凍保存してユイ皇女の世話を続ける事を選んだ人だなぁ、と雄大は恐れ入って恐縮する他なかった。
「自分の色恋より皆様方のほうが心配ですよ──宮城さん、ユイ様との夜の生活は順調ですか?」
口に含んでいたコーヒーが喉から鼻腔に逆流して激しくむせる、雄大はテーブルに備え付けの布巾で鼻から下を拭った。
「ちょ、ちょっとこんなオープンな所でそんな大声……」
「おままごとみたいなのは困りますよ? ユイ様は多分、仲良しの友達ごっこみたいなので満足されてるでしょうけど宮城さんはガンガン押してください。一刻も早く元気な皇太子殿下を仕込んでもらわないと!」
「魚住さん、声が大きいっす!」
「──ユイ様が外遊に出られる前までぎゃらくしぃ号でご一緒だったと思うのですが、ちゃんと毎晩してたんですか?」
「え?」
「だから毎晩ユイ様と子作りやってたんですか、と聞いてるんです。何を恥ずかしがっているのですか。国家の一大事ですよ」
雄大は眩暈がしてきた。
「そ、そういうプライベートへの干渉は……いくら魚住さんでも困るっつーか。俺達のペースに任せて欲しいっつーか。結婚式の予定もまだ決まってないわけで……そんな毎晩だなんて」
ごにょごにょと消え入るような声で反論する雄大。
「呆れた──性生活のみならず何を食べていたか、誰と話をしたかにいたるまで監視され干渉されまくるのが王族であり、健康な世継ぎを女帝の腹に仕込むのが皇配たる雄大さんのお役目です! 覚悟が足りませんよ覚悟が!」
「ええ~?」
雄大は顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏した。
「まったく……こんな調子ではビルフラム陛下の御霊も安心してお休み出来ませんよ──ユイ様の方にもお説教しておかねば」
「うーん、でもお店の方も忙しい状況だし連邦政府との交渉事もこれから増えそうな気がするし──本当に子供が出来ちゃったらユイさんも子育てに手間を取られて社長業だの皇女の公務だの出来なくなっちゃうんじゃないですか?」
「何を言うんですか! それは──えーと……」
魚住は反論しようと声を荒げたが雄大の言う事の方が現状に沿っているように感じてきたのか首を傾げてうーむ、うーむ、と考え込んでしまった。
「結婚式やら戴冠式やらをするにしても、旧木星帝国の栄華を考えればそれなりに恥ずかしくないレベルの式にしないといけませんねぇ……帝国なんて言っても自称してるだけで制度も無ければ国民もいない。領土と言えばこのぎゃらくしぃ号ぐらいですし──確かに雄大さんの言う通り、子育ての前にもう少し国家としての体裁は整えておきたいような……」
「今の所、ぎゃらくしぃ号関係者を除くと──まともな領土はあの山荘周辺の土地だけ、国民と呼べる存在って山荘に住んでるクジナさんとニースさんの2人だけ?」
「す、少な──」
いきり立っていた魚住は肩を落とした。
2人して溜め息を吐いてうなだれていると少し離れた場所から咳払いが聞こえてくる。
「え~、ゴホンゴホン……少しよろしいかな?」
振り向いて見ると、そこに立っていたのは少年とも少女ともつかない外見の軍人、太刀風陣馬だった。
「あっ、眼帯チビじゃないか! 何を勝手にうろついてるんだよ。メンバーが全員揃うまで空き船室から勝手に出るなって言っただろ」
「相変わらず口汚い駄馬だなおぬしは。侍女殿も拙者達を何時まで待たせる気でござるか。拙者も将軍も腹が減って仕方が無いのだ、何か軽食でも無いかのう」
「クッキーを出して置いただろ、あれでも食ってろ」
「あれだけでは腹持ちがせん。あんこ餅か握り飯、将軍にはサンドイッチかハンバーガーなんぞあると有り難いが」
「わかったよ、何か店舗行って俺が適当に弁当系を買っていってやるから大人しく船室で待っててくれよ」
「ここは食堂とお見受けしたが何か無いのか?」
ぎゃらくしぃ号は木星標準時間に時計を合わせており現在は夜時間となっている。調理スタッフは勤務時間外で厨房には誰もいない。その上こういう時に要望に応えて夜食を作ってくれる牛島調理長はユイのお供で地球に降りてしまっている。
「太刀風くん、食堂は利用時間外なんですよ。ごめんなさいね」
「そうなのか、コンビニエンスストアという割に不便だなぁ」
「あのな、店舗は24時間開いてるけど船のクルーや設備全部がコンビニっつーわけじゃないんだよ、わかれ──ていうか帯刀したまま船内を歩かないでくれ物騒だ」
「これは武士の魂でござるからして? まあ滅多な事では抜かんから安心して良い」
「そういう長くて尖ってるの、本来なら船内持ち込み禁止なんだぞ?」
「まあまあ雄大さん、小さい子にそんな口うるさく言わなくても」
「な、なんとっ?」
陣馬は『小さな子供』として扱われた事に過敏に反応した。顔を羞恥で朱く染めると口をへの字に曲げた。
「せ、拙者……子供では無いでござる」
この太刀風陣馬。童顔で女声のため鏑木林檎と同年代かそれ以下に見えるせいか、ついついちびっ子扱いしがちだが恐らくマーガレットと同じく16、17もしくはそれ以上の年齢ではないかと思われる。
「あら、なんかごめんなさい──つい」
「と、とにかくだ陣馬。今店舗に来てるお客がある程度はけるまで会議はもう少し待ってくれ。なんか食い物持ってくから、な?」
怒って騒ぎ立てるかと思ったが逆に陣馬は押し黙ってしまった。ぷいと横を向くとやや元気の無い様子で食堂から出て行く。
「子供扱いされるの、相当気にしてるみたいですね」
「チビってのは割とギリギリか」
面倒くさいなぁ、と思いながら雄大は店舗エリアに向かった。
◇
雄大は適当におにぎりと団子、サンドイッチを購入するとガッサ達を待たせている空き船室に入室した。
「皇配殿下自ら使い走りとはな」
下を向いてむくれた様子で席に着いている陣馬とは対照的にガッサ将軍は姿勢正しく立ったままだった。
(この人、ずっと椅子に座らずに立ってたのか?)
六郎とマーガレットが揃うのを待っているのだが、結構な時間が経っている。
「親衛隊の隊長が店舗仕切ってるぐらいなんだ、察してくださいよ将軍」
ガッサ将軍も腹は減っているようで雄大が持ってきた包み紙やレジ袋を自分から受け取りに来て中を覗き込む。
「まあこれでもいただきながら待たせてもらうさ」
ガッサはツナサンドの包み紙を破ろうとするがなかなかうまくいかない。
「ん? これは」
「あれ、将軍はあんまりこういう食事はしないんですか」
雄大はガッサのためにサンドイッチの包みの開け方をレクチャーする。
「ほう、なるほどな」
ケンタウリの方から来たという大変謎の多い連中である。この手の食料品包装に対する知識がまったく無いようだが太陽系の常識が通用しない宙域で生活してきたのだろうか。
案の定、陣馬も手巻き寿司の海苔が上手く巻けずに四苦八苦していた。雄大が手本を見せてやると目を輝かせていた。
「これは面白いものでござるな! 海苔がパリパリしておるぞ」
(こいつらはどんな生活をしてきたんだ?)
興味深げに包み紙を眺めながらコンビニ軽食をむさぼり食う2人のために雄大はコーヒーと緑茶を淹れた。
「おっ、これは甘味だな」
陣馬は大福にかぶりつくと目を瞑った。
「───! ───!?」
言葉にならぬくぐもった唸り声とともに陣馬はカッ、と片眼を見開いた。
しばらく固まって大福を咀嚼していた陣馬はわなわなと肩を震わせて立ち上がりテーブルの上に飛び乗ると、突然腰に帯びていた刀を目にも止まらぬ速さで抜きはなった。
「んが~っ!」
「えっ」
そしてその光る切っ先を雄大の向けた。
「いっ? わ、わ?」
雄大は驚いてその場にへたり込んだ、両手を上げて降参する。
「な、何をやっとるか陣馬! 気でも狂ったか?」
「冒涜! これはあんこ餅に対する冒涜!」
「は? 陣馬お前、何を言っとる?」
「ガッサ殿! こ、この餅を割って見て欲しい、それが全てじゃ、正に鬼畜の所業! 愛しきあんこ餅にこのような暴虐の限りを尽くすなど拙者到底許せぬ!」
ガッサは首を傾げながらカラフルな大福の包み紙を開けて指で二つに割ろうとする。しかしながら何か堅い物が中に入っていて綺麗には割れなかった。
「何だこれは──何か入っておるな」
ガッサは恐る恐るそれを噛んだ。心地好い餅の食感、餡の素朴で柔らかな甘味が先ず将軍の口腔に飛び込んできた。やや堅めの物体に歯が通るや否や、酸味を帯びたほのかな甘味の果汁が餡と混じり合う、柔らかな甘味と鮮烈な甘味が舌先で絡み合い、異なる食感が与えてくれる刺激は咀嚼する楽しみを倍増させてくれた。
「ほう、これは! 何かの実が入っておるぞ」
「そ、そうでござる変な酸っぱい物があんこ餅の中に! なんたる冒涜か!」
「も、もしかしてあんた達、イチゴ大福に驚いてるのか?」
あ~、これはそういう食べ物なのかとガッサはカッカッと笑いながら包み紙を眺める。イチゴ大福五個入り、300ギルダで販売中の商品だった。
「面白い事を考える物だな、私も初めて食した。ゲテモノのようだがこれはこれでなかなか旨いぞ」
「が、ガッサ殿~!?」
陣馬はブンブンと上下に長い刀を振り回す。
「落ち着け陣馬、そういう変わり種の商品だ。いきなりで驚いたかもしれんが最初から中に果物が入っているとわかれば別段どうという事は無い」
陣馬はしばらく唸っていたが渋々、刀を鞘に収めた。
「お、お前なぁ、滅多な事では刀を抜かないって」
「せ、拙者にとっては天地がひっくり返るような一大事だったのでござるよ──!」
陣馬はテーブルから降りると懐中から取り出した紙でブーツの跡を丁寧に拭う、何ともばつが悪そうな様子。この太刀風陣馬は煩く仰々しいが基本的には礼儀正しく割とモラルの高い人物ではある。
「この食べ物は面白いな、セレスティン殿下に献上してみるか。皇配殿下、これを神風号に持ち帰っても構わんかな」
「いやそりゃまあ構いませんけどね?」
持ち帰る、というからには一応『セレスティン大公』は実在するのかも知れないが、それならそれで此方に姿を見せてくれても良いはず。
(なんとも変な連中が仲間になっちゃったなぁ、こういうのと長い付き合いになるのか?)
◇
六郎、マーガレット、魚住が加わりようやく会議が始まった。
連邦経済NOWの録画を流した後で、魚住が例の組織図を提示した。ガッサ将軍はセレスティンが宰相の役職に就く事、帝国海軍が正式に木星帝国正規軍として認められる旨を確認してホッとした様子だった。
「やれやれだ、これでようやく大公殿下にまともな報告が出来るというもの。しかし元帥として統帥権を持つのが伯爵閣下というのはどうも……これは大公殿下が兼任しても良いのでは」
ガッサはチラッとマーガレットを一瞥する。
「いいえ、ユイ様のお側にあるわたくしが預かるのが良いでしょう。それに宰相と元帥の兼任などと大公殿下のお身体に障りますよ」
「まあそうかも知れぬが──して、先程の録画番組でも話題になっておった例の新型巡洋艦三隻なんだが、これの所属はどうなるのだ、一隻ぐらいは海軍に回してもらえるのだろうな? なんと言っても我等が正規軍! であるからな、ハハハ!」
「いえ、あれは全てこのぎゃらくしぃ号と同じように商船として改装し、航路を巡回させます。その条件で最新型を三隻引っ張ってきたのですから」
「おいおい、魚住。腐敗した連邦政府との約束事など律儀に守る必要はないぞ。その軍艦は皇女殿下と木星帝国が勝ち取った戦利品であろう。有効に使わねば」
「そうでござるな、将軍のおっしゃる通り! 正規軍である我らが木星周辺宙域の治安を守れば同じ事」
なんだよガチャガチャうるせえヤツらだな、と小さいながら脅しの効いた低い声がする。ずっと黙っていた六郎が口を開いたのだった。雄大は六郎のこういう荒っぽい一面を数える程しか見ていないので面食らっていたが旧知の魚住やマーガレットは平然としていた。
六郎はわざと膝を上げてテーブルを激しく蹴る。テーブルが揺れてお茶やコーヒーの入ったカップも揺れる。
ガッサと陣馬もこれには少し驚いたのか調子よく回っていた口を閉じた。
「あんた達なぁ、皇女殿下からは正規軍として認めてもらう事になるんだが、地球政府や宇宙軍から見たらあんた達は未登録の軍艦に乗ってるテロリストだ。皇女殿下が政治的取引をしてくれているおかげであんたらは太陽系でも大手を振って船を動かせるってわけよ。俺達抜きで連邦宇宙軍と艦隊戦やりたいってのならもう止めはしねえよ勝手にしな」
ガッサは公社や宇宙軍に自らの艦船を登録するのを頑なに拒んでいる。大公の本心は定かでは無いが、このガッサ将軍にとって地球政府と宇宙軍は未だに木星との戦争相手であり、隙あらば叩き潰す機会を狙っているようだった。
いましがたもハイドラ級三隻を自由にする権限さえあれば月基地かロンドンを武力制圧しにでも行きそうな、そんな血気にはやった雰囲気があった。六郎が釘を刺したお陰でその勢いは少しばかり削がれていたがガッサ将軍はまだまだあきらめ切れぬという様子で言葉を続けた。
「親衛隊の隊長である甲賀殿の言う事も一理あるがな……しかしそれではいつまで経っても帝国再興は進まぬ。今この時、宇宙軍はかつてないほど疲弊しておる。月基地か土星基地辺りを我等木星の手中に収めて太陽系の治安維持を代行しても、ユイ皇女殿下の勇ましきお言葉が耳に新しい今ならば誰も文句を言う輩はおるまいて。むしろ歓迎されるに違いない」
(ほら本音が出たぞ)
(やっぱりな)
六郎と魚住、マーガレットと雄大は互いに視線を合わせた。
マーガレットは立ち上がるとテーブルに手をついて対面に座るガッサにグイと顔を寄せた。
「治安維持とは聞こえは良いですがそれは単なる侵略行為なのでは? わたくしもかつては将軍と同じように考えておりました。しかしそれでは畜生の如きかつての地球閥と同程度の輩に成り下がる事と同義。最早祖父、親世代の遺恨を晴らす事は未来には何の意味も持ちません。我等木星が人々の規範となるようあくまで高潔に、優美にあれば自ずと評価も上がっていきましょう──ねっ、皇配殿下もそう思われますよね?」
「そ、そう。利己的な視点からの正義の断行や、効率追求が行き過ぎてあるべき正道を蔑ろにした結果が──現在の地球閥の歪な姿であり、先日のような大きな内紛を引き起こしたのだと思います。その同じ轍を踏まぬためにはひたすら耐えねばならぬ事もあるかと──ユイさんも同じ事考えていますよ、きっと」
またもや言い負かされそうになりギリギリと歯軋りをするガッサ。
「私と大公殿下は十分待った、それなのにまだ耐えろとおっしゃるのかな? 皆もあの皇女殿下のスピーチに呼応した大河の流れの如く美しき民間船の瞬きを見たであろうが。あれほど民から支持される国家元首がいただろうか? 我等木星はその御方を指導者としていただいているのだ、多少乱暴でもこの波に乗るべきである、千載一遇の好機だぞ?」
ガッサ将軍との問答はマーガレットにかつての自分を思い起こさせた。マーガレットはテーブルをバンと叩いてからガッサ将軍を指差した。
「皇女殿下の耐えてきた時間を無駄にしないためにも臣下である我々から軽率な行動を慎んでいかなければなりません、特に軍隊を預かる者として主君の意思に反して勝手な行動をするなどもってのほか」
「俺が木星に肩入れする気になったのは争乱を未然に収めて被害者を少しでも減らそうというユイさんの考え方に共感したからであって。混乱に乗じて地球閥の後釜におさまろうとする人だったら俺は協力せずにこの船から降りていたと思う。ユイさんを支持してくれた民衆も同じさ、きっと離れていくよ。まあガッサ将軍も良かれと思っておっしゃってるんでしょうけど」
「う、ぐぬ──」
マーガレットの圧力と雄大の援護に負けたのか、ガッサはこの件に関しては口を噤んで、その代わりに魚住にこの場にいないハダム大尉の事について根掘り葉掘り質問し始めた。
マーガレットは椅子に座り直すと隣に座る雄大に笑いかけ、テーブルの下で雄大の手を握ってきた。
(えっ?)
(ありがと、宮城。あんたって普段は微妙だけどさ、いざという時は頼りになるわね、素敵よ)
(いや……ハハ。素敵ってそんな)
艶っぽく潤んだ瞳で真っ直ぐに雄大を見詰めてくる少女伯爵。
マーガレットの指が絡んでくる。その繋がりを激しく求めるような情熱的な動きは妙になまめかしく雄大の心を乱した。振り解くわけにもいかず雄大は流されるようにその手を握り返した。
魚住は気付いていないようだったが六郎は初々しい恋人同士のような二人の様子に気付いて毒気を当てられたように恥ずかしくなり思わず顔を背けた。雄大の左隣に座っていた六郎は雄大の右肘をつつくと、ジェスチャーで手を握るのをやめるよう忠告する。
雄大は自分の方から振り解く度胸はなかった、マーガレットには酷い振り方をして傷付けてしまった負い目もあるが──何より雄大自身にこの美しい少女に対する未練が少なからず残っている。
(──こいつホントいじましくて……可愛いんだよな)
ガッサ達の手前平静を装っているが、マーガレットの朱に染め上がった頬と喜びに満ちた瞳は容易に隠しきれる物ではない。
(手を握り返しただけでこんなに喜んでくれるなんて──う、浮気してるわけじゃないし、これぐらいは……)
雄大はそう自身に言い訳してマーガレットの手のひらの感触を堪能した。
(お、おい、あのチビがなんか気付いたっぽいぞ)
六郎が焦り顔で雄大の胸を叩く。見ると陣馬が雄大とマーガレットの顔を交互に睨み付けている。ジットリとした疑いの眼差し。
(え?)
雄大も流石にまずいと感じたのかマーガレットに注意を促し、ゆっくりと結びあった手を解いた。
◇
「まあ、今回はお互いにとって実のある会議になったな魚住──宰相代理殿?」
「そうですね閣下、色々ご納得いただけたかと。セレスティン殿下にもよろしくお伝えください」
魚住はうやうやしく頭を下げた。
「勿論だ、そちらも侍女としての本分を忘れぬよう励め。大公殿下に宰相の職を引き継ぐ準備、怠らぬ事だ」
ガッサは威厳たっぷりにふんぞり返るが後ろ手にもったお土産のレジ袋のせいでどうにも締まらない。
(ホントにイチゴ大福持って帰る気だよこの人)
「しかし皇女殿下の博愛精神には恐れ入るよ、地球閥のケダモノ共にその御心が百分の一でも伝われば良いが──」
ガッサ将軍は理屈では納得してみせていたが未だに感情的な部分では地球閥への直接制裁を諦めてはいない様子だった。
「では将軍、行きましょうか」
将軍は雄大に促されてシャトルのあるランチベイに向かった。魚住もアラミス号に戻るために同行する。
「じゃあ閣下。ユイ様不在の間ぎゃらくしぃ号を頼みますね」
「ええ任せておきなさい──不思議ね、いつもはユイ様が待ってる場所だったのに」
ユイを閉じ込める檻に過ぎなかったぎゃらくしぃ号も現在となってはユイが帰る大切な場所に変わっていた。
「そうですねぇ……」
魚住は柔らかな微笑みを返しユイに自由が戻った事を実感し、しみじみと感じられるその喜びをマーガレットと分かち合った。
「六郎もよろしくね」
「はい、魚住さんもあの頭の固そうなオッサンの相手、お疲れでしたね」
「顔の見えない大公殿下が後ろに控えているかと思うと邪険にも出来ないからホント困るのよ。じゃあ私もこれで」
手を振って退出する魚住を見送ると六郎は大きく嘆息した。
「あのですね閣下、さっきのはちょっとマズいですよ」
「え? 何が?」
「卓の下で宮城と手を繋いでたでしょう。ああいうのは人前では控えておかないと要らぬ誤解を招きますよ」
「まあ見てたの? もういやらしいわね」
いやらしいのはどっちだよ、と呆れた六郎は眉間を押さえた。
「断らない宮城も悪いですが閣下の方も自重していただかないとマズいんじゃないですかねぇ。皇女殿下が不在なら尚のことです」
「あ、あれぐらいお友達同士なら当然でしょ、す、す、スキンシップよ! そうスキンシップ」
マーガレットは口を尖らせてごにょごにょと自己弁護を始めた。
こういう年頃の乙女のような表情をするマーガレットが見られたのは喜ぶべき事だが、組織としてはあまり歓迎出来ない。
「お友達、ねぇ……あれは事情を知らない人間が見たら激しく誤解しますよ、特にガッサ将軍みたいな連中につけいる隙を与えます。魚住さんは大公殿下に遠慮してガッサ将軍には妙に弱気ですから。閣下がビシッとしめてもらわないと」
「──六郎? わたくしももう子供ではないの。我を忘れるほど男性にのめり込んだりはしませんわ。それに宮城はユイ様のもの。この事を一番よく理解してるのも他ならぬ当事者のわたくしなのよ」
マーガレットはせっかく高揚した気持ちに水を差されて不機嫌になったのか、ぷいとそっぽをむくと足早に船室を出て行った。
「はぁ……往々にして大人の方が人生狂わせちゃうぐらいのめり込んじゃうんだよなァ……」
六郎は深く溜め息を吐くと清掃用の小型ロボットと一緒にわびしくカップの後片付けを始めるのだった。
◇
「将軍? 俺がシャトルの操縦をしましょうか?」
雄大はガッサ将軍にそう話を振ってみるが、ガッサはその手は食わぬと言わんばかりに笑うと丁重にその申し出を断った。
「そんなに警戒しなくても良いでしょう。もう俺達は仲間ですよ」
「皇配殿下はどうも我々の船に興味がおありのご様子ですが、これは我等の数少ないアドバンテージ、そう易々と晒すわけにはいきませんな。私の方は魚住も伯爵も、そしてあなたも完全に信用してはおらんのですよ」
ガッサの不敵な笑みに雄大は返す言葉もなく肩をすくめて退散した。
シャトルの操縦席に座った太刀風陣馬がガッサに改まったような口調で話しかけてくる。
「ガッサ殿、気付かれましたか?」
「何だ?」
「あのマーガレット伯爵とあの宮城とかいう男のただならぬ雰囲気」
「あの二人がどうかしたのか? 特に様子がおかしかったとは思わなかったが?」
「拙者の見た所、あれは恋人同士ですな。拙者、伯爵の二の腕が細かく動いたので何か武器でも隠し持ってはいないか、と注意して見ておったのですが──どうも卓の下で手を握りあっておりましたぞ」
ほう、とガッサは感心する。
「なるほど──あの男、なかなかどうして色男のようだ」
「あの女伯爵が男を見る目の妖しげな輝き……あれは放っておいたら接吻でも始めかねない勢いでござった」
「フン、男女の機微に滅法疎そうなお前が気付くとは」
柄にもない事を言う陣馬がおかしくてガッサは嘲るように鼻を鳴らした。
「これは間違いないでござるよ、ユイ皇女殿下がお戻り次第、この背信行為をお伝えしてあのふしだらな駄馬めを追い出しましょう!」
「読めたぞ、やはり魚住は信用ならん──」
「侍女殿が何か?」
「ユイ皇女殿下とあの男の関係はやはり急造の偽物カップル。元々あの男と恋仲であったのはあの伯爵の方に違いない──魚住め、己の野望のためとはいえ惹かれあう2人を引き裂くとは、罪な事をする」
ガッサは人差し指を立てた。
「フフフ陣馬よ、風向きが変わってきたぞ。男に未練のある伯爵を此方の味方に付けて魚住を更迭するのだ。さすればまだまだ我等の大公殿下にも勝ち目があるぞ」
「おお! まことでござるか! して具体的な策としてはどのように?」
笑みをたたえていたガッサは急に真顔に戻る。
「そうだ陣馬、お前このぎゃらくしぃ号に滞在して伯爵と皇配、そして皇女殿下をそれとなく監視せよ」
「すわっ? 何ですと!?」
「武芸絡みでも何でも良いから先ずは伯爵に近付くと良いか。我等の相互理解、関係改善の為、なんとでも理由を付けて援護射撃してやる」
「せ、拙者どうも此処の連中は苦手でござる──しかもこの船、食い物の趣味もどうも拙者とは相性が……」
イチゴ大福の件を思い出して青ざめる陣馬。
「ワハハ! そんなものすぐにも慣れる。考えようによってはこの船の方が神風号よりもよい食事がとれるしな、私が代わってやりたいぐらいだよ」
「じゃ、じゃあ代わっ──」
「無茶を言うな」
ガッサは陣馬の言葉を遮ると、有無を言わさず陣馬をシャトルから放り出した。
「が、ガッサ殿ぉ──!?」
シャトルは無情にも神風号に戻っていった。
ぎゃらくしぃ号に一人残された太刀風陣馬は予想だにしなかった展開に茫然自失になっていた……




