新しい人生
リオル・カフテンスキは敗れた。
権力欲の強い地球閥を中心に据え太陽系を一つにまとめ上げた事で銀河公社が強大な力を持ち航路の整備が驚くべき早さで進んだ。
富が一部に集中し過ぎる事はあったが投資や再分配の額は年々増え続け人類の経済活動は巨大な物になっていった。
リオルと地球閥のトップ達が作り上げた太陽系惑星連邦という「人類の約九割が属する組織」は更なる成長のために新たな開拓地を求め始めていた。アラミス星系を足掛かりにして更に遠くの星々へと。
(下支えする富の蓄えは十分だ、しかし人類国家が更に効率良く発展していくためには意識の改革と、肉体の強化が必要だ。人間そのものが成長し、この富を、星々の恵みを効率良く運用出来るようにならなければ)
人間は脆い。
脆弱な肉体、幼い精神構造。太陽系の外、星々の海に漕ぎ出すには未だに不十分だった。
(禁忌技術は人類を滅ぼす邪悪なる蛇とされてきたが、絶対的な力を持った指導者がその力を独占して適切に管理すれば良いだけだ。平等な政治とは、足の遅い者に足の速い者が歩調を合わせる事。それはもう良い、その平穏は今まで十分過ぎるほど享受してきたはずだ。人類国家は力を蓄えた、貧困や餓えは消えた、国家間の対立も消えた──そろそろ人間そのものが星々の支配者として相応しい精神構造を備えるべき段階が訪れたのだ。再生産するためだけの非効率的な破壊行動はもはや必要無い、外へ、ひたすら外へと──膨張を続ける宇宙の速度に追い付くが如くに)
旧態然とした地球連邦の議会政治、この停滞は誰の目にも明らか。地球閥という腐った患部を切除して、見目麗しき超越者がその富を星々に散った者達に分配する。
リオルの掲げる理想は連邦の大半を占める開拓惑星移民達に熱狂をもって迎え入れられるはずだった。
しかし、リオルは敗れた。
戦う前から、既に敗北していた。
「王よ、王よ──言葉通わぬ機械すら統べる、万能なる王よ。暗く音のない星々を巡り、その無の世界に人間の奏でる美しき旋律を響かせたまえ」
少女の声がする、幼き声。
リオルのすぐ側、近くでその声がする。
目の前に、自分を見つめる虚ろなる双眸がある。黒髪の幼女が手を伸ばして自分を真っ直ぐに見つめている。
(幼き同志よ、汝の名は──この老いた身に代わって王を助けたまえ)
リオルは手を伸ばした。
少女の手を掴むために。
ガッ、と力強く少女の手を掴んだ。リオルが微笑むと同時に少女も微笑みを返す。
瞬間、少女の姿は消える。
(手鏡?)
「てかあみ?」
(何処へいった?)
「どこへいった?」
リオルが掴んだのは少女の手ではなく、一枚の手鏡であった。
震える手で鏡面に映りこむ者を見る。
「こども?」
鏡には先程の少女が気だるそうな顔で此方を見つめていた。
身体が重い、頭に靄がかかったような──
「お目覚めになられましたか」
声のする方を見上げると、緩やかに波打つ黒髪と、奥深くに銀河の広がりを彷彿とさせるような瞳を持った整った顔立ちの女性がリオルを覗き込んでいた。
「ユイ・ファルシナ──なのか?」
「そうです」
我が子を慈しむような表情で女性はリオルの頬を撫でた。
「夢、では無さそうだな──勝者であるお前がいるのだから、どうやらここは地獄でも無いらしい」
「気分はどうですか? 痛むところや思うように動かないところはありませんか?」
リオルは自らの身体を見る。
老人の身体、保湿性が悪く肉感薄く血管が浮かび上がる筋張った肉体、見慣れた老人の身体はそこにはない。
絹よりもきめ細かく、生命力に溢れた白く輝く表皮がそこにあった。
「子供?」
リオルは小さな足先から脛を指でなぞり、小さな膝、肉の薄い太腿とその付け根、少し丸みを帯びた腹を撫でた。
間違いなくこの小さな四肢は自らの物であった。
「女の身体だと」
「そうです、それがあなたの身体。女性の身体はあなたが考えている以上に繊細で脆い。どうか無理はなさいませぬよう」
ユイは穏やかな笑みをたたえてリオルの行動を見守る。
「これ、これが──私の身体」
人形のような小さな指先を不思議な感覚でリオルは観察した。動作は鈍く身体は重い。
「そうか筋力が、足りんのか」
あぐらをかくような格好でリオルはふくらはぎと太腿の筋肉を調べ始めた。
「そのような格好、はしたないですよ──リタ」
「何?」
「さあ、これを履いて」
ユイに足を掴まれる。
「な、何をするか、さわるな」
抵抗してみるが何も出来ない、ユイは恐ろしいほどの力でリオルを押さえつけると女児用の下着のような物をリオルに履かせ始めたた。
「やめろ!」
大人しくなさい、とユイは大きな声を出す。
ビリビリと身体に電流が走ったような感覚、萎縮し、動けなくなる。
(この身体は弱い、なんと弱々しい──)
屈辱的な時間が続く。膨らみがあるかないかすら判断のつかない薄い胸板に女物の下着を付けられ、リボンのついたキャミソール、白いタイツ、喪服のように黒いワンピースを着せられた。
(悪夢だ)
リオルの自尊心が粉々に打ち砕かれていく。
(なんたる無様か──仇敵ユイ・ファルシナに人形のように弄ばれておる)
「ほら、私の言うとおりにして良かったでしょう。可愛くなりましたよ」
「くっ──」
少年だった頃、飼われていたリオルは様々な恥辱を受けてきた。
このように女装させられ笑い者にされた経験が無かった訳ではない。しかし、その時と今回では事情が違う。
あの時のリオルは人形であり、矮小な存在だった。
自我など芽生えてはいなかった、感情など無い機械。
しかし、今は違う。
老いてもなお若者のように動く己の肉体を誇らしく思う事すらあった。地球閥を、軍を、政府を裏から操るその甘美なる権力の全能感、酔っていなかったと言えば嘘になる。
その自分が少女の格好をさせられ、敵の笑いものにされている。
(なるほど──どうやったら私が苦しむか、プライドを引き裂く事が出来るか、よく分かっている)
リオルは震えながら鏡を覗き込む。
愛らしい少女の顔。
整った顔が引きつり、醜く歪む。
「く──」
「泣いているのですか」
「泣きたくて泣いているのではない、感情の抑制が効かぬのだ。無様なる我が身を笑い飛ばそうとしているのだが。涙しか出て来ない」
握る拳に力はなく、頭は重い。
足は短く、姿勢は安定しない。
「この次はどうする? こんな姿をした私を幼児性愛者の巣窟にでも放り込むか」
「そんな酷い事、誰がするものですか」
皇女はリオルを後ろから抱きすくめる。
「な、何をするか!」
リオルの顔面は蒼白になる。
(恐ろしい、なんと恐ろしい! この少女の身体が、恐怖を何十倍にも増幅しているかのようだ)
「リタ……」
ユイはリオルに頬を寄せる。
熱いほどの体温。
潤いのある肌と肌が触れ合う心地良さと共に芳しいユイの匂いが鼻腔いっぱいに広がる。
「この──この悪夢はお前の仕業なのだな?」
「ええ、そうです。私が望んだのですよ」
◇
民間の医療施設らしき部屋から出されたリオルを待っていたのは黒色の甲殻類を思わせる奇妙なロボットだった。足元がおぼつかないリオルはこのロボットにつかまり立ちしながら建物の外にでた。
「ここは月、コペルニクス基地の近くだな」
牛島が何か信号のようなものを出すと観光用の巡回レンタカーが速度を緩めユイ達の待つ沿道にピタリと寄せてきた。
リオルは牛島に抱きかかえられレンタカーの後部座席に乗せられた。
ユイは建物の前をうろついていたミルクスタンドロボットからバナナシェイクとクッキーを買っていたようだ。
「どうぞ」
ユイは少女にバナナシェイクの入ったカップを手渡した。
喉の渇きに耐えられず、少女はストローに夢中で吸い付いた。
「ぷはあ──」
甘い。
この小さな身体の隅から隅まで。隈無く細胞に行き渡る滋味。細胞が広がり、脳が活性化するのをリオルは感じていた。
「お菓子もありますよ、リタ。お食事は久々でしょう。ゆっくり、少しずつ召し上がって」
喉が鳴り、胃が拡張する。しかしリオルはその誘惑に抗い首を横に振った。
「私は──リタなどではない。お前の人形ではない、お前の敵リオル・カフテンスキだ」
「いいえ。リオルは死にました」
リオルはようやく思い出した、ビルフラム・ファルシナには娘が2人いた。その妹の方の名前が、確か──リタ第二皇女。
「貴様、まさか──蘇生に失敗した自らの妹の身体に私の脳を──」
「いえ、流石にそれは──私の妹はもう」
ユイは寂しげに笑う。
「あなたが今、寄依とされている少女は──事故で損傷した生身の脳にポジトロニック・ノードを接続させた少女。身寄りもなく素性もわからぬ『メアリー・ジーン』です。聞いた事はありませんか?」
「メアリー・ジーン?」
「禁忌技術に精通したあなたならばご存知あるかと思っていましたが」
「──いや、知らぬ事もある」
リオルは誘惑に耐えきれずユイの膝元に置かれた菓子に手を伸ばす。
「一度に食べてはいけません、少しずつにしなさい」
ユイは包み紙を取ると小さな焼き菓子を半分にしてリオルに与えると、運転席の牛島を呼んだ。
「殿下、何か御用ですか?」
「牛島さん、メアリー・ジーンについてのご説明を彼に──いえ、彼女にしてあげてください」
「わかりました」
(牛島だと?)
リオルは夢中で菓子を貪っていた。咀嚼する喜びで頭がいっぱいになる。
(いかん、幼子の身体は──物を考えるのに適しておらぬ。成長する事が、動物の本能が全てに優先し、好奇心すら凌駕する)
メアリー・ジーンは遥か昔に生きていた少女だ。
240年前の宇宙船事故の被害者。脳が損傷していたため最新式の人工頭脳ポジトロニック・ノードを移植、その機能を補って人として社会復帰させようと当時の科学者達が躍起になっていた少女である。
結局のところ、メアリーの意識は蘇らなかった。
ポジトロニック・ノードと一度死んだ人間の脳との融合は失敗したのだ。
「──非道なる人体実験、遺体の損壊、少女の尊厳に関わる問題であるとしてこの件に携わった科学者は追放、この蘇生計画は終了しました。死者として弔う事も検討されましたが、問題は先送りされメアリー・ジーンはポジトロニック・ノードと共に冷凍保存される事になりました。そのすぐ後にノードは禁忌技術として認定され、当然メアリーも禁忌の存在となりました」
「おお、ハイゲン、牛島の両氏が追放されるきっかけとなった事件だな……なるほど確かにそれは聞いた事がある」
「メアリー・ジーンの境遇、他人事とは思えませんでした──冷凍保存された人々の事を調べていく内に私は彼女の事を知ったのです」
ユイは苦笑いする。
「勝手ではありますが──ポジトロニック・ノード部分に、リオル・カフテンスキさん、あなたの記憶を可能な限り移し、再現しました」
「そんな事が出来るのか」
リオルは牛島実篤博士と同じ名前で呼ばれている奇妙なロボットの方を見た。
「──当時よりも技術は進歩しています。あなた達の『王』がノードと意識を繋ぐ事が出来たのですからね。そんなに驚く事でも無いでしょう?」
「それは、可能は可能……だろうが──その技術を知る者は少なく、技師に至っては──」
「私は、牛島実篤です」
「なんだと?」
「まあ、本当のところはわかりません。私という存在は、数多く存在するコピーの一つなのか、それともオリジナルなのか。コピーのコピーなのか孫コピーなのか……それはもう誰にもわかりませんし、最早そんな事はどうでも良い事です、オリジナルの肉体は失われて久しいのですから」
牛島実篤が生きていて、ずっと研究を続けていたのならこれぐらいの手術は訳なくこなすだろう。
リオルはペテンにかけられているような気分が抜けなかった。もしかすると自らの男性としての肉体はまだ残っていて、現在は何らかの幻覚を見せられているのかも知れない。
(しかし──)
リオルはバナナシェイクを啜った。
(この感覚は幻覚とは違う、食道を経由して胃袋に収まっている。胃が運動を始めた。焼き菓子を消化せんと活動を始めた。こんなハッキリとした幻覚など有り得ない、やはりこれは現実だ)
「疑問は晴れましたか?」
ユイがハンカチで唇に付いたクッキーのくずとバナナシェイクを拭う。
「いや、益々疑問は深まるばかりだ。何故こんな事をする、何故私の意識をメアリー・ジーンの頭の中に入れたのだ」
この問いにも牛島が答えた。
「リオル・カフテンスキさん。あなたはマーガレット伯爵との決闘に敗れて海兵隊に引き渡されましたが──マグバれ──おっと失礼、あなたの後援者である連邦政府のとある議員さんがこの逮捕に難色を示されましてね。軍人のあなたが禁忌技術を利用した兵器を使っていた事や、議員さん達との繋がりが裁判を行う過程で表面化すると連邦政府の権威自体が揺らぎかねません。ですから、生きていられると困るので影も形も残さず処分して欲しいとオービル元帥に依頼されたそうです」
「逆に、私はあなたを正式な裁判にかける事を望み、オービル元帥にかけあいました」
ユイはクッキーの残り半分をリオルに渡しながら呟いた。
リオル・カフテンスキの肉体は処分され、マグバレッジJr.と地球閥議員達は安堵した。しかし、その魂は木星帝国の皇女に引き渡された。
「裁判を受けさせられないのは残念ですが。その代わりあなたには、私が受けてきたものと同じぐらいの責め苦を受けて欲しいと思っています」
「これが貴様の考えた報復か」
「はい、考えうる限りの非人道的な報復です。弱き幼子の身体に閉じ込められた事、さぞや武人の誇りを打ち砕いた事でしょう」
「恥辱まみれの生き地獄が待っているという事か」
「あなたは大勢の人間を殺しました、木星戦争でも、今回のクーデターでも。私の大切な友人もあやうくあなたに殺されるところでした。」
「お前の家族は我々が、いや私が殺したようなものだ──そしてお前自身の人生を奪う冷凍刑の処分を決めたのも私だ」
「はい」
「それならば。憎ければ首輪で繋いで拷問でもすればよかろう。何故このように着飾らせて、食事を与えるのだ」
「報復だけなら、それも良いでしょう。でも私はあなたに協力して欲しいのです」
「協力? 誰が──誰が貴様などに手を貸すものか、そんな事をするぐらいなら自ら命を絶つ。幼子の姿のまま敵に養われ生き恥を晒し続けるぐらいなら自ら死を選ぶ」
「あなたは死ねませんよ」
「何だと?」
ユイはPPを取り出すと、画像を呼び出した。
再生されたホロ映像には膝を抱えて眠る少年の姿が映し出された。キングアーサーの玉座に座っていた、金髪の少年。
「なっ──」
「あなたの主君です。この御方の脱出のために決闘を申し込んだり木星宇宙港に戦艦をぶつけようとしたりして時間稼ぎをされていたようですが。残念ながらこの御方は今、私共の手中にあります」
「ひ、人質か!」
リオルは車中である事も忘れて取り乱し、ユイの首に掴みかかろうとする。閉められたシートベルトのせいで椅子から離れられず短い手足をばたつかせる事しか出来なかった。
「おのれ、おのれェ!」
リオルの双眸にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「あなたが自ら死を選んだり、私共に損害を与えるのならば、この御方の安否は保障しかねます」
「本性を現したな、血の凍った怪物め!」
「なんとおっしゃられても結構。これであなたが自ら死を選ぶ事が防げるのならば」
ユイはホロ映像を切った。
「どうするつもりだ! 何をさせる気だ?」
「大切な御方なのですね」
「あの御方こそは人類の可能性なのだ! 貴様等が好きにしてよい御方ではない!」
「いずれ、成人した暁には彼をお迎えに上がりなさい」
「どういう意味だ」
「私達は──あなたのやろうとした革命を阻止しました。しかし、それは本当に正しかったのか。私にはわかりません、もしかすると私はとんでもない過ちを犯したのかも知れない」
リオルは騒ぐのを止め、黙ってユイの言葉を待った。
「──私は、私が怖いのです」
「怖い?」
「ええ──私の言葉には、人々を煽動する不思議な力がある事を、私自身が自覚しています──お父様、お母様、木星王家の人間に代々受け継がれてきた言葉の力。代を重ねる毎に濃くなってきた資質でありましょう」
王の資質を持つことを誇る様子はなかった、むしろ忌むべき呪いのように眉をひそめた。
「これをもし、私怨のために用いたらどうなりましょう。地球閥に成り代わり私腹を肥やすために民衆から搾取する事を罪悪と思わぬほど増長したら、どうなりましょうか。私の存在はきっと、今回よりももっと大きな争いを生むでしょう」
ユイは口を覆い、目を臥せる。
「その時、躊躇なく私を殺せるのは──私に恨みを持つあなただけだと。誰よりも私を憎む理由があり、私を殺した後の人類国家を混乱なく治める事が出来るのはあなただけ。人々の指導者に相応しい知識と崇高なる理想を持っているのはこの太陽系広しといえどもあなただけ。あなただけなのですよ、リオル」
「──保険をかけたいと? もし自分が人類国家にとって害悪となった時のために──私に処刑役を任せ後始末までさせたいという事か?」
「そうです。木星帝国と地球閥の覇権争い、私ファルシナと、あなたリオルの戦いは終わってなどいないのです。今は私が一歩リードしていますが」
「なるほど、木星帝国の力が増した時──自分で自分を止められなくなるのを防ぎたい、と」
リオルはそう呟くと窓の外、白い建物と緑の木々が整然と立ち並ぶ景観を眺めた。
「図々しいな、おまえは。自分が民に愛される名君でいたいがために、敵に自らを見張らせるのか──怠慢ではないか」
「まあ」
ユイは吹き出すとクスクスと笑った。
「そうですね、私はズルくてサボり屋さんなのかも知れませんね、フフ」
「わ、笑うところではない」
「だから、あなたのような存在が必要なのです。私より知識や経験が各段に上の『カウンターパートナー』にして『私の存在を脅かすライバル』です。もし私が駄目になってしまった時は、あなたは私から『あの御方』を取り返し私の富を使い、今回果たせなかった理想の世界作りを始めればよろしいでしょう」
(なるほど。この女──案外、論理的だな。敵に情けをかけ自分を大きく見せたい訳でもなく、殺す決断が出来ないほど臆病という訳でもない。無茶苦茶なようで、しっかりと先を見据えている。自分の選択が失敗だった時や道半ばで倒れた時のための、後事を託す相手にまで気が回るとは)
「ご納得頂けましたか」
「──恐ろしい女だ。何から何まで──やはり私の完敗のようだな、その若さにしてこれほどの深慮遠謀。手も足も出ん」
「褒めすぎですよ。クッキー、もっと食べますか?」
(私は仕えるべき人間の選択を誤っていたか)
「まだまだ色々と言いたい事はあるが──少々眠くなってきた。この身体は、幼子の身体とはままならぬものだな」
ユイは、リオルの事を高く評価している。彼が大人しくしている限り『王』に危害が及ぶ事はないだろう。先ずはどうにかして『王』の居場所を突き止めねばならない。
メアリー・ジーンの身体を急激な眠気が襲ってくる。
「眠りますか?」
「ウム……考えると疲れるな。頭を使うと疲れ易い」
(許せよレムス──この女は──敵ではなかったのかも知れん)
ユイは対面に座っている少女のシートベルトを外しリオルを抱きかかえた。
「そう言えば、何故──リタと呼ぶのだ。死んだ妹が恋しいか」
「意識が回復しないメアリー・ジーン。私は、彼女の境遇を自分の妹に重ね合わせて哀れに思っているのです。助けられなかった妹の代わりにメアリーの眠ったままの意識を呼び起こせる事が出来れば、幾分か慰めになります──本音を申しますと、あなたで無くとも誰でも良かったのかも知れません。メアリーの頭の中に同居して身体を動かして脳に刺激を与え続ける事が出来る人ならば」
メアリーの意識はまだ残っているのだろうか、それを呼び覚ます事はメアリーにとって幸せなのだろうか。リオルには判断出来なかった。
「お嫌でなければ妹の名前で呼ぶ事をお許しください」
「嫌だと言ってもそう呼ぶのだろう」
「フフ、そうですね、これは『考えうる限り残酷な、非人道的な報復』なのですから。あなたが嫌がる事はどんどんやらないと」
リオルは笑顔に包まれた。
(取り込まれてしまいそうな──微笑み)
ユイは自らの膝の上にリオルの頭を乗せ、手櫛で髪を梳く。
「おい、中身が、爺という事を、忘れんほう──が」
リオルの瞼は重くなり、ゆっくりと閉じていった。




